漆黒の絶無刀(Nonexistent)
「私は、弟を殺した悪魔を許さない」
「お前もまた榊原の血を継ぐ者の独りか…。我が孫娘、希よ」
満月の光が差し込む道場。畳の上で正座で向かい合う影が二つ。
一つの影は、掠れた声を出す老人。
一つの影は、闇に漆黒の髪を揺らす若い少女。
影ではない闇は、年端もゆかぬ男の子。
「弟の魂が私を導くと心得ております」
首からペンダントのように下げられた小さな宝珠を強く握りしめる。
影ではない闇が若い少女の手を優しく包み込み微笑み返す。
「ならば、止めることは叶わんだろう。これを持っていくが良い」
若い少女の前に差し出されたのは、榊原家の家宝【絶無刀】。長さが二尺九寸ほどの打刀。
若い少女は、畳に手を揃えて人差し指を付け、深く身体を屈めて最敬礼の姿勢をとる。
しばらくして、姿勢を戻し両手を差し出し、手のひらを上に向け絶無刀を下から掬い上げるように受け取る。
「本日を持って榊原家歴代所有者、全ての魂を受け継がせて頂きます」
「これが最後の言葉になるだろう」
「頂戴いたします」
受け取った絶無刀を太ももの上に置き、左手は鞘を右手は柄を握っている。
「二度と人の道は歩めぬ。その魂が尽きるまでその闇とともに歩むことになるだろう」
「確かに承りました。では、これにて」
鈴の音が鳴った瞬間、老人の首が落ちる。
「御祖父様、長年のお勤めご苦労様でした。榊原家の全ては私に託されました」
若い少女は、畳に手を揃えて人差し指を付け、深く身体を屈めて最敬礼の姿勢をとる。
■◆■
---二〇三〇年。
いまだ中東紛争という名の代理戦争が続き、一方で科学が進み平和を甘受する大国が存在する世界。
歪んだ歪みは矯正されることなく歪み続け、十年ほど前にその歪みが捻じ切れたと表現すべき、次元変動が発生し、他世界と結合した。
他世界から禍々しい異界生物【悪魔】が世界各国に現れ、人々を蹂躙していった。
各国の軍が悪魔と交戦し迎撃に成功、他世界へと追い払った。そのときの世界人口は、半分にまで落ち込む。
各国首脳および国連事務総長は、悪魔絶滅宣言を発表し世界は歓喜に沸いた。
世界のありようは変わることなく再び歪み、歪み生じ続け、他世界と何度も繋がることになる。
前回のような大規模攻勢でなく、こっちの世界で我々に感知されないような空間に本拠地を作り、何の前触れもなく現れては人々を殺していく。
各国首脳および国連事務総長は、再度の悪魔侵攻がある事実を隠蔽し、超常現象として情報操作を行う選択をとった。
先の悪魔侵攻で各国の軍力低下が著しいため、悪魔を討伐するための軍事力がもうないからだ。
世界各国は、悪魔に対抗する人材育成が急務となった。
日本では、中学から防衛大学までの教育課程で人材育成を開始する。
悪魔の再来は未公表のため、裏の教育委員会【第四九退魔委員会】を設置、有能な人材を全国から選抜し対悪魔育成学校【公立明星学園】に集めた。
公立明星学園は、主目的である対悪魔養成機関を隠すため、一般生徒も通う学校となっている。
降雨が少なかった梅雨が過ぎ、初夏とは思えないほど気温が高くウンザリする。
茨城にあった自衛隊の駐屯地は、十年前の悪魔侵攻の際の資金調達のため民間企業に売られた。
公立明星学園を建設するため買い戻されているが、建前上国有地扱いとなっている。
半袖の女子制服を来た黒髪少女が、公立明星学園の門から続く並木道の中央でウロウロしていた。
おそらく案内版のようなものを探していると思うのだが見つからない様子。
この学園の高等部に通う一年の渡辺智也は、そんな不審な少女を見つけてしまった。
「転校生かな」
紛争地帯のような購買から、焼きそばパンとメロンパン、それにイチゴ牛乳を購入し、いつも食事をしている芝生のところに向かう途中だった。
イチゴ牛乳を啜る。
「流石に見ぬふりするわけにはいかないか。校門を通れたということは、学生で間違いないだろうし」
門には常駐している警備員がいる。門をくぐるときは、写真入り生徒手帳を見せることになっている。
ウロウロしている少女に歩み寄って声を掛けた。
「こんにちわ」
「ひゃいっ!」
少女は、身体をびくっとさせて一歩下がり、智也を恐る恐る見る。
「ごめん。驚かせたかな」
(竹刀ケース…剣道でもやっているのかな)
「い、いえ。御祖父様以外の男の方は、初めてなので」
「そ、そう? 珍しいね?」
第一印象は『変わった子』だった。
日本で育っていれば、道のどこかで必ず男性を見かけるはずなので、全く男性との接点がなかったというのは考えにくい。
箱入り娘でも外ぐらい出るだろう。
(眼鏡を掛けてなければ可愛い方じゃないかな)
大きな眼鏡で顔を隠しているようにも見える。
全体的には少女のイメージが強い。少々大人っぽい公立明星学園の女子制服に着させられている感じた。
「ところで、君は転校生?」
「そ、そうです。理事長室に、う、伺いたいのです」
「そんなにビクビクしないでくれるかな」
「ご、ごめんなさい。御祖父様からは『男は狼だから気を付けるように』と幼少のころから教え聞かされていたので」
「間違っていないけど間違っているから、それ。」
「では、満月に向かって吠えたりしないのですか?」
「吠えませんっ!」
(頭痛くなってきた。これ世間を知らないタイプだ)
「そう……ですか」
「それで、良くここまで一人で来れたね」
「ばーやの車できたので」
「そ、そう」
(脱力しそう。理事長室への行き方を教えたら退散しよう)
「理事長室は、この道をまっすぐ行ったところの、あの校舎の最上階だから」
「あ、ありがとうござます」
少女がお辞儀をすると、腰まで届きそうな黒髪がふわりと揺れ、木蓮の香りが智也の鼻を刺激した。
姿勢を正すと、小走り気味に校舎に向かって道を進んでいった。
(中等部の転校生だろうけど、名前ぐらい聞いておけば良かったかな)
智也は、イチゴ牛乳を飲みながら、昼食を取るため芝生に向かって行った。
■◆■
「ようこそいらっしゃいました。榊原希さん」
「久しぶりです。邑崎九重理事長」
クッションが良く聞いた大きめの椅子に座る公立明星学園の理事長・邑崎九重。
長机に両肘をついて、組んだ手に顎を置いて、少し笑みを浮かべている。
長いブラウンの髪をお団子のように優上げ、眼光鋭い細長切れ目の一般的イメージの紺のビジネススーツを着た理事長である。
「当学園への着任を歓迎するわ」
