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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter3 – Awaking
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予感

ノルトの助けを得て何とか通路の上に這い上がり、カインは荒い息を付いてそのまま寝転がった。「もう少し奥にこないと滑り落ちてしまうよ」とノルトがその手を取ろうとし、視界に入った光景に痛ましげに顔を潜める。

「……なんてことを」

ノルトの言葉に顔を上げ、カインは擦れて痛む片手を支えに身体を起こして、小さく微笑んだ。

失ったのは左腕。焼けて傷がふさがったのか血は零れていないらしい。患部を見てみようかと思ったが、きっと酷い有様だろうと意識的にカインはそのちぎれた部分を見ることをやめた。

――――痛みは無い。

もう、痛覚すら分からなくなってしまったのかもしれない。

「平気です。そうだ、ノルトさん。この船、どこから甲板に出られるかな?」

「え、甲板かい?ここは艦の端だから、ああ、ほら」

立ち上がりノルトの指差す方向を見る。自身が先ほど通ってきた通路の、右手に奥へ入る道が見えた。

「あの道を入れば直ぐ上り階段があるよ。一番上まで上りきれば、最上甲板に出る外付けの階段にでる」

「そか、ありがとうございます」

「……でもカイン君、何をするのか分からないけれど、まず先に医務室に行った方がいい。リズちゃんの他にも、少ないけどヒーリングが出来る子は居る。応急処置だけでもしないと」

「……そうですね」

ノルトの気遣いに、にこりと笑って受け流し、ノルトさんは?と返す。

「ああ、僕は妻が別の艦にいるんだ。これからエンケに乗って移動するつもりだよ」

カインの言葉に品のよい、人の良さそうな顔に笑みを浮かべてノルトは答えた。そういえば奥さんはあと少しで臨月だ。この事態に、急いで伴侶の居る艦に戻ろうとしていた途中だったのだろう。

そんな中で自身に向けられた優しさに、自然と頭がさがった。

「そうですか、……お気をつけて」

「うん、有難う。カイン君も気をつけてね。早く医務室いくんだよ」

微笑むノルトにカインも微笑み返し、助けてもらった礼を述べて通路を走り出す。

背後から再度、「気をつけるんだよ」とノルトの声が聞こえてきた。






「……くっ!!」

鼓膜をビリビリと振るわせる音と、突如足元から吹き上がった煙にシン達は足を止め咄嗟に腕をかざした。発煙弾か何かだろう。アランが投げたものだ。

一瞬足を止め、全身を緊張させて曇った視界をにらむ。この一瞬後に煙を突き破って彼が襲い掛かってくるかもしれない。気を抜いたら誰もが一たまりも無いだろう。それほどの手錬れなのだ。だが、今この瞬間にも彼の目的がなされているのかもと考えると悠長に煙が消えるのを待つわけにも行かず、すぐさまシンは制止の声を振り切り、煙幕の合間を突っ切った。

クリアになった視界の先に見えたのは第一ドームの中央広場。

聞こえて来たのは、避難している住民達の、悲鳴。

ドアに体当たりし、部屋に駆け込む。船の中に作られた小さな芝の茂る庭。中央に佇んでいた男が音も無く振り返る。

一歩。

遅かった。

ぽたり、と男の持つ刃から雫が零れ、土へと吸い込まれる。

その足元には四肢の無い、数瞬前まで里の民の指導者であった者と、彼を守ろうとしたのだろう、数人のコマドリ隊員が倒れ伏していた。

既に、息は無い。絶命している。

「……っぐ……ぅっ」

まだ息のある隊員達が、身体を折って蹲り静かに立つアランを睨み付ける。

出来るだけ遠くへ遠くへと部屋の壁に身体を押し付けるようにして蹲った人々の中から「おじいちゃん……」と子供の啜り泣きが聞こえてくる。

「長老……」

昼間ならば、暖かい日の光がめいっぱい広がる大きな天窓から差し込み、飢えられた木々や草葉が青く揺れる箱庭。

空に浮かぶ鯨の体内の小さな庭は、今は青い月の光に照らされ、芝の上に転がったその体に生命の光はすでに無い。

「……っ」

悔しさに唇を噛む。

数時間前に彼の開いていた学習塾に顔をだしたばかりだと言うのに。

あと一歩、早ければ救えたかも、知れないのに。

事切れた亡骸から視線を引き剥がし、シンは下手人に視線を向けた。

憤りに男を睨み付け、瞳に力を込める。視線さえ合えば、そう考えたがシンの意図を察したか、アランは口の端に小さく笑みを浮かべて視線を逸らした。緑がかった黒髪に、深い青の瞳は隠された。

