もう会えない人
「……出ない」
『相馬貴也』呼出中という表示から、すぐに留守番電話に切り替わってしまうスマホの画面を、ゆりかは眉間に皺を寄せながら睨みつける。
「ああああああ~!」
スマホをベッドに放り投げると、ゆりか自身のその身もゴロンとベッドの上に倒れ込んだ。
なんで出ないのよ?
習い事中?それとも何かお家のことかしら?
それならそれで仕方がない。
でも…………。
脳裏に貴也のニヤリと笑った悪魔の笑みが浮かぶ。
あれは良からぬ笑みだった。
絶対何か企んでるとは思ったが、まさかゆりかが嫌がりそうな同好会を新設するなんて……。
どうゆうこと?
何が目的なの?
ゆりかは近くにあったクッションを抱えながら、目を瞑って考えを捻りだす。
「ん~……嫌がらせ…………?」
自分で口にした言葉に、ゆりかは心底嫌気がし、項垂れる。
しかしあの貴也なら、ゆりかが怒って電話してくるのは想定していそうだ。
今頃、しきりに鳴るスマホを見て、ほくそ笑んいるかもしれない。
ゆりかはなんだか悔しくなり、再びスマホを手にする。
しつこく何回もかけてやろうかしら……。
その時だ、コンコンと部屋のドアが鳴った。
ゆりかが振り向くとその先には、帰宅したばかりなのかスーツ姿の父がドアの内側に立っていた。
「お父様」
ゆりかがぴょこりとベッドから飛び起きると、父は一目散にゆりかの元まで歩いてきて、顎に手を当てながらゆりかをマジマジと見つめる。
「どこも怪我は……ないね?」
ゆりかは一瞬面くらい、目をパチクリさせたが、すぐに土手での出来事かと気づき、苦笑いを浮かべた。
「お父様もお兄様も情報が早いですね」
「ああ、狩野から聞いてね。
土手から悠希君と転げ落ちたって聞いたから心配してたんだ。
怪我したのはゆりかを庇った悠希君だけと聞いてたけど、見るまでは安心できないと思ってね」
明らかにホッとし胸をなでおろす父に、ゆりかは少しあきれ顔をする。
けれど、その父の気持ちはわからなくもない。
つい先刻に見た夢のせいか、そんな父のゆりかを大切に想ってくれる親としての気持ちに、自然と口元が綻ぶ。
「お父様、お帰りになったばかりですか?」
穏やかな優しい声色でゆりかが父に話しかける。
すると父も仕事後の少し疲れがにじんだ顔に、柔らかい表情を見せた。
「ああ、今さっきね」
「お疲れ様です。今日はずいぶん遅かったんですね」
時計を見れば既に十時は回っていた。
人一倍仕事熱心だが、家族と過ごすために、社員一同に定時出勤定時退社を促している父にしては珍しい。
「今日は相馬コーポレーションとの共同事業のことで相馬社長と会食してたからね。
そうそう、貴也君も一緒だったんだよ」
「え!貴也君も?」
予想外の名前にゆりかは勢いよく首を父の方へ向ける。
「う、うん?」
ゆりかの態度に明らかに父が驚いている。
「あ、実は、さっきから用があって電話をかけてたんですけど、全然つながらなくて」
「じゃあ、電話を切ってたのかもしれないね」
なんだ、わざと無視していたわけではないのね。
会食に参加していたなら仕方がない。
将来会社を、財閥を担う人間として仕事のことはもちろん、マナーや社交性を養うために、馴染みの人間との会食はうってつけの場だった。
次期後継者の兄は小学生の頃からよく出席していたし、中学に上がって悠希もそういった会食に連れ出されているようなことを話していた。
「貴也君が一緒なら、ゆりかも誘えばよかったね」
「私は結構です」
おいしいものが食べられるのは嬉しいが、そうゆう堅苦しい場は避けられるものならできれば避けたい。
「じゃあ、今度、お父様のパートナーとしてパーティーどう?」
「お母さまが参加できないときに限り、やむを得ないときだけで、お願いします」
「えー、冷たいな」
父が本当に悲しそうな顔をする。
「だって私は悠希君かお兄様と一緒に参加することになるでしょ」
そう、ゆりかのパートナーはいつも悠希か兄なのだ。
