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秋に咲く桜 ②

「で、一応最寄り駅に到着したわけだけど、次にバスに乗るわよ。」

「はーい!」

 私が元気に返事をすると、花ちゃんが目を細める。

「あのバスだな。もう来てる、早く行くぞ。」

 駅は小さくて、駅前にはバスと数台のタクシーが停まっていた。何故か二時間に一本しかないバスがもうすぐ発車しますって感じでバス停に停まっていたから、私たちは急いでバスになだれ込んだ。ちなみに、私は夕ちゃんに脇に抱えられるように運ばれた。

 これは毎回のことで、夕ちゃん曰く「転ぶだろ、体力も無駄に消費するし」だそうです。でも、それを見て慧介くんだけじゃなくて委員長も花ちゃんも驚く。何でかなって思って前に聞いたことがあったんだけど「普通の人間は人一人をそんな簡単に運べないぞ」だって。でも、夕ちゃんはいつもやってくれるのになぁ。

バスの運転手さんと先に乗ってたおばあちゃんたちがなんだか微笑ましそうに見ていてちょっと照れちゃうけど。でもバスが・・・何と言うか・・・

「・・・錆びてる。」

「さすがにこんなバスはあたしたちも見たことないな。」

 なんというか、有名な五月の名前を持つ姉妹の話に出てきそうなレトロな感じのバスだった。ワンマンバスできちんと整理券を発行する機械はあったけど、座席のシートは日に焼けて色褪せていたし、所々破けていた。

 お日様と古い布とカバーの匂い。なんだか、懐かしく感じるのが不思議。

「あ、渡辺、そこなんで引かないんだよ。」

「・・・?」

 慧介くんが不思議そうに整理券が出ている機械を見つめている。

「慧介くん、整理券引かないと降りる時にいくら払うか分からないよ。」

「最後に払うのか?」

「むしろ最初に払うバスなんて見たことないよ。」

「・・・。」

 黙っちゃった。

「渡辺君、いくら都会でも地方に来たら都会の常識なんて意味がないのよ。」

「何で早嵜が偉そうなんだ。」

 って乗る時に一悶着あったけど。

 で、座るのにも一苦労だった。バス自体が小さくて、後ろの席に五人座ったら窓際の委員長と夕ちゃんが「ぐえっ。」って潰れた様な声を出した。私が違う席に座ろうとしたら、何故か花ちゃんに阻止されたけど。

「知ってるか、及川。バスの最後列の真ん中はブレーキがかかるとそこに座ってる人が転がっていく様子と彼の有名な映画にひっかけて“どんぐりころころ”って言われるんだぞ。」

「ええっ、そうなの!? どんぐりころころっ!? かわいいねっ! 委員長、物知りっ!」

 委員長がさっき以上に苦しそうに窓に張り付いてるのを慧介くんが半目で見てた。

「運よく転がった先でどんぐりを見つけられると願い事が叶うんだって。」

 夕ちゃんがにこにこ言うと、花ちゃんがその頭に手刀を落としていた。いい感じに額の真ん中に刺さったのか、夕ちゃんは狭いスペースで痛そうにしている。

「え、そうなの!? ど、どこに落ちてるかな?」

 私が辺りをきょろきょろしてる間にバスが出発した。

「及川、どんぐりはいいからとりあえずちゃんと座れ。」

 丁度バスが動き始めた。ごろごろという地面をタイヤが叩くような石の感触とエンジンが動きを増す匂いと振動に一瞬半腰状態の私がバランスを崩していると慧介くんが私の腕を引いた。結構力が強くて、勢いよくシートに突っ込む。白く差し込む日差しの中で、舞い上がった細かな埃が金色に光るのを目の奥に感じる。ちょっとチカチカした。

 うう、どんぐり見つけたかったのに・・・私は仕方なく、前に飛び出さないようにってことだけを考えて、慧介くんと花ちゃんの腕に自分の腕を絡ませて引き寄せた。慧介くんの腕が何故か不自然に力んでいたから、私は慌てて言った。

「失礼します。腕、貸してください。」

「・・・。」

 慧介くんは俯きながらこくんっと頷いてくれた。それが嬉しくてにこにこしながら腕に巻き付くと、花ちゃんの方に引き寄せられた。

「まあ、翼君。翼君が望むなら腕だろうが足だろうが胸だろうが何だって貸すわ!」

「早嵜、変態っぽいからやめろ。」

「委員長間違ってる。変態っぽいんじゃなくて変態だ。」

「変態じゃないわ。翼君限定よ。」

「及川限定でやっぱり変態なんじゃないか。」

「失礼ね、崇高な友人愛よ。」

「行きすぎてる感はあたしでも感じてるんだけど?」

 そんな話をしていると、前の座席に座っていたおばあちゃんがにこにこしながら話しかけてきた。深い皺とにこやかな笑顔は普段接しているおばあちゃんやおばちゃんたちとは違って、なんだかお日様みたいな感じがした。

「どこ行くんだい?」

 少し訛りの入った言葉だったけど、私は何故か無性に嬉しくなって笑顔で答えた。

「コスモス畑に行くんです!」

「そうなの、随分若いけど、何年生?」

「一年生です!」

「中学一年生なの? 小さいのに偉いねぇ。」

 ・・・あれ?

