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ヘブンズエッジ  作者: 夏坂 砂
Chapter2 – Encounter
14/46

アラストール

何とかなる。

何故かそんな確信があった。

自分が何とかするだなんて、昨夜能力とやらに目覚めたばかりの奴が言うには傲慢すぎる内容だけどと内心思いながら、カインには確信があった。何とかできる、その確信が。

(あの言葉だ)

あの瞬間、シンが叫んだ言葉。昨夜霞んだ意識の中でその言葉が耳に入った途端に体内で何かが弾けた、そんな感覚だった。その感覚さえ思い出すことが出来れば、きっと自分はその力を使うことが出来るようになるのではないか。それが力の全てとはいかないにせよ。

カインの言葉にシンがはっと目を見開く。「もしかしたら」、そう考えたのだろうその表情に、期待の色が僅かに浮かんだ。だが、

「……駄目だ。教えられない」

そう言いシンはカインの瞳から視線をそらした。

「何で!」

「……」

「……っシン!」

俯き黙りこんだシンに苛立ち、カインはその襟首に掴みかかる。

「こうしてる間にも何人も死んでるんだ。万に一つの可能性でしかなくても、お前が読んだ言葉の一つを教えることくらい簡単だろ!」

「……っ」

途端、鈍く重く、絶え間なく響き続ける振動の中、そうさらに詰め寄るカインを、顔を上げたシンがキッとにらみつける。逆光になった夕日のオレンジの陰でその表情が目にみえて険しくなり、シンは言い切った。

「お前にあの言葉を教えるわけには行かない!」

「だから何で……」

「あんな力の大放出などしたら、体が持つはずがない!お前の力はお前の命を縮める。お前の力の使い方はおかしい。桁違い過ぎる!」

「……え」

すうっと、

はっきりと発されたシンの言葉に、体内の温度が何度か下がるような感覚をカインは覚えた。

「お前の能力は、単に体を変化させるだけじゃない。おそらく急速に細胞を分裂させて生じたエネルギーを力に変えているんだ。体を燃やして作り出すエネルギーには限りがある。だから」

消費されたエネルギーは戻らない。

「……何いって……、それにっ、ジェフだって俺と似たような……」

乾いた口内と、自分の声、そして次第に大きくなる心臓の音を酷く大きく意識する。否定したいために必死につむいだ言葉もどこか遠く感じて、カインはシンの首元を掴んでいた手を離しもう片方の手で握りこんだ。

それが、それが本当ならば、人何人か消したっていう自分は。

「ジェフは生身の体を変化させているわけじゃないだろう。お前のキャパシティーがどれほどかわからないが、生身の人間ならあれほどの人間を消しさるだけのエネルギーを使えば、普通は衰弱死する」

「……でも」

「いつ命が果てるかわからない。そのリスクを知りながら、お前にその言葉を教えることは、俺には出来ない」

真摯なそれは、怪我をしているものが目の前にいれば手を差し伸べ手当てをするのと同列の優しさ。

「…………言いたいことは、分かった」

それを理解し、細かく震える指先を握りこみ、なるべく声が震えないようにそう言ってカインは口を噤んだ。優しい男なのだ。シンはただ、出会ったばかりの自分の身を心配してくれているのだと分かった。

何かを拒絶するような沈黙に、シンは他にかける言葉も見つからずに、蜂蜜色の前髪に隠されたその見えない表情へ視線を向ける。やけに紅く眩しい夕日に照らされてその髪は濡れた様にキラキラと光り、振動に揺らめく。指示を出すリズの声がどこか遠い空間で響いた。

「……でも」

ふいに目の前で俯いたカインの口元がかすれるほど小さな声でそう呟き、シンははっと我に返る。その様子に気づかずに、カインはゆっくりと顔をあげてシンの瞳を見据えると、やけに落ち着いた瞳で「やっぱ、教えて欲しい」と言い、小さく微笑んだ。

と、突然大きな振動に船が斜めにかしぎ、二人は斜めになったフロアを窓側に滑り落ち、勢い余って折り重なるように窓の下に激突した。『俺のコマドリを壊しやがって!』と伝声管からジェフの怒鳴り声が響く。

「だって、だってさあ!その記憶は」

シンの体に無遠慮に体重をかけシンの着た黒いシャツを引っ張って、カインは起き上がる。そして未だ体制を崩したままのシンの顔を斜め上から覗き込んだ。

「その記憶は、俺のだ」

「……っつ」

暗に昨夜のことを非難されてシンが返答に窮する。

「今ここに居ることは別に後悔してない。自分でした選択だし。でも人の頭の中を勝手に覗いたことに関しては、俺はまだ許したわけじゃない」

俺の記憶をお前が知ってて俺が知らないなんておかしいだろ。

「だからやっぱ教えてよ。聞いてから、力を使うかは俺が自分で決める」

夕焼けの光の強さにコントラストを強める影の中で、カインはそうシンを促し、どこかぎこちなく微笑んだ。

逡巡にシンは視線をさ迷わせる。そして視線を上げ、そこでエメラルドの瞳と出会い、唐突に一つのことに気づいた。

どうにも気まぐれに見えて、人の間をやたらとストイックに潜り抜けているような目の前の人物は、だけれど本当に真剣な時だけはその瞳をそらさない。

(この俺の目さえも)

