秋に咲く桜 ①
中学生の時、夕ちゃんと花ちゃんが私に約束してくれたことがある。それは皆で遠足に行くこと。
小、中学校の頃の行事にまともに参加できなかった私の為に、三人で遠足と称して遠出をするようになった。遠出って言っても、私の体質上、そこまで遠出でもないって知ったのはつい最近だけど。せいぜい、電車で二駅分くらいかな。それでも外出の経験がほとんどない私としてはとにかく嬉しかった。
高校入学後は計画を立ててる所に委員長が加わって、遠足にするか登山にするか運動会にするかで花ちゃんとものすごい論争をして以来、委員長も参加してくれてる。
ちなみに、委員長と花ちゃんの舌戦には夕ちゃんも私も加わることができなくて、観戦してた。すごく早口であまり聞き取れなかったから、私はお茶を飲みながらだったけど二人ともすごいなって思いながら見てた。夕ちゃんは途中から腹筋がおかしくなるって言いながら椅子の上で悶絶していたっけ。
今年の開催日時を決めようってことになって、夕ちゃんが委員長を引きずりながら食堂に現れた。これも毎年恒例のこと。それは花ちゃんの希望で、委員長との論争は負けることもあって悔しいけどいい案が出てくるんだって言ってた。
そんなこんなで夕ちゃんと花ちゃんと委員長と私で話し合いが始まった。
丁度おやつ時の食堂は購買部が開いているだけじゃなくて、食堂の人がスイーツを用意してくれたり、たまに製菓の子が安く作品を売り出したりしている。今回も花ちゃんと一緒に新作を買い込んで待っていると、意気揚々とした様子の夕ちゃんと盛大に顔を引きつらせた委員長が席に着いた。
「よくこんなに買い込んだな・・・。」
「栗のお菓子があったんだよ! あとさつまいもとりんごと梨と」
「いや、いい。そんなに説明しなくていい。」
委員長が呆れながら花ちゃんの正面の席に座って、おもむろに紅茶のペットボトルを机に並べながら栗のモンブランを引き寄せる。
「代金は後で払う。」
「大丈夫よ、当日働いてもらうから。」
「・・・ああ、お前はそういう奴だったよ。」
委員長は花ちゃんを合理主義者で効率最優先という。花ちゃんは委員長のことを猪突猛進の完璧主義者という。お互いがお互いを認めているのに、高すぎるプライドが歩み寄りを阻害していると言ったのは、夕ちゃんだったかな。
とにかく火花を飛ばす二人の話を噛み砕くと、お菓子代の代わりにお出かけ当日に委員長に何か任せるみたい。じゃあ、この紅茶、貰っていいのかな?
私は紫イモのティラミスで甘くなった口の中を意識しながら視線を紅茶のペットボトルに投げていると、夕ちゃんがキャップを開けて私の前にペットボトルを置いてくれた。
いいのって視線で問いかけると「そのために買ってきたんだ。あ、そこのプリン貰うぞ」と言われたので、プラスチックのスプーンを置いて、紅茶を引き寄せつつ、プリンを夕ちゃんに渡した。かぼちゃプリン、生クリーム添え。
「ほら、翼。口開けてみ。」
紅茶で甘いのをリセットしたら、夕ちゃんから声がかかった。反射的に口を開けると、ほっこり甘いのに苦くて、でもふわふわな甘さもあるものが入ってきた。
「・・・、・・・、・・・。」
「うまいか?」
こくっと頷く。うん、おいしい・・・ほっこりかぼちゃ、甘さ控えめな生クリームがキャラメルにマッチしていて非常に美味です。
「おいそこ、ラブシーン演じてないで予定決めるぞ。」
「夕陽、ずるいわ。翼君、こっちもおいしいわよ?」
花ちゃんが口元に運んだものをまた反射で食べると、口の中にさっぱりしたりんごの甘さと冷たくてふにふにした感触が広がる。うん、これもおいしい。花ちゃんがリンゴゼリーよって言いながら窺ってくるので、頷いた。
「・・・お前ら、及川に餌付けしてないでさっさと始めるぞ。」
委員長がすごく低い声で言いながら手帳を開くのを眺めていると、夕ちゃんがプリンを頬張りながら委員長の手元を覗きこむ。それに対して、委員長がちょっと嫌そうに身を引いているけど、跳ね退けてないから本気ではないようです。
「で、今年はどうしようか。」
「毎度毎度・・・千々和。何にも決まってない状況で俺を巻き込むな。」
「よく言うわ。毎年この時期になると、この辺りのお花見スポットとかお勧めハイキングコースとかの特集が掲載されている雑誌を購入しているのに。」
「ばっ・・・!」
「え、そうなの? 委員長、そんなに楽しみなの?」
私はなんだか嬉しくなった。元を辿れば私のせいで皆に迷惑かけているようなものだから、少しでもそれを心待ちにしてくれているとほっとする。
私が委員長に尋ねると、何故か委員長が言葉に詰まった。唇をわなわな震わせているから、怒っているのかと心配になってくると、夕ちゃんが委員長を小突いた。
「ほら、リラックスリラックス。」
「・・・うるせーよ。いいか、及川。」
「なに?」
なんだかいつもより目つきが鋭いよ。それから何か顔が赤い・・・。
「俺はやるからには完璧なものを目指す。」
「うん、知ってる。」
なんてったってクラスの副委員長として働いてましたから。委員長の完璧主義は知ってるよ。
「その俺が、杜撰な計画で遊びに行くと思うか?」
「え、うーん・・・」
「おい、どうしてそこで悩む?」
「だって・・・委員長が遊んでるとこって想像できない。」
杜撰なままでは終わらないのは分かっているけど・・・遊びには行くかな。そんなことを考えていたら、夕ちゃんと花ちゃんがすごい勢いで顔を反らして、肩を震わせている。委員長はというと、赤かった顔色が少し青くなっている。混ざって紫色にならないところが人間のすごいところだと思う。
「及川・・・。」
「だって委員長はいつも勉強してるか、本読んでるか、委員会の仕事してるかで頑張ってるところしか見たことないなって。いつも真面目できちんとしてるからあんまり息抜きしてるところも知らないよね。最近は会わないし・・・」
高校時代からお世話になっているけど、毎年恒例の遠出でもあんまりはしゃいだところとか見なかったし、最近は学部が違うせいか全然合わないし、そもそも医学部に行っちゃってほとんど会えなくなったから、余計に委員長のことを知らない。そう思うと、私って結構委員長のこと知らないんだなって思った。
「でも、今回も一緒に遊びに行けるんだよね。じゃあ、のびのびできるし、はしゃげるよね。委員長も私たち相手だったら気を張らなくていいし、羽目を外して楽しめるでしょう? 楽しみだね!」
私は内にこもるせいか、時々周りのことをよく知らない時がある。この機会に、もっと委員長の事とか、夕ちゃんや花ちゃんのこととか知れたら、また何か変われるのかな?
