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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
ヘブンズエッジ 第二部 ==================
45/46

特別委員会

 乾いた風が髪を煽るのに顔をしかめ、リヒトはぶんぶんと頭を振った。少し長めのさらさらとした黒髪が、よけい風に煽られて広がる。隣に座っていた玉響があきれた顔を浮かべ、ハンドルを握っていない方の手で、頬に散った黒髪をリヒトの耳にかけた。

「前みて運転しろって」

「この道じゃ事故も起こらないよ」

「……まあ、そうだけど」

 玉響の言葉に返す言葉もなく、リヒトは口を噤むと視界一面に広がる荒野を見渡す。フィリアとハクトの乗るジープの背と、ジープのライトの中に照らし出される、どこまでも続く開けた世界。

 夕暮れに沈みつつあるその世界は、数年前まで住んでいたトスカネルの荒野を思い起こさせる。夕闇の群青の空の下に広がる荒野に、わずかに生えた痩せた木々。細く、今にも折れそうなその枝に羽を休める黒い鳥は、巣へと帰ろうとしている自分たちに、どこか重なる。

 ジープに備え付けられたラジオから流れるのは、十数年前に流行った歌謡曲だ。どこかレトロな旋律を追う、少し音程のずれた鼻歌が後部座席から聞こえてくる。リヒトや玉響とは違い、この曲が流行ったころに青春時代を謳歌していた男の鼻歌だ。

「隊長、ちょっとズレてますって」

「んー、わかんねぇなあ……」

 玉響に指摘され、後部座席に寝転がった我らが隊長が気弱な声を上げる。

「アランは何でそんなに音痴なんだろうな」

 リヒトがそういいながら振り返れば、アランはリヒトに悲しそうな視線を寄越した。

「……リッヒーはなんで俺に容赦がないんだろうね」

「隊長、リヒトは誰に対してでも口が悪いですよ。あ、でも小さい子には優しかったな。お兄ちゃんっぽくて」

 玉響がそう続けて笑う。

「ちっちゃい子は可愛いもん。ふわふわしてさー、手がもみじみたいで」

 玉響の言葉にそう返し、昔ともに過ごした少女の姿を思い出す。スラム育ちで、決して手癖のいい子とは言えなかったけれど、性根は優しい子だった。ピアノが上手くて、幼いのに口ばかり達者で寂しがり屋の。

 死んでしまった。

 あの少女を殺したのは後ろに乗っている男が率いていた部隊で、目的のためとはいえ自分は何をやっているのだろうとリヒトは窓の淵に置いた腕に顔をのせ、自嘲する。

 彼女だけではない。他にも多くの優しい人々をスルトの前身、黒は殺してきているのだ。任務だったのだろうが、だから仕方がないね、では済まない思いもある。

 だが、そんな環境にアランも嫌気がさしたのかもしれないとリヒトは思った。

 スルトの活動は殆どがマナ解放後に暴走した機器の鎮圧であったり、VIPの護衛が占める。暗殺、襲撃といった任務は、皆無とは言えないがアランが意図的に避けている節が見えた。

 何より、数年ともに過ごして、アランが嫌いになれない人柄であることも大きく起因していた。おおらかで、気配りができて、どこか抜けている。

(あと、少しだけ似ている)

 目元とか。

 切れ長の瞳と、通った鼻筋。そして少し硬めの黒髪。その様子が、忘れようと思っても忘れられない存在の姿を思い起こさせた。

 体に通う民族の血が異なるのだろう。リヒトの収まりのない猫っ毛や、アーモンド形と例えられる丸い瞳とは随分様相が異なる。

(背が伸びていた)

 頬杖をつき、窓の外を眺めながらボンヤリと先ほど見た姿を思い出す。

 刻一刻と濃さを増していく藍色に、ぽつぽつと星の光が瞬きだしているのが見える。

 零れ落ちそうなため息を噛み殺し、乾いた唇を舐める。視線の先の、暮れなずむ空を、黒い大きな鳥が音も立てずに飛んで行く。

 少しばかりアンニュイになっているのかというと、そうとも言えない。

 腹の奥が震えるようなくすぶる感情の揺れが収まらず、ずっと興奮しているような感覚。

 それもこれもつい数時間前の、ほんの数瞬の邂逅のせいだ。

 激しい戦闘の名残ではない。――たった数旬、ひどく離れた距離だったが、確かに視線が絡んだように思えた。

 精悍さが増したように見えた。以前より短くなった髪は、その整った容貌を惜しげも無く晒していた。幼さが残っていた頬はすっきりとし、真っ直ぐな黒い瞳の強さはかつてより鋭さを増したような気がした。

