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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter4 – follen
27/46

白い影

空気は冷えて、酷く澄んでいた。

夕闇が押し寄せる空の光。青白い光を発してそびえ立つビルへと船はすべるように進む。

どの都市へ赴いても、大崩壊前に建てられた建造物はどれもが脆く土台が劣化し、突然崩れては周囲の建物を巻き込み被害をだす。だが、この『塔』はまるで建設された当時の姿そのままであるかのように、時間の流れさえも拒んだひんやりとした面持ちでそこに在った。

ヴァーラス・キャルーヴ。

教会の研究施設が詰め込まれた、ガラスの塔だ。

その夕闇の中で光を放ち不思議な威圧感を与えてくるビルの異様さにジェフは瞳を細め、操縦パネルにおいた指先をそっと動かした。

動力室はクルーたちの潜めた息遣いと、低くうなる機械音、そして張り詰めるような空気に包まれている。

(始まったか……)

もう後にはひけねぇ、そう呟き口に加えた煙草を噛み潰すと床へとそれを落とす。すると背後でユッカが「もう」と小さな声でため息をつき、足元に落ちた煙草へ視線をやる気配が感じられた。

普段なら「後でひろうって」と答え、結局動力室を走り回っているカインが「あ、また落ちてる」などといいつつゴミ箱へ捨てているが、今日はあいにくその当人は乗船していない。

酷く思いつめた顔をしていた。いつもの笑顔がどうしても作れないようで、何度も表情を作るのに失敗しては口元をかみ締めていた。

(自分のせいだと思ってるのかもな)

助けられたはずだ。そう思って、自分を責め続けている。そうジェフの目には見えた。里に下りた時、再開を喜び合う隊員たちを眺めていた時の表情を思い出す。暖かな光景に微笑みながらも、どこか酷く寂しそうな横顔をしていて、思わず声をかけた。

天涯孤独だという。「一人なのは昔からだから、一人には慣れたんだ」という少年は、だが暖かい人々の中で侵食を共にすることが幸せで仕方ないという顔をしていた。暖かい言葉を里の者からかけられる度に、照れくさそうに、嬉しそうに笑っていた。

そんなカインにとって、手を差し伸べたコマドリという場所は、酷く暖かい「守りたいもの」だったのかもしれない。

だから自分を許せない。

力を持ちながら、船一隻救えなかった自分を。

(無茶な話だ)

数百人が乗る炎に包まれた船を、どうすればヒト一人が救えるのか。ジェフはそう思う。

コマドリ内部でも「カインならば救えたはずなのに」という思いを持つ者がいない訳ではない。ナイツ白の艦隊眼前にバリアを張ったあの力があれば。そうカインを暗い目で見るものも居る。

カインという少年は人の気持ちに鋭い少年だ。きっと、そんな目がいくつも自分を見つめている事にも気づいている。

(なんとかしねえとな)

このままでは皆さらに傷つくだけ。

戻ったら、あの少年が笑えるようにしてやりたい。――随分、情がわいた。

(戻れるか?)

どうだ、コマドリ。

「………ジェフ」

かけられた声に、ジェフはピクリと眉をあげ、なんだと短く答えた。

動力室のドアを潜り歩み寄ってきた声の主は、無言でジェフの隣で足を止めると、むかう先を映し出す巨大モニターをみすえる。敵と味方を指し示す光点の後ろで、紅い日が音もなく墜ちていく。

「リズは……、休ませた方がいい」

「……」

予想していた言葉だと、ジェフは僅かに瞳を伏せかけ、だが思い直して振り返る。

その人物は白いコートにジーンズといういでたちで、漆黒の瞳は静かに空を見つめている。その先の塔には、彼のたった一人の肉親がいるはずだった。

その横顔を見つめてジェフは口を開く。まだ幼いと思っていたが、この短期間で少し面持ちは大人びたか。

「……確かにあいつは今使えない。キャサリンも無理だろう。一度に多くの悲鳴を聴きすぎて、耳も頭もまいってる」

―――だが、誰が行く。

リズの代わりもキャサリンの代わりも、どこにもいない。

そう問い返すと、シンは黒い瞳でジェフを見つめ返し沈黙した。少し、どきりとする。

縁のないメガネの下にあるといえど、彼の催眠能力については能力提供側としてかなり把握はしている。他の能力を有しない彼にただ一つ使用できる力だ。磨き抜いているに違いなく、敬う対象であってもその瞳に見つめられると背筋が冷える。