と思って皆の方を向くと、何故か皆固まっていた。
「・・・どうしたの?」
花ちゃんが頬を手で包んで目をキラキラさせてる。夕ちゃんはあっちゃーって言いながら額を抑えているし、委員長は口元を手で押さえてそっぽを向いている。皆、どうしたの?
そう思っていたら、委員長が機嫌悪そうに眼鏡の奥の眼光を鋭くして私を一瞥した。
「天然たらし。」
「ええっ!?」
たらし呼ばわりされた。ひどい、今のどこら辺がたらしだって言うの!?
「無意識なんでしょうけど、他人に対して異様に観察力があるのよね。褒め上手だし、人のことを疑わないから翼君といると安らぐわ。」
「素直だからな。」
夕ちゃんが苦笑しながらプリンを口に運んでいる。花ちゃんが頬を紅潮させながら私の頭を撫でる。ええ、これどういうこと? 褒められてるの? 怒られてるの? けなされてるの? でも、夕ちゃんと花ちゃんの様子だと悪いことした感じじゃないよね?
私が、訳が分からないと視線で訴えていると、委員長がやっと表情を緩めてくれる。でも、モンブランを切り分けながら眉を少し下げる。心配してくれてる時の表情になる。
「おい、こんなの飲みに連れて行くなよ。あっという間に餌食になるぞ。」
「そこはぬかりないな。帰りは大体あたしか花音と一緒だ。」
「それに翼君は自分から行かないのよ。」
そうなのかって視線を受けて、私は小さく頷いた。誘ってくれるお友達は多いんだけど、高校時代からのお友達は私の体質を気遣ってくれてご飯だけで私を商店街まで送ってくれる。大学からのお友達はよく飲みに行こうって言われるけど、私自身迷惑かけたくないし、階段で転落したのをきっかけにあまり誘われなくなった。当たり前のことだと思う。
だって楽しい時に空気を壊しちゃうのが、私だから。心から楽しめないのは私も悪いと思う。委員長を見て頷いて見せると、委員長が何故かばつの悪そうな表情でモンブランを口に運んだ。
「そういう意味で言ったんじゃ・・・まあ、お前が真実行きたくないならいいけどな。」
委員長がそう言って、話は終わりだというように手帳を机に広げた。
「今回はこの日取りでいいな?」
示された日を見て全員がすぐに頷いた。
「その週の天気予報とイベントによる込み具合を考えたのだけど、比較的涼しいし、天気もいいから今までで一番遠出ができると思うわ。」
花ちゃんがプリントアウトした週間天気予報とイベント開催地がペンで書き入れられた地図を机の上に広げる。スイーツを避難させつつ、洋ナシのタルトを引き寄せて切り分ける。
「夕ちゃん、あーん。」
「あー。」
夕ちゃんの口にタルトを運ぶと、夕ちゃんはおいしそうに右手の親指を立ててくれた。美味しいって合図にホッとする。そうしていると委員長の方から大きなため息が漏れた。今日はため息多いな・・・疲れてるのかな?
「・・・で、まずはどこに行くかだが、どこか行きたいところはあるか?」
「動物園。」
「「却下。」」
「なんでだよ!」
夕ちゃんの提案は花ちゃんと委員長によって一瞬で拒否された。息、ぴったりだったね。
「あんな獣臭い所にわざわざお金を払って行きたくないわ。」
「近場の動物園のスケジュールを見ろ。遠足の時期に空いてるわけないだろ。」
身も蓋もないことを言う花ちゃんとスケジュール帳を突き付けてくる委員長に夕ちゃんがたじろぐ。
「じゃあ、遊園地は?」
遠足の日程にも入っていないし、獣臭くもないって自信満々に提案してみた。
「翼君、人が多くて貴女が倒れるわ。」
「ガキかよ・・・。」
でも、またもや花ちゃんと委員長に一蹴されちゃった。しかも、私が理由で却下されてしまった。なんだか申し訳ないと思っていると、夕ちゃんがちょっと不機嫌そうになる。
「なんだよ、否定ばっかりなら代案出せばいいじゃないか。」
拗ねる夕ちゃんに花ちゃんがはいはいって言いながら、パンプキンパイを差し出している。かぼちゃ好きの夕ちゃんが一気に機嫌を直すのを、委員長が「単細胞」って言ったのが聞こえた。夕ちゃんは素知らぬ風だけど。
委員長が頭をペンで掻きながら、閃いたというように私を差す。あの、ちょっと怖いです。
「植物園は? 確か及川がよく行っていたと聞いたが?」
「私に喧嘩でも売っているのかしら?」
「私は楽しいけど、たぶん皆が暇になっちゃうと思うんだよね。」
花ちゃんが凄みながら委員長のペンを軽く押さえる。花ちゃん、花粉症だもんね。嬉しい申し出だけど、植物園にこのメンバーで行ってもたぶん夕ちゃんとか委員長は楽しくない気がする。そして花ちゃんはそれどころじゃない気がする。
「外が駄目なら今回は室内にしてみる? 美術展とかは?」
「委員長と花音はいいかもしれないが、あたしと翼が美術でどんな成績だったか忘れるなよ。」
「そんなに駄目なのかよ。千々和はともかく及川も。」
「あたしはともかくってどういう意味だよ、喧嘩売ってんの? 言い値で買うけど?」
「ど、ドウドウ、夕ちゃん、ドウドウ。」
駄目だよ夕ちゃん、そんなことしたら委員長が死んじゃうからって必死になって止めると、冗談だよって笑われた。うーん、夕ちゃんの冗談、たまに分からないんでよね。花ちゃんとは違う意味で、すごく突飛なことすることがあるから・・・。
委員長はそんな私たちを尻目に、不思議そうに私を見てから、私や夕ちゃんの勉強のお世話をしてくれてる花ちゃんに視線を移した。花ちゃんは、とても気まずそうに、というか憐みのたっぷりこもった悲しそうな目で私を見た。
「・・・それは、その、なんて言うのかしら・・・夕陽は下手だけれど・・・その、翼君は・・・近年稀にみる・・・絵心の持ち主よ。」
「早嵜・・・その言い方・・・」
褒められた気がしない。たぶん褒めてないんだろうけど、それならそれでそんなに気を遣わないでほしい。心遣いが逆に痛い。
「しかも、美術館以外の室内観光は買い物とかになるからな。全く意味がないだろう、外に出ることを目的にしてこの時期にやるんだぞ。」
委員長がそう言うと、全く決まらないまま全員の手札がなくなってしまった。そうだね・・・そろそろ始めてから年単位で時間が経ってるから、少しだけの遠出でも行ける所は行き尽くしちゃった感じだもんね。うーん、困ったなぁ。