 会話の流れがおかしくて首を傾げていると、両隣の体が震え出した。ちらっと見てみれば、窓際の二人も私の隣も小刻みに震えながら顔を背けている。

 ・・・ひどいと思う。

「おばあちゃん、私たち大学一年生ですよ。」

「あら、そうなの? あんまり可愛いから、おばちゃん間違っちゃったよ。ごめんね?」

 申し訳なさそうなおばあちゃんに、私はなんだかとても悪いことをしたような気がして眉を下げた。

「大丈夫です。よく間違われます。」

 主に私が。やっぱり童顔なのと背が低いせいかな・・・今の中学生って皆背が高いんだよね。そう思っていると、委員長と慧介くんの顔が引きつった。小声で「フォローになってない」って言われた。え、そうなの?

「お友達とピクニック?」

「そうです。」

「若いのにそういうのに興味があるなんて、感心だねぇ。」

 おばあちゃんは偉い偉いと言いながら、袋に入ってた干し柿を私たちに分けてくれた。なんでも、作りすぎちゃったんだって。

 お礼を言いながら私たちは甘い干し柿をもごもご頬張っていると、おばあちゃんはそっと目を細めて話をしてくれた。なんだか懐かしむみたいに。

「コスモス畑はね、ここ数年は随分見事に咲くようになったんだよ。でも、最近元気がなくてね。どうしたもんか・・・。」

「どうしてだろう?」

 私が皆を見回すけど、当然ながら皆も分からないと首を振る。

「世話をしていた人が亡くなってから、なんだか元気がなくなったんだけどね。」

 ピクッと、私が抱きついている慧介くんの腕が震えた様な気がした。思わず上を見ると、冷めた様な、でも苦しそうな表情の慧介くんがおばあちゃんを食い入るように見つめていた。

「え、前は私有地だったんですか?」

 花ちゃんが聞くと、おばあちゃんは懐かしむように寂しそうに頷いた。

「そうなのよ、もうずいぶん年のいった人だったんだけど、自分が死ぬまではここは自分で守りたいって言っててね。その人の死後にコスモス畑を利用して人を呼ぼうってことになったのよ。一人は寂しいだろうって。」

 何故かその話を聞いた時、慧介くんが微かに、苦しそうに表情を歪めた。小さな変化はすぐにいつもの無表情に戻ったけど、私は何故か泣き叫びたいような気持ちになった。

 おばあちゃんはその人がいかにコスモスを大切にしていたか、それがどれだけ見事かを話してくれた。私はそれを弾むような気持ちで聞く反面、強張った慧介くんの腕から全然力が抜けないのがなんだか怖かった。

「さ、ここよ。」

 花ちゃんがそっと夕ちゃんに囁くと、心得たとばかりに夕ちゃんが降車を知らせるボタンを押す。ブザーと同時にアナウンスが響いて、バスはゆっくりと速度を落としていく。タイヤが砂利を踏みしめる音が大きくなる。

「おばあちゃん、ありがとうございました。」

「いいのよ。楽しんできてね。」

 おばあちゃんや乗り合わせた人たちににこにこしながら見送られながら立ち上がると、慧介くんがそっと手を握ろうとするような動きをして、すぐに離れて行ってしまった。

「あっ。」

 私は思わず振り返ってしまった。そこには、まるで振り返ると思っていなかったかのような慧介くんの微かに驚いたような顔があった。その表情が、なぜだか無性に寂しく見えて胸がぎゅって詰まった。

「翼君?」

 先を行く花ちゃんに呼ばれてはっと前を向くと、すぐ近くにあったかい気配を感じる。

「及川、降りるぞ。」

 私は軽く押された背中の彼を振り返ることができないまま、花ちゃんに続いてバスを降りた。

 運転手さんにお礼を言いながら降りると、バスの中に詰め込まれた懐かしいけど埃っぽい空気から一気に解放されたような、冷たくて大きな、緩やかな空気に飛び込んだような気分になった。

