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ポール

 サラさんがふざけた洋服を持ってきた翌日。

 微妙に痛む腰をさすりながら仕事のために準備をしていた時の事でした。


「邪魔をする」


 まだ開店前のお店に1人のお客さんが入ってきてしまいました。

 いつもならお引き取りいただいてからもう一度来てもらうのですが、どうしてもと頼み込まれてしまい泣く泣くお店に入れてあげる事にしました。

 その人は大道芸団の一員で、たしかナイフでジャグリングをしていた人ですね。

 名前はポールさんというそうです。


「今は開店前なのでありものしか出せませんがいいですか」


「うむ、かまわない。

美味い物であれば何でもいただこう」


「かしこまりました、ではお任せコースでいいですか」


「うむうむ、任せよう」


 何やらえらそうですが、たまに来る成金貴族のような威張っているしぐさとは違って板についています。

 昔からこのような態度をとってきた、そんな感じがしますね。


「お酒はどうなさいますか? 」


「とうぜん、いただこう。

今できる最高の物を頼む」


「かしこまりました」


 今うちにある最高の物ですか……ある意味ではスピリタスが最高なんですが人様にのませるようなものではないですね。

 他にはロマネ・コンティがあります、確か世界で最も高いワインの一つだったと思います。

 結婚のお祝いとして買った物ですが、もったいなくて開けられないまま棚に置きっぱなしなんですよね。

 でも飲まないまま御酢にしてしまうのももったいないです。

 だからと言って亮君の許可もなしにお客様に出すわけにもいかないのでこれも却下。

 そうなると日本酒ですか。

 たしか5万円くらいのいいお酒があったと思います。

 辛口ですっきりしているお酒でした。

 私はそれほど強くないので飲まないのですが、亮君とジョンさんはこういうお酒が好きみたいですね。

 東先生はブランデーがお好みのようですが。


 とりあえずお酒も決まったのでそれにあったおつまみを用意しましょう。

 たしかこのお酒は冷酒として飲むのが一番おいしいので、醤油を使った物が最良だったはずです。

 揚げ物を食べて口の中をさっぱりさせるためのお酒としてもいいのですが、今回は魚介類で統一してみましょう。

 まずは七輪でホタテを焼きます。

 口が開いた状態でバターを乗せて醤油を垂らして、完成。

 お値段はそこそこ張りますが、手軽でおいしい料理です。

 それに今の時期が一番おいしいんですよね。


 でもこれだけでは足りないのですが、醤油系だけをというのも芸がないうえにお客様も飽きてしまいますからね。

 定食の定番、きんぴらごぼうを追加します。

 それから炙ったイカと、たこわさ。

 できればお刺身も出したいのですが、生の魚介類は忌避される傾向が強いのでポールさんにお聞きしてからにしましょう。

 獣人のお客様は好んで召し上がるんですけどね。

 特に鳥類の特徴を持ったお客さんは生のお魚と聞くと大興奮です。


「お待たせしました、私の出身地のお酒の中でも高級品です。

それに合わせたおつまみを何点か。

それとあまり人気はないのですが珍味と呼べるものも有りますがいかがでしょう」


「珍味……ぜひいただこうか。

虫であろうと食して見せようぞ」


「かしこまりました」


 厨房に戻ってお刺身を用意しているとお店の方からむほっーという感嘆の声が聞こえてきました。

 どうやら気に入っていただけたようですね。


「どうぞ、お刺身です。

その小皿にお醤油を、えぇそうです。

それでお好みでわさび……その緑色のをお刺身に載せて、お醤油につけていただければまた違った味わいになりますよ」


「生の魚か……虫よりも食べやすい」


 そう言ってポールさんはたっぷりと醤油を付けたお刺身を一口食べました。

 一口目はわさびをつけていませんが、口に含んで数回租借した瞬間に顔色が変わりました。

 一瞬やはり口に合わなかったのかと思いましたが、二口め三口めと手を出していたので不味かったわけではないでしょう。


「生の魚というのはうまい物だな、こうなんといえばいいのだろうか。

焼いた魚は脂が落ちてしまっているからか口当たりがどうしても好かんのだが……これは滑らかだ。

脂の上質な甘みを感じる。

まるで肉をかじっているような、だがそれでいて口の中でとろけるような、まったくもって素晴らしい。

わざわざこんな所まで来たかいがあったという物だ」