どうしたものかなって思いながら、しばらくあーでもない、こーでもないって雑誌やらプリンとやらを挟んで委員長と花ちゃんが議論を繰り広げる。展開の早いそれに全く付いていけない私と夕ちゃんはそれを見ながらお菓子を無意識に口に運び続ける。
議論が白熱して、周りからなんだか注目され始めた頃、ふと何かに引っ張られたような気がして顔を挙げる。そこでばっちり目が合った。
あちらも私に気付いているらしく、動きが止まる。私は久々のその姿に嬉しくなって、席から立ち上がった。
「慧介くん!」
私が食堂の入口に向かって手を振ると、予想以上に大きな声だったのかその場の大体の人に見られて、私が呼んでしまった人へも視線が集まる。私はすとんっと椅子に着地して、周りを窺うと、夕ちゃんがきょとんとした顔、花ちゃんが難しそうな顔、委員長が同情の目をしていた。
慧介くんは常より早い足取りで私たちのいるテーブルまで来た。テーブルと椅子の間を縫うように移動する慧介くんを凄いなと思いながら迎えると、傍に立った慧介くんが渋い顔で私を見下ろす。
「及川・・・」
「あはは・・・ごめんなさい。」
乾いた笑い声を洩らしてから素直に謝った。うん、私が悪かったです。
渋い顔の慧介くんは夏より少し痩せたように思った。顔色はそこまで悪くないから(って言いつつも、私より白いんだけど)夏バテでもしてたのかなってちょっと考えていると、その場を見渡して慧介くんが首を傾げている。
「何をしているんだ?」
「あ、あのね、今度皆でお出かけするの。それでね、どこに行こうかって今決めてるの。」
そう言うと、慧介くんは少し目を見開いてから、感情の浮かばない表情のまま私を見てちょっと目を細める。笑っているような気がした。
「へぇ、仲がいいな。」
「そう思う!?」
「ああ。」
慧介くんの言葉に仲良しだってってにこにこしながら振り返ると、夕ちゃんだけがよかったなと頭を撫でてくれた。委員長は渋い顔で、花ちゃんは微妙な顔をしている。もっとよく言えば、一生懸命笑いをこらえてる顔をしてる。
どうしたんだろうと思っていると、その意図を汲み取ったらしい委員長が地を這うような低い声で今は自分よりも高い位置にある慧介くんの顔を睨みつける。眼鏡の奥の眼光が・・・!
「・・・おい、渡辺。言っておくが俺も行くんだが?」
「・・・。」
慧介くんが意外そうに目を見開いて固まった。それを見て、花ちゃんがより一層微妙な表情をしている。笑わないように必死になっているけど、口元を押さえている左手が痙攣を起こしているみたいに震えている。だ、大丈夫かな・・・。
それを気にしながら私が簡単にこの集りの経緯を話すと、慧介くんは感慨深そうに委員長を見下ろしている。
「なんだよ。」
「いや、安藤がそういうのに参加すること自体に違和感を覚える。」
「ほっとけ、俺だって早嵜や千々和が・・・やっぱりなんでもない。」
途中で言葉を切った委員長が微かに私に視線を向けた気がしたけど、すぐに慧介くんを見上げる。
「渡辺こそどうしたんだよ。今日は授業がない日だろう。」
「生憎と教授に呼ばれていた。実習の関係で。」
「ふぅん、そりゃ大変だな。」
「安藤と俺は同じ班なのだから、次に呼び出されるのはあんただからな。」
「誰だよ、教員は。」
「高城教授だ。」
「おい、今日俺は別件で呼ばれたが、そんな話一言も聞いてないぞ。」
「俺に言われても困る。」
うーん、愛想こそあんまり感じられないけど、もしかしてこの二人・・・
「・・・仲良し?」
私が夕ちゃんを振り返ると、夕ちゃんも机に頬杖を突きながら二人のやり取りを眺めている。
「だな。お互いのこと、なんかよく知ってるように聞こえるんだけど。委員長が男子にこんなに突っかかるの、珍しくないか?」
夕ちゃんが花ちゃんに話を振ると、栗の入ったどら焼きを小さく千切って食べていた花ちゃんが、大きな栗の入った欠片を私の口に入れながら頷く。
あ、栗もおいしい。
「そうね、彼は何でもそつなくこなす方だから、人間関係も後腐れないわね。言い換えれば淡白な付き合いしかしないように感じていたわ。」
「おい、そこの親衛隊。人の噂を本人の前でするな。」
「噂なんてしていないわ。分析よ。」
「余計にたちが悪い。」
うん、なんか新鮮だな・・・委員長が同い年くらいに見えるよ。いつもとても自信満々だから年上な気がするんだけど、そう言えば誕生日的には一番年下なんだよね。とても意外。
委員長と慧介くんと花ちゃんの楽しい会話が続いているのを聞いていると、ふいに夕ちゃんが声を上げた。
「そういえば・・・渡辺はこういうの考えるの、得意なんじゃないのか?」
「は?」
慧介くんが夕ちゃんの言葉に意表を突かれたように目を見開く。
「翼から聞いたんだけど、渡辺って結構色んなところ歩き回ってるみたいだし。」
「・・・夕陽、まさか・・・」
花ちゃんが少し蒼褪めながら夕ちゃんの発言を諌めたけど、そのくらいで怯む夕ちゃんではない。まあまあと花ちゃんを手で制しながら慧介くんにいたずらっぽく笑った。猫のような、でもとても大人びたドキッとするような笑顔。実際にドキッとしてたのは私だけみたいだったけど。
「どうせだし、渡辺も一緒に来ればいいじゃん。男性陣が委員長だけじゃ、さすがに可哀相とは思ってたんだ。」
「そんなこと今の今まで聞いたこともないわ!」
花ちゃんが鋭く叫ぶのを、夕ちゃんがさらに手で制しながら笑う。
「いいじゃないか、人数が多い方が楽しいって言うだろう。こんだけ考えても何も浮かばないってことは、新たなメンバーを迎え入れる時期なんだよ。」
なって夕ちゃんが言う。うん、でも、確かに慧介くんならこの止まった状況を何とかしてくれるだろうし、私も慧介くんとの友好を深められるし、人数が多い方が楽しいし・・・
私がうんうん頷きながら慧介くんを仰ぎ見ると、視界の隅にテーブルについている三人がそれぞれ不思議な行動をとっていた。夕ちゃんは頬杖を突きながらにやにや猫みたいな笑顔で慧介くんを見上げていて、花ちゃんは何故かムンクの叫びみたいな絶望的な表情をしていて、委員長は何かを悟ったような表情をして虚空を見つめていた。
ええと、皆どうしたんだろう?
