『お父様』『お母様』
「ふふん、ふふーん」
高円寺家の白亜の邸宅の一室から呑気な鼻歌が響く。
新しい深緑色のセーラー服に腕を通し、青い大きなリボンを胸元で結ぶ。
鏡の前でくるりと一回転すると、下ろした黒い長い髪がさらりとなびき、深緑色のスカートがひらりと揺れた。
小学校の時の制服のデザインとは違って、新しいデザインの制服にテンションが上がった、ゆりかの姿がそこにあった。
「よし!準備万端!」
ゆりかは鏡の中の自分の姿を確認し、満足気にそう口にすると、鞄を手にして小走りで部屋を出た。
「お父様!お母様!行ってきます」
ひょこりとリビングのドアから顔を出し、優雅にお茶を飲む父母に大きな声で挨拶すると、母が大輪の花が咲くように微笑む。
「いってらっしゃい」
「気をつけて行くんだよ」
新聞から目を離し、優しそうに目を細める父。
いつも通りの朝の光景。
ゆりかはそのまま狩野の待つ玄関まで走り、玄関の前に着けた車に乗り込んだ。
「すっかり『お父様』『お母様』という呼び方が板についてきましたね」
運転席に座り、ミラー越しにニコニコと笑う狩野と目が合った。
そう、中学に上がる前の春休みから、ついに『パパ』『ママ』という呼び方を変えたのだ。
流石に良家の子女がいつまでも『パパ』『ママ』じゃ、格好がつかない。
それに自分が悪役令嬢だと気付いて以来、いつまでもこのまま甘えた生活をしていてはいけないと、色々改めたものの、ひとつだった。
今でこそ『お父様』『お母様』と呼んで、返事をしてもらえるが、初めて呼んだ時は酷かった。
特に父に関しては、まさしく青天の霹靂だったのだろう。
しばらく固まった後、丸一日、書斎に一人籠もってしまったのだ。
夜になり、母に引きずられながら出てきた父の腕にゆりかの小さな頃の写真が抱かれていた。
ゆりかの隣で「嫁に行く日にはどうなることか」と呆れながら呟いた兄を、物凄い形相で父が睨んだのは記憶にはっきりと刻まれている。
そんな高円寺家の一騒動をよく知る狩野を始めとした使用人たちも、そんな状況にヒヤヒヤさせられていたのだ。
「お兄様はとうの昔から『父様』『母様』だったのに、私だけいつまでも『パパ』『ママ』と呼ぶのは恥ずかしいでしょ」
「まあ、そうですね。
でも最近は大人になっても両親の前では『パパ』『ママ』と呼ぶ方もいますから、それもありだったんじゃないですか?
ほら、あの旦那様なら、それを望んでそうですし」
狩野に言われ、数秒その光景を想像してしまう。
うん、まさしくそうだろう。
いつまでも父に対して『パパ』と、ゆりかが甘える姿。
デレデレする父。
……だめだ。
だめだめだめ!
それじゃダメなお嬢様だ。
理想は聡明なできるお嬢様。
そういった甘えはもう捨てるのだ。
「私だって年頃なのよ。
いつまでも子供のようにはいかないわ」
「はは。
私にとってみれば、お嬢様はまだまだ子供ですよ」
「…………」
見た目は子供だけど、中身は狩野よりも年上である。
すんなり肯定できず、複雑な心境になってしまった。
「その子供だ子供だと思っていたお嬢様が、いつの間にか大きくなっていて、旦那様も少し寂しくなったんでしょうね」
「あれで少し……?」
ゆりかが小首を傾けた。
あれで少しだったら、兄じゃないが嫁に行くときにはどうなってしまうのだろう。
「ぷっ、確かに少しじゃなさそうでしたね。
だいぶお寂しく感じたのかもしれません」
狩野が思い出したかのように吹き出した口を押さえて、訂正する。
「でも親にとったら子供の成長は嬉しいものなんですよ。複雑ですね」
その時、頭の片隅にふとコウとナオの顔が浮かんだ。
――『お母さん』
段々と手が離れて、自分なしでもなんでもできるようになっていった子供たち。
スクスク成長してくれることを願いながらも、手を離れる寂しさを感じた。
手を繋いでくれなくなったとき。
なんでも話してくれなくなったとき。
一緒に家族旅行に行かないと言われたとき。
寂しく感じた――
父もそうな風に感じたのだろうか。
そう思うと父の気持ちもわからなくもない。
成長する寂しさ。
でもその一方で成長する喜び。
――『お母さんは、コウとナオの髭もじゃのおじさん姿見るまで死ぬつもりないわよ』
前世の記憶が頭の中をかすめる。
――コウとナオが大人になるまで見届けたかった。
「その寂しさって幸せよね」
ゆりかの口からポロリと本音が溢れるも、その声は小さく狩野には聞き取れなかった。
「お嬢様?」
「……ううん、なんでもない。
学校に着くまで少し寝るわ」
そう言うと、ゆりかは少し寂しげな目を閉じた。
あけましておめでとうございます!
休み中、久々にジャンル別日間ランキングにランク入りしていました。
ありがとうございます。
第4部は中学生編になります。
少しずつ恋愛要素入れていきたいな〜なんて思ってます。
ではでは、今年もよろしくお願いします。




