臭い爆弾
翌朝、性懲りもなく獣人を率いた帝国軍は亮平たちの砦を取り囲んでいた。
その中には昨日はいなかったはずの獣人がいた。
「魚人族……」
獣人の中でも最もスタミナがあるとされている種族だ。
その見た目は人間と大きな違いはないが、身体の至る所に鱗が生えており、背びれや水かきをもっている。
今亮平たちの拠点となっている砦は穴に水を流し込んだだけの簡単な堀があるが、あくまで簡易的な物でありそれほど大きくない。
水中移動に適した魚人族であれば容易く乗り越えてくるだろう。
更に彼らは多少の渇きは問題なく、人間と同程度の水分補給で生活が可能という非常に優れた種族だった。
また昨日の対策にか全員が鼻と口を布で覆ているのが見えた。
犬の獣人であっても、くさやでは多少動きを鈍らせる程度の効果しかないだろう。
「堀にあれを流し込め! 」
しかし亮平にはまだ対抗策が残っていた。
先日は堀の外側で迎え撃つ作苦戦を決行したが今日は砦の内部からの防衛戦だ。
そのため、堀の中には予め運び込んでいた秘密兵器を流し込むまでに時間は必要なかった。
そして同時にスピーカーから大音量の、デスメタルが流れる。
蒼井がどうしても持って行けと言ってきかなかった秘蔵のCDである。
本人はドラマのような、絶対に返しに来なさいという演出のつもりだったのかもしれないがそれがデスメタルのCDでは雰囲気もガタ落ちである。
「全員、ナイフを構えろ! 」
帝国軍の進軍を確認すると同時に亮平は指示を飛ばした。
それに合わせてジョナサン含む全員が足元に金属の缶を置いてナイフを構えた。
それから数分後、堀の外側は帝国軍で埋め尽くされていた。
「抵抗せずに出てくるというのであれば命だけは保証しよう! 」
外からそう呼びかけてきた帝国軍将校に、亮平はくさやを投げつける事で答えた。
その悪臭に将校が顔をしかめ、周囲にいた獣人たちがざっと引いて輪を作った。
地面に落ちたそれを拾い上げた一人の兵士は堀にそれを投げ込んでしまった。
「いいだろう、全員突撃! 」
その言葉と同時に今か今かと待っていた魚人族が飛び出し、堀に飛び込んだ。
そして悲鳴を上げてのたうち苦しみ始めた。
「な……何事だ! 」
「か、からいぃぃぃぃいいぃぃ! 」
「ひぃぃぃぃぃ! 」
「目が、目がぁぁっぁあ! 」
「尻が焼けるウううううう! 」
「俺の、俺の股間の槍がぁぁぁぁ! 」
魚人族は例外なく股間や肛門を抑え、目と鼻と口と喉の痛みを訴えた。
毒かと疑った将校だったが、堀に毒を投げ入れるようなまねをすれば防衛にあたる兵士たちにも害が及ぶためそれはないと考えた。
では何をしたのかといわれると答えられず、だからと言って正面突破は難しいと考えた。
「この臭い……唐辛子か」
一人の獣人の言葉に将校は冷や汗を流した。
唐辛子を堀に流し込んで魚人族の対策をとったのか、と。
だがそれにはどれだけの資産が必要となってくるか。
この近辺では唐辛子のような香辛料は栽培が少ないため、高価だったからだ。
なお、実際は蒼井の店でも使用している世界で最も辛い、食したことで心臓発作を起こして死人まで出る事となった『デスソース』を大量に流し込んだだけだった。
だがそれで効果は出ていた。
水に飛び込んだ魚人族は体の粘膜を焼かれながら、矢の雨を浴びる事となった。
デスソース、眼球を焼き、喉を焼き、舌を焼き、鼻孔を焼き、肛門を焼き、性器を焼く。
その破壊力に帝国は恐れおののいていた。
だが問題は堀であり、それさえ超えてしまえばいい。
帝国が次に用意したのは大量のはしごだった。
それを橋の代わりにして、ある程度の人数を砦の真下につけたところで外壁を上らせた。
「全員、かちわれ! 」
亮平はそれを見計らってジョナサンたちに命令を下した。
同時に足元に置かれていた缶にナイフが振り下ろされた。
それらはぷしゅっという間の抜けた音と共に、異臭を生じさせた。
シュールストレミング、ニシンの缶詰である。
世界で最もくさいと言われ、くさやのおよそ20倍の臭気を持つ。
本場のスウェーデンでも水を張った樽の中で開封し、そしてよく洗ってからパンに載せて食べるほどの臭いを持っており、開封時に着ていた衣服は一生着る事が出来ないほどである。
屋内で開ければその臭気は数か月の間のこり続け、住宅街で開封すればその異臭に警察が飛んでくるであろう。
またその臭気のあまり吐しゃ物がのどに詰まった、嘔吐のしすぎで舌が気道をふさいでしまったなどという形で死にかけたという報告も上がっている。
「くっせぇ! 」
誰からともなく叫んだ。
その声は砦の内外関係なく発せられ、たまらずに嘔吐する者も出始めた。
それをチャンスと、射ようとした弓兵は気を抜いた瞬間に喉の奥からこみあげてきたものを抑えきる事が出来ずに下方にいた敵兵に吐しゃ物を浴びせかける事となった。
嘔吐が嘔吐を呼ぶ、非常に汚らしい戦場が出来上がった。
また獣人は例外なく、そして対策として巻きつけていた布もむなしく全員残らず泡を吹いて、白目をむき、その場に倒れ伏した。
おそらく今生きているのは昨日捕えられて砦の地下牢に放り込まれた者達だけだろう。
その者たちは悪臭で死にたくても死ねない状況に陥っているかもしれないが、それは些細な事だった。
「全員吐いている暇があったら攻めうっぷ……」
「お前ら今がチャンスだう……うげぇ」
亮平も将校も指示を出そうにも口が開けないほどの悪臭に四苦八苦しながらもどうにか指示を飛ばしていた。
だからといってそれに応じる事が出来る者がいるかどうかは別問題であり、双方の軍隊は総崩れだった。
幸いだったのが、亮平側の軍勢は砦の内側という事も有り強固な足場があった。
たいして帝国側は堀を渡る橋や、外壁を上る梯子の上だったため落下死する者や、堀に落ちて悪臭と激痛の中溺れ死ぬ者もいた。
「くらえ! 」
そしていち早く回復した亮平は、近くに転がっていたシュールストレミングの缶を帝国の将校めがけて投げつけた。
それは見事な直線を描き、将校の顔へと命中した。
中身入りの缶詰とはいえ、ヘルムをつけているためダメージはないだろう。
しかし中から飛び出した発酵汁は、ヘルムの隙間から将校の顔を直撃する事となった。
あとはその臭気にのた打ち回るだけである。
そして、数秒の後に堀へと落下する事となった。
それを見た帝国軍は、亮平たちの勝利への執念へ恐れを抱いた。
わずか20万の兵士、練度も常に戦争をしている帝国から比べれば大したこともなく、その気になれば今投入している10倍の戦力を即日投入することも可能だ。
しかし、それでも勝てる光景が思い浮かばない。
帝国兵たちは嘔吐しながらも懸命に闘う男たちの姿に負けを確信してしまった。
その実態はただ自爆しただけだが、そのことに気付くものはいなかった。
こうして帝国軍は指揮を引き継いだ者によって撤退命令が下される事となった。