「歓迎の必要はありません。私は願いを叶えるために、この学園に来ただけですから」
「相変わらず、人間味の欠片もない人ね」
「戦場において感情は不要なもの」
「学園は、戦場ではないわよ?」
「ならば、早く戦地に送り込んでください。悪魔全てを惨殺する」
希の表情に残忍な笑顔が浮かび、黒髪が漆黒に塗り替えられ空に踊る。靄のような闇が少年の姿を取る。
九重の身体が生存本能に従い振れあがり、失禁を寸前で堪える。
姿勢を正す。
「理事長も政府関係者なら【榊原】が、どんな家柄なのかご存知でしょう」
公立明星学園が事実上の軍関連施設であるため、理事長も政府要人の一人である。
ただし、表に出ない裏の防衛大臣である。十年前の悪魔討伐に参加し生き残った日本人の一人で、その実績を買われ裏の防衛大臣を務めている。
実戦経験済みの九重にしても、希が発する得体のしれない圧力が恐ろしい。
(これが、あの榊原を継いだ者のありよう)
「と、とにかく。まだ要請は来ていない状況。しばらくは学園生活を満喫しすように」
「分かったわ」
「それと、貴方には小隊を組んでもらいます。メンバーはこの三人。同じ対悪魔養成クラスになります」
三名の顔写真が貼られた資料を長机の上に並べられる。
希は、一枚一枚手に取ってチェックする。
「彼、こっち側の人間だったんですか」
「彼と面識が?」
「先ほど、ここへの道を教えていただきました。渡辺智也というお名前だったんですね」
「特殊能力は、対悪魔戦において有効な能力を持っているわ」
「演技に気づかずに騙される無能は、足手まといになるだけです」
「演技? 演技できるのね」
「御祖父様から常に『男なんてやつは演技で簡単に騙せる』と言われている」
「す、素晴らしい祖父だったんですね」
苦笑いする九重。
ちょうど、このタイミングで理事長室の扉がノックされた。
九重が入室の許可を出すと、女性が入ってきて九重に対して敬礼をする。
「彼女があなたのクラスの教官、八柳晴美少尉です」
「はじめまして。八柳晴美少尉」
「あなたが、榊原希さんですね」
年上を敬い希の方から挨拶して手を差し伸べる。応えて晴美が手を握る。
手を放すタイミンクで九重から晴美に声を掛ける。
「八柳教官。希さんは、特待生扱いとなり、実習は免除です。一般教養のみとなります」
「邑崎長官。実際に技量を見せていただかないと、本当に小隊を預けることが出来るのか疑問です」
「実力は、私が長官として保証します」
「はっ。了解致しました」
再び敬礼し承諾する。そして、希に向き直り、笑顔で。
「それでは、クラスまで案内するわ」
「よろしくお願いします」
■◆■
高等部一年F組。渡辺智也のクラス。
中学生と思っていた転校生の少女がクラスに来たときには驚いた。
(まさか。同い年だったと思わなかった。対悪魔育成クラスに配属ということは、それなりに実力を認められているということか)
対悪魔育成クラスには、悪魔を打倒する人材を目的に全国から集められた男女十一名が所属している。
軍隊形式の教育から一般教養まで、幅広く学ぶことができ、一般生徒には見せることができない実習は、地下練習場で行われる。
転校生が加わって初めて中隊規模の構成ができるようになる。
転校生が自分の名前を黒板に書く。
(榊原希ちゃんか…)
「はじめまして。榊原希です。よろしくお願いします」
(最初に思ったイメージと違う? 凛とした態度は、年上とさえ感じる)
「渡辺伍長、小林伍長、三原伍長。彼女には、貴方たちの小隊長として着任します」
クラスがどよめく。
実力も分からない転校してきたばかりの少女が小隊長にされると聞かされれば、先の八柳教官同様に上官の命令でも疑問に思う。
「渡辺伍長、小林伍長、三原伍長。返事がありませんが?」
「教官殿。意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
智也が立ち上がり、腕を後ろに組んで晴美に問いかける。
「よろしい」
「彼女が小隊長に任命されること自体に文句を付けるつもりはありませんが、私どもは彼女の実力を知りません。教官殿はご存知でしょうか」
「理事長の折り紙付きだ。問題ない」
(理事長は、先の悪魔討伐に参加した英雄の一人。そんな方の折り紙付きだというのか?)
今度は、小林薫伍長が立ち上がる。
「それでは承服しかねます」
「良い度胸だな。上官に立てつくつもりか」
「彼女の指揮次第では、命を落としかねません」
続いて、三原達也伍長も立ち上がり同意する。
「私は、一向に構いません。しばらくは学校生活を満喫するようにと命令を受けてますし問題ありません」
希は、にっこり笑顔で教官を見せるが、教官はその裏にある殺気に似た圧力を受け気後れを感じる。
その圧力を感じた者が一人いた。智也である。身構えて防御姿勢を取り、冷や汗を垂れ流している。
(理事長が目を掛けるほどはありそうね。なるほど現場主義ってところかしら)
実際、智也は死んだと思った。恐怖の刃で瞬殺されたと感じ、生きていたことを感謝したほどだ。
戦闘経験がない者には出せない気迫だろうと、戦闘経験のない智也は思うしかない。
(何者なんだ、榊原希という少女は…)
立っているのが精いっぱい。失禁しなかったのは奇跡だ。
「どうした。智也? 顔色が悪いぞ」
「い、いや…。何でもない」
言葉が出たのは奇跡かもしれない。
「では、小隊という構成は取りますが、小隊長については後ほど検討しましょう。席は、渡辺伍長の隣で宜しいでしょう」
「分かりました」
希は、小さな足音を立てながら智也の隣までくると。
「このクラスのなかで、あなたはだけは、生きて帰られるでしょうね」
口角を上げて笑う。
智也の隣りの席、薫の前の席に座る。竹刀ケースの肩掛け部分を机の角に引っ掛けて釣り下げる。
憮然としながらも薫と達也が座り、遅れて智也が座る。
(これが、彼女の実力…)
突発的に発生する悪魔の討伐には、軍所属の先生たちと三年生に出動要請がある。二年生は警戒体制のまま待機し、一年はまず出撃命令はない。
つまり、一年の間は戦闘に駆り出されることはない。故に戦闘経験はない。
智也は、悪魔を倒せる実力を早く身につけ、一刻も早く悪魔を倒したい強い思いがある。
ここのクラス全員は、何かしらの理由があり悪魔への憎しみや怨念を持っている。そういう集まりだ。
(彼女にも理由がある?)