それが自分の意思を伝える時だけなのか、相手を思いやる時もなのか、下心のある時もなのかはまだ解らないが、性格なのだろうか。シン自身の能力を知り、記憶を読まれるだなんて事までされたというのに、その瞳はそれを恐れて逸らされることが無い。そういう性格なのだとしたら、変なところで随分無防備だ。

「……何?」

まじまじと見つめるシンの視線に恥ずかしくなったのか、カインは僅かに頬を赤らめその表情に困惑を覗かせる。

その初めて見る表情にシンは苦笑し、立ち上がった。

伝えて良いのかは分からない。何を招くか分からない。カインの記憶をのぞき込んだ時に引き出せたのは、ここ数年の記憶と、言葉の断片だけで、何をそれが彼の中で意味する言葉なのかは分からなかった。

だが彼には権利があった。自分自身の事を知る権利が。

シンは良くも悪くも、真摯すぎた。激情に任せて他人の記憶をのぞき込んだ事への罪悪感も手伝い、その言葉を口にしてしまった。


「アラストール。旧時代よりもさらに前の神話だったはずだ。その意味は」


復讐する者。


その言葉にカインの瞳が見開かれ、そしてどこか非現実的なまでに赤い夕日の中で、エメラルドの瞳はふわりと弧を描いた。それがこの一日で見慣れた彼の飄々とした微笑みではなく、根本的に異なった艶めく様な笑みだとシンが認識した時、既にその細い体は翻されていてた。

「カイン!!!」

はっとして、走り出したその背を追いかけ艦長室を出る。

(間違えた……!)

なんと言われても教えてはいけなかったのだ。

彼の豹変の原因が何にあるか解らない。だが、自分は判断を誤ったのだと、直感的にそう思った。

乗組員がほぼ全員戦闘配置についているためか幾分閑散としている廊下を、その細身の背中を見失わないように追いかける。彼の結った髪が左右に揺れ、窓から入り込む夕日と、砲弾の光でやけにはっきりと光った。カインはわき目も振らずに艦内のどこかを目指しているようだ。

(何故)

ショックを受けていたはずだった。それも、多大な。凍りついた表情を無理に落ち着かせて作り出した微笑みはやけに大人びた落ち着きのある、だけれど痛々しいものだったはずなのに、言葉を継げた直後に浮かべた微笑はまるで、

(別人のような)

視線の先でカインが廊下奥にかけられたエスニック調のカーテンをくぐるのが見えた。それに続いてフロアの廊下を走りぬけ、カーテンの先に現れた錆びたドアを開け放つ。途端に生暖かい叩きつけるような風に髪を煽られ、シンは思わず目を瞑った。ドアはエアシップの後部壁面に取り付けられた幅の狭い螺旋階段に続いていた。あまり使われていないような鉄筋のそれは、度重なる振動に軋み耳障りな音を立てている。その様子に一瞬逡巡するも、カンカンとブーツの高い音を立てて階段を駆け下りていく後姿を下方に見て、その後に続く。

空を降りていく。

西から夕闇が迫っているのがちらりと見えた。昨日、あの硝子の塔を抜け出した時と同じだ。そう心の隅で思いながら一気に階段を駆け下りる。感傷に浸る時間はない。

最下層フロアは降りてすぐ射出ハッチになっていた。リズが出動を指揮していた小型戦闘機はここから出ていたらしい。開け放たれたままのハッチの奥、敷かれたレールの上で丸い、虫のような羽の付いた小型機『エンケ』が何機か待機していた。そのさらに奥から数名の作業員が突然駆け込んできたカインを止めようと、口々に静止の声を挙げ駆け出してきた。その手を振り切り、カインは無言で待機していた立ったまま操縦する型の小型機に飛び乗ると、内部にさっと視線を走らせすぐにそれを起動させる。

「カイン!」

「君!?」

キィィィィンと熱風を巻き上げ、その機体は出撃体制をとる。思わずそれを止めようと駆け寄りつつシンが発した声に、カインに掴みかかろうとしていたクルー達が振り返る。そしてそれがシンであることに気づくと、シンも同じように外へ出ようとしているのだと思ったのか、その身を翻し機体に駆け寄ろうとしていたシンを押さえ込んだ。