「うわぁ!」

 そこは町を一望できる小高い丘の上だった。今までいた町が霞がかっていて、遠くにはちょっとだけだけど海も見える。

 バス停があるところが高いからか、その下になだらかな傾斜のコスモス畑が全体的によく見えた。

 ピンクと白、赤が混じり合った色とりどりの絨毯が、目の前を覆い尽くしていた。

「絶景ね。」

 花ちゃんが風に飛ばされないように帽子を押さえながら、目を細めているのを見上げる。

「すごいね、すごいねっ!」

 私が興奮気味に訴えていると、後から降りてきた三人も目の前の光景に目を見開いている。

「すっげぇっ!」

「夕陽、言葉遣い。」

 すかさず花ちゃんから注意が飛ぶけど、夕ちゃんは目の前の光景がとても気に入ったのか目をキラキラさせたまま手を振る。

「いいじゃんか、心からの称賛だぞ。」

「人前だからこそ気をつけなさい。」

「ま、まあまあ。」

 私が仲裁に入っているのを尻目に、委員長が「へぇ。」っと感嘆のような言葉を漏らした。

「想像以上の絶景だ。」

「・・・。」

 無言の慧介くんが同意するように微かに頷いた。でも、なんだか、その様子は・・・

「翼っ、早く行こう!」

「わぁっ!」

 突然夕ちゃんが私の手を引いて走り出す。お重を片手にすごい勢いで走る夕ちゃんに私は足を縺れさせながらコスモス畑に至る下り坂を転がるように駆け抜ける。

 坂道からも見えるコスモス畑から微かに甘い匂いがしたような気がしてそちらに目を向けていると、一瞬だけ、ひどく胸が締め付けられた。

「えっ?」

「夕陽っ! 危ないでしょう! 止まりなさい!」

「急に止める方が危ないぞ!」

「その前に、俺たちも同じ速度で追いかける方が危険なのでは・・・。」

 花ちゃんの怒涛の追い上げと呆れながらも駆けてくる委員長と慧介くんに、そして構わずに走り続ける夕ちゃんに、私は胸に浮かび上がったものが何なのかも分からないままただ必死になって走った。


 結論から言うと、その後の展開はバスから降りた勢いのまま、コスモス畑を疾走する羽目になった・・・らしい。

 どうしてらしいなのかというと、夕ちゃんの興奮と花ちゃんの怒りによって誰も足が止められなくて、広大なコスモス畑を全力で走りまわったからなんだって。

夕ちゃんの運動神経についていけない私は走馬灯みたいに目の前を通過していく可愛い色合いと空の青さ、土の茶色が何の脈絡もなく連続的に・・・そのうち断続的に見ていたら、最終的にどうなったのか私にはよく分からなかった。

 気付いた時には夕ちゃんと花ちゃんが委員長に厳重注意をされていて、私は花ちゃんたちを遠巻きに見ている慧介くんの隣で呆然としていたところで意識がやっと戻った。何があったのかは、誰も教えてくれなかったけど・・・何があったのかな?

 とりあえず、驚くべきことに夕ちゃんと花ちゃんがしばらく大人しくしているようにって委員長に言い渡されていた。うーん、珍しいこともあるんだね。

 ということで、私は一度走馬灯のように見たコスモス畑をもう一度回ることにした。

 コスモスはバスの中でおばあちゃんが言っていたように元気がないようには見えなかった。このメンバーの中では一番花と接する機会の多い私から見てもそうなのだから、やっぱりおばあちゃんの気のせいな気がしなくもない。

 なんだか消化できない思いを抱えたまま、それでもより近くで感じられるコスモスに好奇心は大いに刺激される。だってここまで大きな花畑、見たことはほとんどないもん。

 コスモスは背の低い私の胸くらいまでの高さがあって、ピンクと白と赤の、少し先端がぎざぎざした花びらがしっとりとしている。茎は強く緑も濃いし、葉は時々蜂や小さな虫が蜜を集めていて、その様子がなんだか可愛くて思わず笑ってしまった。

 特に変わった様子はない。とても綺麗で、でも何故か切ないくらいに色鮮やかで・・・とても切実な何かを感じた。


──私では分からない。あの人なら・・・


 分かってあげられるのだろうか。そんな仕方のないことを考えていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえて慌てて辺りを見渡す。ちょっと離れた位置でぼんやりと虚空を見つめていた慧介くんが、私が振り返ったことで焦点をこちらに向けてくる。

 慧介くん、さっきから口数が少ないけど・・・どうしたんだろう?

「及川、早嵜たちが呼んでる。」

「あ、うん。」

 私はたくさんのコスモスたちを掻き分けながら慧介くんの方に進む。

 私は小柄だから、歩くのもそんなに早くない。でも、それをもどかしく感じる。

 ああ、だって何故か慧介くんが、無表情のその瞳には押し殺したような何かがあるように感じて、視線がとても悲しそうで・・・。

「慧介くん、お待たせ!」

「転ぶ。急がなくていい。」

 私が差し出した手を少しびくつきながらも支えてくれる、少し体温の低い大きな手。慧介くんの何が彼自身を寂しそうに、悲しそうに見せているのか私には全然分からない。

 でも、それが、とても大きなものであることは・・・今の私でも分かる。私では、どうしようもないことくらい分かるから・・・私は何も言わなかった。慧介くんをいたずらに困らせると、分かっていたから。

「こっちだ。」

 それが、慧介くんと私たちの距離になっても、仕方ないとさえ思っていた。

 そっと引かれた手を握っても何も返ってこないことを、当たり前のように感じてさえいた。私の左手を包み込む手を見つめながら、私はコスモス畑から立ち上る奇妙な気配に唐突に思い至った。

 それは慧介くんが時々見せる、嬉しそうなのに寂しそうな、押し殺した何かの感情を奥に仕舞い込もうと無理矢理微笑んでいるような、切ないまでの優しい思いに似ている気がした。