「お口にあったようで幸いです」


「うむ、満足だ。

だがまだ食い足りない。

なにか腹にたまる物はないだろうか」


「お刺身を使った物がありますがいかがですか? 」


「持ってまいれ、是非とも口にしてみたい」


 半ば予想できていた答えだったので厨房で用意をします。

 ご飯を丼に盛り付けて、海苔を乗せてその上にお刺身を載せます。

 マグロだけを乗せた鉄火丼や、いくらと鮭の親子丼なんかもいいですが今回は普通の海鮮丼です。

 なんか見ていたら私もお腹が減ってきたので賄料理も作っておきましょう。

 余ったお刺身の切れ端、お客様に出すには小さかったり形があまり良くない物をご飯に載せて、鰹節をかけてわさびと少量のお醤油、そして顆粒出汁とお茶をかけて海鮮茶漬けの完成です。


「なにやらうまそうな香りがするが、それとは別の料理か? 」


「えぇ、私もお腹が減ってしまったのであまり物で作った賄です」


「うーむ、匂いだけを食わされるというのは性に合わん。

金なら言い値でかまわん、そのまかないとやらも食わせてくれぬか」


「それほど上等なものではないのですが……」


「構わん、この店は客の食いたいものを食わせてくれる店なのだろう? 」


「まぁそうですね、わかりました。

と言っても大した食材は使わないので安価ですからご安心ください」


 そう言って海鮮丼を差し出してから厨房に戻ってもう一人前海鮮茶漬けを用意します。

 今回はご飯に海苔と鰹節とお刺身を乗せただけの物にお醤油とわさびをちょびっと、そして急須にお茶と顆粒出汁を入れたものをお盆に載せて運びます。

 驚いたことにポールさんはこの短時間で海鮮丼を半分ほど食べ終えていました。

 こちらの世界の人はみなさん胃が大きいうえに早食いも得意みたいですね。

 あまり体にいい事ではないですから、できるならゆっくり味わっていただきたいですが。


「あぁ、素晴らしい香りだ。

香ばしくも芳醇、くどくなく、透き通った香りだ」


 差し出したお茶碗を手に取り口に運ぼうとしたのをあわてて制止して、急須からお茶を注ぎます。

 それに合わせて鰹節がしんなりとしてお刺身が白くなります。

 ゴクリと横でつばを飲み込む音が聞こえたので程よくお刺身に熱が通ったところで食べていただきます。


「あぁ、熱い、だがそれがいい。

先程までの冷えた生魚も素晴らしかったがこの温かみ。

腹から力が湧いてくるようだ。

なんと素晴らしい事か、生を体感できる料理だ」


 そこまで褒められると恥ずかしくなってしまいます。

 ただの有り合わせの賄に過ぎないのに……。


「こんなうまい飯は久しぶりだ。

冷たい魚、暖かい魚、両方を同時に味わえるとは……。

また顔を出させてもらおう。

金はこれで足りるだろうか」


 そう言ってポールさんが出したお金は金色の硬貨でした。

 金貨、でも見たことがないお金ですね。

 普段見かける金貨はお城の絵柄がくっきりと刻まれていましたが、この硬貨は人の横顔のようなものがぼんやりとうつっています。

 前に東先生がこの手の話を何かしていた気がしますが……たしか製造過程の違いというやつでしたっけ。

 削り出して作れば絵柄はくっきり見えますがコストが高くて、ぼんやりした方は金属に圧力をくわえて潰すんでしたっけ。

 圧力を加えた方は絵柄はぼんやりするけれど量産が簡単だとかなんとかって。


「おっと、すまない間違えたようだ。

こちらの国の硬貨はこれだったな」


「あ、いえ多すぎですね。

おつりを用意しますので待っててください」


「かまわぬ、とっておけ」


「うちのモットーは正規の金額を、ですから。

だからおつりを受け取ってもらえないのであればお帰しするわけにはいきませんよ」


 お金というのはきっちりとしておかないと禍根を残しますからね。

 だからうちのお店は正規料金を請求します。


 まぁ……たまに浮浪者とか小さな子供にあまりものをおすそ分けする事はありますけれど、あれは別の問題です。

 そう言う事にしておきます。


「物怖じもしないと、うむますます気にいった。

この店懇意にさせてもらおう。

ではな、店主よ」


 そう言ってお店を出て行ったポールさんは後ろ向きに手を振っていました。

 おそらく目を瞑ってかっこつけていたのでしょう、足元に転がってきた小さなボールにも気づかずに。


 悲鳴とずしんという音、私は何も見なかったことにしてそっとお店の扉を閉めました。

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