第7話 『騎士になる!』
この世界にも土下座はある。
震える手でアンソニア少女を下ろした男爵は、流れるような動作で土下座を再現して見せた。
「私は何と無礼な真似を!誠に申し訳ありません!」
「あ、いえ、お構いなく」
本気で土下座されるようなことではない。
むしろ大の大人を土下座させる少年として、この場面を見られると僕の立場が危ない。
おい、これをどうにかしてくれ。呆れた視線をラナさんに向ける。
元凶なんだから最後まで責任を持つように。
「クレイトン様、どうぞ顔をお上げください。ロイド様が良いと言っているのです。それを遮りなお謝辞を続けるのなら、それこそ不敬罪にあたります」
口元がにやけていますよラナさん。楽しそうですね。
男爵は素早く身を起こすと、どうしようかとあたふたしている。
視線を移すとエリカさんと戯れるアンソニア少女が眼に入った。マイペースだな君は。お父さんが横で土下座していたのに気にした風がない。
もしかしたら普段からこんな感じなんだろうか?
考えてみれば土下座も堂に入った出来だった。一朝一夕で身につくものではない。
「あぁ…私はどうも抜けているところがありまして、仕事以外の場面だと先ほどのように直ぐ取り乱してしまい…」
急に落ち着いた男爵がブツブツと零す。
やはり日常茶飯事か…
その後も何かスイッチが入ったように男爵の愚痴は止まらない。
ラナさん、後は頼んだ。
え?嫌ですよ。
頼んだ。
アイコンタクトで対話を終えると、恨めしそうに此方を見てくるラナさんを残してこの場を後にする。
静かな廊下に二人分の足跡が響いた。
…おかしい。
隣を歩くメイドはどこぞの暗殺者のように足音が無いはず。
見れば、エリカさんに手を引かれてアンソニア少女が付いて来ていた。
「…お父さんと一緒にいないの?」
「ああなったお父さん…終わらないの」
そう。よく分かってるんだねお父さんのこと。
部屋に帰るとウォーレン君が来ていた。
「ど、ど、どうしようロイド。今夜の晩餐会に呼ばれちゃってるよ、あああ、どうしよう」
まずは落ち着こうか。
君が話しかけてるのは僕じゃなくてアンソニア少女だ。
今日は会う人会う人落ち着きが無いな。
アンソニア少女が助けを求めるように此方を見てきた。
脛でも蹴りなさい。たぶん静かになる。
「改めて、僕はロイド。よろしく」
「よろしく。私はアンソニア、ソニアって呼んでいいよ」
男爵が落ち着いたらラナさんが案内してくれるだろうから、それまでアンソニア少女改めソニアにはこの部屋で時間を潰してもらうことになった。
「ぼ、僕は、ウォーレン、よろしく」
脛をさすりながらウォーレン君が挨拶をする。
彼はハイスペックな顔をしていて笑顔も爽やかだが、ソニアは微妙な反応だ。
「え、えっと…よろしく?」
若干引きながら。
両者の間には既に壁が出来ていた。あぁ、ウォーレン君が少し凹んでいる。
取り合えず自己紹介は済んだ。
問題は何をするかだ。当然この部屋に少女用の遊び道具など無い。
考えていても仕方ないのでソニアに確認を取る。
「何をしたい?」
「絵本!」
彼女は勢い良く本棚を指した。キラキラと目が輝いて見えるのは気のせいだろうか?
少々意外に思って理由を聞くと、ソニアは父親の教育で簡単な文字なら読めるそうだが、家に本は殆ど無く、あっても難しい字ばかりで読めない。だからこそこの部屋に入った時から綺麗な背表紙が描かれた本に興味を持っていたと。
確かに綺麗な表紙の本が見えている。漢字が彼女に読めるのならタイトルも分かっただろう。
『革新的魔法技術大全~リュシドール式治療魔術~』
内容は高度な治療魔術の理論と実際の魔法技術。
少女に勧めるものではないな。却下。
改めてソニアも楽しめそうな本を漁ることになった。
「これはどうですか?」
流れを見守っていたエリカさんが一冊の本を手渡してくる。
タイトルは『白騎士物語り』。
悪い竜に捕らわれたお姫様を一人の騎士が助け出す、絵を中心とした分かりやすく単純なお話だ。
これなら女の子でも楽しめるか?