 でも、じゃあ、もしかして・・・このコスモス畑は・・・

「つーばーさー?」

 突然近くから夕ちゃんの声が聞こえてびっくりして顔を挙げると、慧介くんの手は私の手を放して花ちゃんと何やら話をしていた。そして私の近くにはお重やらシートやらを小脇に抱えた夕ちゃんと委員長。二人とも、反応のない私を心配そうに覗き込んでいる。

 顔が近くて、ちょっとびっくりする。それと同時に掴みかけていた何かがまた霧散してしまった。今日は、なんだかそういうことが多い気がする。

「どうした、翼? 疲れちゃった?」

「千々和のせいだな。」

「委員長、うるさいよ。大丈夫か?」

 委員長が皮肉を口にすると夕ちゃんがすかさず反論する。ただし、今日は午前中に色々あったせいか、あんまり棘はない。元々、夕ちゃんの言葉って棘自体はそんなにないんだけど。

 後半にかけられた言葉が私に対するものだと気付いて、慌てて頷く。

「あ、うん。大丈夫!」

「・・・うーん、分かった。とりあえず、もう一時間は花、見たから少し移動するって。」

「移動?」

 少し納得できなさそうな委員長だったけど、夕ちゃんが何も言わないからとりあえず呼ばれた理由を教えてくれた。

「ここはあんまりメシ食うのに向いてないだろう。バスの乗客に聞いてたらしいんだが、少し離れたところに見晴らしのいい広場みたいなとこがあるらしいから、そこ行くって早嵜が。」

 ・・・さすが、抜かりがないよ花ちゃん。いつの間にそんな有益情報をゲットしたんだろう。

 私が花ちゃんのすごさに怖れ慄いていると、当の花ちゃんが私たちを手招きした。

「一通り見たことだし、お昼にしましょうか?」

 時計を見てみると、確かに。移動に時間がかかったけど、コスモス畑に来てからなんだかんだと時間が経っていた。もうお昼時だった。

「うん、分かった。」

 花ちゃんを先頭に移動する。てっきりコスモス畑から離れてしまうと思っていたんだけど、花畑の中腹くらいに開けた土地があって、そこにはベンチとかウッドデッキがいくつかあって、コスモスを見ながらご飯が食べられるみたいだった。

 私たちはウッドデッキに花ちゃんが持参した大きなレジャーシートを敷いてご飯を食べることにした。シートを敷くのは夕ちゃんと委員長、慧介くん。私と花ちゃんはお箸とかの用意。

「ご飯を食べてから、またちょっと奥にある広場でバトミントンでもしましょうか?」

 花ちゃんがそう提案してくれたのを皮切りに、レジャーシートを敷いていた夕ちゃんがいたずらを思いついた子どもみたいなきらきらした目で私を覗きこむ。

「キャッチボールとか、フリスビーもいいな。」

 うきうきとした様子に、委員長が呆れたように荷物を見る。

「だからこんなに遊び道具があるのかよ。」

 夕ちゃんと委員長、慧介くんがリュックに入れてくれていた遊び道具の数々に呆れているけど。でも委員長ってそういう遊び、実は一番好きなんだよね。毎回、夕ちゃんと白熱しているし。

 そう思いながら、紅葉柄の大きな(私以外の人は平均かそれ以上の体格なのに、全員がゆったり座れる)レジャーシートの上に乗り上げると、手にはちょっとの砂とすべすべしたビニールの感触と、その下のウッドデッキの木の柔らかさと堅さ、冷たさがじわっと広がる。それがとても嬉しい。

 皆が四隅を荷物とかで留めている間に、私はお重を包んでいた風呂敷を解いて、立派な三段のお重とリュックの中に忍ばせておいた別の二段タッパーと花ちゃんにお願いしておいたタッパーも並べる。飲み物は各自持参です。

 私がリュックから第二のお弁当を出した時点で夕ちゃんからの視線が痛かったけど・・・き、気にしないもん!

 私がお弁当の蓋を開けてお重を並べると、周りに大人しく座っていた皆から感嘆の声が上がった。

「どうしたの?」

「・・・これって・・・及川が作ったのか?」

「うん、そうだよ。」

「一人で?」

 慧介くんが何故かものすごく慎重に尋ねてくる。そんなに意外かな?

「そうだよ? おばあちゃんは自分のことは自分でって主義だから。でも、もらい物だって言って食材はくれたけどね。」

 ちなみに、この食材は皆で買い物に行った時に割り勘にしてあるので、誰も遠慮することないです。

 でも、今日は確かに頑張ったかな。慧介くんが来るって言ってたし、腕によりをかけた感じですね。

 お重の中身は定番の鶏肉の唐揚げと卵焼き、アスパラベーコン巻、ミニトマトときゅうり、ハム、ちくわ、チーズのピックとポテトサラダ。白身魚のフライときんぴらごぼう、キュウリの浅漬け、里芋の煮っ転がし、かぼちゃのミニコロッケ、ほうれん草とベーコンのバター炒め、椎茸とこんにゃくのごま油炒め。私のリュックの中のお弁当の中身は全部おにぎりとサンドウィッチ。栗ごはんのおにぎりと、三つ葉と鮭の合わせ具、昆布と柚の合わせ具とシーチキンマヨ。サンドウィッチは卵サンド、レタスとハムサンド、ブルーベリー、イチゴなんかだったかな?

