ソクセキカミサマ
とある日。とある男性は復讐を決心していました。
勿論それは、『嫌がらせする』といったようなものではありません。
相手の息の根を止めてやる、そういった意味での復讐でした。
もちろんそれが人道的に、倫理的に、あるいは道徳的に間違えているというのを男は理解していました。しかし、それらは彼を止める理由にはなりません。男は中途半端な長さの果物ナイフを用意すると、憎き相手の元へと向かうため、家の外に飛び出しました。
すると、物陰からひょこりと、小さな動物が現れました。
道端で遭遇する動物といえば、何を思い浮かべるでしょう。男は、猫か小鳥か虫か、頑張ってもタヌキくらいしか思いつきませんでした。
しかし、男の目の前に現れたのは、そのどれでもありませんでした。
男の前にいたのは薄茶色のハムスター、でした。
小さなハムスターはしばらくの間、せわしなく首を振っていましたが、やがてその真っ黒な瞳で男の姿をとらえると、凝り固まってしまいました。
――このハムスターは、どこから脱走して来たのだろう。
物騒な事ばかり考えていたはずの男ですが、その瞬間だけは思わずそんなことを考えました。
ハムスターは男の瞳をじっと見つめたまま、小さな小さな口を開きます。そして、
「いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ」
そんな歌を口ずさむと、男の前から走り去ってしまいました。
男はナイフを持ったまま、茫然とその場に立ち尽くしました。
一方その頃。とあるところに、とある男がいました。
男には、両親につけてもらった名前があります。けれども今、男はその名前を使っていませんでした。
男は、自分のことをこう呼んでいました。――神様、と。
彼のもとに『本物の神様』が現れたのは、一か月ほど前でした。
「僕は神様です」と自己紹介されたとき、男は鼻で笑いました。それくらい、その『人間』は、神様に見えなかったからです。
自称神様は、「自分は人間として過ごしたい」のだと言いました。それから、こんな提案をしてきました。
「僕の能力を、あなたにあげる。だから、僕の代わりにあなたが神様になって」
男は、それすらも鼻で笑いました。何を馬鹿なことを。男が嘲笑うと、神様はこう言いました。
「僕の能力を、一度貸してあげる。そうすればきっと、この話は本当だと分かってもらえるはずだからね」
そうして、男は神様の能力を貸してもらいました。
とはいえ、見た目は何も変わっていません。
男は試しに、自分の願いを適当に叶えてみることにしました。宝くじでも当たればいい、彼女でもできればいい、就職先が決まればいい、などなど。つまりは、自分本位な願いばかりです。
男が半信半疑で試したそれは、見事に叶えられました。宝くじは一等が当選、男好みの女が近寄って来たかと思えば、その女の紹介で一流企業に入社決定。
男は驚きました。奇跡もこれほど続くことはないだろう。つまりあいつの言っていた、神様の話は本当だ。
そうして、男はうなずきました。
「わかった。俺が今日から神様になる」
それを聞いた『元神様』は、嬉しそうに笑いました。
「よかった。それじゃあ、その能力は君にあげる。これで、今日から君が神様だ。――その代わり、神様としての『業務』はきっちりしてよ? それから、『使い』とはできるだけ仲良くね」
業務? 使い? 男は首を傾げました。
しかしその業務の内容は、すぐに理解できました。
「カミサマ、カミサマ。とある人間が自殺を図りました。このままにしておきますか? それとも適当な奇跡で、その人間を助けましょうか?」
足元にやって来た野良猫にそんなことを言われて、男は驚きました。尋ねると、その動物は『神様の使い』だというのです。更に詳しく聞くと、こんな説明がされました。
神様はどんなことでも処理できる能力をお持ちですが、どんな場所でも見渡せる能力を持っているわけではありません。――そう、全知全能だと言われている神様ですが、そのすべてが見えているわけではないのです。
神様はわたくしたちを使わせることで、世界のすべてを見ているのです。
わたくしたち『使い』は下界で見たことを神様に報告し、相談します。神様はそのたびに、わたくしたちに指示を与えて下さい。わたくしたちはそれに従い行動し、処理します。
神様の判断はあくまでも平等に、公平にお願いします。そうやって、この世界は成り立ってきたのですから。
それでカミサマ、さきほど報告した『自殺を図った人間』ですが、どういたしましょうか。
男が「俺の一存ですべてを決めていいのか」と確認したところ、使いの猫がうなずいたので、「じゃあ、その人間は適当に助けておきなさい」とだけ命じました。
神様となった男はその能力を使って、一気にお金持ちになり、会社も辞め、自堕落な生活を送りつつ、女には困らないような、素晴らしい生活を送ろうとしました。
しかし、神様の業務は、思った以上に大変でした。
『いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ』
そんな声が聞こえるとともに、色々な動物が男のもとに訪れました。そして、報告します。
「カミサマ、カミサマ。とある場所で、事故が発生しました。何人助けましょうか」
『いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ』
「カミサマ、カミサマ。とある人間がとある人間を殺しました。どう処分しますか」
『いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ』
「カミサマ、カミサマ。子供が野良猫にいたずらしています。罰を与えますか」
『いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ』