ちょうど鐘がなる。午後のホームルームが丁度終わった。
■◆■
彼女、榊原希が転校してから一カ月が経過。いっこうにクラスに馴染もうとしない。
理事長の指示という理由で、実習は見学のみで参加せず。そのため、小隊としての戦闘訓練は、小隊長(仮)を欠いた状態で行っている。
先日行われた一般期末テストでは全科目満点で学年トップを獲り、対悪魔育成側の実習テストは免除で実力不明のままであるが、防衛学分野でのテストも満点を獲っていた。
本当に同じ一年生なのかと疑うほどの優秀さである。
数日もすれば、夏休みになるが、対悪魔育成クラスには合宿訓練が待っている。
この合宿訓練中に鍛え上げて、実戦に耐えうる体力と戦闘能力を身につける。さらに、各自が所持している【特殊能力】に応じた能力強化も行われる。
特殊能力は、一般的に攻撃能力と防御能力に体系分けされており、いずれかもしくは両方の能力を発現する。
場合によっては、レアと称される能力を発現できる者がおり【レアスキル所持者】と呼ばれる。
渡辺智也は、そのレアスキル所持者である。
(俺のレアスキルは、実戦できっと役に立つはずだ。合宿中に底上げをしておきたい)
暑い日差しが差し込む芝生の上で、いつものように昼食を食べている。
希の一言「貴方たち小隊メンバーは共に食事を摂らないのかしら」で、この一カ月ほど、薫と達也の三人で昼食を摂っている。言った本人も誘ったのだが「私のことは良いからメンバーと親睦を深めるといいわ」で断られた。
「ふと考えることがあるの。なぜ私たちは特殊能力を使えるのかと」
「今さら授業の復習か?」
「『特殊能力の発現は、DNAに刻まれた情報にアクセスできる者に限る』だったか」
「ええ。『その情報で物理法則に事象を書き加えることで発現する』ってことだからDNA情報アクセスの処理速度の向上と、発現プロセスまでの時間短縮が主になるでしょ?」
「ついでに強度も含まれるけどな。強度が高ければ発現時の威力も増すわけだ」
「合宿訓練の主なメニューだね。あとは、発現に耐えあうる肉体づくり」
「一般の人も鍛えれば特殊能力に目覚めることができるかと言うと、それはないでしょ?」
「ゼロに何を掛けてもゼロだしな」
「私たちも特殊能力に目覚めなかったら、一般人と変わらなかったはず。【ゼロ】が【イチ】になる切っ掛けって何だったんだろうと考えるのよ」
「単純に【イチ】を特殊能力に関するDNA情報を持っていただけじゃないのか」
「それなら一般人にも特殊能力に目覚めていない人だっているはずよね」
「そりゃまー。日本人全員を検査するわけにいかないからなー」
「……いや。学生だけなら出来る。秋の身体測定のときに血液検査の名目で血が採取されている」
「ええ。その通り。だからこそ政府は私たち特殊能力者を集めることができたと考えるべきね」
「理事長に榊原希の特殊能力について聞いてみたんだ。そうしたら---」
--- 彼女について全ての情報については、一切触れてはならない。以上だ ---
「なんてだよそれ。トップシークレットって意味か」
「分からないよ。完全な拒絶という感じだった」
「何者なのよ。榊原希って…」
■◆■
「私も合宿訓練に小隊長として参加することになったわ。よろしく」
「「「は?」」」
一学期の終業式が終わった次の日の午前二時。
公立明星学園校門の前に集まった一年の対悪魔育成クラス一同。
到着した大型バスのトランクルームに着替えや日用品が詰まったバックを積み込み、バスに乗り込んでいく。
たまたま、最後になってしまった智也と薫と達也の前に、竹刀ケースを背負いキャリーバックを引きずってきた希が現れた。
しかも、満面の笑みで。
「合宿って初めてなのよ。夜って枕投げするんでしょ? コイバナも。楽しみだわ」
「「「なぜ、フレンドリー?」」」
合宿先は、静岡県の富士第四九演習場。悪魔戦を想定した演習場となっており、市街地エリア、森林山岳エリヤ、荒野エリア、砂漠エリアがあり、悪魔が持つ能力を再現したデコイで実戦さながらの訓練を行うことができる。
引率は、八柳晴美教官。富士第四九演習場での訓練を全て仕切る。
また、八柳教官や歴戦の士官による模擬戦も実施予定になっている。一年の新米では、叩かれてボロボロにされておしまいだろう。
深夜出発だったので、移動中のバスの中では全員が熟睡していた。
午前6時過ぎ、富士第四九演習場に到着する。
宿舎は、富士第四九演習場に学生用に設置された二階建ての簡易宿舎で、小隊ごとにひと部屋が割り当てられている。男女混合の小隊でもひと部屋である。
八柳教官の号令で、小隊ごとに列を作り並ぶ。
全員が迷彩色の軍服を着ている。希も同じで竹刀ケースを担いでいる。軍の施設内にいるときは、常時着用を義務付けられている。
「本日より、合宿訓練に入る。移動日だからと言って休みなどない。まずは踏破訓練だ。このアスレチックコースを一時間以内に踏破完遂すること。もっと早くてもかまわん」
八柳教官から、四枚の地図を小隊長が受け取り、メンバーに渡す。
等高線が蜘蛛の巣のように書かれた地図に、赤い線でコースが書き込まれている。
「十分ごとに一小隊が出発する。今回は踏破完遂が目的だ。全員が完遂するように。では、三十分後に開始する。準備を怠るな」
「「了解っ!」」
踵を揃え敬礼で応える。
智也、薫、達也の三人に希が加わる。
違和感を感じる三人。希が小隊に初めて加わったことではなく、未だに笑みを絶やさないからだ。
智也が全員を代表して、聞いてみる。
「何か楽しいことがあったんですか?」
「いつもこんな感じでしょ? 私」
「「「違う違う」」」
「なに? その三人のハーモニーは!?」
「それより、踏破訓練の準備が最優先。小隊長は、どう考えています?」
「現時点では、踏破完遂できないでしょう」
「そう思うか」
「どういうことなの」
智也は、地図から難所を一か所見つけ、希が同じことを考えているか確認した。
それに対して、薫と達也は気づいていなかった。
全員が地図を見れるように広げ、難所を示す。
「ほら、ここ。複数の等高線がやたらと混んでいるだろう。それに川がある。つまりここは滝だ」
「滝を登れってこと?」
「等高線の数から計算すると百メートル近くある」
「まじか!」
薫と達也は絶句する。
これほどの滝を昇るには、通常ならば登山用の装備が必要になる。
だが智也たちは、一般人ではない。暗に特殊能力を使って登れと言っているようなもの。
それができる技術を持っている一年はいない。
「今回の踏破訓練は、いかに自分たちが非力かを認めさせることが目的でしょう」
「初日に踏破訓練するぐらいだから、それだろうな」
「あなたは、どう思っているのかしら」
「やってやれないことはない、と思う」