数秒、自分からみれば随分幼い少年の視線の圧力に耐えた後、それはふっと逸らされた。息をつきたい衝動をこらえその透明な視線が向いた先を見やると、最後の光が地平線に吸い込まれようとしていた。

急速に、夜に飲み込まれていく世界。

次の言葉はやけにクリアに響き、ジェフは思わず再度シンを見据えた。

「――代わりにはならないが」

どこか不敵に細められた瞳が振り返り、夕日の逆行の中ですっと弧を描く。

「俺なりのやり方で」

不遜な自信に満ちた、不敵な――――笑み。


ふつりと、視界の先に広がった地平線で、最後の紅い光が闇夜に飲み込まれた。




原始の森。

ゆっくりとそびえ立つ木々の合間を抜け、慎重にエンケを降ろしていく。

(くる時も通ったっけ…)

枝葉の少ない森だ。幹ばかりが背を伸ばし、少ない枝葉の合間から月の光が差し込む。昼にシンと見た柔らかな光に満ちた森の姿とはまた違う、冴え冴えとした色。木々の葉が揺らめくことで差し込む月の光は辺りをゆらゆらと揺らす。

(……水の中にいるみたいだ)

すう……と目を閉じて息を吸い込んでみると、肺の奥まで澄んだ空気が行き渡り、膿んだように痛む頭を幾分すっきりとさせた。

頬にあたる空気は冷たく、だけどその分清浄に感じられた。

エンジンの音が邪魔に思えて、動力を最小に絞る。ポットは滑るように降下しだし、辺りは木々のざわめきだけが木霊する。自分を包み込む静謐な世界に、昨日までの戦闘が嘘のようにも思え、カインは操縦桿を握る手に力を込めた。

(どこへ行こう)

ただ頭を冷やしたくて、落ち込みたくなくてコマドリを飛び出してきた。

艦内ですれ違う皆の視線が痛かった。それは十中八九皆の期待を裏切った者への視線なのだと、直感的にカインは理解していた。ナイツとの空中戦で空にバリアを張ったあの時からきっと、目に見えない大きな期待が自分にかかっていたのだ。――――けれど、役に立たない大きな力など、何の意味もなかった。

目を見開いて息を殺す。冷たい空気が瞳を刺して、その痛みにつんと鼻の奥が痛くなった。

木々の幹が自身の左右を無言でよける様にぬけていく。ただの錯覚。だがその余所余所しさが酷く悲しい。

薄い薄い色彩の、月の光に照らされた森。差し込んだ光は透明で、夜の森をそっと白く照らす。

遥か下の地面は苔で深く深く覆われ、月の光に淡く光っているようだった。その上に、カインの操縦するエンケが黒々と影を落とす。きっと足をつけたらそのまま苔の中に沈むだろう。人の背丈よりも全てが遥かに大きい緑だ。

(そういう在り方も、いいかも知れない)

漠然とそう思う。

ただ何も考えずに、じっと緑の中に蹲る。少しずつ同化して、何も考えられなくなっていく。

(分からなくなる)

内側で抜け出すのをひたすら待ち続けている暗い衝動や、犯した罪の重さ。全て忘れて丸くなる。きっと緑は、大地は自分を許してくれる。

(気づかなければよかった)

あの小さなブレンの街で、ただ昼のフィッシュアンドチップスを楽しみにしながら、客の持ってきた機械を修理して、夜は自分の好きな物を造る。

そうしていられたら良かったのだ。

だけど。

だけど、歯車は回りだしていた。自分が目覚めるずっと以前から。

(今もずっと呼ばれている)

確実に自分は引き寄せられている。

――どうやって、歩いていこう。

頬に当たる風が冷たい。葉の音がサワサワと空気に溶けて、遠くへと渡っていく。

月は少しずつ天頂へとその足を進め、影がさらにその色を増す。

(アレは……)

ふいに木々の合間にちらりと見えた石の壁に、カインは目を見開いた。

蔦の張った古い遺跡が、月の光の中でひっそりとその身を森に沈めていた。






ゆっくりとひび割れた石畳にエンケを降ろす。深い苔も、ここには届いていないのだろうかと思ったが、よくよく見るとどうやらカインの降り立った場所は二階のテラスのように張り出た場所で、一階部分は苔に埋没してしまっている様だった。

