ゆりかの銀行口座
「銀行口座が欲しいです」
ゆりかは書斎に座る父の元へ歩み寄り、直談判をする。
「どうしたんだい?ゆりか」
父は目を丸くし、座ったままゆりかを見上げた。
「私の銀行口座を作ってください」
「いきなりなんで銀行口座なんか…」
なんでかって?
「お小遣いが多すぎて使いきれないからです!」
そう、ゆりかは小4になりお小遣いをもらうようになった。
その前まではクレジットカードのファミリーカードを使用していた。
今もそれは引き続き使用しても良いが、社会勉強にと父が現ナマをくれたのだ。
月に1万円。
12か月もすれば12万円。
ちょっとちょっと、これ小4にあげる額じゃないだろ?と思うも、セレブの子の付き合いは意外にお金がかかるのは確かだ。
でもそんな時は両親や使用人の誰かが払ってくれたり、クレジットカードで支払う方がスマートだったりする。
では、このお小遣いはいつ使うの?になる訳だ。
お兄様は金庫にでもしまってるのかしら?
不思議だわ。
毎月順調に貯まっていくお小遣いに、ふと前世の庶民の感覚を取り戻したゆりかは、このうん万円を貯金箱に入れて置くのが怖くなった。
しかも伊達に前世アラフォーまで生きてはいない。
ゆりかは金融機関で働いていたのだ。
お金でお金を生もう。
勉強にもなるし、世のためにもなる。
そんなことを考え始め、手始めに父に銀行口座を作ってもらおうとしたのだった。
「そうだなぁ…今もゆりか名義の口座はあるけど…自由に動かせるものじゃないからなぁ。
ゆりかが自由に使える口座が欲しいんだよね。
じゃあ、会社の取引先の銀行の人に聞いてみようか」
ゆりかの話を聞いた父はそのように回答し、ゆりかはそれに喜んだ。
*****
ある日、学校から帰ると父と知らない男性が背を向けてリビングのソファに座っていた。
誰だろう?
するとすぐに父はゆりかに気づき、「ゆりか、取引銀行の担当の方だよ。君のためにきてくれたんだ。こっちにきなさい」と呼ばれた。
ゆりかは数歩足を進め、ピタリと止まった。
――!
目を見開き、
声にならない声がゆりかから漏れた。
振り返った男性の顔に見覚えがあった。
父よりも一回りくらい年上で、整った誠実そうな顔。
年のせいか少し白髪が見える。
以前ホテルのロビーで見かけた男性にそっくりだった。
あの時と同じ薄紫色のネクタイ。
そして記憶のどこにひっかかる―――
男性もゆりかの顔を不思議そうに見つめていた。
「どうかしましたか?」
男性の一言で固まっていたゆりかが、魔法にでもかかったように息を吹き返す。
父も「具合でも悪いのかい?顔色が白いよ」ときいてきた。
「…あ、大丈夫です」
顔色まで悪くなってたのかと、ゆりかは自分でも驚く。
気をとりなおして、未だ動揺していることを悟られないように挨拶をした。
「高円寺ゆりかです。
今日はわざわざありがとうございます」
すると男性はにこやかに名刺を渡してきた。
「水野銀行の真島司と申します。
お父さんの会社の法人担当ですが、今回はゆりかさんの口座開設もさせてもらいに来ました」
優し気な口調だった。
その声がギュッと心臓を鷲掴みにする。
なんだろう、これ…
胸が苦しい。
「真島司…さん?」
ゆりかはなにかを確認するかのように、名前を繰り返す。
――ましまつかさ
頭の中でこだまする。
「はい」
真島はゆりかに名前を呼ばれ、目を細めて微笑んだ。
その時に、目尻に皺ができた。
ゆりかは真島の顔から目が離せなかった。
「…パパ、今日はもう部屋に戻ってもいい?」
ゆりかは振り絞るように声を出した。
「ああ、大丈夫かい?
あとはパパが手続きしておくよ」
父が言うやいなや、ゆりかはリビングから早足で出ていった。
靄がかかった感じだった。
すぐそこまで何か出かかっているのにわからない。
部屋に辿り着くと、ゆりかは倒れ込むようにベッドに伏した。
何かを思い出しそうで、繰り返し呟く。
「…真島司、真島司、ましまつか…」
暗闇から走馬灯のように記憶が浮かび上がる。
『司君』
『ゆりか』
指と指を絡め手を繋いでいた。
『司君、係長昇進おめでとう』
ゆりかが若紫色のネクタイを渡していた。
『ゆりか、結婚しよう』
夜景が綺麗なイタリアンレストランで指輪を見せられプロポーズされていた。
相手はいつも目尻に皺を作って笑っていた。
――あれは…真島さんだ。
前世で私の一番近い場所にいた人。
近くにいたのに、気づいたら、物凄く遠くにいた人だ。
私の結婚して家庭を築いた大切だったパートナー。
失くしたピースがピタリとハマった気がした。
私の前世の名前は『真島ゆりか』だった。
そして夫は『真島司』だった。
ついにゆりかの前世の元旦那、真島の登場です。
ゆりかの結婚感を歪ませた張本人。
真島とも楽しい思いであったんだよ。と、少し思い出してもらおうと思います。
この方が今後、ゆりかにどう関わっていくのか…ですね。




