四月 事の始まり
大好きなゲームがあった。
ジャンルは女性向け恋愛シミュレーション、所謂乙女ゲーというやつだ。
普段は主人公=自分の感情移入しやすいゲームばかりを選んで、アクが強すぎたり意思が弱すぎる主人公を前面に押し出したものは好まないんだけれど、この作品“Snowdrop”では全キャラクターを攻略するだけに飽き足らず、何度も何度もニューゲームで始めるくらいの入れ込み様で。
乙女ゲーって大抵一人くらいは「うーん、このキャラタイプじゃない」とか「この人攻略するの面倒」とかやる気を削がれるルートとか、あると思うけど、そんな気も抱かないほど、攻略が苦じゃないくらい惚れこんでいた。
ですから元々携帯ゲーム機で出ていた“スノドロ”が、据え置き大型機でリメイクされたとあってはそれはもう大喜びで予約して、発売日には羽が生えたように浮き足立って購入し、紙袋に入ったそのパッケージを抱きしめながら、スキップしたい気持ちを見栄と醜聞で抑えつつ帰り道を急いだ。
誰から攻略しようかな、
一番好きなキャラ?それとも今回追加された新キャラ?
ああでもあのキャラの新規描き下ろしスチル(一枚絵)も早く見たいなぁ。
正直、この時の私は浮かれきっていた。
それでも、最低限の交通ルールは守っていたつもりだった。
もう家に程近い信号が青になったことを確認して走り出した私は、
聞き慣れない異音に右へと振り向いた
記憶は、そこで途切れている。
恐らくトラックか何かと衝突したんだろう。
信号ばかりに頼って周囲の確認を怠った、悔やんでも悔やみきれない私のミス。
―――願わくは、
トラックの走行スピードが速かった事を祈る。
凄まじい勢いで私にぶつかって、綺麗な放物線を描いて、
ゲームソフトがどこかに飛んで行ってくれていることを本気で願う!
いい年した社会人が大事そうに乙女ゲーを抱きかかえて死んでるとかツラすぎる、両親に顔向けできない、まあそれ以前に死んでしまっているから顔なんて向けることはもう出来ないんだけど。
ん?何か空気が塩辛くなってきちゃったな。
とにかく、そんな感じで長いようでやっぱり短い私の人生には幕が降りてしまった。
心残りといえばお年頃なのに彼氏がいないことと…
折角買ったスノードロップを心ゆくまで遊びつくせなかったことか。
そんな乙女(笑)の未練を神様とやらが聞き届けてくれたのかどうかは定かでは無いけれど、事故から間も無く私は新たな人生を送ることになった。
新たな人生なんて言うと、交通事故に遭った人間が九死に一生を得たみたいだけれど
そうではなくて、名前も姿形も違う人間に生まれ変わってしまった。
輪廻転生、本当に有るものなんだ。
幼い頃は記憶がぼやぼやと暈けていて周りも自分も何も分からない状態だったけれど、時が経つにつれ、私が成長するにつれ、少しずつ前世の記憶が鮮明になり、また自らを取り巻く環境に驚かされることになった。
それというのも―――
「お姉ちゃん?」
可愛らしい声に呼び戻され、意識を現実に戻す。
声のした方へ振り向くと、これまた可愛い笑顔が迎えてくれる。
「はいお姉ちゃん、朝ご飯出来たよ」
「ありがとう和、わっ美味しそう!」
ふわふわのオムレツにベーコンとプチトマトのソース、その横には女の子サイズに小さく切り分けられたジャムサンド。
朝が弱い私のかわりに朝食の用意をしてくれた、この眩い美少女は今世の私の妹であり、恋愛シミュレーションゲーム“Snowdrop”の主人公。
常葉 和 ご本人様である。
私が“スノドロ”を好きな理由の一つは、この主人公にある。
乙女ゲーの主人公といえば、やたら我が強かったり、気が弱かったり、はたまた明るいだけが取り柄だったり、挙句の上悲劇のヒロインを気取られた日には感情移入どころではなくなってしまうけど。
胡桃色の柔らかな髪をツインテールにまとめて、シュシュの先から短い髪がチアガールのポンポンみたいに飛び跳ねている、和は一見ギャルゲーの萌えヒロインみたいに整った容姿をしているけれど、間違っていることは間違っていると言うし、プレイヤーが関西人でもないのに「おいおい、なんでやねん」と呆れてしまうシーンにもちゃんとツッコみを入れてくれる。
優しいけれど、芯があって自分を持っている