「智也、さっきと逆の話しをしてるぞ」
希は、智也の答えに感心した。
(チームリーダーとしての資質、確かに理事長が目を掛ける程のことはあるのね)
「ただし、四人はダメだけど、三人ならどうにかなる」
「智也のレアスキル。【能力超上昇スキル】か」
智也が持つレアスキル【能力超上昇スキル】は、自分自身と手を繋ぐ二人に対して身体能力のレベルを劇的に上げることができる。ただし、現在では一分が限界である。
欠点は、身体能力向上をさせたい相手と手で繋がっていないと意味がないということ。
智也は、この制限をこの合宿で克服したいと考えている。
ヒントは、ランチを小隊メンバーと共にした時に感じた【共鳴感】。
精神による結びつきにて、能力超上昇スキルの効果を相手に与えられることができると考えている。
(そういえば、小隊メンバーで昼食を共にするように言ってたのは……。まさかな)
「作戦は決まったわね。そろそろ三十分、集合の時間よ」
(お前はどうするんだよ。小隊長…)
智也達小隊の順番が回ってくる。
前半は、丸太で出来た障害コースを走りニメートルある壁は飛び越え、障害を最速で最少の体力でクリアする。
後半の中間までは、森林の道なき道の上り坂を最短コースで進む。
そして、難所の滝に遭遇する。
見上げればやはり高い。滝つぼに落ちた水のしぶきが飛んでくる。
登るのは、滝のすぐ横の絶壁。
先に出発した全ての小隊が、ここで苦戦し登れていない。
「私は、貴方たちの後をついていくから先に行って」
あたかも簡単に出来そうに言う希に苦笑いを送るしかないだろう。
「能力発現っ! 能力超上昇スキル!」
智也の身体が白いオーラで覆われる。手を薫と達也に差し伸べ握ると、そのオーラも伝播する。
身体能力が上がっていくことを感じ取ることができる。
「いくぞっ! 側面を一気に駆け上がる!」
「「おおっ!」」
岩の足場を無視して、直線の最短距離を駆けあがる。身体に小さい枝が当たるが避けずに進む。
崖の頂上が見えてきた。手を伸ばせば届く距離。
そして、走り登り切る。
薫は座って肩で息をする。智也と達也は、立っていることはできるが息が荒い。
「なかなかね」
一方、希は息を切らせず汗も垂らさず智也達の前に立ち微笑んでいる。
(ほんと、何者なんだよ。小隊長…)
息を調えた後、後半残りの急こう配が連続する坂をクリアして、一時間弱でクリアを果たした。
この踏破訓練で完遂できた小隊は、智也達の小隊だけ、他は全滅だった。
今の一年生の実力では、完遂できるコースではなかった。いかに無力で無能なのかを知らしめ思い知らせるためである。
その後、体力を根こそぎ奪われて状態のまま、訓練は日没まで続いた。
宿舎に戻り、食堂に全員が集まる。
陸上自衛隊の糧食班が調理したバランスが整った定食メニューが、全員の目の前に置かれているが、しごきに近い訓練のせいで手が付けられない学生たち。
同様に訓練に付き合っていたはずの希は、平気な顔で食事を摂っている。
智也、薫、達也は、食べられない側である。
八柳教官が、全員に大きな声で言い放つ。
「飯は吐いてでも食え! 食べたくなくても食え! 食べておかないと明日も続く訓練に耐えられないぞ!」
食事は唯一のエネルギー補給であり、体力回復を促進する。これからも続く地獄の特訓に耐えるには必須である。
箸を手にする音、食器を持ちあげる音、ようやく少しずつ食べ始める学生たち。
智也もご飯だけでもと飯椀を手にとり、箸でご飯をすくう。口に含み、ご飯粒を噛みしめた。
ふと、視線を前に向けると、山盛りご飯を豪快に口に運んでいる希が見える。
「なぜ、そんなに、元気、なんだ」
「ん? ここのご飯意外と美味しいのよ。何杯でも食べられるわ」
「そ、そう…」
(本当に同じ一年生なのか…。今日の訓練はかなりきつい内容だったのに、疲れている素振りもない)
智也は、希を訝し始めている。
傑出すぎている体力と身体能力。おそらく上級学年の先輩たちでも、これほどあるとは思えない。
(現役の軍人なのだろうか。だとしても何故、学校に転校までしてくる理由がある)
(気になるのは、訓練中も食事中も肌身から離さない竹刀ケース。無用の長物にしかならない竹刀ケースを何故外さないんだ)
「なに見つめているのよ」
「ああ、ごめん。見つめているつもりはなかったんだ。考え事をしてただけだ」
「ふーん」
■◆■
合宿開始から三週間、月が変わって平年以上暑さの中で過酷な訓練は続いていた。
その過酷な訓練で、学生全員の身体能力は格段に上がった。
また、各自の特殊能力に合わせた個人訓練も実施され、合宿初日より特殊能力の質の向上が顕著だった。
智也の能力超上昇スキルも、譲渡する相手に手のひらを向けるだけで、その者の能力アップをできるようになっていた。
それでも、第一段階をクリアしただけと智也は考えている。
(効果時間が、まだまだ短い)
能力超上昇スキルは、次に使用可能となるまで時間が掛かる。レアスキル故の欠点でもある。
現在、効果時間が使用可能時間と比べて圧倒的に短い。さらに、一人しか譲渡ができない。
効果時間を長くするか使用時間が短くなるかのどちらかになるが、これまでの訓練で使用可能時間が短くなることはなかった。
太陽が空気の温度差で歪むほど気温が上がった正午。突然、それは起こった。
大音量のサイレンが、富士第四九演習場に鳴り響く。これは、敵襲来の警報。
訓練中の学生たちは、立ち止まり手を休め、その音をが聞こえた方向を見る。
八柳教官が、空を見上げる。
「悪魔の出現!?」
悪魔が出現する予兆、見上げた空が渦を巻くように歪み、穴が開いていく。
その穴から巨人の悪魔が降り立つ。それは、神話に出てくるミノタウロスのような姿をした悪魔。
悪魔にはランクがある。人間側が勝手につけたランクだが、その強さによって10までランク分けされており、そのランクに応じて派遣される対悪魔部隊が編成される。
ミノタウロスの悪魔は、ランク5。当然ながら学生たちでは歯が立たない。自衛隊の対悪魔部隊でも、最低三個大隊を率いて討伐すべき相手である。
『グオーーーーーッ』
レベル5程度の悪魔に知能はない。誰かに命令され戦闘本能剥きだしのまま人間に襲い掛かってくる。
「退避っ! 学生は宿舎に退避っ! 急げっ!」
警報が鳴ったということは、陸上自衛隊基地でも感知しているということ。
ただ、富士演習場に対悪魔部隊は配備されていないため、周辺駐屯地から駆け付けることになる。対悪魔討伐部隊の到着まで時間がかかる。
学生たちは、八柳教官の指示のもと宿舎に向かって必死に駆けていく。混乱せずに退避できているのは、訓練の賜物だ。
ただ一人だけ、その場から動こうとしない黒髪の少女がいた。
(榊原!? なにしてんだあいつ!)
