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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter3 – Awaking
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悪夢

寒い、冬の日だった。

ネグリジェから出たむき出しの足が、すうすうと冷えていた事を覚えている。そして冷たく冴えた月光。月は笑うような形で、普段よりも星の輪は明るく空を横切っていた。

そんな空を自分の部屋の、窓に嵌められた鉄格子の合間から見ていた。冷えた空気の中、その黒い円筒形の格子の、手のひら一枚がようやく入る程度の隙間に顔を近づけると、錆びた鉄のにおいが鼻腔をつんと刺した。

こんなのおかしい。おかしいわよ。ね、おかしいと思わない?おかしいでしょう。

そんな稚拙な自問自答を繰り返しながら、手に握った小さなボタンにふっと息を吹きかけると、その赤いボタンはピシリと小さな音を立てて割れ、ほろりと風化して崩れた。

それよりも前に、自分の部屋の床で同じ事を試したことがある。敷かれた毛の長い絨毯の毛は、息を吹きかけるとさらにその長さを伸ばし、そしてさらに息を吹きかけるとぐずぐずと朽ちて粉になった。

お母様はそれを見て私をぶった。半狂乱になってぶった。

こんな事ぐらいで、なんでぶたれなきゃいけないの?そう母を見つめる私の瞳は、母にとっては不気味だったのだろう。得体の知れない異物だったのだろう。自身の腹から産み落とした子であったとしても。

母は私をぶった。瞼と白目が切れて、引かれた髪ごと頭の肉が千切れた。私をかばった兄は、弾き飛ばされてテーブルの足に顔をぶつけ、奥歯を折った。ずっとずっと血が止まらずに、タオルを当てながら「とまらないね」と笑った兄の眼鏡は、かけている意味が無いほど割れていた。

ノルト兄さん。

私たち兄妹は十分耐えたのだと思う。

私は八つ、兄は十五。

もしかしたら、逃れる方法が判らないほど無知であったのかもしれない。

だけどあの夜、兄はそっと私の部屋へ訪れて、窓の鉄格子に手をやった。

妙な興奮を覚えた。

痩せた体で、昔母が母自身に似て綺麗な明るい金色だと褒めてくれたカールのかかった髪はざらざらと絡まって。

足は細く細く醜く、目だけをぎらぎらと光らせた私を、兄は同じように痩せた姿で、だけれど優しい光を瞳にたたえたまま見つめて、月光の逆光の中でしーっと指を立ててみせた。

「ねえ、リズ。僕たちは無知だね」

「……お兄様?」

「でも無知な者が無知で居続ける必要は無いよね」

鉄格子に片手を添えたまま、兄は私の手を引いた。

なんで判らなかったのだろうね、僕たちにはこんなに簡単なことだったのに。

そうささやく兄の声に、私は、私の力が私達を閉じ込めていた鉄格子よりも大きいことを知った。

念じるだけで、鉄は錆びて朽ちていく。

冷たい空気につんとした鉄の香りが流れ、むき出しの四つの足は自分たちを閉じ込めていた自分たちの家を抜け出した。

二人で夜の暗い道を、冷えた煉瓦の上をはだしで歩く。どこまでも広い豪華な自宅の敷地は、だけれど私達にはひどく冷たいだけで、足早に足早に二人で走った。

そして背後から聞こえた母の声。吹き飛ばされた兄。


両親は、私達を撃った。


動かない兄の体を引きずって、食いしばった歯の間から泡を吐きながら私は走った。そのうち、兄は意識を取り戻し、二人でまた走った。

兄の傷は、癒えていた。

私は、あの日自然と私の力の使い方を知った。

あの日兄が私に気づかせてくれなかったら今の私はいない。今の私達はいない。新しいコマドリという家も無い。

無線機の先から届く声は一番安心できる声。

いつでも迎えてくれるこの声と微笑みがあるから。

だから私は頑張ることが出来る。

「ええ、平気。お兄様の乗っているので最後よ。全艦離陸したわ」

『そうか、良かったよ。冷や冷やしたけれど、偽装工作が上手くいったみたいだね。黒もまさか全艦船だとは思わなかったみたいだし……』

「うん、何とかって感じね。敵は此処に近づく手段に船は使えなかっただろうから……。あとは物資の補給を終えたらコマドリだけ塔に――あ、ちょっと御免なさい、連絡が……」

『ああ、うん、じゃあこっちも切るね。妻が呼んでる。この騒動で赤ちゃん産まれちゃったりしてね」

「ちょっと、私名付け親にさせてよね。お兄様じゃセンス悪いんだから」

「酷いなあ。――リズ、ちゃんとジェフの言うこと聞いて、しっかり……え?今何か……」

不自然に、ノルトの声は途切れる。


「お兄様?」




「艦長!長老が……、あぁっ!」

閃光と、――――爆音。

「きゃぁあああああああああああ!!」

リズの隣で聴覚を研ぎ澄ませていたキャサリンが、耳を押さえ、もんどりうって倒れる。

コマドリ艦長室の窓から、赤い火の弾が見えた。それはゆっくりと、元居た場所へ、切り立った岩山へと落ちていく。

「あ……あ……」

『――くそおおおおおおおおおおっ!!リズ!おい、リズ!!』

目の前で起きた事態にジェフは吼え、立ち尽くすリズに声をかける。だがその細い背は全ての音が聞こえないかの様に反応を変えさない。耳元で、先ほどまでノルトの声を伝えていた無線が、ブツリと連絡が途絶えた事を示す嫌な音を立てた。