明るいけれど、常に周囲に気を配っている
可愛いけれど、守られているだけのお姫様じゃない。
和は私の理想のヒロイン像なのだ。
ゲームの世界で憧れた女の子が、目の前にいてしかも自分の妹
これだけでも大興奮なのに私の幸運はさらに続く。
「水月ーっ!朝ご飯食べちゃうよー!」
「今行くから、先に食べてて」
このゲームで私が…あ、いや登場人物は全員好きなんだけどその中でも一番好きな攻略対象が、主人公の和の弟であり今現在私の弟にも当たる、常葉 水月なのである。
整った顔立ちに中性的な容姿、幼くはないけど若干女性的な印象を醸し出している
ことに抵抗があるのか、性格は素直で優しいのに最近ややぶっきらぼうな話し方をする、そんな所が余計可愛くもあるんだけど。
洗面所から出てきた水月は「これどうしたらいいの?」と和にネクタイを手渡した。
私と和が通っていて、本日水月が入学する私立湊都高校は男子は濃紺のブレザーに赤いタータンチェックのネクタイ、女子は白いセーラーカラーのジャケットに柄は男子と一緒のショートネクタイ、ジャケットの下に濃紺のワンピース、と
二次元世界らしい可愛らしいデザインになっている。
ああそういえば彼は中学の時学ランで、ネクタイとは無縁だったんだねと二人の様を微笑ましく見守っていると「姉さん」と水月から困ったような声音で話しかけられた。
近づいて見ると和がネクタイを結ぼうと健闘した痕跡が見える。
「和、ぐちゃぐちゃなんだけど」
「だって逆方向から結ぶのって難しいんだもん!」
妹と弟に助けを求められれば姉バカとしては動かざるを得ない、プレーンノットで良いかと聞いたら何でもいいと返された。
ふふっ、ふふふふふ、いえ気を違えたわけではなく、
水月は私の事を“姉さん”和の事をそのまま“和”と呼ぶのだ。
これは最終的にエンディングで弟キャラお約束の「和の事を姉なんて思ってない、
女の子として見てる」という告白セリフに繋がるフラグになる。
いかんいかん、真正面に本人がいるのに破顔しそうになってしまう。ささっと手早くネクタイを結ぶと和からおぉ~と歓声が上がる。
「はい出来た、苦しくない?苦しかったらここを引っ張ると緩められるから」
「こう?ああ、これってこういう仕組みになってんだ」
スミマセン、イケメンがネクタイ緩めるポーズが見たくて誘導しました!
心の中で反省しつつ、しっかり脳内フォルダに動画保存しておきます・・・!
「お姉ちゃんすごいね、でもどうしてそんなに上手なの?」
「え?友達と何回か練習したら簡単に出来るようになるよ」
決して一人で彼氏にネクタイ結ぶ練習などは・・・今世ではしておりません。
おっと、そんなこんなをしていたらいい時間になってしまっている、急ぐほどではないけれど遊んでもいられない。
「二人ともそろそろ朝ご飯食べちゃわないと、入学式に遅刻するよ」
「わっもうこんな時間?」
大きな六人掛けのテーブルの右側に水月と和、和の真向かいに私が座る。
食べちゃわないと、と言ってみたけどこれは全部和が作ったものだ、さて何から手を付けようか、まずはミネラルウォーターで喉を潤おす、すると水月が何かに気付いた様に和の動きを制する。
「和、瞼にまつ毛付いてる」
「えっどこ?」
「取るから、動くなよ?」
こちらからはどこに付いているのか見当がつかないが、水月は彼女の目尻へと手を伸ばす―――その時。
「・・・ん、じゃあお願い」
和が、目をそっと閉じて、くいっとほんの少し顎を上げた
その動作は、まるで―――。
ピクリと一瞬、水月の手が動きを止めた様に見えた。
私が驚きの余り瞬きをした、次の瞬間にはもうまつ毛は取り払われていた。
「ありがとう、水月」
「別に」
ああもう、ああもう、何と言ったらいいのか
皆目見当がつきませんが、とりあえず・・・!
「ごちそうさまでした・・・!」
ついつい両手をあわせて拝むと二人はきょとんとした顔で
「姉さんもう食べ終わったの?」
「全然手を付けてないよ?朝はちゃんと食べなきゃ!」
と、的外れな回答をくれた。
ああ、朝からいいモノを見た
本当に今世が幸せすぎて生きるのが楽しい。
拙い出来ですが
お付き合いいただきありがとうございました。
<(_ _*)>