人々が滅多に足を踏み入れない忘刻の森。そんな場所にもやはり遺跡が眠っていたのだとカインはゆっくりと視線を巡らせた。

月明かりがやけに明るく辺りを照らしている。

石がアーチ状に組まれた極小さな橋の下を通って奥に足を進めれば、かつては人々が集まった広場だったのではないかという場所が見えた。プラスチックの白い椅子やテーブルが、苔と蔦に覆われ転がっている。かつては鮮やかな赤だったろう、今は使われていない文字の書かれた看板が広場の端に転がり、くすんで風化していた。

リィン……

儚い音。

不意に聞こえたその音に、はっと目を見開いてカインはその身をこわばらせる。

今自分が歩いてきた月明かりが光の穴を開けた石畳。その場所に今まで無かった気配が芽生えた事に気づいた。

そっと自分の背中を見つめる視線に、ゆっくりと振り返る。

『……』

すると、透き通ったエメラルドの瞳と視線が重なった。白い、とても白い影。

ふわふわとした背中まである白い髪と、抜ける様な白い肌。全てが白に溶け込んで、輪郭ほどしか分からない。だがそれは確かに年端もいかない少女の影だとカインには分かった。

その少女は透き通ったエメラルドの瞳でカインを見つめる。

――同胞。

そうリズ達はコマドリの皆を言う。

だとしたら、自分の同胞は彼女なのだろう。そうカインは思い、僅かに表情を曇らせた。

もう実体を残しているのは、―――自分だけなのだろう。

いや、だとしてもこうして同胞が自分の前に姿を露わす事が珍しい。

「……君は?」

ゆっくりと歩み寄って、少女の前にかがみ込む。

少し怯えたように体を強ばらせた少女は、戸惑うように数歩ふわりと後ずさったが、カインに危害を加える意志がないことが分かったのか、そっと立ち止まる。

「名前、なんていうんだ?」

『…………』

ふるり

カインの質問に少女は首をかしげる。

「そっか……もう、随分経ったんだもんな」

微笑んで目の前の白い手をそっと両手で握ると、今度は怯えることなく、こくりと少女が頷いた。

――随分経った。

この場所が明るい人の声に満ちていた頃。深い森に飲み込まれる遙か昔。

人々は明るい日差しの下で楽しげに笑っていたのだろう。恋人と待ち合わせをしたり、家族で食事をしたり。

少女の手を取れば、かつての姿が世界に重なって見える。

大規模なショッピングモールだったのはもう数千年も昔の話。今の遺跡は緑に包まれて青い月の光の中でしん、と沈黙と保っている。

だが、そんな暖かな場所へ父親と手をつないで訪れるのが楽しみだった少女は、この場所で自分の役目を果たし、―――星に還ったのだ。

それはもう遠い昔のこと。だから彼女は忘れてしまったらしい。自分のかつての名前を。

それでも……この場所からずっと世界を見守っていた。

(俺も、いつかこうなるんだろうか)

誰も存在しなくなった場所で、緑に囲まれてただひっそりと、星を囲む円環リエナ・クロウを眺める。そして次第に自分の名前も、どんな時代を生きていたのかも忘れていく。――同じ存在としての末路。

そう考えて、カインはそっと目を細めた。

自分は彼女のように白く清らかではない。優しい末路など、期待するのもおこがましい。

(消滅がいいところか、いや)

今の自分は、暴走すれば守るはずの存在をも消し去りかねない。

「俺に、何か言いたいことがあるんだろ?」

『…………』

声はなく、また頷いてから少女はカインの胸にそっと小さな手のひらを押し当てる。

一瞬、少女が朽ちた時の記憶が掌を通して伝わってきて、息をつめた。


悲しい記憶。だが彼女は確かにやり遂げた。だからこの世界がここにある。

ぐぐ、と押し当てられる実態のない、だが圧力はある小さな掌。その白い手に押されたカイン自身の胸から、じわりとソレが滲み出す。

「……っ」

少女の清らかさとは正反対の、黒い霧。

指先に触れたその闇に、少女のエメラルドの瞳が悲しい色を帯びる。その瞳の色にカインも遣り切れない気持ちになってうつむく。

「……君のも、ある?」

『……』

あふれ出す消せない闇。いつまでたっても、淀んで薄まることのない澱。全部、この体に縫いとめられている。

カインの言葉にこくりとまた頷いた少女は、小さく微笑んでカインの胸から手を離すと、自身の目の前にひざを突いた少年の頭をその腕に抱き込んだ。

大丈夫。

小さな同胞の魂がそう、カインに語りかける。

そしてもう一言。

『ごめんなさい、全て背負わせて』

胸の奥で響いたその声に、カインは小さく微笑んでそっと首を振った。


「大丈夫。――俺が、全部消していくから」



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