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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter5 – Liberating
32/46

進むという恐怖

指先まで走る鼓動。体全身を揺さぶる胎動。

世界が脈打つ。

――自分を揺さぶる。

エンケの床に敷かれた鉄板を蹴り、カインは縁に足をかけて飛ぶ。体は羽根の様に軽い。

「なっ何を……、うあああああああああ! ! 」

近寄ってきたリガの船首に飛び移る。ダン! とブーツの底が固い音を立てる。そのまま鉄板を蹴ったその体は風の様に操縦士の元へ駆け寄った。細くしなやかな体は全く迷い無くその腕を伸ばし、操縦士の男の頭蓋を鷲頭噛む。高く響いた悲鳴と、制御を失いガクリと浮力を失う機体。

金の髪をなびかせた少年は、その機体に見向きもせずにその船体を蹴るとまた襲いかかってきたリガに飛び移り、鋭くとその手を一線する。

「え……」

その瞬間搭乗していた男は、何が起きたのか把握する間も無く意識を飛ばした。

『ば、化けものだ! 塔に近づけるな! 打て! 』

驚愕にうわずった兵士の声と共に、周囲に滞空していたリガから一斉に砲弾が発射される。紅い光の曲線を描いてカインの元に打ち込まれたそれらは、その体にたどり着く前にキィィィ! と空間を引き裂く様な音と共に自爆しはじけ飛んだ。

その様を自分の身一つで中空に浮く少年は、冷めた目で見つめていた。紅い光にその横顔が一瞬照らされ、そして光が潰えると共に闇に沈む。アーモンド型の瞳は、静かに細められている。

『……覚悟を決めた様だな。アラストール。いや、……ディーヴァと言った方がいいか』

インカムからアランの声が聞こえた。だがそれには答えずにカインは自身の手を持ち上げ見つめた。透き通る指先。手のひらを返せばゆらり、とエメラルドの光を揺らめかせる。

硝子という表現では硬質過ぎる、だが水というには煌めき過ぎた質感だ。まるで星屑をちりばめた様な光を発する自身の体。腕から発される力は初めてこの力に気づいた時の様に羽の様な形をとって、自身の周りを覆うように囲んでいた。それも、もっと大きく、実態を伴って。

小さく笑ってその腕を下ろす。

「懐かしいな」

『思い出したか』

アランの言葉に一瞬瞳を伏せると、カインは首を巡らせ東の空を見つめた。あと数時間で日が昇るのだろうが、今光るのは砲弾とサーチライトの明かりだけだ。 今は希望なんて欠片も見えない。

「久しぶりなんだ。――すごく星が近くなって、どこが境界だか分からなくなる、この感覚」

自身の全身をしげしげと見下ろす。自分自身が発する熱量のせいだろうか。下から上へ吹き上げる様な気流に髪がふわりと持ち上げられる。

「少し、吐き気がする」

少年は僅かに寂しげな顔でそう呟いて、頬を伝う僅かな感触に気づきその金の睫を瞬かせた。

指先で頬に触れれば、僅かに濡れた感触がした。

「涙が出る……たいして思い出せてもないのに」

『……何割思い出せている。随分昔の記憶だろう』

ノイズがかったアランの声が少しくぐもる。煙草でも噛んだのだろうか。

「さあ? 」

首をゆるりと傾ける。

「でも自分がやらなきゃいけない事も、やりたい事も分かってる。まずは」

視線を周りを大軍で囲んでいる敵へと向ける。動きは見えない。様子を窺っているのだろうか。

「――白はつぶすよ」

『構わん』

同じ騎士団でありながら、黒の隊長はそんな事をさらりと言ってのけ、

『俺はまだお前と「会っていない」』

そう呟いた。

く、という声に小さく笑ったのだと分かる。食えない男だ。

「……剣は。俺が使ったらばれるんじゃない? 」

『そりゃ俺の独断だからな。中央も白もその存在を知らない。思う存分使え』

「へえ」

苦笑とも自嘲とも付かない笑みを漏らし、カインはゆっくりと前傾姿勢になり後ろ手に白い剣を構えた。

指先に馴染む感覚。自分には少し重たいが、ディーヴァである自分が使用することを考慮して作られているのが分かった。

刃の無い剣。星から流れ込む力を、カインの指先から吸収して重く息づく。

星と自分が近すぎて目眩がする。内側で息づく力がどくどくと興奮してざわめいている。

嬉しいか? その思いが力となって解き放たれて。

復讐したいか? こんなにも汚れた体で。

――だが、駄目だ。思い出せ、俺達がすべき事を。

聞こえるだろう?