そして彼は手にしたナイフに付いた赤い雫を振り落とすと、仕事は終わったと告げるように徐に背を向け、そのまま床を蹴る。

「……っ、待て!」

その後を追い、駆け出すが、アランが手を振り降ろすと同時に空気を切り裂くような音が辺りを引き裂いた。轟音と共に庭へ光を取り込む巨大な窓が砕け、黒い姿は暗い夜空へと飛び降りる。


窓辺へ駆け寄ったシン達の視線の中、はるか下で白くパラシュートが開くのが見えた。








「は……ぁ……っ」

ぐらりと視界が傾いて咄嗟に手を着こうとする。だが着こうとした腕はつい先ほど失ったばかりで、慌てて背中で受身をとった。しかし悪いことは重なるもので、丁度階段を駆け上がっていた為に強かに段差に身体を打ちつけ、カインは数段滑り落ちた。痛覚が鈍くなっているとはいえ、段差の角が患部に直接当たり、衝撃に声も無く身を折る。

ざわめきは遠くから聞こえてきて、艦内に残った敵を追い詰めた事を叫ぶ隊員達の声が、離れた通路を横切っていった。

ゆっくりと、ゆっくりと、細く息を吐き出す。

「痛い……」

ざり、と髪を段差に擦りつけ小さく声に出してみる。痛い。確かに痛い。だけれど、それは腕を失った者の受けるだろう痛みからは程遠かった。瞬間的に痛みを感じても、直ぐにそれは引いてしまう。もっと激痛を感じても良いのではないか、悶絶する程の痛みが在るはずなのではないか。

おかしい。

やはり制御が出来なかった。

廃棄だなんて言われて、あんなぼろ切れのように扱われて。内側で膨れあがった憎悪を押さえ込むことが出来なかった。

破壊を、この上ない快楽と感じる。ただ体が動くまま、憎しみをぶつけてしまいたい。そんな衝動が突き上げる。


『復讐する者』


理性などかなぐり捨てて、ただ憎悪をぶつける。そんな醜悪な欲の塊に染まりきってしまいそうで、カインは首をふって肩の傷を握る手の力を強めた。

喉が渇いている。吐き出した息は震えていた。

惨めさと、不安に泣きそうだと思ったけれど、涙は一粒も零れてこなかった。

右手を着いて起き上がり、また階段を上りだす。鯨の三階、最上層へ上りきると、向かって右手に外へ出るドアがあった。

コマドリをそのまま大きくした様な作りだ。

ドアに掛けられた鮮やかな色のボーダーが刺繍された異国風のカーテンを除け、重たいレバーを片手で何とか引き上げる。外へ顔を出すと、冷たい風が頬を打った。

どこか湿った、夜の空気。その中に紛れる火薬の匂い。

バサバサと服が煽られ、髪が口に入って煩わしい。身体全体でドアを押さえつけるようにして、なんとかドアを閉め、甲板へ続く階段を上がり始める。熱くもないのに吹き出してきた汗が、目の中に入って気持ち悪い。

視線を巡らすと、並ぶようにして次々と浮かび上がるドームが目に入った。既にその姿は巨大なエアシップとなり、連隊となって夜空へと上り始めている。

黒々とした闇へと浮かび上がるその腹が、地上で燃える炎で赤々と照らし出されて、どこか不気味だ。

(みんな無事だろうか)

ナイツの襲撃から逃れる事が出来たと言えるのだろう。だが、犠牲はいかほどだったのだろうか。

全員シップに乗れたのだろうか。乗り遅れた者は居ないだろうか。

胸騒ぎがする。


階段を上り終えると、広い甲板へ出た。数時間前まで屋上として使われていた場所だ。椅子やテーブル、使わなくなった家具などが隅に置かれていたが、こんな事が起こり得ることを想定していたのか、どれも固く固定されている。その間を通り、最後部の手すりまで走り寄る。

最後部だけは広く開けて、甲板の色鮮やかな彩色が宵闇の中で、少し浮いて見える。

(嫌な、気分だ)

頬を夜風が打つ。

(取り返しがつかないような)

夜の闇の中、岩山の合間に開けた里から赤い炎が上がり、辺りを照らし出している。

ドームが立ち並んでいた場所はただの更地となり、小さく蠢く敵の姿と、その陰を炎が濃く浮かび上がらせている。

嫌な気分だ。

(また、大切なものが消えてしまうような)

嫌な、嫌な空気。

次の瞬間、突如膨れあがったエネルギーを察知して顔を上げ、カインは叫んだ。

「……駄目だ!!待って!!」 感じたのは、ざわざわとした胸騒ぎ。

殺せなかったのは、言いようの無い不安。

目が離せないのは、何かが起こるという、予感のせい。


カインの視界で、突如一機のエアシップが赤い火柱を上げ――爆発した。





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