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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter4 – follen
28/46

紅い髪の男

オオオオォォォォオオン……

ふいに森に低い鳴き声が響き渡った。

(……何だ?)

怯えたように、身をすくませる少女を庇うようにしてカインは立ち上がる。

瞳を見開き視線をめぐらす。視界に広がるのは静かな、幹ばかり高く聳え立つ銀の光に照らし出された森。嘆くような色を伴った響は、その中で一度、そして二度繰り返され、やがてカインの前に本体を現した。

「っ……!」

視線が絡み合う。

(本当に……いたんだ)

月の光の中、林立する幹の背後から姿を現したのはカインの背丈のゆうに数十倍はある巨大な魚だった。静謐な夜の森を音もなく泳ぐ銀の魚。巨大な魚はエンケと同じく、ヒレを細かに震わせることでその巨躯を空中に保っているらしい。

『……!』

怯えた少女の姿が空気へと溶け出す。

カインは一瞬どうするか逡巡し、とめてあったエンケへと駆け寄ると、その機体へと飛び乗った。

この場所は少女の思い出の眠る場所だ。破壊させるわけにはいかない。

丸い機体に飛び乗り、足元の起動スイッチを踏み込む。操縦桿を思い切り引いて宙へ。

魚の大きな目がこちらに引き付けられるのを感じる。可能な限りの速度でエンケを森の奥へと滑らせれば、ゆらりと背後の魚がカインを追いかけてきたのがわかった。

振り返る。

大崩壊時流出した化学物質による奇形か。森の中で朽ちた古代の遺跡の合間、木々の間を、ゆっくりと潜り抜けるその様はまるで御伽噺の一頁であるかのように幻想的だ。

声もなくその姿を見つめるカインの視線の先で鱗はぬらりと光り、その無機質な水色の瞳がこちらに向けられる。

(……くるか)

視線に背筋があわ立ったその瞬間、水中であるならばバシャリと水を跳ね上げていただろう大きな動作で、魚はその尾を空中に打ち付けこちらへ方向転換した。

ぐい、とエンケのペダルを踏み込む。硬質セラミカでできたエンケの羽がヴン…と音をたてて羽ばたく。

跳ねる。鱗。ゆれる。風が。

「……っははっ」」

俺っていつもこんなだな。

そう苦笑いを浮かべながら足元のペダルを最奥まで踏み込んで重心を精一杯前に倒す。どこか気持ちが高揚してくる。

傾斜したエンケは風を羽にはらみ、不安定さはありながらも早さを増して木々の合間を潜り抜けていく。だが背後をつける気配は一向に消えない。むしろさらに速度を上げて自身の後を追いかけているようだ。

どれほど。どれ位?

早鐘を打つ心臓を息を止めることで無理やり押さえ込み、カインは覚悟を決めると「せえの」で背後を振りかえる。

途端に赤黒い魚の口内が視界一杯に広がり、「うわっ」と声をあげてカインは慌ててハンドルを横に切った。

バグン!

一瞬前まで自分が居た場所を巨大な魚の口が飲み込む。急にハンドルを切った為ぐらつくエンケを何とか建て直し、迫る木々を交わしながらカインはその魚の姿を凝視した。頬にかかる髪がバサバサと口に入りそうだ。驚きすぎて声も出ない。

これはちょっとやばいかもしれない。再度こちらを見つめた色の無い魚の瞳を見つめたまま、足元のペダルを踏み込む。魚は見逃してくれる気はないらしい。

力は、使いたくない。

こんな力など、使わずにいたい。

だが、

(四の五の言ってる場合じゃないか……)

再度背後に追いすがってきた魚影に、素早くグリップを固定して背後を振り返る。そのまま上半身をひねり左腕を魚へ向けて突き出すと、カインは魚を見据えてすうっと息を吸い込んだ。

手のひらに急速に集まり、自身の身体まで巻き込んで形を変えていく力。腕が疼き、その痺れは肩口まで這い上がってくる。

「……ぐぅっ」

上がりかける声を殺してカインはぐいとハンドルを切ると、急速に巨大魚の傍までエンケを寄せた。すれすれまでそのぬらりと非現実的に青白く光る魚の腹に近づき、片腕を突き出す。