希の姿を見た智也は、脚を止める。八柳教官が「早く避難しなさい」と智也に向かって言い放つ。
智也は見た。見てしまった。希の顔を。その顔は表情は、智也の身体が竦みあがるほどの鬼気とした笑顔だった。
「何しているの!」
「す、すみません教官。あ、脚が動かないです」
「今は悪魔を恐れて立ちすくんでいる場合じゃないわ」
「ち、違うんです。榊原…榊原小隊長が…。何者なんですか、あの榊原って」
「詳しいことは分からないわ。ただ理事長からは『彼女は特別な存在。不用意に触れてはいけない存在』と言われているだけ」
「何ですか。それは…」
突然、空気の揺らめきが希を中心に発生する。
希の黒い髪が漆黒に塗り変わっていく。
髪から靄のような闇が漂い、小さな少年のような形を作っていく。その闇が不気味に笑う。
「ええ。あいつではないわね。わかっているわ。全ての悪魔を斃すのが榊原の使命」
(独りごと? いや、闇と話している!? 榊原の使命っていったい…)
「そこの人間二人。巻き添えを食いたくなくば、早々に立ち去るが良い」
(言葉遣いも変わっている!?)
『神は、大地を作り、野原や木を生み、人間を創造なされた』
希の口から発せられる声は、とても冷たく、厳かな音色で言葉が紡ぎ出され言霊になる。
左手は腰に鞘が通るような大きさで握り、右手は柄を握れるほどの大きさ、右足を前に置いた立ち方で少し前傾姿勢で構える。
それでいて、佇まいは自然体をとる。
『神をその姓に頂く榊原の名において命ずる。顕現せよっ! 御神刀・絶無刀』
竹刀ケースが眩い光に包まれたのち消失。現れたのは、打刀と呼ばれる二尺九寸の日本刀。そして、構えていた手の中に収まる。
『グオーーーーーッ』
巨人悪魔と約十メートルをおいて対峙する。
十メートルは、巨人悪魔にとって攻撃範囲内、希にとっては刀が届かない距離。さらに希の四メートル後ろには逃げ遅れた智也と八柳教官がいる。
故に、最初に動いたのは、希の方だった。ただし、近づくのではなく悪魔との距離を保ちつつ横に移動する。
その動きに合わせて悪魔の巨大な拳が、希に向かって振り下ろされる。
刹那、鈴の音が演習場に鳴り響く。
悪魔の手だけが地に落ち、黒い煙になって霧散する。
『グオッ!』
悪魔は、切り落とされた手の方の腕を掴み、天に向けて吠える。怒りに満ちた表情を希に向ける。
希は、口角を上げ目尻を釣り上げ、狂喜に満ちた笑みを浮かべている。
(悪魔を相手に一人で戦っているのに笑っている!?)
その笑みは、智也にとって恐怖しか感じ取れない鬼神のような表情。
合宿や学校で見せた表情の方が偽りだったとさえ思えてくる。最早、別人と言っていいくらい。
(ランク5の悪魔と互角に戦える彼女は、いったい…)
「瞬滅させていただく」
希は、右足を前に出して、鞘に刀を収めたまま、前傾姿勢をとる。
「榊原流抜刀術・神技拾破斬」
抜刀術は、鞘に刀身を収めた状態から抜き放ち刹那のうちに攻撃を加える技術。
達人となれば、相手の動作が始まる前に一撃を与えること出来る。その速さは尋常ではなく目で追うことは不可能。
神技拾破斬は、刹那で十連撃を行う究極の神技。しかも、刀身を抜き放つ音と鞘に納める音は無音。唯一鈴の音に聞こえる鍔と鞘が接触した時の音のみ。
故に鈴の音が十回鳴ったときには、十メートルの間があるにも関わらず、悪魔の身体全体に十か所の傷ができていた。
『グオッ!?』
斬られた悪魔自体、斬られたと思っていない。故に希に対して攻撃しようと動いた瞬間、バラバラになり霧散した。
これで、終わりである。
「この程度の悪魔では、準備運動にさえならないわ。トール!」
空に向かって叫ぶ、希!
希は、悪魔との戦闘前に、他の悪魔トールがいることを気配で感じていた。
空が暗雲で満たされ雷鳴が轟く。希の頭上の雲に円形の歪みが生じ、一人の少年が降りてくる。
少年と言うより男の子に近い容姿。ただし、その少年から発せられる圧力は異常。まさに悪魔そのものの圧力。
「か、幹部クラス!?」
圧力と恐怖に蹴落とされ、身体全体が震えている八柳教官が、顔面を蒼白にしてつぶやく。
智也も圧力と恐怖に身体の震えが止まらない。筋肉が痙攣を起こし痛みを生じる。そして、失禁する。
(なんだよこれ! なんだよこれ! 何が起きてんだよ)
ランク10の悪魔を総じて【幹部クラス】と呼んでいる。出現が確認されただけで五名の悪魔が存在する。
その中の一人が、北欧の神の名を騙るトールである。
『人間のように久しぶりといった方が良いかな。ミス・ノゾミ』
希から五メートル先の地に降り立つと、希に向かってまさに悪魔の笑みをもって語るトール。
「そんな殊勝なことを言う悪魔ではないでしょう」
『これでも、この身体を頂いたときから勉強しているのですよ』
希の髪に存在する闇の笑みが、憤怒の表情に変わりトールに襲いかかろうとする。
希は、その闇の頭を撫でて鎮める。
「反吐が出るわ」
上空に数機の輸送機が飛来する。その輸送機から対悪魔部隊の隊員が次々と降り立ち、悪魔トールから五メートルほどの距離を取った円陣で囲む。
対悪魔部隊の総勢は、五十名ほど。この短期間でこれほどの人数を確保できたのは自衛隊が優秀な軍隊である証拠でもある。
しかし、幹部クラスには少なすぎる人数。
「まさか幹部クラスか! そんな情報なかったぞ」
希を守る様に前にいる部隊の指揮官が苦虫を噛んだ表情で悪態をつく。
『おやおや。久しぶりの再会に水を差すとは、無粋な人間ですね』
「君! 早く逃げるのだ。我々でも時間稼ぎできるかわからん相手だ」
指揮官は、この第四十九演習場に学生が合宿で滞在していることを知っている。
よって形式どおりに希を突然の悪魔襲来に逃げ遅れた学生と判断し避難を促した。
「貴方たちこそ、逃げなさい。それとも、死に来たのならさっさと死んでほしいんですけど」
「なっ! なにを---」
『その点は同意しますね』
すぐ背後から聞こえた悪魔トールの声に驚いて振り向いた指揮官。しかし、振り向いたのは首から上だけ。
首が滑り落ち、続いて胴がバラバラに崩れて落ちる。
血が悪魔トールと希に掛かる。
悪魔トールは、何気なく右手を横に払い、続いて左手を払う。
悪魔部隊の隊員全員の首が飛ぶ。指揮官同様に胴がバラバラににり肉塊と化す。
『この程度では、準備運動にもなりませんね』
「足手まといがいなくなって清々するわ」
「希さん! 貴方を助けに来た自衛隊の皆さんなんですよ」
これは、軽薄な希に対する八柳教官の憤怒からくる言葉。
『あの女は、榊原の者がどんな者なのか知らないようですね』
「教える義務もない」
『そうですね』
悪魔トールが苦笑する。
『人間なんぞが知る必要はないですからね』
「教えてもらっている私は、誇って良いことかしら。悪魔トール」
『おや。私のツメを切った人間でしたかね』
軍服を着た邑崎九重理事長が姿を現した。
先ほどの輸送艦の搭乗していた。八柳教官と智也の前に腕を組んで立っている。短機関銃と軍刀を腰に携えている。
「十年前と違って、可愛らしい姿をしているのね」
「む、邑崎長官!! どういうことなんですか? 榊原っていったい!?」
「知る必要はないわ!」
『珍しい人間もいるようですね。猜疑心に捕らわれない人間がいるとは』
---猜疑心・相手の行為などをうたがったりねたんだりする気持ち---。
八柳教官の発言は、相手のことを知らなければ信頼できないということ。
つまり、相手が秘密としていることを知り精査することで相手を信頼出来るかどうかを判断するということを意味している。
それは、初めから”疑っている”ということでもある。疑いが晴れなければ信頼できないということ。
その猜疑心が、この世界を歪めている。
「猜疑心こそが、悪魔が人間に植え付けた呪いということを知っているから打ち勝つことができたのよ」
『その程度では、猜疑心は晴れないようにしているのですがね』
(あいつが、小隊長が、ランチを小隊メンバーで摂るように勧めたのは、猜疑心を薄めさせる意味もあったのか)
希が転校してくるまでのランチは、一人で摂っていた。
それは、気の合う小隊メンバーとはいえ、どこかに猜疑心があったからこその行動だったかもしれない。
さらにピースが嵌っていく。
(明星学園が創設された本当の目的って、猜疑心を取り除くため!?)