「カミサマ、カミサマ。とある家庭で、虐待を発見しました。どうしましょうか」
『いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ』
「カミサマ、カミサマ。とある場所で、とある人間が自殺を」「ああもう!!」
男はボリボリと頭を掻くと、使いの動物たちを睨みつけました。動物たちはきょとんとした表情で、男の顔を見ます。男は明らかに鬱陶しそうに、コバエでも追っ払うように片手を振りながら答えました。
「お前たちが自分で判断して行動しろ! 神様命令だ!」
「なりません」
「ああ!?」
「わたくしたちは、下界のことを神様に委ねなければならない存在です。今のお言葉が神様のご命令だとしても、従う訳にはまいりません」
「ああもう! 面倒くせえ!」
男はいらいらとした口調で叫ぶと、ばん、とテーブルを叩きました。そして、答えます。
「自殺した人間は全員、助けず地獄に送っちまえ! 事故があったら全員助けろ! 虐待やいじめは放置しろ、どうせこの世からなくなりゃしない! あとはなんだった!? いやいい、あとの問題はもう放置しておけ!」
「……カミサマ、それは公平ではありません。あんまりではないですか」
コウモリが口をはさむと、男は缶ビールをあおりました。
「自殺したら『全員』地獄、事故は『全員』助かる。公平で平等だろうが! ……いいか、俺はなあ」
男は缶をぐしゃりと握り潰し、左から右へと視線を動かしました。そこに並んでいた動物たちは、全員が無表情で男の顔を眺めています。それに気づかず、男はわめきました。
「俺はせっかく神様になれたんだから、好きなようにしたいんだよ。いい暮らしして、いい女と寝て、素敵な人生歩みたいわけ。……そうさ、業務なんぞ糞くらえだ! 頭の悪い動物はつべこべ言わず、俺の言うことを聴け! 神様命令なんだからな!」
男は『神様』という権力をさんざん振りかざすと、今度こそ動物たちを追い払いました。使いである動物たちは、呆れた顔をして、どこかへ消えてしまいました。
――よし、静かになったぞ。これでもう、変な歌を聴くことも、どうでもいい報告を受けることもない。
男はいかにも高級なソファにふんぞり返ると、とっておきのお酒を取り出そうとして、
「ん?」
ハムスターがそこに残っていることに、気が付きました。
「なんだ、早くどっか行けよ。目障りだな」
「カミサマ、カミサマ。とある男が」
「報告なら要らねえよ!」
男に怒鳴られても、薄茶色のハムスターはそこから動こうとしません。ただじっと、男の方を見ています。
「邪魔だって言ってるだろ。殺すぞ? 俺は神様なんだ。お前を殺すのだって簡単なんだからな」
男がそう脅すと、ハムスターはびくりと震え、ようやく走り出しました。
しかし、すっと男の方を振り仰ぐと、その小さな小さな口を開きました。
「……いーけないんだ、いけないんだ。カーミサマに、言ってやろ」
「――……え?」
男が目を見開いたのは、神様であるはずの自分がその曲を歌われてしまったからなのか。
あるいは背後から、中途半端な長さの果物ナイフで刺されたからなのか。
「カーミサマに、言ってやろ」
どちらなのかは、神様以外だれも知らないお話です。
「――神様」
ハムスターの声を聴いて、とある『人間』が振り返りました。男なのか女なのかはっきりとしない顔立ちのその人は、人間ならば「少年」だとか「少女」だとか呼ばれるような年頃に見えます。ただし、その人の年齢は誰も知りませんし、性別にいたっては本人すらも知りませんでした。
「ああ、君か。なんだ、ここまできたの? 大変だったでしょ」
本来ならば誰も立ち入れない高層ビルの屋上で、神様と呼ばれたその人は足を投げだして座っています。ビルの壁を駆け抜けてきたハムスターは、「それなりに」とだけ答えました。その様子を見て、神様はくすりと笑いました。
「あの男の人の事かな?」
「ええ」
「ダメだった?」
「――ええ。【神の後継者が、『使い』の支持を得られなかった場合】の掟に従い処分しました。ですから、彼に譲与した『能力』は、あなたに還ってきているはずです」
ハムスターの言葉を聞いて、神様は微笑みました。
「神様の後継者を探すっていうのは、案外難しいものなんだねえ」
そう言うと、神様はそっと立ち上がりました。同時に、上空でごおっと風が吹き抜けたのが、ハムスターには分かりました。
「……誰も、あなたの代わりはできません。それはあなたがよくご存じでしょう」
ハムスターが言うと、神様はいたずらっ子のような笑みを見せました。
「さあ、どうかな」
「特に人間は欲深く、『神様』などできるはずがありません」
「そうだねえ。だから人間は面白いんだよ」
神様は楽しそうに笑います。
「だってさ。僕は何でも自分で処理できて、何の問題も不自由ない。感情を捨て去った上で『公平』に業務をこなせばいいだけの存在。それが、神様。……ああ、なんて面白くないんだろう」
神様は大げさな溜息をつきました。
「僕はね、退屈が大嫌いなんだ。だからもう、『神様をする』のはおしまい」
退屈が嫌い。そう思う段階で、神様失格だしね。
少年のような少女のような神様は、自嘲しました。
「……しかし、神様」
「僕はもう神様じゃない。だから、新しい神様を作るんだよ」
神様であるはずのその人は、そう言い切りました。
「即席の神様。――色々な動物たちで試してみたけれど、どうにも上手くいかないんだよね。もちろん人間も。……ただ、人間というのは不完全にできているうえ、でたらめな正義を振りかざして本性を隠そうとする。だからこそ、神様の能力を預けたときの反応が面白い」
「……人間を後継者にしようとしているのは、面白いものを見たいがための選別ですか」
「そう。ただし、人選だけは平等に。――あくまでも『元』神様だからね」
神様でも人間でもないそれは、高層ビルの屋上から世界を見下ろし、呟きました。
「さあ、次の神様は誰にしようか」