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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter3 – Awaking
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招かれざる敵

早く帰らなきゃ、とエマは足早に歩いていた。反りたった岩壁の合間から、わずかに見えるぽっかりと空いた空は既に暮れ、辺りはぽつぽつと明かりが灯りだしている。村に十六有るドームには約二十世帯がそれぞれ部屋を持ち住んでいる。その何処からも楽しそうな声が聞こえてきていた。数日前にリズ達の部隊が帰ってきたのだ。その中にはエマの母も含まれていた。

(早く帰らなきゃ)

手にしたノートを胸に抱え込む。

ホームの子供達は皆、学者でもある一族で最年長の長老と、知識人であるリズの兄ノルトの元へ毎日勉強しに行っている。

村長は手足が無い。十五年前にこの村のもの達が教会から独立したその抗争をジェフと共に指揮し、その時に両手足を失ったらしい。エマはその抗争の後に生まれた子供だから、当時のことは知らないけれど手足の無い老人は誰よりも物を知っていて穏やかで優しい。

ノルトはもともと都に住んでいた貴族だったらしく、これくらいは覚えとこうね、と一般常識を丁寧に教えてくれる。ノルトはエマがもっと小さい時に初めて教室に先生として来て(どうやらその頃にコールマン兄妹が仲間になったらしい。二人が元々の村の人間ではないことは、人の出入りの激しいこの村ではあまり重要ではなくて、エマも最近まで知らなかった)沢山のフォークとナイフ持参でエマたち子供にテーブルマナーを教えようとし、「流石にソレはいいんじゃねえか」とジェフに突っ込まれ、「そうか、……それもそうですね」と苦笑していた。そのどこか抜けたところがエマはとても好きになった。

二人の授業は面白くて子供達は進んで毎日村の中央にある、長老やリズの兄の住むドームへと足を運んでいた。

(でも今日は行かないっていったのに)

明日には母はリズやジェフたちと共に村をまた出てしまうらしい。だから今日くらいは一緒に過ごしたいとエマは思っていた。なのに母は昨日は休んだんだから、今日はいってらっしゃい。とエマを送り出してしまったのだ。

(今日も面白かったけどさ……)

それに『君』に会えた。きっとあの人が『君』なのだと思う。黒い髪と神秘的な黒い瞳が、ふちの無いめがねの奥で光っていた。すらりとした手足と、均整のとれた体格は雑誌で見たモデルの様で、エマは少しドキドキした。

エマ達が教室にしている長老の部屋の隅で、彼は壁に掛けられている写真や発掘品を眺めていた。「失礼をしちゃ駄目だからね」と母に言われていたから、傍まで歩いていって礼をしたら、少し驚いた顔をしてから『君』は微笑んでくれた。

(カインさん、だっけ)

あの人もかっこよかった、と思い出して思わず笑みが浮かぶ。

『生徒の子?』

そうひょい、と顔をのぞかせたのは新入りだと紹介された青年だった。

『君』とは対照的な金の髪にエメラルドの瞳という明るい色彩の彼も、『君』とはまた違う魅力があって、夏の光のようなキラキラとした空気をまとっていた。

『名前は?エマ?』

俺はカイン。と目線を合わせる為にしゃがみ込んで髪を撫でてくれた彼の手は優しくて、まるで兄が出来たようだと嬉しくなった。

彼も明日、また出て行ってしまうんだろうか。

(明日、出発する前に声をかけてみよう)

『君』とカインと、もっと話がしてみたい。そう思わず笑みを零しながら歩く。やがて村の中央から村の端の自分の家があるドームが見えエマは走り出した。外付けしてある階段を上がり、二階の一番端にあるドアに手をかける。

(ただいま!)

そう声に出そうとしてエマは違和感にノブを引こうとした手を止めた。

静か過ぎる。


父と母が話す声が聞こえない。


慎重にドアを開け、足音を立てないように歩く。母が買ってきた草で編んだマットが毛羽立っていて、少し足裏に痛い。電気のついたリビングの前へ。ドア代わりにかけてある刺繍の細かいカーテンをゆっくりとあけて、テーブルに座る後姿にほっと息をつく。

だが「なんだ」と声を出しかけそのままエマは凍りついた。

とろりとろりと、赤いそれは父の足元に広がる。

喉元まででかかった悲鳴を飲み込み、カタカタとなりだした歯をエマは食いしばった。

視線を移動させ倒れた母の下で同じように広がるそれを見つけ、目の奥がカッと熱くなり、喉の奥の方に大きな空気の塊が突然膨れ上がるような感覚をエマは感じた。

「――っ………――っ……」

荒くなりかける息と、波打つ鼓動を沈めようとする。

ままならず、泣きそうになる。

だけど声は出せない、出しちゃいけない。

(緊急時は、周囲を確認した後、非常通路を通って動力室にいって、そして……)