始まるんだ。もうすぐ。

いいや、もうすぐ『思い出す』んだ。


世界が。


大地そのものから膨大な流れが自分へと集まり、支配されるかのような充足感と、それと同じだけの渇望と不安に息が乱れる。

『……怖いか、その力を使う事が』

低い声が、どこか心配したような声色で耳に届く。そう仕向けたのは誰だと脳裏をよぎり、いや選んだのは自分だったと苦い笑みを浮かべる。

「怖いよ。すごく」

何もかも。全てが全身で把握できる。憎もうと思えば全て壊せるかもしれない。消えようと思えばすぐにでもこの体は無に帰すのだろう。

「全て壊してしまいそうだ」

守ろうとしているのに、暴走する体は自分の言うことを聞いてくれるかわからない。透明でありたい。どろどろした感情はもうたくさんだ。

なのに一瞬でも気を抜けば体も思考も支配されて、全ての制御が奪われてしまう。

それでも、投げ捨てようとすれば簡単に投げ捨てられるこの自分自身を、ただ生きていたいから投げ捨てられず、自分の中に眠る幾千の思いを消せないからこそ進もうとしているのだろう。

また泣きそうになってカインは目元をぬぐう。

決めたんだ。決めたんだろう。

「怖いんだ。本当に」

とても。

そういって、カインはその剣を振り下ろした。






人々は一様に目の前で起きたその光景に声もなく息を飲んだ。

突然発現した凄まじい光が闇を引き裂き、ヴァーラスキャールヴの主砲を貫いた。

斜めに夜空を焼いた光は、完全に主砲を消失させ消える。ビルの外壁が揺れ、崩れる。

――長い沈黙だった。

夜風が砂埃を攫っていった後、暗い闇に一つの光点が浮かんでいるのを人々は目撃する。光は闇の中で鮮やかに揺らめく。羽の様な光をまとった人の姿。

「何よ……あれ……」

「ディーヴァ……」

フレイの呟きにリズが振り返り怪訝な顔をする。青年は呆然と呟いた。

「あのガキ……ディーヴァだったのか……」




「すばらしい……! 」

荒い呼吸で、エミールはそのその目を見開き舌なめずりした。

エミールの居たヴァーラスキャルーヴの総長室は燦々たる有様だった。主砲を襲った巨大な波動は総長室の分厚い硝子さえ吹き飛ばし、その破片で負傷したナイツ達のうめき声が響いている。

エミール自身も肩に巨大な硝子の破片をくらい、多量の出血をしていた。今もその破片はその白い服に包まれた肩に突き刺さったまま、その紋章を汚している。

だがエミールの目は歓喜に見開かれ、その唇は興奮に震えていた。

「アラストール、アラストールがディーヴァに眠っていたのか……! なんて力だ! 至高の力だ……! これなら……この力なら目覚めさせられる……! 」

興奮に我を忘れた男はその身を翻し、艦長室を出る。部下の声は届かない。

小さなキメラの少女は心配そうな鳴き声を上げて、その後ろをよたよたとついて行く。

キリエの鳴き声も、もう彼には届かない。






『どういうことだっ』

不意に艦長室に響いた鋭い声に、ああん? とフレイが柄悪く声を返した。

だがその数倍の迫力と凄みでその声は再度「どういうことだと聞いているんだ。言えっ! 」と繰り返した。インカムの発信地はヴァーラスキャルーヴの西棟上空を差している。青の光点が発信者として点滅している。

「シン、くん……!? 」

聞き覚えのある声だと気づいてリズが顔をあげる。だがその少年の声色は、普段の穏やかさが嘘のように鋭い。

「ちっ……審判者のガキか。めんどくせぇ」

『お前はあいつの事を知っているんだろう? 言え! 』

「シンくん? ちょっとどうしちゃったのよ! 」

「これだからガキは嫌なんだよ……! 恋に狂いやがって! 」

フレイが吐き捨て手前に引き出したコンソールを弾く。

「緑の光点、それがあの金髪のガキの居る所だ! そんなに知りてぇのなら、てめぇの目で確かめやがれ! 」

『……っ、追跡する』

シンを表す青い光点が、夜空を透かしたモニタ上で移動を開始する。

「ディーヴァが出てきちまったってことは、今までのはただの余興かもしんねぇぞ」

「……余興、ですって? 」

フレイの言葉にリズが目つきを鋭くする。失言に気づいたフレイが眉を下げ、「わりぃ」と呟いた。

「もう、組織規模の話じゃなくなってるって事だ」

頬を伝う汗の感触を感じながらフレイは紅く燃える塔へ視線をやった。その手前で浮遊する光は、世界を泰然と見下ろすかのように微動だにしない。

「だがあんな憎しみを抱え込んだディーヴァはみたことねえ。あんなんじゃ……星に食われてすぐさま自己崩壊するんじゃねぇか? 」

「な……? ちょっと、何? 何のことよ」

「星体エネルギーをあんな無尽蔵に取りこんじまったら、いくらディーヴァだろうと、あんな細い体も脳みそも持つ訳ねぇだろ。つか、なんでまだアイツ生きてるのかが不思議だ。それに、アイツ何をするつもりなんだ」

さっぱりわからねぇと視界の先の夜空で小さく光るカインに視線をやる。その迸る光は、こんなにも遠くに居るにも関わらずカタカタと船室の窓を揺らしている。

「……第一……、審判者のガキは、あんなんで殺せるのか? 」

「……え? 」

フレイの呟きにリズが目を剥く。

「……殺すって、何であの子がカイン君殺さなきゃいけないのよ」

リズの言葉に振り返ったフレイは、その揺れる水色の瞳を見つめ返し、眉を寄せた。

そしてそっと、その紅の瞳を細める。


「――審判者はその為にいるんだろーが」



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