「慧介くん、どう? 一緒に行かない?」
「・・・いいのか?」
ちらっと他の三人を見ている。あ、えっと、そうだよね・・・皆にも聞かないと・・・
私が振り返ると、夕ちゃんが「そんなに悲しそうに眉間に皺をよせない」って言いながら、私のおでこを指で伸ばす。少し硬い指先が、私の肌をくすぐって、私は首を竦めた。
「いいっていいって。話を聞く限りだと、翼も渡辺と遊びたいみたいだし。あたしたちも新しい人間は大歓迎だ。な?」
夕ちゃんが委員長に同意を求めると、委員長は現実に復帰したようないつもの表情でこともなげに返した。
「まあ、確かに。いつも同じメンバーじゃ、刺激もなければ発展もない。いいんじゃないか?」
残るは花ちゃんと思いながら隣を見ると、なんだかずいぶん怖い顔で慧介くんを見上げていた。見上げられている慧介くんは立っていることもあってこちらより目線はずっと上なのに、なんだか居心地悪そうだった。視線を泳がせている。
「花ちゃん、駄目?」
私が花ちゃんを覗きこむと、花ちゃんはそれまでの不機嫌そうな様子から一気に顔を赤らめて下を向いてしまった。もじもじと指先をいじりながら、小さな声でそっと呟く。
「・・・翼君がいいなら、私は構わなくってよ。」
「花ちゃん!」
人見知り傾向の花ちゃんから許可が出て、私は嬉しくて花ちゃんに飛びついた。けど、花ちゃんが抱きしめ返してくれる前に夕ちゃんが私を引き剥がす。
「いや、翼。そこ喜ぶとこだけど素直に喜ぶとこでもないぞ。それから今の花音に抱きつくな、危ない。」
「早嵜ー、お前、ペットボトル握り潰すつもりかー?」
見れば恨めしそうな表情の花ちゃん。その手に握られたペットボトルがすごく歪んでいた。それを持つ花ちゃんの手も、筋が浮き上がるほど力が込められている。
「・・・身の危険を感じる。」
「早嵜にかかれば大体そんなもんだよ。」
委員長が慧介くんに座るように促すので、慧介くんは少し躊躇った後に私の隣に座った。隣があったかくなる。
遠慮する慧介くんにスイートポテトを取りながらいい案がないか聞いてみる。すると、慧介くんはその前に確認したいことがいくつかあると言った。
「遠出するならばどこまでを許容範囲としているのか教えてほしい。」
「そうだな・・・最近は病気もしてないし、涼しいし、この日程中に無理な用事もないから・・・結構遠くまで行けると思うけど、どうかな?」
夕ちゃんがそう言って花ちゃんに尋ね直す。
「そうね、隣の県まではちょっと心配だけれど、これだけ人出があるならば多少山の中でも問題ないかもしれないわね。水辺は怖いから遠慮したいけれど。」
皆が私を見ながら話をする。うーん、ごめんなさい。
水辺は絶対駄目って夕ちゃんたちと加藤先生からストップがかけられている。
溺れちゃうからね。お風呂で一回溺れかけてからは、入る前に一回寝てから入るか、お湯少なめか、皆と入れる時くらいしか安心して入れないからね。川遊びの時、流されかけたし、プールでは誰が一番長く潜ってられるかの最中に寝ちゃって、救急車沙汰になった。
今では笑っていられるけど、笑えるのは当人だけだって夕ちゃんと花ちゃんと委員長は言ってた。おばあちゃんは笑ってたけどなぁ。
「なら、これは?」
慧介くんが抱えていた学生鞄から一枚の白黒のプリントを引っ張り出した。そこには、一面のコスモスが咲き乱れている写真と、ちょっとした地図がある。
「うわぁっ!」
私の声に一瞬慧介くんがびっくりしたようだったけど、何事もなかったように説明を始める。
「県境の近くの小高い山に数年前からコスモス畑がある。俺の友人が花が好きで探してきてくれた。まだ地元民くらいしか知らない穴場らしいが・・・」
「ここにしましょう。」
即答だった。しかも花ちゃんが。
「おい、早嵜。花粉はいいのか。」
「翼君がこんなに楽しそうなのに、躊躇ってはいられないわ。それに、コスモスは大丈夫よ。」
でも、山だから杉とかヒノキとかの花粉があるんじゃ・・・。
「山の木はほとんどミズナラやドングリで、アレルゲンになりそうな木はほとんどない。そもそも、そんなに大きな山じゃない。」
慧介くんが注釈を入れていると、委員長がしげしげとプリントを見て何かに気付いたようだった。
「ここ、観光スポットにしようってところじゃないか。広い公園みたいになってるんだろう?」
「そうなのか? さすがにそこまでは調べてないが・・・」
委員長の指摘に慧介くんが困惑気味に応えるのを尻目に、夕ちゃんが全員を見渡す。
「とりあえず、ここでいいんじゃないの? 花音も大丈夫だし。」
「本当? 本当にここに行けるの?」
私が皆を見渡すと、皆がなんだかすごく優しい目で私を見る。え、呆れられた!?
「翼も乗り気みたいだし、じゃあ、ここにするか。」
夕ちゃんのその一言で、今年の行き先場所は決まった。
「いってきまーす!」
「はい、気を付けて行ってらっしゃいね。」
「はーい!」
玄関前でおばあちゃんに手を振って、花ちゃんから借りたお重を持って自宅の玄関を後にした。
天気は快晴。涼しくて、風も気持ちがいい。絶好のピクニック日和だね! お気に入りのレースのついた白いシャツに少し大きくて暗めのピンク色のパーカーと、デニム生地の短パン、ストッキングに白と赤のラインが可愛いスニーカー。それからちょっと小さめのリュックという格好だけど、変じゃないかな・・・?
そんなことをつらつら考えながら、ちょっと重すぎるお重を抱え直す。うーん、作りすぎちゃったよ。
でも、ずっしりしたお重くらい、花屋さんの孫でアルバイトである私には何とも・・・
「いやいや待て、迎えに行くから待ってろって言ったのになんでそんなに意気揚々と出発してるんだよ。」
「・・・及川だからな。」
いきなりお重が手の中からなくなって、私は焦った。落としたのかと思ったけど、おばあちゃんが用意してくれた縮緬の大きな風呂敷が目の前で浮いている。
その陰からひょこっと顔を覗かせたのは、したり顔の夕ちゃんといつもの無表情な慧介くん。夕ちゃんはいつものラフな格好より少しだけ登山風味を足していて、とてもかっこいい。髪の毛も綺麗な飾りのついたピン止めがしてあって、可愛い!
「夕ちゃん、慧介くん! おはよう!」
「おはよう。」
慧介くんはあんまり普段と変わらないけど、いつも抱えているボストンバッグじゃなくて、少し大きめのリュックサックを背負っている。うん、見慣れないけど新鮮で、ちょっとくすぐったい。
「はよ。バンダナ、可愛いな。」
「この前おばあちゃんがくれたの!」
いつもは装飾品の類を全然付けない。意識を失った時に首が締まったり、引っかけて怪我をしないようにしてるから。でも、頭に布を巻くくらいならいいんじゃないのかしらっておばあちゃんが買ってくれた。赤くて花と蔦の模様が気に入っているのです!