 もっと近くで見てみたかったとも思うし、会ってどうするという思いもある。

 無理に会わなくとも、テレビを付ければどこかのチャンネルでは、彼の姿が写っているのだ。たいてい下世話な話題を取り扱うワイドショーだったけれど。

(元気であるのならば、それでいいんだろう)

 瞳を伏せてリヒトは、そう自問自答する。正面に視線を向ければ、グニパヘリルの巨大な影と光が見えてきていた。

「外からみても、明るい街だな」

「中央のが電波塔。右の大きな影はマナ変換所かな。俺たちの事務所は、あの辺りですかね」

 玉響が数千数万の明かりの一角を指さす。

「そういえば、事務所の前の通りに、新しい店できてましたよね。粉物の」

「あー俺あそこいったけどね、食べたけどね、そんな美味しくもなかったなあ」

「え、そうなんですか?」

「うん、リッヒーのご飯のほうが十倍美味しい」

 唐突に自分の名前が出て顔を上げる。

「――俺は自炊生活長いからなあ」

 行き場もなくスラムを彷徨っていた幼い自分に居場所をくれた人。名前がねぇと呼びにくいなと言った機械工の老人が、九つになった自分に寝床と名前をくれた。

 嬉しくて嬉しくて、何か恩返しがしたくて、作れるようになったのだ。料理が特別好きな訳ではない。けれど、武骨な老人が無言で用意した食事をすべて食べてくれるのが、とても好きだった。その頃に培った料理の腕は、なかなかのものだと自負している。

「リヒトご飯つくるの、いつも俺がいない時なんだよな。ねえ、帰ったら俺にも作ってよ」

「んんー」

 疲れたしなあ。

 玉響の言葉に顔をしかめれば、玉響はひどいといって肩を落とす。

 まあ、簡単な物なら、とリヒトが続けようとしたその時、不意にラジオの音楽が途切れた。速報ですと女性キャスターの緊迫した声が響き、急いで音量を上げる。

『トスカネル国王暗殺の続報です。本日午後五時過ぎ、事態の収拾の為、中央官僚たちのよる特別委員会が設置されました。各報道局に届けられた書面には、委員会議長には三年前のヴァーラス・キャルーヴ崩落事故により生存不明となっていたエミール・ヴィルヘルム前ナイツ総長の名前が記されており……』

 聞こえてきた名前に玉響が「えっ」と声を漏らす。

「この人って……、隊長」

 玉響がちらりと後ろを振り返る。彼は三年前にはナイツに所属していなかったから、あの男の最期(実際は最期ではなかったのだが)を知らない。

 大きな崩壊があった。台地が割れ、隆起し、教会のビルの群れを次々と飲み込んだ。

あの爆発のあった後地は、今もまだ土地の隆起が激しく、滑落の危険性があるため人が近づけないらしい。

崩壊の原因は不明。その崩壊を切掛けにして、マナという過去の力を人々が取り戻したのではないかという説を、知識人が説いている。

多くの犠牲者の中に、エミール・ヴィルヘルムの名も連なっていた。だが、崩壊の直前に、彼がニナと呼ばれるディーヴァを復活させていた事だけがまことしやかに囁かれていて、リヒトはそれが事実だと知っている。

「……エミールが動き出したか」

「……」

 死んではいないと思っていた。あれが何かの終わりなどではなく、始まりであることも。

 リヒトはバサバサと風に煽られる髪に顔を隠し、トスカネルの方角を見つめる。あの国ははるか遠くだ。だが、確かにあの存在はあの場所にいる。

 ニナ・ファルナ。

 自分の人生はずっとあの存在に振り回され続けている。

 昔も。今も。





 鼻歌を歌いながら、フィリアは足取り軽く鉄筋組の階段を駆け上がる。いつもは顔をしかめる鉄臭い香りも気にならない。スラリと伸びた細い両腕には大き目の布と鋏とタオル。

髪を切ってほしいとリヒトが言ってきたのだ。

アランはこういう事には不器用そうだし、玉響に頼んだら遊ばれそうで怖い。唯一丁寧に髪を切ってくれそうなハクトは仕事で外に出ていて暫く帰らない。女の子に頼むのは気が引けるけれど、フィリアなら丁寧そうだから、と少し遠慮気味に頼まれた。

(うれしい、うれしい、うれしい!)