 ちなみに花ちゃんに持ってきてもらったのはりんごと梨、ブドウです。

「これは・・・」

「定番でごめんね。五人分ってあんまり作ったことなくて。ささ、どうぞ!」

 皆に紙のお皿と割り箸を手渡してそう声をかけると、夕ちゃんがすかさずから揚げを持っていった。

「お、うまっ!」

「本当? カレー味とにんにく醤油味があるんだけど、どっちだった?」

「カレーだった。」

「詰める時に分かんなくなっちゃったんだよね。」

 夕ちゃんが嬉しそうに箸を進めるのを見て、花ちゃんが呆然としている委員長と慧介くんに声をかける。

「夕陽は翼君の料理だと際限がないわよ。なくなってしまうわ!」

 その言葉に三人がすかさずおかずを食べるのを見ながら、私は固唾を呑みつつ鮭と三つ葉のおにぎりを頬張る。あ、丁度いい感じかも。

 そう思っていると花ちゃんがばっとこちらを向いた。一瞬、驚く。

「これ、この魚のフライ、おいしいわ!」

「そ、そう? ちょっとスパイス効かせといたんだよね。」

 花ちゃんは卵サンドと白身魚のフライがまた合うのだと言ってご満悦だった。花ちゃん、サンドウィッチ好きだもんね。

「おお、このポテトサラダ。うまいな。」

「お酢とマスタード入れたんだ。変じゃない?」

「ん、及川にしては上出来。」

「一言余計です。」

 でも委員長はおいしそうにきんぴらとか浅漬け、ごま油炒めに手を伸ばしている。和食はなんだよね、手にしたおにぎりがすごい勢いで減っているのは嬉しいです。

 でも、慧介くんが・・・何故か動かない。

「・・・。」

「け、慧介くん?」

「どうしたんだ、渡辺。卵焼き持って固まって。」

 ハムスターみたいにほっぺたいっぱいにおかずを詰めた夕ちゃんが尋ねると、慧介くんは半ば呆然としながらこちらを向いた。ちょっと、目が潤んでいるようにも見える。

「殻でも入ってた?」

 卵割るの、たまに失敗するんだよね。

「いや・・・うまい。」

 とても嬉しそうに言われて、その言葉に、私は胸の奥からすごくくすぐったくてあったかい感情が浮かびあがってきて、下を向いた。は、恥ずかしい! 顔、熱い!

「そ、そっか。作った甲斐があったよ!」

 私は慧介くんのお皿に一通りの料理を乗せる(そうしないと皆の箸捌きに慧介くんが全く付いていけてなくて、食べられなさそうだったから)と、慧介くんからいつもよりわくわくしたようなありがとうという言葉がかけらて、また顔が熱くなった。

「いつも及川が弁当を作ってくるのか?」

 一心不乱にお弁当を食べていた皆のだけど、ほとんど食べ終わる頃になってやっと落ち着きだした。そんな時に慧介くんが聞いてきた。私は口に唐揚げを入れていたので頷くにとどめる。あ、にんにく醤油。

「毎回、材料費は翼君以外で負担して、料理はほとんど彼女に甘えているの。」

 水筒のお茶を飲みながら花ちゃんが言う。そうだね、材料費は払わせてもらえないんだよね。そこはちょっと異議申し立てをしているんだけど、聞き入れられていませんよ。

「うちはおばあちゃんと二人だし、おばあちゃんはお仕事あるから必然的に私が作るしかなくて。」

 栗ごはんのおにぎりを頬張る。栗自体は前からお家にあって、おばあちゃんの大好物だからその分だけ残して残りはおにぎりにしたけど、この栗、すごく甘い。きっとおばあちゃんも仕事の合間に満足しているんだろうな・・・後で感想でも聞いてみようかな。

「意外な才能だよな。家庭科の教師も向いているんじゃないかと思ったんだ。実際、及川は子どもに好かれるし、なによりこいつがいるとどんな癇癪持ちでもとたんに大人しくなるから教職の仕事を友達とか教師から進められていた。」

 栗が喉に詰まりかけた。今、その話になるの!?

「でも、ほら、こんな体質だし!」

「中学から比べたらよくなった方だ。なあ?」

「そうね、あの頃は眠っている時間の方が多かったものね。」

 夕ちゃんと花ちゃんがうんうん頷くのを見て微妙な気分になったけど、話は少し逸らせたからよしとしよう。

「だからこそこんな集まりをしているんだったな。」

「うん、そうだよ。あれ、言ったっけ?」

 私、確かお出かけくらいにしか行ってなかった気がするんだけど。あれ、言った?