フォン……と広がるエメラルドの光。千切れた光の破片が辺りに飛散する。―――だが、

「……っ?!」

解き放とうとした力は手のひらから離れたその瞬間に、指先に痺れを残して消える。突如として失ったその感覚に戸惑い、カインは動揺にその手のひらをみつめた。

迫る紅い口腔、時間が、無い。

「くそっ、言うこと聞けっ!」

吼えて再度腕を前へ。エメラルドの光は爆発的に膨れ上がり、腕はメキメキと結晶化し羽のような形へ形態を変える。

迸る光の本流。空間を切り裂く、白く鮮烈な閃光。

砲身のように変化したその腕を、もう一方の腕で固定して、カインは力を解き放った。

キュゥゥンと鋭い音と共に、月の光の中でエメラルドの光が弾け飛ぶ。

解き放たれたその力は一瞬にして怪魚を消し去り――だが、その力が収束することはなかった。

ぶわっと制御不可能な巨大な力は指の一本一本を引き千切るような強さで、腕を拉げさせるような激しさで暴走を始める。

「……ッツ、っ――!!」

突如全身を駆け巡った痛みに自身の身体を抱きこむ。

エンケは高度を落とし下降していく。動悸が高まり息苦しさに身体を丸め込む。ハンドルをつかもうとした手はすべり、足元はふらつき、自身から放たれた力は今、逆にカイン自身を取り込もうとでもするかのように黒く濁った力の羽を大きく広げ、エンケごと包み込み始める。

(ま……ず……いっ)

「っく……は……っ」

制御できない力に息を呑むと急速に視界が暗くなりだす。霞む目で背後を振り返ると眼前に木の幹が迫り、衝突の衝撃にカインはぎゅっと目を瞑った。

だがその時、

『人のねぐらでうるせーんだよ、ガキ!』

頭へと、直接響いた声に驚き目を見開く。

弧を描いて落ち行くエンケへ向かって滑空してくる小型単翼機。エンケとは同じく一人乗りの、だがきわめてスマートな立ち乗りのボードが瞬時に眼前に迫り、その上に乗った男の手がカインの首ねっこをわしづかむ。

『悪いが、男を抱える趣味はないんでね』

ぐい、とエンケから引き剥がされ、襟元が締まる。


ふっと落ちる意識の中で、紅く鮮やかな色が見えた。










(変な人に掴まったな)

そうカインはごちて がさりと目の前に張り出した木の葉を腕で押しのけ足を進めた。

地上は上空から見下ろした時と比べて存外薄暗く、足元には細かなシダ植物がはびこっていた。

細かな、といっても林立する木々のスケールに比べればの話である。木々の幹のサイズからしたらコケとしか言いようのない植物たちも、一般的人間サイズのカインにしてみれば背丈よりもはるかに大きい葉をもった巨大植物だった。

よくここまで育ったものだと、カインは頭上にそびえる木々の幹を見上げる。

キラキラと差し込む木漏れ日は、時間帯的には日の光りではなく、月の光だ。普段よりも夜が明るいのは空気が澄んでいるせいで、星の輪に、今は姿が見えない太陽光が乱反射しているかもしれなかった。

ずっと見上げていると、自分を取り囲む木々の幹に目が回りそうだ。

「ああーうっぜ、超うっぜぇ」

葉を乱暴によけてその根元を踏みつけ、わしわしと自身の紅い髪を掻き毟り男が叫ぶ。苛立ちを隠そうともしない、カインを危うく窒息死させかけたその男はフレイと名乗った。

「出口とか判んない? 」

男の後姿を横目で見やりながら、カインは目の前にびよんと伸びた葉を手でのける。その瞬間、頭上まで延びたその単子葉植物の葉先から巨大な水滴が落ちてきて、カインは自身の行為を深く後悔した。巨大水滴は下手をするとスイカ並みの大きさがあったかもしれない。それを頭からかぶった。

「……冷たい」

「ははっ馬鹿でやんの」

「――出口とか……判んないの? 」

ぽたぽたと全身から水滴を落としながら、再度首を傾げ笑顔でそう尋ねてみる。その満面の笑みに何かを感じ、フレイと名乗った男は一瞬言葉に詰まる。そして肩をすくめ、また足を前(かも判らない目下の進行方向)へと進める。