よかったなって言いながら夕ちゃんが頭を撫でてくれるから、うんと頷いて見せた。でも、すぐに夕ちゃんはしたり顔に戻ってしまった。
「でも、翼。待ってろって言ってただろう?」
「このくらい、私が持てるよ!」
私が空中に浮くお重に手を伸ばすと、夕ちゃんは包みを頭の上まで上げてしまった。私と夕ちゃんの身長差は二十七センチ。夕ちゃんが頭上まで手を上げてしまうと、飛んでも跳ねても私には届かない。
「持てるよ!」
「だーめ。」
そう言って夕ちゃんが笑う。うう、ひどいよ!
「・・・遊んでないで行くぞ。」
夕ちゃんより背の高い慧介くんが呆れたように声をかける。同時にお重に手を伸ばしたけど、夕ちゃんはそれからも逃げる。
「渡辺も駄目だぞ。そんな細腕に持たせるくらいなら、あたしが持つ。」
「・・・。」
慧介くんから絶望にも似た雰囲気が漂ってきたけど・・・。
「よし、じゃあ駅前に行くぞ。」
夕ちゃんがリーダーシップを発揮して掛け声をかける。私は「はーい!」と手を挙げ、そのまま差し出されていた夕ちゃんの手に自分の手を乗せた。
身長が高くて今も剣道をしている夕ちゃんの手は当然私よりも大きくて、表面の皮が厚い。冬になると乾燥で割れて手を真っ赤に染めてるから、ちょっと怖い。花ちゃんはそんな夕ちゃんに「ハンドクリームを塗りなさい!」って言ってよく効くって言われているクリームを塗り込んでいたけど、夕ちゃんはそういうのに無頓着なところがあるから長く続かない。だから、夏でも荒れていることが多い。
でも、あったかくて、強い手。私は中学時代から変わらない夕ちゃんの手、好きだけどなぁ。
そんなことをつらつら考えながら、私はもう片方の手を彷徨わせた。でも、一向に何にも触れない。
どうしたんだろうと思って私は慧介くんを振り返った。だけど、慧介くんは気まずそうな、嫌そうな表情になって私を見下ろす。
「・・・なんだ、その不思議そうな顔。」
「え?」
何だって言われても・・・
私が戸惑っていると、夕ちゃんも不思議そうに首を傾げた。
「何言ってるんだ、渡辺。ほら、そっち、翼と手を繋ぐんだよ。」
「は?」
慧介くんが訳が分からないという表情をした。そう言えば、委員長も前に同じ反応をしていたような気がする。そんなに変なことなのかな?
「倒れちゃったら危ないだろ。」
うん、そうなのです。固められる時は両側を固めてもらえないと、私、あらぬ方向に倒れることがあるのですよ。前花ちゃんと手を繋いでいた時に寝ちゃって、起きたら顔面が絆創膏だらけになってた。なんでも、倒れそうになった私を花ちゃんが慌てて引っ張ったら、遠心力で花ちゃんを中心に回って、近くの電柱に激突したんだって。遠くから見ていた夕ちゃんが言うには「あんな漫画みたいなこと、やる奴がいるなんて思わなかった」だそうです。
以来、二人以上でのお出かけの時は、両側を固めてもらっている。あんな痛いのは、もう嫌です。
そう思って見上げると、慧介くんの顔がより微妙なものになった。嫌だったかな?
「ごめんね、慧介くん。嫌なら・・・」
「別に、そうじゃない。」
慧介くんは私の言葉を遮ると、意を決したように私に手を差し出した。私は許されたことが嬉しくてその手に自分の手を乗せると、ぎゅっと握った。とたん、慧介くんがちょっと狼狽える。耳とかほっぺたとか、ちょっと赤いけど・・・どうしたのかな?
「慧介くん、手、おっきいね!」
夕ちゃんも大きいけど、慧介くんの方が大きい。夕ちゃんのよりも骨ばっていて、表面はすべすべなのに何故かごつごつしてる。なんか、不思議な気分。
「・・・一応男だからな。」
「そうだったな!」
「そうだったね!」
私と夕ちゃんが当たり前か、当たり前だねって言ったらはあっと大きな溜め息を吐かれた。落ち込み気味の慧介くんを仰ぎ見ていると、夕ちゃんの意地悪そうな声が降ってきた。
「役得だな、渡辺。」
「・・・うるさい。」
慧介くんが夕ちゃんを睨んでる。でも、日々花ちゃんの攻撃をかわしている夕ちゃんは子どもをからかうようにケタケタ笑っている。本当に、楽しそう。
「夕ちゃんと慧介くん、仲良しになったんだね。」
「そうなんだよ、翼。渡辺っていじり甲斐があるんだぞ!」
夕ちゃん、なんだかんだでからかいやすい人、好きだよね。花ちゃんをからかうの、好きだもんね。花ちゃん、真面目だから楽しいんだって悪戯をしかけていた時は本当にいい笑顔だった。その後、二人で正座耐久説教をされて、立てなくなっちゃったんだけど。
「・・・もういい、行くぞ。」
慧介くんは早々に夕ちゃんの扱いが分かってきたのか、突っかからずに私の手を引いた。大人だね!
私の家から駅までは商店街を抜けてすぐ。朝、早い時間と言っても商店街の人は早起きだから通るだけで皆が声をかけてくれる。私は両手が塞がっているから笑って挨拶を返すだけだったけど、慧介くんはちょっと俯きながら少し早く歩いていた。どうしたんだろう?
「仕方ないぞ、渡辺。翼はこの辺の有名人だからな。」
「・・・。」
ねぇ、夕ちゃん。どうしてそんな哀れそうな目で慧介くんを見るの? もしかしなくても、慧介くんが俯いちゃったの、私のせい!?
私があわあわしている間に商店街を抜け、少し行ったところにこじんまりとした駅があり。大学も徒歩圏内の私たちは、学外に遠征に行くサークルに加入してるか、旅行好き、買い物好きでもない限り駅はあまり利用しない。それに今日は平日で通勤時間からずらしたから、サラリーマンの人がちらほら見かける程度。
その駅には町のマスコットキャラクターの銅像がある。マスコットキャラクターはゆるキャラで、のぺっとした牛が梅の花の尻尾を振っている。私は可愛いと思うんだけど、夕ちゃんと花ちゃんは「・・・目が、ね。」と言っていた。そうかな・・・可愛いと思うんだけどな・・・半目。
その銅像の下で、花ちゃんと委員長が人一人分の距離を開けて待っていた。
花ちゃんは本当に珍しい紺のチノパンにVネックのオレンジの綿シャツ、薄緑のボレロという爽やかだけど裾に女の子らしいフリルが使われたお出かけ衣装で、とっても可愛い! キャスケットは私と夕ちゃんが花粉症対策にって送った白いもので、ポニーテールの留め具も兼ねているみたい。対する委員長は、そのまま登山に行けそうな重装備だった。晴れているけど、これから少し山の方に上るかもだけど、でもウィンドブレーカーはいらないんじゃないかな? それに足元の登山用リュックとパンパンに詰まったスポーツバッグの大荷物は・・・何?