ガクガクと震える足で隣の部屋へ進み、隅のクローゼットを空け、服を掻き分けた。母と父の匂いがした。

その奥に隠されたドアのロックを、教え込まされた手順で解除し、潜り抜けると、閑散とした通路に出る。非常灯の薄暗い明かりがぽつぽつと点き、ほの暗い中でぼんやりと列になって連なっていた。

転がり落ちるように通路へでたエマは座り込みそうになる足に力をいれ、無理やり動かす。

カツカツカツカツ

誰もいない。誰も。

自身の足音だけが通路に響き、その音に追い立てられるかの様にエマは走った。やがて奥に動力室と書かれたプレートが見えた。もつれる足でその部屋へ駆け込み、部屋の一番奥の暗がりへ手を伸ばす。

コツ……と爪が硬い感触に触れた。

(あった……)

子供の手には重い、固いブレーカー。

両手をそえ、渾身の力でそれを引き上げる。

ガチリ、と全てが動き出す音がした。

(出来た……)

教わった通りに全部。

体中の血がザアッと音をたてて引いていく気がした。そして全身の緊張も。

(私ちゃんと出来たよ……)

視界が急に歪む。声を出さないようにしなくちゃ。喉の奥で再度膨れ上がり、今にも外へ漏れ出しそうな熱い塊を飲み込もうと口を必死に結ぶ。

だけれど息が上手く出来ない。声を出さないために無意識に口を押さえた手のひらは、今外そうと力を込めても自分の意思で動かなかった。ガクガクと震えながらさらに口も鼻もきつく覆う。

意識が白む。

お母さんお母さんお父さんお父さん……!!


エマの後ろに、ゆらりと一つの影が立った。


ウオォォオンと大きな動力が動き出す音がした。背後のドームのライトが突然音を立てて全て灯ったのには気づいていた。

(気づかれたか……)

早かったな、とアランは身を翻し闇の中を走る。

流石は能力者の村。緊急時の対処も迅速だ。

先ほど全て灯ったライトが非常事態発生の合図だったのかはわからないが、各ドームのライトがそれに続く形で次々にまばゆく灯った。闇を避けるためなのだろう。自分達のような闇討ちを得意とするもの達の手から逃れるためにも、同士討ちを避けるためにも光源の確保は非常に重要だ。

ざわざわとあたりは騒がしくなり、一角では部下達が交戦を始めたのだろう。ドォォンと、何かが爆破される音と共に土煙が上がった。振動が夜の闇を伝い、頭上に迫り出した天然の岩壁からぱらぱらと破片が落ちてくる。

(随分派手にやったな)

副隊長のレンツだ。あの男はわりと非情なところがある。ターゲットの確保と共に村を潰せればもうけものだと考えているのかもしれない。

そう考えたアランの前に、そのいかつい老人が姿を現す。埃に黒い制服を汚したまま、無言でレンツはアランへと視線をやるとアランとは逆方向へ走り去った。

アランも明かりの灯った中、さらに闇色を濃くした影へと走りこむ。視線をめぐらせると隊員達が次々にドームのような住居の部屋をこじ開け、抵抗する住民と交戦している様子が見えた。

目的は一つ。ターゲットの確保。だが上からの指令には優先度はワンランク低いがコマドリの制圧も含まれている。


煙草が吸いたい。そう思った。






「頑張ったね」

そう柔らかな声音で囁いて、伸ばされた手は優しくエマの頭を撫でてくれた。エマのがちがちにこわばった手を静かに解いて、柔らかく胸に抱きこんで背中を優しく撫でてくれた。

ひゅ……と喉に息が流れ込む。それと同時に涙腺が緩んだ。声を殺して泣き出したエマの背を、労わるように優しい手のひらが撫でる。その感触にしゃくり上げ、エマは目の前の服をぎゅっと握りこんでしがみ付いた。

外から振動が伝わってくる。ドン、ドォォンと次々に鈍い音が伝わってくる。動力室の計器類がカタカタと小刻みにゆれ音を立てた。吊られたオレンジの明かりがゆらゆらとゆれ、それと共に影も伸び縮みする。

(ここで待て、か)

カインは自身にしがみ付き泣く少女の背に視線を落とし、少し逡巡してからその頭をまたそっと撫でた。

自分みたいな存在が、こんな健気な命に触れていいのか判らない。だけどすがり付いてくる腕が小さく震えていて、決して消せはしない悲しみが、ほんの少しでも和らげばいいと思いながらまたそっと髪をなでる。

こんな小さな少女が、自身の両親の死を目の当たりにしてまでこの場所へ走り、緊急時の合図を村へ伝えたのだ。それがこの村に住む者たちに徹底された教育なんだろうと思い当たり、少しカインは悲しくなった。