「分かるわけねぇだろ、分かるわけ」

「『俺の寝床』って言ってなかったっけ? 」

「寝床にしてたのは上で、下じゃねぇんだよ。大体、こんなところ完全に把握してる訳ねぇじゃん」

ひとつに束ねた紅の長い髪を揺らしながら、無責任に胸を張り言ってのける青年の言動に、カインは濡れた髪をかき上げながらはぁ、とため息をつく。先ほどからずっとこんな感じだ。

上というのは木々の上で、下というのはカインたちが現在歩いているこの湿った地面の上のことだ。遥か頭上まで木々が背を伸ばしたこの空間で、フレイは木々の上で休息を取る生活をここ数ヶ月していたらしい。

いわば猿のような生活をしていた男だが、そんな彼の外見は目つきのきつい美男子といっていい顔で、服は濃い藍色のジャケットと鋲の打ってある革のパンツを履いている。街へ行けば女の子は放って置かないだろうと思い、カインは少々気分を害した。

自分が街をあるくと、女の子が声をかけてくる事もあるが、それよりも下心の有りそうな中年男性が引っかかる。

何故目下この男と地べたをさ迷い歩いているかといえば、時間は少し前にさかのぼる。

猫のようにフレイに首根っこをつかまれた状態で巨大魚の追撃を避けきった後、必死の思いでカインはフレイの乗ったエアボードによじ登ろうとした。途端、ぶしゅう、となんとも間抜けな音を立ててエアボードはその浮力を失った。その結果は言わずもがな、である。

ビル数十階分はあるだろう上空で、二人は一瞬互いの視線を見合わせた。ふにゃりと笑って、カインは首を傾げてみる。その笑顔にフレイは無意味にキラキラした男前な笑顔で答えてきた。たらしの笑顔だ。取り合えず正直理解したくない事態であることは、現実逃避気味の二人にも良くわかった。

――次の瞬間、二人は宙の人となっていた。

「あーやっぱり! 」

「ぶっ壊れやがった! 」

急速に上へと吸い上げられていく景色は、実際に自分の周りが吸い上げられているからではなく、二人が急速に落下しているからなのは明白だ。

突然のことに慌ててカインは力を使おうとし左腕に力を込めた。腕の先に翼が生え風をはらむイメージを強くする。『全てはイメージが始まりよ』そう言って笑っていたリズの姿が一瞬思い浮かんだ。そういっていた当のリズは浮遊系は出来ないらしく、力を制御する方法を聞くと『いいじゃない、コマドリもポットもあるんだから。そんなに浮きたきゃシン君にでも教わってよぉ』とそそくさとシンに教師役を押し付けていたが。

――指先に走る痺れ。柔らかく光り、集まる力の気配。

自身を押し上げる浮力のイメージ。

――だが、バチリと何かがはじける音がしたきり、それ以降はうんとも寸とも力は反応を返さなくなった。

「っち」

(やっぱ駄目か……! )

舌打ちして、自分と同じ様にまっさかさまに落ちていく男を見やる。すると何時からかカインを見ていたらしい男は、その視線に紅い瞳を僅かに見開いて「ん」という顔をし、それからひっくり返った姿のままやれやれと言う様に肩をすくめて見せた。そして徐に自身の腰に後ろ手を回し、抜き取った長い何かをカインの方へと差し出す。何だ? と思いそれを見ると「さっさと掴め」というように彼は軽くそれを振った。

白い剣だ。

「何? 」

訳も判らずに慌ててその剣の鞘を掴むと、急にグン……と持ち上げられるような力がかかり、明らかに落下速度が遅くなる。

「……」

緩やかになった空気。

視界にはっきりと映る、薄明かりに照らされた原始の森。

頬にふわふわと当たる自身の髪は、頬を打っていた先ほどとはうって変わって柔らかく自身の肌に触れた。

(――こいつも『異端者ヘレシー』……? )