悪魔に対抗するための人材養成のために学校を作る必要はない。自衛隊の一施設で鍛えればいいのだから。
さらに十代の情緒不安定な時期に猜疑心を取り除くには良い時期でもある。
一方で、智也は間違った行為を思い出す。
(俺たちは、小隊長について詮索した!)
まさに八柳教官と同じ行為である。
『ここは、面白い人間が集っているようだな』
「十年の間に、ずいぶんとお喋りが達者になったようね」
『貴方に逢えてこの身体が高ぶったからでしょう。まあいいじゃないですか。この世界の真実を教えてやろうではありませんか』
「好きにしろ」
悪魔トールは、語りだす。
『そもそもこの世界は、我ら悪魔が作った人間と神が作った人間を使って、悪魔と神との代理戦争をするために創造した世界なのだから』
数十億年前。
神と悪魔は、共同でこの世界を創造し、人間を進化させるために地球という戦場を与えた。そこには、自給自足が可能となる様に動物や植物を創造した。
【神の啓示、悪魔のささやき】によって、人間という駒を動かし幾度なく戦わせ、時には神から英雄、悪魔からは魔女を使わせ、混乱させていった。
『幾度なく繰り返した代理戦争に決着がついたのは、数千年前。勝ったのは神側の人間だった』
神側の人間は、地球という戦場を支配し文明を気づき上げ繁栄し、現在のこの世界を作り上げた。
悪魔は、この世界に干渉することを禁じられたが、最後に神側の人間に”猜疑心”と言う呪いを掛けて去った。
神もこの世界に干渉することを辞め別の世界を創造するために去った。
『負けた我々悪魔は人間に猜疑心を植え付けてやったが、一部の神がこれに気づき、一柱だけこの世界に降臨した。それが榊原だ』
神もこの世界に干渉することは許されない。故にその一柱は、その身体を人間レベルに落とし現在の日本という土地に降臨し榊原を名乗ることにした。
「悪魔が不干渉を守るってことはありえない。ランクの低い悪魔をこの世界に放ち続けた。それが神話などに出てくる物語」
希が続ける。
「榊原家は、世界に散らばった悪魔を討伐し続ける使命がある。我々が創造した人間を守る為に」
『その人間も代理戦争の真似を始めた。猜疑心が故に隣の国の者を信用できないがためにな』
「十年前にこの世界から悪魔の世界へゲートが開き、悪魔の大侵攻が始まった」
『目的は単純にして明快。榊原の者を殺すこと。この土地方面の侵攻だった我が当たったというわけだ』
柄と鞘を握る手に力が込められる。希の髪に纏う闇が心配そうにのぞき込む。
「こいつは、榊原家の仇。いや、弟の身体を奪ったこいつへの私怨だわ」
『さすが榊原の者の身体だよ。人間レベルに落としているとはいえ、もと同じ世界の神の身体。馴染むまでに時間は掛からなかったよ』
「その身体が、榊原さんの弟さんの身体だというの!? 弟さんの意識はあるの」
悪魔たちに榊原家が襲撃されたことを初めて知らされた邑崎理事長は、驚きを隠せない。
「弟の魂は、私と共にある」
弟の魂は、希の髪に纏う闇そのもの。
十年前、父と母を殺され祖父も重傷を負うった。まだ八歳だった弟は成す術もなかった。
悪魔トールが弟を連れ去ろうしたとき、当時十二歳だった希は、祖父が所持していた絶無刀を持ち出し、弟を連れて行かせないために弟を斬った。
絶無刀は、【全てを絶対の無に変える神力】を持っている。人間を切れば粉塵と化し、悪魔を切れば無と化す、榊原家の者を切ればその魂を吸収する。
希の漆黒の髪は、榊原家歴代所持者と一族すべての魂が具現化したもの。
(あいつは、自分の弟の身体に刃を向けているのか)
智也は、本当の強さを知った。
それは、肉体的な能力や技術技能、特殊能力の強さ、そういう力とは全く別の強靭な心が生み出す絶対的な信念の強さであるということ。
幹部クラスとはいえ、悪魔相手にいつまでも体を震えさせている場合ではない。心を強く持つことこそが強さ。
「うおおおおおっ!」
『ほお。立ち上がるか、人間の少年』
薄く笑みを浮かべる邑崎理事長の後ろで、脚が震えながらも懸命に立ち上がろうとする智也。視線をしっかりと悪魔トールに向ける。
立ち上がっても何かできる訳でもない。戦っても、瞬殺された対悪魔部隊ように殺されるだろう。
「悪魔トールと戦うために起きあがったわけではない。ましてや逃げるためでもない。この戦いを見届けることこそ自分を強くすると思ったからだ」
『面白いことを言う。人間の少年よ』
悪魔トールは、智也に飽きたように希の方に向き直す。
『今回の訪問の目的を話そうとしよう』
希に向けてゆっくりと手を差し出し、手のひらを上に向ける。
『魔王様が、貴方を嫁にと欲しておられる。こちら世界に来てもらおうか』
「遠慮するわ」
悪魔トールの言葉に全く動じることなく、間髪入れずに答える。
驚いたのは、邑崎長官達のほう。
悪魔にとって人間は狩りの対象であり、殺すこと以外の行為はしないからだ。
それは、悪魔の発想ではない。確かに悪魔にしても人間は殺戮の対象でしかないが、希は人間ではないため欲する理由があれば殺す対象外になる。
『気持ちいいほどの即答だな』
「御祖父様が言っていたわ。『優男のナンパには気を付けろ。耳を貸すな』と」