「いや、早嵜たちが電車の中で話してくれたんだ。」

「そういえば、電車の中ではなにを話していたの?」

 合点がいったけど、実際どんな話をしてたのかはちょっと気になる。なんというか、私だけ仲間外れだったから・・・あ、別に僻んでるわけじゃないけど、なんか、寂しいじゃないですか!

「今まで行ったところに関して話してたんだ。渡辺が聞きたいって言ったから。」

 夕ちゃんが思い出話に花が咲いたと嬉しそうなのは中学時代からの友達である二人だけで、男性陣は渋面を作っていた。委員長は甘いはずのりんごを苦そうに飲みこみながら、嘆息した。どうしたの?

「俺も中学時代の集まりのことは初めて知ったけど、俺が入ってよかったと心底思ったな。」

「それは・・・俺もそう思った。」

 中学時代のお出かけ? そんなに変なの、あった?

「友達の家に泊まり込むのはいいとして、なんで家族総出で枕投げしたり、忍者大戦みたいなことしたりしてる?」

「外出というより、軽くイベントに近いな。」

 ああ、一番最初のお話だね。

私が友達を初めて得て、そんな私が友達と出来なかったことのひとつにお友達の家に遊びに行くことと泊まるってことがあったから、花ちゃんのお家で夕ちゃんも一緒に泊まりに行った。でも、何がどうなったのか夕ちゃんのお母さんと弟の亮太君が夕ちゃんのお友達に興味津々で、花ちゃんのご両親と弟の一樹くんと泰樹くん、妹の花蓮ちゃんも花ちゃんのお友達に興味津々で。そして何故か私のおばあちゃんもいて、皆でバーベキューをしてから枕投げ大会にもつれ込んだ。

 何がすごかったって、大人が一切の容赦をしないから枕大会が花ちゃんのお家全部を使った忍者大会というか・・・サバイバル状態になって、面白かったけど生き残りを賭けたゲームになっていた。

確かに世間一般という意味では違ったけど、楽しかったけどな。

「楽しかったよね?」

「そうだな、またやりたい。」

「今度お泊まり会でもする? メンバーにこの二人を加えるのもいいかもしれないわね。」

「「遠慮する。」」

 ええ、楽しいのになぁ・・・。

「及川、話を聞く限り楽しい以上になにがしかの危険性を感じる。命の危機とか睡眠や食事と言った人間の基本的な欲求とか文化的生活の大部分が保証されないような気がする。」

「・・・?」

 ええっと? 慧介くんが結構真剣な目で訴えてきたけど、ちょっと分からないよ?

「風呂も食事もまともな形で入れてないんじゃないかってことだ。」

「大人数で楽しかったよ? ご飯も確保するのに色々考えたり、隠れて食べたり、罠を仕掛けたりって頑張ったもん。」

「おかしい、特に最後が。」

 こんな話から察してもらうにように、お泊まりは保留になったらしい。

 他にも、委員長が加わるまでの遠出が突拍子もないって言う話をしているうちに、お重も他のタッパーも空になった。

「わぁ、綺麗に食べたね。多く作っちゃったから残ると思ってたのに。」

「・・・千々和もいたしな。」

「夕陽は消費量が普通の人よりも多いから。」

「おう、この中なら誰よりも強い自信があるぞ。」

「夕ちゃん、剣道で県大会、個人の部で優勝したもんね。」

「・・・及川の親衛隊。」

「もう色々諦めろ。とりあえず、及川、ご馳走になった。」

 委員長がきちんと手を合わせる。

「ん、翼、ごちそうさま!」

「おいしかったわ。ありがとう、翼君。」

「ごちそうさま。」

 夕ちゃんと花ちゃんは満面の笑みで、慧介くんはちょっと照れたように言ってくれた。それが、とても嬉しかった。


「よっしゃ、やるぞー!」

 夕ちゃんがそう言って突き出したのはビーチボール。今私たちがいるのは、さっきまでご飯を食べていた広場から離れた別の広場。ウッドデッキもベンチもない、芝生が敷かれたその場所は、結構広くて体を動かすのには最適だと思う。

コスモス畑から離れると感じなくなると思っていた寂しいけど優しい感じは、やっぱり少し薄れる。それに比例してか、慧介くんもちょっと明るい表情をしている。

「なんであんなに道具持って来といてビーチボールなんだよ。」

 委員長が前に言われてた働きってことで持たされていたスポーツバッグには夕ちゃんが用意した遊び道具が山のように入っていた。とても、重そうだった。

 夕ちゃんは委員長の質問にすごくいい笑顔を向けながら、親指を立てながら言った。

「シャトル忘れた。」

「なんでだよ! ラケットは五人分あるのにシャトルないとか、カレーの野菜とか煮込み終わったのにルーを買い忘れた並みにひどいぞ! ひどいにもほどがあるだろう!」

「・・・安藤、哀れ。」

 うーん、それはちょっと、委員長が可哀相だよ夕ちゃん。でも委員長、そのたとえでいいの?