視線を男へ向けると、横目でちらりとカインを見やった彼は、つい……と、また視線を森へと向ける。

「あんま動くな。余計な力使いたくねぇからな」

「……ん」

小さく頷いて、カインは手にした物へ視線を落とした。彼の獲物だろう『それ』は、ひんやりと冷えた、冷たい剣だった。握らされている白い剣の鞘には細かい文様が浮かび、静かに森の切れ目から差し込む光りの中で小さく光りを返している。光りに照らされている、と言うよりは剣自体が淡く発光しているようだ。

(触れているだけで、大丈夫なのか……)

剣を媒介にして、彼はカイン自身をも支えているのかも知れないと考え、カインは小さく首をかしげた。

リズやジェフ、シンや他のコマドリの仲間たちなど、関わってきた異能力者は少なくはないが、彼のように涼しい顔をして、他人をも支える力を使う者はそういなかった気がする。そっと隣で無言で宙を降下しているその横顔を見やると、当の男は黒い皮手袋に包まれた手を口にやり、小さく欠伸をかみ殺しているようだった。






ガサリ、と足元の葉を踏みつける。

「おー、見えた見えた」

疲労の少し滲んだフレイの声に急速に意識を引き戻されて、カインは視線を上げた。

視界にはフレイの紅い長い髪と、その先に少し開けた森の端が見えた。藍色に暮れた空が僅かに垣間見える。

「割と早く抜けたな。方角は合ってたみたいだ」

「だな。あー日が落ちる前には着くはずだったのによー。まあ、割と月が明るくて助かったか」

苦笑して相づちを打ちかける。だが足を踏み出した瞬間に見えた光景に、カインは動きを止め、目を見張った。

「ん? どした」

フレイが訝しげに振り返る。

(あれは……! )

足を速め、フレイの脇を通り抜けて森の外へと足を進めた。見間違いでなければ、あのシルエットは。

視界の先でチカチカと光点が瞬く。

星ではない、人工の光。見間違いでなければアレは――

開けたその場所は丁度高台のようになり、遥か先の荒野と山のシルエット、そして地平線とほんの僅か赤を残したまま濃い藍の中に沈んだ空を見渡すことが出来た。

頬に触れる冷たい空気。少し強い風に煽られる髪。

その感触をどこか遠くに感じながら、目の前に広がる光景を凝視する。

「コマドリ……」

視界に広がるのは夜空と――天高くそびえる無機質な塔『ヴァーラスキャルーヴ』

そしてその壁面に迫るようにして宙に停泊しているコマドリだった。

船からは何本ものワイヤーが塔へと伸ばされ、停泊位置を固定している様だ。

乗り込むとジェフは言っていた。だが侵入開始は明日の夜のはずで、明日の朝から最終準備開始というスケジュールだ。しかも侵入作戦はあくまで精鋭たちによるエンケでの侵攻作戦であり、コマドリ本体が塔の、しかもあれほど近くまで姿をさらす様な作戦ではない。

それなのに何故。

「何が……」

何があったのか。

「ああ、……お姫様のお迎えか。さっさと俺もいかねえとな」

「え……」

その言葉に驚き振り返る。

カインの横に歩み出たフレイの言葉はやけにあっさりとし、何の動揺も含まれてはいなかった。

この光景を見た人間が、普通発する言葉とは思えない。

「……あんた、何を知ってる? 」

警戒を強めたカインの口調が変わる。

今までの気軽な雰囲気が一変し、その鋭い目つきにフレイは薄く目を細めるとフンと鼻を鳴らした。

「お前みたいなのが一番怖えんだ。しかも面倒くせえ」

フレイの言葉に眉を寄せ睨み付ける。聞きたいのはそんな事ではない。

カインが目をさらに細めて見つめ返せば、フレイはふう、と一つ息をつき「やれやれ」という様に腰に手をやった。

「何でって、そりゃ俺が指示したからだよ」

「指示? 」

「当初の予定だった少人数での侵入作戦は、今となっちゃもう教会の陣形に対応できねえ。エミール=ヴィルヘルムはとっくに気づいて、応戦の準備をしている。数人で駆け込んだところで袋の鼠だ。数でひきつけておいて、精鋭がそのすきを突いた方がいい。幸いなのはナイツ『黒』のアランが登場する気配がないところか」

「……あんた、だれなんだ」

眉をしかめたカインへ、フレイはにやりとした笑みを向ける。


「呼ばれたんだ。コマドリ次期艦長としてな」




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