事件
それから30分ほどで亮君がお店の前に到着しました。
てっきり馬に乗ってくるものとばかり思っていたのですが、息の切れ方から察するに走ってきたのでしょう。
その後ろから馬に乗った兵士の皆さんがやってきたのを見ると、馬以上の速度で走っていたことになりますね、私の旦那様ってすごいですね。
「おまちしてましたよ亮君」
首にナイフを当てられた状態ですけどそう呼びかけておきます。
息も絶え絶えですが、手を振ってくれました。
それからすぐに真面目な、いえ殺気のこもった視線を私の背後にいる男性に向けます。
「要求を聞こう」
「武器を全てその場に捨てろ」
男性の要求は亮君の身柄の確保でしょうか。
それとも無抵抗な亮君を殺す事でしょうか。
どちらにせよこのまま亮君がこちらに来ては危険です。
でも今の私は人質ですから下手に動けばさっくりと殺されてしまうでしょう。
仕方がないので今は落ち着いて機会を見計らっておくべきでしょう。
「言われたとおり武器は全て外した、望むなら服も全て脱ごう」
「そのままでいい、こちらへゆっくりと近づいてこい。
両手は頭の後ろで組んでいろ」
言われるがままに武器を全て地面に投げ捨てた亮君は、そのままこちらへゆっくりと歩み寄ってきます。
それと同時に男性が私の背後から退いて、右側に立ちました。
ナイフは相変わらず首筋に突き付けられたままですけどね。
それよりも気になるのは亮君が捨てた武器の数々。
いつも持ち歩いている刀はもちろん、数十本のナイフにお札のような物、あれは手裏剣でしょうか、それから丸い丸薬のようなものに奇妙な色の液体が詰まった小瓶。
どれだけの物を隠し持っていたのでしょう。
というかどこに持っていたのでしょう。
「そのまま座れ」
そしてついに亮君は私の正面にたどり着いたのですが、その場で座らされてしまいました。
男性はこちらを一瞥してから亮君の腕を拘束しようとロープを取り出しました。
今です。
袖の中に隠し持っていたチャッカマンでロープを炙って拘束を解除、ちょっと火傷しましたし、服の袖が焦げましたけどそんなことは気にしていられません。
目の前に突き付けられた男性の手をつかんで、捻りあげてナイフを強奪します。
「おらぁ! 」
その隙を見て亮君が男性の股間を思いきり蹴り上げました。
男性にとっては禁じ手と聞いていたのですが……ためらうことなく蹴りましたね。
「確保! 」
地面に突っ伏して泡を吹いている男性をよそに、兵士さんたちに指示を出してから亮君は私の首に抱き着いてきました。
ちょっと汗臭いです。
「亮君、汗臭いですよ。
私のために頑張ってくれるのはうれしいのですが、そんなに汗をかくまで走ってたら疲れちゃうじゃないですか。
そしたらいざという時に動けなくなっちゃいますよ」
「勢いというか……とにかくいてもたってもいられずにね。
大切なお嫁さんが酷い目にあっているのに……っ」
私に抱き着いていた亮君が急に膝をつきました。
やっぱり疲れているのでしょう。
ひとまずこの場は兵士さんたちに任せて亮君には寝室で休んでもらいましょう。
そう考えた瞬間でした。
「危ない! 」
人垣の中からむっちゃんの声が響きました。
あわてて周囲を見渡すと先ほど捕まったはずの男性がナイフを持ってこちらへ突進してきます。
先ほどまで彼を捕まえようとしていた兵士さんたちは……隠れていた男性の仲間と交戦中といったところでしょうか。
不意打ちを受けて昏倒している人も見受けられます。
「死ね! 」
呑気に観察をしていると先ほどの男性がすでに目前に、その手に握られたナイフは確実に亮君の首を貫くであろう軌道を描いています。
亮君も振り返っているのでそのことは気付いているでしょう。
けれど動こうとしないのは、亮君が避けたら私に当たってしまうからという配慮からでしょうか。
「させませんよ」
亮君の配慮はうれしいのですがそんなことを許すわけにはいきません。
亮君に抱きしめられたまま地面に倒れ込むことでそれを回避します。
その時にナイフの切っ先が私の腕をかすめました。
ちょっと血が出ていますが指は動きますし問題ないでしょう。
けれどその程度で諦めてくれるほど簡単な相手ではないようです。
再びナイフを振り上げて、今度は私の額めがけて振り下ろしてきました。
どうしましょう、これは避けられません。
「うらぁ! 」
そう思っていると亮君が地面に倒れたまま男性の腹部を蹴り飛ばしました。
数歩後ずさる程度でしたが、亮君が体を起こして立ち上がるくらいの時間は稼げたようです。
けれど疲労に加えて武器を持っていない亮君では、圧倒的に不利です。
私も武器になるようなものはチャッカマンくらいしか持っていません。
「伏せて、りょー! 」
むっちゃんの声が背後から響きます。
それに反応した亮君が素早くしゃがみこむと、その頭上を赤い何かが通り抜けました。
それから間もなく男性が悲鳴を上げてナイフをとり落とします。
そのナイフを懐に仕舞いこんでから亮君が男性の頭をつかんで持ち上げさせると、右目には一本のダーツが刺さっていました。
「アウトブルだった」
そういうむっちゃんは綺麗な残身でダーツの結果を見ていました。
人の眼球を使ったダーツとか中世の魔女狩りみたいな残虐さを感じますけど、おかげで助かったみたいです。