『さすがは神トールの曾孫どの。中々辛辣な言葉だね』
悪魔トールは、肩をすくめた。
『魔王様には、断れたら四肢を切り落としてでも連れてこいと言われてるしね』
悪魔トールの殺気の圧力が、爆発的に高まり。周囲に二十メートル以上に拡大する。
それだけで、八柳長官の心臓が止まった。
邑崎長官は、十年前の戦いで同じ圧力を受けたことがあるので身構えており無事であった。
智也は、悪魔トールにではなく希の方を注視していたせいか心を強く持っていたため、大量の汗の放出と失禁と脱糞で済んだ。
智也が、八柳長官を心臓マッサージをして蘇生させる行動を獲れたのは訓練の賜物かもしれない。
「ならば、そうしなさい」
希は、右足を少し前にして構える。左手は鞘、右手は柄を握っている。
そして、殺気を爆発させる。
「うぉぉ…」
呻き声は達也からだった。
邑崎長官は、口の端から血を流ししかめっ面で耐えているが、失禁は免れなかった。
(これが、人間が発せる殺気なのか…)
転校時に発した殺気など、今希が発している殺気に比べれば、髪の毛ほどの太さもない。
悪魔トールと同等の殺気を発している。
圧力のぶつかり合いで、空間自体が歪み始めている。
『ほう、これほどまで成長されているとは予想外ですよ。その刀の所有権を百パーセント得るために神格化を果たしましたか』
「あなたを滅する為に、成すべきことは全て成した」
絶無刀は、御神刀。元神である榊原家代々でも人間である以上、その能力を百パーセント使用行使ではない。
それでは、幹部クラスとは、到底太刀打ちできない。そして、その上位の存在とも。
故に希は、神のレベルに達する為、神力が込められた宝珠を身に着け、神力を十年間浴び続けることで神格化を果たした。
一旦神格化を果たせば、人間に戻ることはできない。人間に戻れないということは榊原家も希の代で潰える。
『嫁にとはそういうことでしたか。確かに神格化した女神をその身体とすれば絶大な力を得られるでしょう』
悪魔トールが、邪悪に満ちた悪魔らしい笑みを浮かべた。
『それならば、我が先にその身体を頂きますよ』
悪魔トールの右手にハンマーの形状をとる【魔化ハンマー・ミョルニル】が顕現する。
悪魔トールの丈の二倍以上あるミョルニルを軽々と持ち、上下左右に振り回し感触を試している。
希と悪魔トール、それぞれ武器を構えて対峙する。
殺気に闘気が混ざる。神クラス、悪魔クラスの闘気となれば視覚化を果たす。
希は漆黒の闘気、悪魔トールは黄金の闘気。それぞれの闘気が混ざりあい、まるで闘気同士で戦っているよう。
「くっ。私との戦いでは遊びですらなかったということ」
これは、苦虫を齧っているような邑崎長官の言葉。
十年前、当時対悪魔部隊の誰も勝てなかった悪魔トールのツメを斬る程度のダメージを与えることができた。
それは、悪魔トールにとっては意に介することではなく、そんな人間がいた程度に興味で覚えていただけで、ミョルニルや闘気を出すほどの戦闘ではなかったということ。
鈴の音が鳴る。同時にミョルニルで弾く。
刹那の一合。
視覚上では、希も悪魔トールも全く動いていない。ミョルニルと絶無刀の接触したところで、花火のようなエネルギー波が生じただけだった。
再び、鈴の音が鳴る。ミョルニルで弾く。
それが何度も繰り返される。エネルギー波が幾度なく生じるなか、希が攻めあぐねているようであるが、少しづつ数ミリずつ間を詰めていた。
『やりますね。ただの斬撃程度で、この我を圧しますか』
悪魔トールは、希からの攻撃をミョルニルで弾く防御だけで、攻撃をしていない。
表情からは笑みはなく、余裕がなくなっている。
希から届く連続斬撃をミョルニルで絶無刀を大きく弾き、刹那の隙を作ったあと、大きく後ろに飛びミョルニルを上に突き上げる。
『ミョルニルよ。雷を落とせ』
上空の雷雲から空気と地面を揺るがすほどの雷鳴が轟き、希をめがけて魔化雷が落ちる。
「無に帰せ! 絶無刀!」
希は、落ちてきた魔化雷を抜刀で斬る。同時に魔化雷が消失する。
百パーセントの所有権を引き出している希にとって、魔化雷といえど絶対の無に帰すことは容易いことである。
『魔化雷も無に帰すとは。絶無刀厄介ですね』
「絶無刀に斬れぬもの無し」
『ミョルニルも我の闘気で覆い続けいなければ、壊されていたでしょう。認めざるを得ませんね。貴方は我々と同格の存在であることを』
「貴方に認められても反吐がでるだけよ」
『口が悪い。良いでしょう。我、絶対強者を名のる者として、貴方を斃すとしましょう』
「本気を出させていただく」
悪魔トールは、殺気と闘気、その次の魔力を解放する。
希は、殺気と闘気に神力を重ねる。
魔力、神力、ともに視覚化する。悪魔トールの魔力は紫紅色、希は白妙。
「これが神クラス…」
邑崎長官は、膝を地につけた。
悪魔トールの魔力による畏怖と希の神力のよる畏敬による、人間が神によって想像されたがゆえの無条件恭順である。
智也の心臓マッサージで生き返った八柳教官は、最敬礼で地に伏しブルブルと震えているだけ。
智也は、両膝を地につけていてるが地に伏していない。
(なぜ影響が薄い? 小隊長…希さんの傍にいたから耐性がある!?)