夕ちゃんは乾いた笑みを浮かべていて、私と慧介くんは茫然としていると、こちらに気付いた委員長がぽつっと呟いた。
「・・・グレイみたいだな。」
「・・・それ、私のこと?」
確かに、背の高い夕ちゃんと慧介くんに挟まれたら囚われの宇宙人に見えなくもないかもだけど、朝一番の挨拶より早く、そんなこと言わなくてもいいのに!
私がぷくーっと頬を膨らませて見せると、今度はフグみたいと言われた。もういいもん、委員長の馬鹿。
そう思っていると花ちゃんが私に抱きついてきた。夕ちゃんと慧介くんに手を握られていたから倒れなかったけど、ちょっと危なかった。
「おはよう、花ちゃん。」
「おはよう、翼君。相も変わらずに可愛いけれど、そのバンダナがより可愛らしいわ!」
「・・・。」
頬ずりをする花ちゃん。すごくいい匂いがする・・・眠くなる・・・。
その間に慧介くんが距離を取っていることに気付かなかった。いつの間にか、慧介くんの手が私の手の中からなくなっていてびっくりした。
慧介くんは委員長の傍に行くと、微妙な表情でこちらを見ている。
「いつもだからな。」
「なんとなく察しはついてる。」
夕ちゃんがうんうんと頷いていた。
一頻りじゃれ合ってから、夕ちゃんが咳払いをして音頭を取る。
「では、第二十回遠征を行うぞ!」
「はーい!」
私が返事をすると、何故か夕ちゃんにあたしは優しい子だねって撫でられた。
「もうすぐ電車の時間よ。はい、これが切符ね。それから委員長、毎回毎回ツッコミ待ちみたいな荷物を持ってこないでちょうだい。」
花ちゃんが登山に行けそうな委員長の荷物を睨み付ける。でも、委員長はどこ吹く風。
「山の天気は変わりやすいって言うだろう。」
「どうして医学部のくせに迷信を信じやすいの? 新興宗教に引っ掛かって破産するのは自己責任だけど、勧誘して患者さんを撒き込まないでほしいものね。」
「くせにっていうのは偏見の元だぞ。それに俺は新興宗教は信じない。ばあちゃんの言葉を信じて何が悪い。」
「理論的でない言葉を信じるのは宗教よりたちの悪い因習だわ。」
「昔の人の知恵、甘く見るなよ。雲の動きだけで天気だって先読みできるんだぞ。」
「そんなもの、翼君がいる時点でいらない心配だわ。」
なんだか口論が始まってしまう。それでも花ちゃんが順調に委員長を剥いているので、私たちは花ちゃんのお家のドライバーさんに委員長の余分な荷物を選別しながら渡していく。ドライバーさんも顔馴染みで、委員長が加わる前から私たちの遠出に協力してくれているから、このお決まりの光景にもにこやかに笑みを浮かべるばかりだった。
「いつもこんなことやってるのか?」
慧介くんが呆れたように委員長のパンパンに膨れたスポーツバックのファスナーと格闘している。
「ああ、そうだな。毎回、花音が委員長自身を剥いて、あたしと翼が荷物を分ける。最近は安全祈願のお参りみたいな感じだ。」
「入眠儀式みたいだな・・・。」
夕ちゃんが遠慮なく委員長のリュックから荷物を放り出していく。
「委員長、インドア派だからこういうアウトドア行事って勝手が分からないんだって。」
私はいるものを花ちゃんが用意した小さなリュックに入れて行く。いらないものは一旦端に寄せてあとでリュックに詰め直そうとするんだけど・・・なんでピクニックに行くのに懐中電灯とかヘルメットとかいるんだろう。お泊りじゃないのに。
「そういえば、及川がいれば天気の心配をしなくていいって言うのは?」
慧介くんの言葉に私は何個も入っていた雨合羽を落としそうになった。え、ここでそこを気にするの?
内心の私の慌てっぷりも知らない夕ちゃんが、サラッと答えた。
「翼と出かけると、大抵晴れるんだよ。」
「そうなのか?」
慧介くんが珍しそうに私を見る。その視線が、ちょっと、嫌だな。珍しそうな、他と違うものを見るような、目。
夕ちゃんはそんなこと気にせずに「これ何に使うんだよ」って洩らしながら、ドライバーセットを私に投げてくる。本当に、何に使うのかな?
「そう、翼と遠出したり縁日に出かけたりっていうのはこれまで何度もあったけど、例え台風が来てても翼が出かけると晴れる。降水確率九十パーセントでも晴れる。悪くても曇りだな。たまーに雨だけど・・・豪雨とか雷になることはないよな。」
「晴れ女なんだな。」
慧介くんがすごいなって言いながら、でも微妙な、なんだろう・・・別のところに意識を飛ばしているみたいな、心ここにあらずって感じの返事をする。
「でも、天気予報と逆の天気になった日は、翼がしんどそうになるから、あんまり天気が良すぎるのも考えものだけどな。」
そう言った時、慧介くんの表情が変わった。苦しそうな、泣きそうな、何かを我慢しているみたいな息も詰まる様な。無表情なのに、ぐっと眉間に皺が寄って、私は自分の方が悲しくなった。
「慧介くん?」
「・・・いや、あまり無理はするなよ。」
慧介くんは一度俯いてから、すぐにファスナーをやっと開き終わって中身を改め始めた。そのすぐ後に「何でこんな・・・」と言いながら、中くらいの救急箱を掘り出して呆然としていた。
でも私には、その慧介くんの呟きが、何故か違うものに向けられているような気がしてならなかった。
結局、十五分の格闘の末、委員長はジーンズにシャツ、厚手のパーカーという軽装に剥かれて、持ってきていた荷物の十分の一くらいの大きさにまでなったリュックで改札を通ることになった。ちなみに、残りの荷物は花ちゃんのドライバーさんが委員長の実家にお届けしてくれる。
「何かあったらお前らのせいだからな。」
「ただのピクニックでそれはないよ。」
私が少し気落ちした委員長の背中を慰めるようにさすると、お前が言うなってデコピンされた。痛いよぉ。
「ホームではしゃがないでちょうだい。翼君以外は落ちても助けないわよ。」
「どんだけだよ。」
そうこうしているうちに電車がホームに滑り込んできた。ちなみに、電車に乗る時は私の両脇を夕ちゃんと慧介くん、その前に委員長が並んでいる。一番初めに並んだこと、そう言えばないな。万が一、落ちたら洒落にならないって言われる。
田舎の電車、通勤ラッシュも過ぎた平日の電車の中はお年寄りの人か小さな幼稚園に入る前の小さな子どもを連れたお母さんくらいしかいない。
ボックス型の座席しかないことに、慧介くんが固まった。
「どうしたの?」
「・・・ボックス席しかない。」
「田舎だからな。」
夕ちゃんがこともなげにそう言って私を窓側に座らせて、その隣に座る。花ちゃんは私たちの対面、窓側。花ちゃんは乗り物酔いの気があるって言ってた。でも、実際に乗り物に酔うのは夕ちゃんだから、私としては夕ちゃんに窓側に座ってほしいんだけど、それが受け入れられたことはない。うーん、どうしたらいいのだろうか?