ウォーレン君も加わった三人での読書が始まった。
「ただいま戻りましたー」
扉を開けてラナさんが現れる。
このタイミングで帰ってきたか…。
当然その後ろには男爵がついて来ているわけで。
「何から何まですいません。ソニア、帰――「私、騎士になる!」――る、ぞ?」
男爵の言葉を遮るようにソニアが立ち上がる。
まるで騎士が剣を掲げるように己の手を天に掲げて。
そっちに憧れたか。
ウォーレン君は竜を見つめて瞳を輝かせているし、頭の痛い話である。
熱く騎士を語るソニアを宥めて男爵が帰路につく。
「また遊ぼうねー!」
最後まで、少女は此方に向けて手を振っていた。
日も沈んだ夜。
窓の外には、闇夜を照らすほどに明るいセドリック兄の晩餐会会場が見えた。
ウォーレン君は大丈夫だろうか?…ガチガチになって無言でご飯を食べている様が眼に浮かぶ。
今日明日については参加する必要が無いが、誕生日当日は兄弟一同に招集がかかっている。
夜の舞踏会も、踊れぬまでも雰囲気を学べと参加することは決定事項。
気が重い。
翌日。
ゲッソリとやつれたウォーレン君がソファに倒れこんでいた。
曰く貴族連中の目線が怖すぎて終始気を失いそうだったと。
良く頑張りましたね。
ウォーレン君が来る時は彼付きのメイドも付いてきているのでその人達にウォーレン君を任せてラナさんといつもの魔法練習場へ向かう。
その時僕は全く気づいたいなかった。自分が何に向かって歩いているかを。
「クッ…馬鹿、な」
ズンッ、と。重装の近衛騎士が地面へ崩れる。
既に辺りには多くの兵士が倒れこんでいた。
惨状の中に立つは二人の男。
一方はセドリック・カルボン。
15歳にして上級騎士に並ぶ腕前を誇る剣の天才。
もう一方は、燃えるような赤髪を携た男。
身に着ける軍服には赤き獅子の紋章。
その手には一本の剣が握られ、先ほどセドリック付きの近衛騎士を倒したのは彼であった。
「精進がたらねぇな」
赤毛の男はセドリックに向けて薄く笑う。
セドリックの頬を一筋の汗が伝った。
「そんじゃ、やろうか」
あくまで気軽に、男は剣を構える。
セドリックは無意識のうちに身を引きそうになるが、一息を吐いて、気を正した。
改めて男を観察する。
強者の余裕。
幼少期以来、久しく見なかった姿だ。
王国内でトップクラスの力を付けつつあるセドリックであっても、目の前の男は確かに圧倒的強者であった。勝ち目は薄い。
それでも――
強い一歩を踏む。
――引くわけには行かない。
僕が廊下の曲がり角に差し掛かろうとした時だ。
丁度角の向こうから男が現れる。燃えるような赤髪が印象に残る人だった。
僕がとっさに思ったのはそれだけだったが、ラナさんの反応は違った。
赤髪の男から僕を隠すように素早く前に出る。
気のせいでなければラナさんの髪は逆立って見えた。
「何者だ!」
ラナさんが大声で問う。普段とは打って変わって鋭い声だった。
「ん?どうしたお譲ちゃん」
赤毛の男は不思議そうに、首を傾げる。
ラナさんは警戒を崩さず、何時の間にやら帯電する電気の球を数個展開していた。
膠着を数秒。
急いで走る音が聞こえてきたと思ったら赤毛の男が来たときと同じように廊下の角から新たに数名の男が現れた。
どの人にも共通していえるのは赤い鬣をした獅子の紋章がついた上着を纏っている。
新しく来た内の一人が赤毛の男と言い合い、残った人たちが慌ててラナさんへ頭を下げてきた。
「うちの者が何かしたなら申し訳ありません!」
「あー、何もしてねぇよ。そうだろ、お譲ちゃん」
赤毛の男が困ったように眉尻を下げて此方に言う。
一部始終を確認したラナさんは、
「いえ、私の早とちりのようでした。其方の方に何も非は在りません」
謝罪を入れて小さく頭を下げた。
既に髪は落ち着いて、魔法も解除されている。
「俺は一仕事終わったからもう帰るが、また機会があれば会おうぜ、お譲ちゃん、第四王子様」
隣国の使節団だと名乗った彼らは、最後に一礼して去って行った。