「フリスビーは?」

 慧介くんが花ちゃんに聞くけど、花ちゃんは当然というように平然と返す。

「あれは大人数の遊びには向かないわ。同じ理由でキャッチボールも却下よ。」

「慧介くん、委員長と夕ちゃんのボール、私たちじゃ絶対にとれないくらい重くて速くて危ないからやめた方がいいよ!」

 前に体育の授業とかで野球を、冬に雪合戦をしたことがあったけど、夕ちゃんの球って本当に危険なんだよ! 全部当たるべきところに当たらないの! 私も顔面に当たったことあるし、威力が本当にすごく痛いから駄目、絶対!

 コントロールはいいのに威力が大きい委員長の球も遠慮したい。

「バレーボールみたいに直接的な被害が及びにくいものならばおそらく・・・おそらく安全よ。」

「何故そんな奴らを球技に誘った。そもそもが間違っているだろう。」

 慧介くんの言葉も半ば、夕ちゃんがボールを大きく真上に放り投げた。

 それを・・・

「ひぃっ!」

 どうしてアタックするの!? これ、本当にビーチボールなんだよね? あり得ない速さで横を通過して行ったよ!? 慧介くんが咄嗟に引っ張ってくれなかったら、私、顔面キャッチしてたよ!?

「ゆーうーひー!?」

「わ、悪い悪い。」

 こ、怖いよぉ! 夕ちゃんのボールも、花ちゃんも!

「・・・ほら、及川。」

 果てしなく遠くに飛んでいったボールを慧介くんが私に向かって放ってくれる。

 私、体質のせいでよく転んだり、滑ったりするから誤解されるけど、身体は比較的軟らかいしそこまで運動神経が悪いわけじゃないんだよ。だから、それを皆が取りやすいように上に上げたら・・・

「もらったーーー!」

「っ!」

「させるかぁっ!」

 な、何なの、これっ! 毎回だけど!

「委員長! コートないのだからアタックしないの!」

「いや、その前に安藤、大丈夫か?」

 私が挙げたボールを委員長がアタックしようとした瞬間、花ちゃんが持っていた硬めの球を委員長の鳩尾めがけて投げつけていた。丁度いい位置に入ったのか、委員長はビーチボールをアタックすることもなく、地に倒れた。

 花ちゃん、コントロールいいなぁ。

「・・・まともに遊べる奴はここにはいないのか?」

 慧介くんの言葉もまあ、分からなくはないけど、その後は多少過激だけどビーチボールでバレーをすることができた。

 なんだかんだうまい委員長と夕ちゃんが白熱する前に花ちゃんがいい感じにいなしてくれて、全員で百回以上繋げた時はとても達成感に溢れていた。意外と言うべきなのか、慧介くんが目測を誤って顔面キャッチすることが多かった。

「ぶっは、あははははっ、ひぃっ、渡辺、うけるー!」

「ゆ、夕ちゃん、人のこと言えないよ?」

 夕ちゃん、必ず人の顔面に当てるじゃない・・・。

「もっと安全な遊びにしましょう。ケイドロとか、だるまさんが転んだとか。」

「だるまさんが転んだ?」

「え、慧介くん、だるまさんが転んだ知らない?」

「子どもの遊びはさっぱりだ。」

 あ、そうか・・・入院してたって言ってたもんね。

 私が微妙な顔をしていると、それを察したのか委員長が頭をぐらぐら揺らしながら提案した。

「懐かしいな、じゃあ、やろうぜ。負けたやつは罰ゲームな。」

「ええっ!」

 な、何をやらされるのかな!?

「そっちの方が楽しいだろう。一発芸でいい。」

「一発芸・・・。」

「こういう時、言いだしっぺが一番なる確率が高いんだよな。」

 花ちゃんが呆然として、慧介くんが毒を吐く。慧介くんの毒、初めて聞きました。ご馳走様です。

「よっしゃ、オニ決めるぞ!」

「よっし、最初はグー!」

「!?」

 慧介くんがそれに対して怯えながらパーを出していた。

「え、ちょっと、どうして今出したのよ?」

「いや、タイミングの掛け声なんか初めてで・・・。」

「まじか!」

 夕ちゃんが逆にきらきらした目をしていた。仕切り直されたじゃんけんで、私がオニになりました。あちゃー。

「行くよー。」

「「「初めの一歩だよっ!」」」

「・・・?」

 他の三人に遅ればせながら、慧介くんが進む。

「だーるーまーさんがー・・・転んだっ!」

 近くの木に寄りかかって後ろを見るけど、遠くにいたはずの四人が何故か一瞬で近付いてきている様子は・・・ちょっとどころかかなり怖い。そして皆・・・

「変なポーズ取らないで!」

 わざとでしょうってくらい変な顔した夕ちゃんや決めポーズの花ちゃん、地面に倒れている委員長、直立不動の慧介くんに何故か笑いが込み上げてきて仕方がない。

 ちなみに、数回やった後のだるまさんが転んだの後夕ちゃんがすごいいい笑顔をして私をタッチした。それまでに、私に捕まった人はいない。皆、何で動かないの?

