第11話 『夕焼けの海』
無心で剣を振る。
あぁ、この疲労感が気持ち――
「振りが甘い」
――そう言って、フリーデさんに腕の角度を直された。
危ない。危うくトリップするところだった。
隣ではソニアが木剣を振るっている。
ウォーレン君は明後日に誕生日を控えているので、準備に忙しく今日は居ない。
僕らの木剣は身にあった小さいものだ。
少女が一生懸命小さな木剣を振る様は絵になる。可愛らしい。例えその速度が既に相当速いものでも。
ソニアは思った以上に力があり、男である僕と殆ど変わらぬレベルで木剣を触れる。
魔法については一日の長がある僕だが、剣術、現段階だと体力的ものでしかないが、それは三人共で拮抗していた。
僕の体格は同年代では大きいほうで、ウォーレン君は同年代では小さい。僕ら兄弟は隣に立てば同い年としか思えない体格になっている。ソニアは少し背が低い。
剣の練習を終えて布で顔を拭っていると、フリーデさんが噴水の脇に腰掛けて酒を飲み始めた。
三度の飯より酒が好き。そう公言する彼女は、暇があれば酒を飲んでいる。
「ロイドー、一杯どうだい」
「遠慮します」
竜人だからか、単に酒に強いのか、今まで酔っ払った姿を見せたことは無いが、頻繁に酒を勧めるのは止めて欲しい。
「んー、あんたなら飲める気がするんだけどね」
訝しげな視線を向けるフリーデさん。確かに飲める。前世ならな。
カルボンでは飲酒は12歳からとなっており、今生はまだ五歳児だ。
剣については優秀な師として尊敬しているが、それ以外では大体駄目人間。
出会いから二ヶ月近くがたった現時点でのフリーデさんに対する評価である。
「この前本が欲しいと言っていたから、面白そうな本を見つけてあげたいんだけど…」
「無理だったら私が代わりに買ってあげるね」
ソニアとのんびり話しながら休憩をしていたら、エリカさんが迎えに来た。
丁度いいタイミング。
「エリカさん、街に買い物に出たいんだけど、出来るかな?」
明後日のウォーレン君の誕生日に備えてプレゼントを用意したいと、ソニアと話し合っていた。
実は僕は城からまだ出たことが無いので、許可が出るかは未知数。
エリカさんは暫く悩んで、酒飲み竜人に視線を移す。
眉間に皺を寄せてまた暫く悩んだ後、
「ラナとフリーデさんをつければ問題ないでしょう」
条件付で許可を下ろした。
声は聞こえているはずだが、特に異論は無いのかフリーデさんは無反応で酒を飲んでいる。
「準備は此方で整えますので、まずは食事ですね。フリーデさん、ソニア様をクレイトン男爵の下へ」
あいよー、と、フリーデさんが短く答えた。
「おぉー、ロイド様とお出かけですか!初ですねー!楽しみですねー!」
エリカさんから報告を聞いたラナさんは、嬉しそうに笑っている。
…まぁ、たぶん――
「では、フリーデさんと二人で付き添いをお願いします」
――無表情になった。
アノババア。とか聞こえた気がするが、気のせいだろう。
昼食を終え、フリーデさんが案内してきたソニアと合流する。
ラナさんはいつもの調子でニコニコしているが、笑っているというより、笑顔を顔に貼り付けている。
笑顔で固定されたまま全く顔の筋肉が動いていない。
彼女なりに考えた結果であろうから、特に何か言うつもりは無いが…
王都レイブン。カルボン王国最大の都市であり、世界有数の港町。
人口は14万程。百万を超える大都市がいくつもあった前世としては、そこまで大きいとは感じれない。
遠目から見る分では良く分からず、大したことは無いと、正直侮っていた。
現実は違う。
城を出て直ぐの高級住宅街は静かなものだったが、そこから更に港に向けて下ると、一気に様相が変わった。