 思わず笑みが毀れてしまう。大好きなリヒトの髪に触り放題である。

 最上段まで駆け上がり、勢い良くドアを開ける。

 唐突に広がる朝の光。高いビルに囲まれたこの街も、この屋上からなら見渡せる。

 傭兵部隊スルト本部は、グニパヘリルの街の、北部に位置した7階建ての少し古びたビルだ。

南部に商業施設が広がっているのに対し、北部は工業施設が多い。鉄工所の黒い煙。最近出来たマナ施設から漏れる、エメラルド色をした淡い光。そんなものが、朝の光に照らされて、淡い薄水色の空に溶けている。そんな無骨で少し煤けた空間の一角に、フィリアたちはねぐらを構えていた。

教会に雇われ、黒として活動していた頃は、もっと広々とした宿舎があった。きれいな空間は年頃の女としては好きだ。だけど、黒の頃のあの空間は酷く息が詰まった。正式部隊である白の面々がよこす蔑みの視線だとか、大規模過ぎて得体のしれない面子だとかに、緊張を強いられる毎日だった。

今でも得体のしれないのは変わらない。スルトのメンバーは皆訳ありな過去を抱えたものばかりで、自分もその例にもれない。

それでも。

(私の人生は、リヒトに会えただけですごく幸せ)

 大げさでもなく、本当にフィリアは思っている。

 仕事でミスをして、半死半生の傷を追ったまま、当時所属していたチームから取り残された。助からないと思われ、その場に放置されたのだ。

そこに、僅かな生命反応を頼りにして、助けに来たのがリヒトだった。再起動されたガーディアンのひしめき合う巨大遺跡からの脱出に、負傷した人間などを抱えては命がいくつ会っても足りない。

 それでも、リヒトは笑って自分を見捨てないでいてくれた。

「リヒト!」

 朝日の中、屋上をぐるりと囲む申し訳程度に付けられた柵に両肘をつき、町並みを眺める姿を見つけ声をかける。

「さあ、さくさく切るわよ! 」

 白い布をパンと広げると、リヒトは逆光の中、お手柔らかにと苦笑した。




 フィリアの張り切りように少し引きながら、リヒトは屋上に備え付けられた椅子を引き寄せ腰を下ろす。すぐにふわりと白い布が首の下に回され、首の後ろで止められた。

「あれ、髪を濡らしてくれたのね」

「ああ、そのほうが切りやすいだろ?」

「うん、リヒトの髪は癖がないから、そんなに違いはないかもだけど、こっちのほうが綺麗に切れる気がするわ。ねえ、長さどの位がいい?」

「肩に掛からない程度に」

「初めてあった頃位かな」

「うん、その位がいいな」

 シャキンと、控えめなハサミの音が響く。ハラハラと肩口に切り落とされた黒髪がこぼれていく。

「ねえ、リヒトは……なんで髪を染めているの?」

「黒が好きだし、こっちのほうが仕事に都合がいいだろ?」

 小さな声で遠慮がちに問いかけられた声に、リヒトは一瞬逡巡し、そう答える。本当は違う。そしてそれはフィリアも解っているだろう。髪を切りたいのなら、専門店に切りに行けばいいのだ。グニパヘリルの南部に行けば、いくらでも美容院はある。だけどそれはしない。自分に関するどんな些細な情報でも、スルトの外へ出したくない。

過去の自分の顔写真は、グニパヘリルでは見かけることはほぼないが、トスカネルでは街中に貼りだされている。そして、トスカネルとグニパヘリルは決して行き来できない距離ではない。

今髪が濡れているのも、フィリアに切ってもらう前に、髪を染めなおしていたからだ。

 教会調査員の目がどこにあるか分からない。コマドリの、一部の所属員にだって恨みを買っている。ほぼ死亡認定されているとしても、どこから自分の情報が漏れるかも分からない。昨日だって、黒髪の審判者とニアミスしたのだ。

 シャキン、とまた染まった黒髪がこぼれ落ちていく。

「私ね」

「うん?」

「私はね、リヒトがどこの誰だって、リヒトの事、とても大事よ」

「……」

 一言一言、区切るようにして告げられた言葉は少し震えていた。

 シャキン、とまた澄んだ音が朝の空気に溶ける。

 ありがとうと、リヒトは、―――――かつてカインと呼ばれた青年は呟いた。

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