「タッチ!」

「・・・っ、す、ストープっ!」

 蜘蛛の子を散らしたような勢いで慧介くん以外が私から全力で逃げる。慧介くんが、訳も分からず右往左往していると、私にタッチした夕ちゃんが(なんで私に一番近かったのに今は一番遠い所にいるんだろう)私に「大股五歩!」と言う。大股で五歩なら・・・

「・・・よっし!」

 私はその場で助走なしにジャンプする。一歩ずつ向かって行き・・・

「ラストー!」

 と言って慧介くんに思い切り抱きついたら、慧介くんと花ちゃんが固まった。夕ちゃんは爆笑していた。委員長は、可哀相なものを見るような目で慧介くんを見ていた。

「慧介くん、オニね。」

 私がたぶんとてもいい笑顔で慧介くんを見上げると、慧介くんは私を支えながら苦虫を噛み潰したような表情をしていた。でも、目元は赤くて、それを可愛いなぁって眺めていると・・・。

「・・・、・・・、・・・及川。」

「うん?」

 その日初めて、慧介くんが私の頭に手刀を落としました。何でっ!?

 数回行っただるまさんが転んだは、花ちゃんの大学の理事長さんの祝辞風景を完璧に模写して終わった。一発芸で感心されてる図を、私は初めて見た。話し方とか仕草がとてもそっくりだった。

「ひぃひぃ、似てるー!」

「すげえな、早嵜。さすがだ。」

「・・・。」

 無言で同意している私と慧介くんに、花ちゃんは嬉しそうにしていた。

「そんじゃ・・・次は・・・」


 

 地面が揺れている気がする。あったかくて、でも細くて・・・寂しい何かが私を揺らしている。そう思って目を開けると、辺りは見知った光景で、それがどうしてか一瞬分からなかった。少し呆然としてからようやく、家までの道を夕ちゃんと慧介くんにおんぶしてもらっていることを知った。そう言えば、かくれんぼをしている最中の記憶が途中からない。

 少し日が傾いてきて、コスモス畑越しの夕焼けが綺麗だから見に行こうかなってコスモス畑に移動した。そこで見たのは・・・

「お、翼。起きたか?」

 目の前にいる夕ちゃんの顔。でも、それを見て何故かとても悲しい気持ちになった。とても寂しい夢を見ていた気がする。悲しくて、寂しくて、切ないのに強く立とうって思っているような・・・そんな夢。私じゃない誰かの、思い。

 ふと、コスモス畑の変な感じが色濃く思い出した。おばあさんが、遺しておいてほしいと願ったあのコスモス畑。それと同じ感じの慧介くんに、私は何故かとても苦しくなる。

「かくれんぼしてたら翼が見つからなくて、焦ったんだぞ?」

「・・・。」

「花畑で倒れてたのを見つけた時は、肝が冷えた。なぁ、渡辺。」

「ああ。」

「・・・。」

「もうすぐ翼の家。どっか痛い所、ない? 一応怪我してなかったけど。」

「・・・大丈夫。」

 私がやっとそれだけ応えると、夕ちゃんは微笑んだ。心底ほっとした時の、泣きそうな余韻のする笑顔だった。でも、慧介くんに負ぶわれているから、慧介くんはどうだか分からない。

「翼、今日は楽しかったか?」

「うん・・・楽しかった。」

 瞼がまだ重い。眠い。今日は、楽しかったのに・・・涙が出てきた。

「楽しかったのに・・・ごめんね。」

「翼?」

「及川、泣いているのか?」

 慌てた様な夕ちゃんと慧介くんの声。こちらを向こうとする二人を避けるように、私は慧介くんの背中に顔を擦り寄せた。

 せっかく楽しみにしてたのに。皆も、楽しんでくれてたのに・・・どうして私は皆を心配させちゃうんだろう。どうして・・・私では、私の力では・・・

「皆といるのが、楽しいの。お出かけも勿論好きだけど・・・本当は、私、誰かと居るのが好きなの。自分一人じゃ気付かないことも、できないことも、皆が力を貸して・・・私に教えてくれるの。」

 私はもっと、うまくできるようになりたいの。私が利益を得る為じゃない、私の大切な人のためにありたいの。

「皆に・・・私、返したいものがいっぱいあるの。」

 でも、どうして?

 どうして楽しいことがあったはずなのに・・・苦しいことばかりに目を向けてしまうの?

 どうして、嬉しいことだけに感謝して、ここにいられないの?

 皆そうなの? 私だけが、違うの?

 ねぇ、揚羽さん。どうして?



 夕日のオレンジ色に染まる、コスモス。ピンクも白も赤も関係なく、オレンジ色に埋め尽くされた花々は、何故か白黒に見えた。それでも、精一杯というように、光を受けて輝いていた。

太陽に追い縋るように風に撫でられた花が、寂しそうにざぁっと啼いていた。

 その時私はこう思った。

 ああ、遺して行かれたんだって。


 置いて、行かれたんだ、って。


 どうしてか、そう思った。

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