「離してくれっ!」

「失礼!貴方は出てはなりません!」

もがくシンの視線の先でカインは機体のステップに立ち、操縦桿を握る。

「待てカイン!力を使うな!死ぬぞ!」

「キミ!降りなさい!操縦できるのか?!」

その様子を見て、拘束されたまま今まさに飛び立たんとするカインへ呼びかけるシンの手前で、熱風に顔をしかめながらも作業員がそう声を張上げ叫んだ。

その声に反応したのか、シンの声に反応したのか、今まで全くと言っていいほど静止の声に耳を傾けなかったカインが、操縦桿を握ったままちらりと振り返る。

そして自分に注目した複数の視線を見渡すと、無表情だった顔にふわりと不敵な笑みを浮かべた。

その瞬間の、その一瞬の空白。

「カイン!」

ドン!と音を立てて僅かに赤みの残った夕闇へと飛び立った機体を追いかけ、射出口すれすれまで走りよる。


シンの声も虚しく、機体は藍色の空に光の奇跡を描いて、ナイツの母艦の前へと飛び出していった。




戦況は五分五分と言ったところだった。一時的に敵エアシップ『コマドリ』が異様な加速を見せたがそれも進行方向に弾幕を張る事で押しとどめ、現在は膠着状態が続いている。

(もうそろそろだな)

まず第一の目的はコマドリを落とすことではなく、動きを止めてその隙にエアシップに進入し、審判者ともう一人の少年を連れ出すことだ。ならばそろそろ「黒」の出番だろう。そうアランは進入指揮を執るため踵を返そうとした。隊長の自分自ら乗り込む訳ではないが、指揮をするにしても出来るだけターゲットに近い場所がいい。

だが、

「……何だ?」

総長室を後にしようとしたアランの耳に、エミールの呟きが届いた。その声色には訝しげな色が滲んでいる。振り返ると彼はじっとモニターに写った敵艦とこの戦艦『ニケ』との間の空間で動く「何か」を視線で追っているようだ。その様子にまたモニタ前に戻り、そこに映し出された映像を凝視してアランもまた眉を寄せ、表情を変えた。

「……一機だけですね」

「ああ。一機だけ遅れて出てきた」

その機体は弧を描いて急速に戦闘の行われている空域に入り込むと、『ニケ』の真正面を向いて、ぴたりと空中に停止した。

「あれは……!」

モニタによってクローズアップされた映像にはっとし、アランが声をあげる。

「ターゲットだ……!」

「あの子なんであんなとこに……!」

コマドリ甲板ではリズがクルーたちと共に、夕闇の中で艦と艦のライトに照らされる見覚えのある少年の赤いジャケットの後姿を凝視していた。

双方の視線の交差の中、やけに滑らかな動きで少年は操縦桿から片手を離すとその掌を『ニケ』へと向ける。急速に集まるエネルギー。ふわりと蠱惑的な輝きで広がる光の羽根。

「っ……全機引けええええええええ!!」

「……っカイン君やめなさい!!!」

咄嗟のエミールの叫びと、リズの制止と。


少年の掌から光が弾けた。


「あれは……」

驚愕に思わず吸い込んだ空気は乾いていて、咳き込みそうになりながらも、リズはその光景に瞳を奪われていた。いや、リズだけではなく、誰もがといったほうが正しいだろう。

藍の夜空で弾けた光は、今や敵艦とコマドリの間に巨大な光の膜となって広がっていた。その表面はオーロラのように揺らめき、その先の敵艦を映し出している。

鈍い音とともに膜の反対側で、ナイツの打った球がその膜に触れた途端に消え去るのが見えた。

(力場?!)

「ッ……リズ!!!」

隣で同じように甲板の手摺に乗り出すようにしてその光景を凝視していたキャサリンの声にはっとして、伝声管を掴む。

「バリアよ!全機帰還しなさい!この隙に一気に国境を越えるわよ!」

『射出口に居るやつ、外に居るやつはしっかりつかまれ!振り落とされんなよ!』

そうジェフが怒鳴り声を上げた。

それをどこか遠くに聞きながら、リズは光の膜を凝視しつつ再度伝声管を手に取る。

「……そう長くは持たないわ。急いで!」




目の前で迸る光の奔流をぼんやりとカインは眺めていた。延ばしているらしい片腕の形は肘から先が光に解けて解らなかった。解らなかったのはそれだけではなく、何処までが自分で、何処までが自分を包む世界なのかすら、ただひたすら曖昧で、ゆらりと視線を降ろすと遥か下に黒々とした森が見えた。緩慢な動作でまた視線を元に戻すと、視界の端に暮れかけの僅かに赤い地平線が見えた。

突如として言いようの無い不安に襲われ、叫びだしたい衝動に駆られたが、開いた口から声は出なかった。恐ろしさにカインはもう片方の手で喉を押さえ、先の無い、光を発し続ける右腕で自分の体を抱こうとした。

ぐらりと体がかしぐ。


全身の力が急速に失われていく感覚に、カインの意識はふつりと途切れた。

誰かに受け止められたような、――そんな気がした。





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