通路を挟んだボックス席に荷物と慧介くん、委員長が座る。
私たちが座ると、すぐに電車は駅を出発した。
あんまり乗る機会のない電車。その窓の外の流れる風景に気を取られていると、花ちゃんが慧介くんに声をかけた。
「渡辺君、無人駅も見たことなさそうよね。」
「あるのか?」
花ちゃんがちょっと悪意のある笑顔で言い放ったけど、慧介くんはどこ吹く風。むしろ食いつかれて花ちゃんが面食らっていた。委員長と夕ちゃんが笑ってる。
「これは上りだからないけれど、下りの電車ではいくつかあるわ。」
丁寧に答えるあたり、花音は面倒見がいいなって夕ちゃんの小声が聞こえた。花ちゃんにはばっちり聞こえていたようで、ちょっと睨まれていたけど。
「そう言えば渡辺って出身どこだ?」
委員長が思い出したように聞く。
そう言えば、私も慧介くんがどこ出身なのか、結局知らないんだよね。
皆の視線が集まって、慧介くんは居心地悪そうだった。そっと呟かれた県名は、ここから随分遠い、そして栄えた県だった。
「へぇ、随分遠いんだ。」
「どうしてこんな辺鄙な場所の大学に来たの? そちらの方が大学なんてたくさんあったのでは?」
花ちゃんの言葉はたぶん皆思ったと思う。泉楠大学は公立の総合大学だけど、特にどこかの学部が有名というわけでも、先生が有名ってわけでもない。ただ、自然に囲まれていてキャンパスが広くて、畜産系や農学部系、生物系としては恵まれているらしい。
でも、私はともかく医学部の慧介くんにはあまり関係ない気がした。
ちなみに教育学部の夕ちゃんは地元のことを知っていた方が就職した時にいいと思って、花ちゃんは環境を知ることで経済発展に繋がるから、委員長は家が近いからって言う理由で大学に入っているそうです。私も、家が近いから。
そう思うと、どうして慧介くんがうちの大学に来たのかって思って席の奥から慧介くんを窺うと、何故か苦虫を噛み潰したような表情になった。
「親元を離れたかったんだ。少しいざこざがあって。」
と言っていた。複雑な事情があったんだねって触れないようにしたかったんだけど・・・
「複雑な事情? あたしとおそろいだな!」
なんか夕ちゃんが乗っちゃった。
「夕陽、その話はやめなさい。せっかくのピクニックでしょう。」
花ちゃんが諌めたけど、夕ちゃんは気にしていなかった。中学生から変わらないねって笑っていられたのは、この時までだったけど。
「あたしのうちも親父がすっごい駄目な奴でさ! 酒飲んでは母さんとかあたしたちをぼこぼこにするし、馬鹿兄貴は家捨てるし、弟は不登校になるし、母さんはノイローゼ?みたいなのになってさ。あたしも中学の時は不良扱いで荒れて、もう大変だったのなんのって・・・」
「ゆ、夕ちゃん、慧介くんと委員長がびっくりしてるから!」
軽く話しているはずなのに、夕ちゃんの話している内容はお世辞にも軽くなかった。とある一家の崩壊とその後の再生物語って言うドキュメンタリーができそうな壮絶な話になりかけて、私は慌てて夕ちゃんを止めた。
「ん、そう? でも、そこそこ悲惨な人生だったから、あんたがどんな人生でも後ろめたく思う必要なんてないぞ!」
って言って夕ちゃんはにかっととってもいい笑顔で言った。
すごいな夕ちゃん、あんなに大変だったのに、今では誰かを励まそうとしている。私は夕ちゃんと一番長い付き合いだけど、そういうさっぱりしたところ、尊敬するな。
私が密かに夕ちゃんの今までの苦労を思い返していると、慧介くんがそっと呟いた。
「悪いが、そういうんじゃない。」
「そうなのか?」
「子どもの頃からちょっと病気がちで、入院ばかりしていた。だから、あまり一緒にいられなくて、親とも兄弟ともぎくしゃくしてしまって少し距離を置きたいと言ったんだ。それで主治医にこっちなら静養もできるし、知り合いの先生に引き継いで面倒見てくれるって言うから来たんだ。」
・・・。
「おい?」
急に黙った私たちに慧介くんが俯いていた顔を上げた。
「け、慧介くん、色々考えてこっちに来たんだねっ。」
「それなら、こっちに来たのは正解だったな!」
私と夕ちゃんが涙目になっているのを見て、慧介くんがちょっと引き攣った顔になった。
「今日は楽しもうね!」
「羽目外すのもたまにはいいだろう!」
私と夕ちゃんがさっそく荷物の中からお菓子を取り出して、慧介くんに振る舞っていると花ちゃんと委員長が生温かい目でそれを見ていた。
「まあ、この日くらい無礼講ってやつね。」
「俺たちに上下関係なんてないから無礼講も何もないだろう。」
「気を抜けってことよ。今日は大目に見るわ。」
「何で偉そうなんだよ。」
委員長が呆れながら花ちゃんの分かりにくい心遣いを拾えていなかったのを、私は残念だなって思った。花ちゃん、慧介くんのこと、ちょっと見直したって言っているのに。
「うわぁっ!」
電車は特に遅延もしないでどんどん線路を走っていく。外の景色は丁度秋ごろというのもあって、紅葉が綺麗な山とか川とかを眺められて、気持ちがいい。
窓から入り込む風は少し寒いけど、火照った頬には丁度いい。私がはしゃぎながら窓の外を眺めて、たまに身を乗り出しているとすかさず夕ちゃんと花ちゃんに服とか腰とか掴まれて引き戻されちゃうけど、次々に変わる景色がきらきらしてて、とても綺麗だった。
「すごいね!」
「そうだな。」
「そうね。」
答えてくれたのは夕ちゃんと花ちゃんだけだったけど、委員長はいつも持ってくるデジカメで景色とか電車の風景とか撮ってて、慧介くんも少し目を細めながら頷いてくれた。
電車に揺られていくつ目かの駅を過ぎても私がいちいちはしゃいでいると、花ちゃんが鞄の中からショールを取り出しながら私を呼んだ。
「翼君。」
「なあに?」
「まだ着かないから、翼君は今のうちに少しお昼寝をしておいた方がいいわ。」
「まだ早いんじゃないか?」