兵士さんたちも奇襲を仕掛けてきた人たちは全員取り押さえたようなのでこれで一件落着でしょう。
「むっちゃん、助かりました。
でもなんですか? アウトブルって」
「アウトブルはダーツの的の中心にある円の事。
円は二重になっていてその外側がアウトブル、内側の方が点数が高い」
「ちなみに今回その内側というのは……」
「黒目」
ですよね、と思いながら辺りを見渡していると東先生が近づいてきました。
その表情は怒りに満ち溢れているものの、笑顔です。
そして無言でむっちゃんの頭部に拳骨を振り下ろしました。
「幸介痛い」
「無茶をしない、心配させないでくれ。
睦美にもしもの事があったら僕はどう責任をとればいいんだ」
「結婚して」
「それは睦美が大きくなってからの話であって責任うんぬんではない」
いつの間にかお説教が惚気話になってきているので、地面に座り込んでいる亮君の隣に腰かけます。
コップに注いだ水を飲んで一息ついているところだったようですね。
「茜さん……ごめん」
「何がですか? 」
「この店の能力を過信して危険な目に合わせたこと。
俺の巻き添えであんなことになってしまったこと。
今回いろいろ助けられちゃったこと。
他にもいろいろ」
あぁつまり今回の一件に責任を感じているわけですか。
まったくこの人は、優しいというかなんというか。
「今回の件は私も理由の一つみたいですよ。
いざとなったら私を道ずれにするつもりだったようですし。
だからそのことについては亮君は悪くありません。
それでお店の能力を過信したのは私もです。
以前ミナちゃんでしたっけ、聖国の暗殺者の子がうちに来たときに弱点があるって教えてもらったのに特に研究もしませんでしたから。
だからこれはお互いに悪かったという事で。
それで今回私が亮君の助けになれた件については、いつももっと亮君に助けられているからそのお返しになったなら私はうれしいです。
さて、まだほかにも言いたいことはありますか? 」
「……じゃあ一言だけ」
少し考えたようなそぶりを見せてから亮君は口を開きます。
「俺の奥さんは最高の人だ」
「あら、ありがとうございます。
でも私の旦那さんには勝てませんよ」
私がそういうとどちらからともなくくすくすと笑い合ってしまいました。
そうしていると一人の男性、先ほどお店を訪れたポールさんがこちらへ歩み寄ってきました。
「今回の一件、我の責任だ」
唐突にそんなことを言いながら。
いったい何を言っているのでしょうか。
ポールさんの責任……団員の中に不逞の輩が入り込んでいるのに気付かなかったとかでしょうか。
「ポール・エコー・モルソン」
横で驚いたような声を出した亮君はゆっくりと立ち上がり臨戦態勢に入りました。
私は巻き込まれないように少しだけ横にずれます。
「すでにその名を知っていたか」
「あぁ、お前ら大道芸団が帝国の密偵であるという事もな」
「密偵ではない、道楽者の帝位継承権所持者の道楽だ」
話についていけません。
この二人はいったい何を話しているのでしょうか。
帝国の密偵、帝位継承権所持者、私にはわからない世界です。
「茜さん、この男は帝国皇帝の息子だ」
帝国というとあのシュールストレミングで撃退した国ですよね。
その国の皇帝のお子さんという事は王子様というやつでしょうか。
でも王子様というよりは山賊といったような風貌ですね。
「その王子様がなんでこんなところで大道芸団を? 」
「我が趣味である」
趣味ですか、趣味が高じて団体を作ってしまえるというのは流石権力者といったところでしょうか。
私にはまねできそうに……というか私趣味らしい趣味はありませんね。
「それでこの不始末はどう責任をつけるつもりだ」
「さてな、そこが問題である。
今回の騒動に加担した奴らはどうやら兄上の手の者のようでな、だがその所在は我が手中だ」
「つまり、責任はお前にあるが問題の元凶はお前の兄……こんなことをしでかすのはルーボロくらいだがそこにあるという事か」
「然り、故にどのように責任をとればよいか考えあぐねているところである」
責任ですか……確かにこのままはい無罪放免とはいきませんよね。
……なら私にいい考えがあります。
「亮君、ならポールさんにはお店の能力検証に付き合ってもらいましょう。
今回思わぬ弱点が露呈してしまったのでそこを改善しなければいけませんから。
それにこの検証、痛みが伴うので普通の人にお願いするわけにはいかないんですよ」
「うーん、茜さんはそれでいいんだろうけど国としては……」
言われてみればたしかにそうですね、私個人はそれでいいんですが国家としてはそうもいかないでしょう。
難しい問題ですね。
「まぁ、その辺りは王様に丸投げするとしてお店の検証は手伝ってもらおう。
問題ないな」
「うむ、異存はない。
これほど美味い飯と酒を出す店を閉めさせるわけにはいかないからな」
それが本音なんでしょうね。
本当にこのポールさんという方は正直ですね。
そう思った瞬間、クラリとめまいがしました。
あれ、私そんなに疲れていたんでしょうか。
あれ、あれ、身体がうまく動きません。
あ、これはだめですね。
立っていられません、目の前で亮君が叫んでいるのが見えますがその光景も徐々にぼやけて、あ、地面が近づいて。
そこで私の意識は途切れました。