畏怖や畏敬が、希のそばにいただけで耐性ができるほどのものではない。
人間が到底克服できないものが畏怖と畏敬なのだから。
『こちらも使う』
悪魔トールは、左手を前につき上げると、一本の抜身の剣が顕現した。
『【魔化剣・ダーインスレイヴ】だ』
ダーインスレイヴ、鞘から抜くと生き血を一滴残らず吸い尽くす伝説の魔剣。その悪魔バージョンの魔化版。
一度抜いて切っ先を相手に向けてしまえば、悪魔だろうと神だろうし粉塵と化すまで何度でも繰り返すほど凶悪化している。
悪魔トールは、魔王の勅命を実行する気が失せていた。
絶対強者としての矜持が、強敵を斃す事を優先させている。
「ミョルニルとダーインスレイヴの二刀流」
『単純にして明快だろう。神速を超える抜刀術とはいえ、一刀流では数で適わん』
「それは、お前が私より強い場合に限る」
『減らず口を』
希は、右足を前にした構えを解き、両脚を揃えた自然体で構え直す。
絶無刀の鞘から刀身を抜くと、鞘を消失させる。
絶無刀の切っ先を下に向け脱力する。
『構えなしか』
「榊原家抜刀術の神髄は鞘走りにあらず。これ抜身の絶無刀を制限するためにあり。故に抜いた今、榊原家抜刀術も全て絶対無に帰す」
希の髪に纏う闇と化した魂が全て、絶無刀の刀身に吸収され無に帰す。髪の色が本来の黒に戻る。
さらに希の殺気と闘気が無に帰し、神力だけが残る。
そして、悪魔トールの殺気と闘気が無に帰し、魔力だけが残る。
『まさか、絶無刀とは、あの刀のことか!?』
悪魔トールが初めて驚愕に顔を歪めた。
「瞬滅させていただく」
悪魔トールの目の前から希の姿が消え失せる。同時に悪魔トールの背後に背を向けたまま、そこにいた。
身体の腹から胸にかけて斜めの線が入ると、紫色の血液が放出された。
『ば、か、な』
悪魔トールは、地に膝をつけ、ミョルニルとダーインスレイブを地に放りだした。
切り口に手を当て、大量の血が手にまとわりつく。魔力で切り口を塞いで出血を止めた。
『お前、時間を無に帰したのか!』
「無に帰せぬものなし。時間であろうと距離であろうと」
本来抜刀術は、一の動作で鞘から抜き放ち斬りつけ、二の動作で完全に仕留めるまでの動作が居合いである。
榊原家抜刀術は、二の動作を鞘に納める動作としている。
これは、抜身の状態を極力減らすためであり、この世界に及ぼす影響を減らすためである。
その一瞬でも時間が無に帰しており、その影響で絶無刀の所有者は、少しずつ未来に進んでいる。いや、未来が少しずつ来ているというほうが正しい。
『その刀が超位者の刀ならば---。くはっ!』
悪魔トールの背中全体が切り裂かれ血が放出される。希は、悪魔トールの前五メートル先に同じ佇まいで立っている。
魔力で背中の傷を治す。
『撤退させていただくとしよう』
「させると思う?」
希の姿が消える。同時に悪魔トールの姿が消えた。
上空の雷雲も徐々に薄れていき、消失した。
太陽が西に傾き夕方となっていた。
「逃げられた」
希が返事をしたわずかの反応が隙となり、悪魔トールを逃がしてしました。
希は、鞘に絶無刀を収め、竹刀ケースに格納した。
「次は必ず」
竹刀ケースを背負い、戦場を離れる。
邑崎長官や智也のところに向かわず、そのまま演習場から立ち去った。
智也は、それを見送ることしか出来なかった。
「あいつは、戻ってくるつもりはないのか」
「ええ。おそらくは…」
邑崎長官が、智也の呟きに応えた。
「この戦い、一生胸に刻みます」
「神々の戦いは、私たち人間では到底理解できないけど、この経験は将来の糧になると思うわ」
「はい…」
(理事長は、分からなかった?)
智也と邑崎長官は、希の姿が見えなくなるまでその背中を見続けた。
■◆■
悪魔襲来事件があった合宿は、邑崎長官が精神的ダメージを負った八柳教官の代わりを務め予定の日程を終えた。
だが、悪魔襲来という恐怖は、一年生生徒の心にも大きく傷を負わせた。
幸いにも陸上自衛隊の医療スタッフが、合宿期間メンタルケアを行ったおかけで、無事合宿を終えられた。
合宿の途中でいなくなった希に関しては、肉親に不幸があって実家にもどったということになって、クラスメイトに真相は騙られていない。
そして、今日は二学期の始まり。
始業式を終えて、一年F組の教室に戻ってきている。
一学期とは違うのは、八柳教官が復帰未定の長期入院し、代わりに陸上自衛隊から派遣された対悪魔部隊の現役隊員が教官を務めることになった。
智也は、窓の外の空をボート眺めている。
(あいつ、何してんだろう)
智也は、合宿以来いなくなってしまった希のことばかり考える日々が続いていた。
恋い焦がれてというより、幹部クラスの悪魔と戦った後無事でいるのかと気になって仕方がないという気持ちの方が大きい。
すると、突然廊下からバタバタと走る音が聞こえてきた。
そして、一年F組のドアが勢いよく開くと、食パンを齧った少女が飛び込んできた。
「遅刻、遅刻! 遅刻しちゃったわ」
その少女を呆然と見つめるクラスメイトと教官。教室が静まり返ってしまう。
「あれ?」
「あれじゃない! 榊原希小隊長!」
突っ込んだのは智也だった。ズカズカと希に歩みよる。
「なんでいるんだよ」
「御祖父様が『遅刻した時は、パンを齧りながら走って行くと免除される』と」
「そうじゃなくて。もうここにここに来ないんじゃなかったのか」
「そんなこと一言も言ってない」
「合宿先で姿を消したじゃないか!」
「あれは---」
希は、智也にそっと体を寄せて耳元で囁く。
「解放した神力の残滓を抜くため、一時榊原家に戻っただけ。回復したら帰ってくるわよ。それに」一旦一息いれて「あなたに興味があって」
智也は、心臓が弾むのを感じた。慌てて距離を置く。顔が真っ赤である。
「あなた、あの【渡辺家】の末柄でしょ?」
「あの?」
「知らされていない? それとも受け継がれていないのかしら」
「なんの話だ」
希は再び身体を近づけて智也の耳元で囁く。
「異世界に渡らせる聖人家系の渡辺家。聞いたことないかしら」
「知らない」
「そう」
希は智也から距離をとり「ならいいわ」とだけ言って、自分の席に座る。
智也の家庭は、両親が共働きの一般的な家庭である。能力に目覚めるまでは、普通の子供のように育てられてきた。
(俺は、普通の人間だ。聖人の家系など関係ない)
そう言い聞かせ席に着席する。
丁度、チャイムが鳴り授業が始まる。平和な日々が始まるチャイムでもあった。
-- 終わり --
いかがだったでしょうか?
拙い文章で申し訳ないです。
切っ掛けは「絶無」という言葉が脳裏に閃いたところから始まりました。
調べたところ「全く無い・こと(さま)。皆無。」という意味であることが分かり、英単語も調べて話しを作っていきました。
途中何度か破たん仕掛けたり、書き直したりと時間だけが掛かってしまいました。
読んで頂けただけでも幸いだと思っています。
続編はきっとないです。
本来なら悪魔トールとの闘いまでに、何度か悪魔との戦いがあり希と智也の関係が発展するなどの要素もあるはずですが、そのあたりは全て絶無としてます(笑)
最後になりましたが、読んで頂きありがとうございました。