無線機の黒い受話器が、その手から滑り落ちる。

空色の瞳は、限界まで見開かれて空を墜ちてゆく船の姿を見つめている。

同胞達を乗せたまま、紅い炎の塊になって。

『リズ……!!!』

ジェフの声も、何もかも、もうリズには届かない。

『……くっ、全艦全速で離脱しろ!全艦全速で離脱だ!敵は対空砲を持ってる!』

『艦長に代わりモモノイが連絡します!全艦全速で離脱、全速で離脱してください!!』

「お兄様……?」

不思議そうに、ただ不思議そうにリズが呟く。

「ぅあ……ぁああっああああああああああああああああああっ」

キャサリンがうわ言を言って床を這う。白い白衣が床を擦ってぐしゃりと乱れる。

声が声が声が。落ち逝く船で叫ぶ声が。

数百の炎の巻かれた声が、キャサリンの鋭すぎる聴覚に突き刺さる。

熱い、助けて、怖い!

このままでは正気を失う。

「――――っ!」

通信コンソールの前に着いていたユッカが突然立ち上がり、わめき散らすキャサリンの下へ駆け寄った。

バチリと。鋭い音。

声も無くその身体はぐにゃりと力を失い、崩れ落ちる。

「――御免なさい……っ!!」

その身体を抱きとめたユッカの手元から黒光りする円筒形のスタンガンが転がり落ち、床を滑っていく。涙を溜めてキャサリンの身体を寝かすと、彼女はまたコンソールの前に戻り通信管を手にとった。

全速で離脱、全速で離脱してください。敵は対空砲を持っています。全速で、離脱してください。


そのとき。

「――なんだ?」

隊員の一人が窓の外を凝視し、声を発した。

「光だ……光の膜が」

『――坊主……か?』 光が夜空を渡っていく。柔らかなエメラルドを呈し、瞬く間に岩山の上へオーロラのように広がる。

ざわり。

『あいつ……何を、した?』

機関室のジェフは、自身の足元に広がるモニターを見つめて息を呑んだ。

広がり渡った柔らかな白い光は後方に続く一機のエアシップから放出されているらしかった。その光のオーロラは、再度地上から打ち出された砲弾を、柔らかく包み込むように無力化する。故郷を離れる鯨たちを守るように。包み込む。

――そして、息づく。

急速に、辺りの緑が成長していた。

闇夜に木々の白い幹が浮かび上がる。枝を伸ばし葉を茂らせ、火を噴き落ちゆくエアシップへとその腕を伸ばす。

まるで、――抱きとめるかのように。

地上ではアランがその様子を呆然と見つめていた。

急速に岩の陰から育った木々が視界を覆っていく。ぽっかりと開けていた夜空は、既に黒い葉の影に消えようとしていた。

「はは……ははははは!!」

いつの間にか背後に歩み寄ってきていたレンツが哄笑する。

落ちるエアシップを見つめて、肩からとめどなく血を零しながら。

吐きそうな程濃い血臭と、胸にこみ上げた怒りに、アランは力任せにその老人の顔を殴りつけた。

大柄の体躯が地面に叩きつけられる。

前歯が折れたのか、血を口元からこぼしながらレンツが蹲った。

「誰が、シップを堕とせと命じた」

自分のものとは思えない低い声が出る。

「……」

老人は草の生い茂りだした地面に横になったままアランを一瞥し、フンと鼻を鳴らす。

「――やりすぎだ。副隊長」

狂った男は大の字のまま、木々の合間で燃える燃える空を見上げ、吐き捨てる。


「――甘いことを」






夜風に焦げ臭い臭いが混じっている。

エンケのグリップを握る手が汗で滑る。

つめたい空気が体当たりするように重く肌に当たり、暑さ等は感じないはずなのにそんなところだけ不快な感触を伝え、シンはその眉を寄せた。

エンケを操縦し、収束しつつある光の元へと向かう。

C〇一ドーム。カインの向かった船だ。

――燃える空は、少し離れた。

船の上空へと移動し、ゆっくりとその開けた甲板へとポッドを降ろす。夜の底知れない闇の中、だが何か違和感を感じ視線を凝らす。

「……芽?」

甲板に敷かれた木の板から木々の芽が芽吹いていた。その淡い緑がだんだんと濃くなる先、甲板の端で、先ほどまで柔らかく空を包んでいた光がゆっくりと小さくなりつつある。

胸に湧き上がった確信にその光の下へと駆け寄ると、見知った姿が仰向けに倒れていた。

緑の息吹の中で彼はじっと頭上に広がる星空を見つめている。

「カ……」

「くるな」

「……」

一歩を。踏み出したその瞬間に、シンの元に届いたのは明白な拒絶の声だった。

声を発した本人は、もそりとまだ淡く光る『両腕』を持ち上げ、自身のどこか青ざめた顔を震える手のひらで覆い隠す。

その指の合間から押し殺した様にぎこちなく、重い鉛のような吐息が零れ、頬の横を滑って落ちる。

そして少年は左手をそっと持ち上げ、ほんの少しの間その手のひらを自身の目の前にかざして見つめると、またゆっくりと自身の横へとおろし、

ダンッ!!!!

星空をにらみつけるように見つめたまま、そのきつく握り締めた拳を力任せに甲板に叩き付けた。


千切れた葉が、舞う。



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