高円寺家だけのパーティーでは兄と、和田家と共に出席するときは許嫁の悠希をパートナーとしているのがお決まりだ。
「まあ、そうだね。
ゆりかは人気者だから、お父様はさみしいよ」
肩をすくめながらため息をつく父に、ゆりかが「ふふっ」と笑うと、父もそんなゆりかを見て苦笑した。
「そうそう、悠希君で思い出したけど、さっき隼人から、うちの懇意の病院の医師が悠希君を助けてくれたって聞いたよ」
「そうなんです。
『真島』さんっていうお医者様です。
お父様と院長先生を通してお礼をしてもらえますか?」
「そうだね。明日にでも連絡を入れとこう。
しかし……『真島』か……」
父が少し考え込む。
「お父様?」
「いやね、銀行の『真島』さんと同じ名前だなと思って。
そんなにいない名前だから、親戚かって思ってね」
「私もそう考えてたんです……もしかして息子さんかなって……」
そう、あの真島司の息子――次男のナオではないか……と――
ふと最後に真島司を見たときのことを思い出す。
「そういえば……銀行の『真島』さん、最近家に来ないですね?お元気ですか?」
一年ほど前か、高円寺邸のリビングにいるのを見たのが最後だった。
学校から帰宅したゆりかが避けるようにこっそりと自室に籠ったら、あとになってゆりかの帰宅に気付いた母に「帰ってるならきちんと挨拶なさい」と珍しく叱られたのをよく覚えている。
それが最後だろうか、それ以来、真島司の姿を見なくなった。
ここ最近は違う担当者が来ることが多い。
「ああ、どうも今はもう営業の第一線から外れて内部で働いているらしいよ。
違う部署で部長職についてる話を聞いたな。
まあ、彼もなんだかんだであと数年もすれば定年だからね」
父の言葉がずしりとゆりかの心を重くする。
――あと数年もすれば定年だからね。
司はもうそんな年になったのか。
自分が四十そこそこで死に別れ、新しい人生をやり直している間に彼は年齢をさらに重ねて五十代になっている。
自分が歩むことのなかった人生を――その先を――彼は――――
「……お父様、じゃあ、真島さんとはもう会えないんですか?」
「んー、たぶんそうだろうね。
取引先の銀行の担当者が変わったことが今までにも何回もあるけど、変わってしまえば基本的に前の担当者には会うことはないね」
ということは……もう司はここに、高円寺邸にくることはもうないのだ。
それは一年も前からのこと……。
なんとなく薄々は気づいていた。
ここ最近司の姿が見えないことに。
でも無関心を貫こうとしていたゆりかは、敢えて彼の話題に触れようとは思わなかった。
自分にとって今の人生が大切だったから。
彼と今の自分の人生は交わらないと気づいた瞬間から、他人で過ごそうと決めたていたことだった。
「もう会えないんですね……」
ゆりかがぽつりと呟く。
「おや?真島さんに会いたかったのかい?」
父が意外そうな顔をする。
「いいえ。
でも……色々教えてもらいましたから」
人生の酸いも甘いも、そして苦さも彼から教わった……。
――――私の大切で憎い元夫
「そうか。ゆりかにとってみれば初めて担当みたいな人だったね。
真島さんも高円寺の娘だから大事に扱ってくれてたみたいだし……」
「お父様ご存知でした?」
ゆりかが父の声を遮る。
「……私、あの方の『特別のお客様』だったんですよ」
――取引先の大切なお嬢様なのは間違いありませんが……
――ゆりかお嬢様はお小さいけれど、大切なひとりのお客様です
――特別なお客様です
いつか言われた真島の言葉がゆりかの頭の中で響く。
頭が痛い……。
早く寝て忘れてしまいたい……。
ゆりかは張り付けた笑みを浮かべて、その痛みを隠した。
Licksuck様よりファンアートをいただきました!
Licksuck様、ありがとうこざいます♡
イラストは活動報告に載せておきますので、イラストに興味のおありの方、是非見てみてください。
赤ちゃん時代の可愛いゆりかがいます!