「おぉ…」
思わず感嘆の声が漏れた。
中央の大通りはむせ返るような熱気に溢れ、商魂逞しい商人の声がこだまする。
現代では感じ得なかった、人間の力強さを感じた。
「あれが黒羽ベッツロでね、あっちがララメの実!向こうが――」
ごめん。何言ってるのか分からない。日本語で頼む。
フリーデさんとラナさんに挟まれる形で通りを進むと、ソニアが知っているお店を元気一杯、得意げに紹介する。
普段は僕がものを教えるばっかりなので、逆の状態が楽しいらしい。
何のお店かは一向に伝わってこないが。
会話は成り立っても、この世界固有名詞は何ともしがたい。
数年前、エリカさんが食事の説明をしてくれた時も、食材名は魔法の詠唱でもしているんじゃないかと思った。
「おじさーん!4本ちょうだい!」
僕がそんなことを考えているうちに、ソニアが先ほど黒羽ベッツロとか呼んでいた屋台へ近づく。
店先から漂う香りは美味しそうだが、串刺しにされた黒い物体はいただけない。
一口大にカットされ串焼きのように調理された、およそ人間の食べるものとは思えない、黒い物体。
「アンソニアちゃんか、今日も元気がいいね。銅貨四枚…いや、三枚で良いや」
筋肉で出来た店主が、優しげな笑みで提案してくる。
良い人そうだが、ムキムキのおっさんが幼女に笑いかける姿は…止めよう。おじさんは悪くない。
小さな財布を取り出してお金を払おうとするソニアの代わりに、ラナさんが代金を払うのが見えた。
「はい!どうぞ」
…目の前に差し出された、黒い物体を、食べるべきか、食べざるべきか。
まぁ、食べないって選択肢は無いんだけどね。
「ラナさん、屍は拾ってください」
意を決して、口に入れる。
普通に美味かった。疑ってごめんよ。
ソニアは僕と違って頻繁に城下に来るようで、結構なお店を知っている。
まだ時間もあるので、一緒に街を回るのも悪くない。
取り合えず、先ほど発覚した僕はお金持ってないって言う問題は棚上げしておこう。
一通り大通りを見て回ると、目的の本屋へ。
お金についての問題は、ラナさんが僕のお金を預かっているようだ。あの時間でエリカさんが父親からお小遣い的なものを貰ってきたらしい。
港近くの書店に向かう。
トーカ商会と書かれたお店は、ここレイブンにも根を下ろす多国籍商会で、店舗そのものはそこまで大きくないが良質の商品が多いとフリーデさんが紹介してくれた。
「何がいいだろうか…」
ウォーレン君は本を読むのが好きで、最近城の図書室から本を借りては手の空いている時間は読書に耽っていた。
記憶の中で彼との会話を思い出す。
店内は綺麗に片付いていて、丁寧な作りの本が所狭しと置いてあった。
ソニアも難しい漢字は読めないが、フリーデさんに質問しながらウォーレン君に合う本を探してる。
最初に出来た友人だ、僕も誠心誠意選びたい。
フリーデさん、ラナさん、ソニアに、僕。
誰もそれなり以上にウォーレン君と関わりを持つもの。
皆が皆で本気になって選んだ結果、プレゼントの本が選ばれた頃には随分と時間が経過していた。
僅かに減ったが、それでも人通りの多い大通りを、四人で城へ帰る。
この世界で生きて、もう五年。
初めて城下を眺めた時の感覚を思い出した。
自分が異世界に生きていることを、ハッキリと自覚する感覚。
「綺麗な夕焼けだ」
前には静かに佇む荘厳な城、後ろには巨大な帆船が船首を並べ、活気溢れる港町。
地平線まで続く前世と同じように広大な海を、沈みかけの太陽が朱に染めていた。
僕は今、生まれ変わったこの異世界で、海辺の国家の第四王子をしている。