逃げ出してからもずっと追われているのだ。コマドリも、シンも、そして自分も。

事態を察知したリズの指示に従いこの場所まで来た。このドームの責任者に指示を仰ぎながら侵入者の足止めを。そうカインにつげ、彼女は隠し通路にカインを放り込んだ。

教えられた通りに通路を走り、気づく。

脈動するような空気。ドームはただの住居ではない。空を飛ぶ者達の家だ。生きている。そう直感する。

(リズは、――コマドリは何かをするつもりなのか)

バタバタとドームの動力室に駆け込んでくる足音に顔を上げる。

コマドリ内で何度か顔を見かけた三十過ぎの目つきの鋭い男の姿がその先頭にみえ、その後ろから住人達が続きてきぱきと室内に据えられた椅子へつく。

「リズから連絡がきた」

鋭い目つきをした男はカインと少女に気づくと、回りに幾つか指示を出しながら歩み寄ってくる。

「C〇一ドームの責任者ダントだ。カイン君だね」

その言葉に頷き、彼の後ろから姿を現した女性隊員に少女を頼み、カインは床から立ち上がった。

「飛ぶんですね」

カインの言葉に頷く。

「もう随分と飛んでないが、整備は欠かしていない」

「俺は何を?」

「君には連結部や通路の各入り口付近の敵の足止めを行ってもらう。ほかにも十数人出ている。君のこの間の働きは見ているからね。今回も宜しく頼む。不安な事があったら先輩達に聞くと良い」

「判りました」

行ってきますと告げドアへと身を翻す。

緊迫した空気。次々にライトが灯り計器が機動する。他の部屋でも同じように着々と準備が進んでいるのだろう。そしておそらく他のドームでも。

時間は無い。入り口に掛けられたカーテンを潜り部屋を走り出る。

精密機器の中の生活感に違和感を感じるが、嫌なものではなかった。

(守りたい)

ノルトやノルトの奥さん、そしてジェフ達の姿が脳裏に浮かぶ。

まだほんの少しの間でしか無いけれど、この里は自分に温もりをくれた。 背後から「連結部から先には行かないように!振り落とされるぞ!」とダントの声が聞こえた。








どこか嫌な予感がし、シンは立ち止まった。シンの居る場所はC〇三ドームの屋上。五階に位置するこの場所からは里が一望出来る。

硝煙の臭い。里のあちこちで戦闘は激化している様で、四方八方から怒声や銃声、そして爆発音が聞こえてきた。闇に沈んだ筈の空は炎の紅く染まり、岩山のシルエットを黒々と揺らしている。

「君!」

かけられたユッカの声に振り返り、至近距離にまで迫っていた黒い人影を蹴り倒した。ナイツの尖兵だ。

「脱出方法は」

「今隊員達が住民をドームの中に集めてるの。全員確認が取れたらドームを離陸させます」

ここ暫くのエンケ操作訓練でユッカの口調もわりと砕けたものになっている。明るく面倒見の良い彼女は、様々な事を丁寧にシンに説明してくれて頼もしい。

「……ドームもエアシップか」

「ええ、『鯨』と私達は呼んでいるんです」

潜めた声でそう囁いて、ユッカはインカムに入ってきた通信に耳を傾ける。

「君、私はこれからコマドリへ向かいます。鯨は重いので、コマドリで援護しなければならないわ。君も共にこちらへ」

「……」

ユッカの言葉に思わず眉を寄せる。

「……シン君?」

「このまま、守られていなければならないか?」

「……」

「無茶はしない。何人か護衛につけてくれても良い。だから、俺にも何かさせてくれ。味方の救出と援護にあたりたい」

「でも、シン君にもしものことがあったら……!」

「鯨が飛び立つ、その時までだ」

「……本気なんですね」

また爆音。

ユッカのオレンジの瞳が心配に揺れる。だが彼女はそれ以上シンを止めることはしなかった。

「分かりました。数人実戦経験に長けた者を呼びます。私がそばに居るよりは安全でしょう。……無理はしないで」

「分かった」

ありがとう、そう告げる。ユッカの通信に答えた者がぽつぽつと階段を駆け上がってくるのが見えた。

と、その時。

どくん。

(……っ)

不意に胸が震え、シンは息をつめた。

(……何だ?)

続いてズン、と脳を揺さぶられるような震え。それと共に一瞬何かの映像が視界に映こんで消え、瞠目する。

遠視能力でも目覚めたかと驚くが、そうではないらしい。

(同調か)

誰かの視界が自分の目と同調している。無機質で暗い通路が一瞬見えて、消えた。

(これは……)


ズン……


また視界が重くぶれる。心臓が拍動する。


苦しい……!


「カイン……!」



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