夕ちゃんが擁護してくれる。私としても、初めてに等しい遠出なのでもうちょっと電車を満喫したいな・・・って思っていたんだけど、心を鬼にした花ちゃんは眉間にぐっと皺を寄せながら首を横に振った。
「夕陽は変なところで翼君を甘やかさないの。着いてから寝てしまったら、そちらの方が嫌でしょう?」
「・・・はい。」
「よっし、それなら仕方ないな。翼、ほら、抱っこしてやるぞー!」
すごい速さで擁護を引っ込めた夕ちゃんが両手を広げる。その誘惑にそろっと近づきたくなる。夕ちゃんに抱っこされるの、すごく安心するんだよね・・・。
「やめなさい、夕陽。あなた、乗り物酔いがあるのに翼君を抱き抱えていて惨事になったらどうしてくれるの?」
それは・・・ちょっと遠慮したい。
そう思って近付いた体を引くと「あからさまだな、翼」って夕ちゃんが少ししょげてしまった。うう、ごめんね。でも、いくら大好きでもそれはちょっと・・・。
「翼君、私の膝枕でよかったらどうぞ。夕陽は窓側に座りなさい。」
花ちゃんが私を招いてくれたので、私はそれに甘えて膝を曲げる窮屈な体勢になっちゃうけど、花ちゃんの膝をお借りした。
なんだかお花みたいな優しい匂いがして、私はあっという間に瞼が重くなって、もう目を開けていられなくなってしまった。朝、お弁当頑張ったからなぁ・・・。
「早いな、もう寝たのか?」
「まだむにゃむにゃしているから、完全に寝入ってはいないはずよ。」
「・・・早嵜、お前やっぱりやばいぞ。」
そんな会話がよく分からないけど耳に入ってきて、身体に軽くてあったかいものをかけられる。たぶん、花ちゃんのショール・・・。
「・・・仲がいいんだな。」
慧介くんが、前に私にしたのと同じ問いかけをする。どうして慧介くんは、いつもそう言うんだろう?
「こいつらは中学の時からこんなんだったみたいだぞ。」
委員長が呆れたように説明すると、すかさず夕ちゃんの声が割って入った。
「何だよ、委員長。妬いてるのか?」
「おい、どこに妬く要素があった?」
「よしなさい、夕陽。硝子細工のような繊細な男心を粉砕するのはもうちょっと先にしなさい。」
「どんな表現だ、硝子細工って。それにもうちょっと先なら遠慮しなくていいのか?」
「ああ、うちの母さんも言ってた。すごく傷付きやすいから、男の子には優しくするのよって。」
「普通逆だろう。」
ここまではいつもの三人の話だったけど、そこに良く知る声が加わる。
「いや、女は精神的にタフだと言う。ライフイベントと言う観点からも・・・」
「渡辺、医学用語使われても分からないからな。」
「強かと言っていただきたいわ。」
「お前ら、及川が寝てつまらないからって渡辺を虐めるな。それこそ砕け散るぞ。」
慧介くん、皆と楽しそうに話していて、よかった。私が加われないのがなんだかすごく切ないけど・・・でも、よかった・・・。
──私も、貴女が楽しそうで嬉しいです。翼さん。
はっとした。今、夢の中にあの人が出てきた気が・・・
「おーい、翼。着いたぞって、あれ? 丁度起きたのか?」
私の視界に逆さまになった夕ちゃんが移ってびっくりしたけど、夕ちゃんが逆さまなんじゃなくて私が横になってて、頭の方から夕ちゃんが覗きこんだことに思い至って目を瞬かせる。一瞬、とうとう夕ちゃんが人知を超える運動神経を獲得したのかと思った。夕ちゃんならいつか空も飛べるって言ったら、委員長に鼻で笑われたけどきっと夕ちゃんはすごい人になると私は確信してるのに・・・。
「よく眠れたかしら、翼君。」
花ちゃんが上体を起こそうとした私の背を支えてくれる。まだ意識が追い付かない私がぼんやりしながら頷くと、横から委員長の疲れたような声がかかった。
「もっと早く起きてくれ、及川。こいつら、俺らを弄んで楽しんでやがる。」
「・・・性質が悪い。」
そっと隣のボックス席を見ると、委員長と慧介くんが心なしげっそりしながら椅子に沈んでいた。それより、委員長たちの窓から見えるものに私は跳ね起きて近付いた。
「うわぁっ!」
私がいきなり移動したことに皆が驚いたのは後で知った。窓の外に顔を突き出しそうになった私の服の裾をなんとか掴んで引き留めた委員長と慧介くんによくやったって夕ちゃんと花ちゃんが賛辞を送っていたなんて私は後で知った。
だって、そこには初めて目にする大きな海があったのだ。
日の光できらきらと光を反射している海は、光っているところは白いのに他は空よりも濃い青色で、絵とか写真とかで見るよりずっと綺麗で、波のせいかところどころ凸凹していてその影と光がすごく眩しい。
トンネルとトンネルの間を走っているから、海の風とかまでは分からないけど、きっととてもいい風が吹いているような、そんな気がした。
「すごーいっ!」
「そうか、翼は臨海学校も行ってなかったな。」
「うんっ!」
質問に答えながらも目線は海へ。
小学校の時にある臨海学校は当然のことながら行けなかったし、それ以降も私にとって水辺は命の危機に直結するから近付かないようにしていた。
本当は、行きたいけど。
「俺も初めてだ。」
「え?」
その言葉に振り返ると、慧介くんが私の服の裾を掴みながら目を細めて海を見ていた。その視線が何だか切なくて、でも懐かしい物を見るような感じで、初めてって言うのにどうしてそんな目をしているんだろうと思っていると、突然辺りが暗くなった。
トンネルに入ったみたい。うう、残念だよぉ。
「さあ、翼君。トンネルと抜けたらすぐに目的の駅に着くわ。準備をしましょう?」
はしゃいだ私に花ちゃんがそう言うので、私は慌てて委員長たちの席に乱入していた事実を知る。
「あ、はーい。」
そう言って花ちゃんと夕ちゃんの方に戻ると、夕ちゃんと委員長が溜め息をついた。
「危なかった・・・翼がそのまま窓ガラスに激突するかと思った。」
「俺は及川がそのまま窓を突き破って身を乗り出しそうでびびったぞ。」
という会話をされて、大げさだなって思った。大げさじゃないって全員に思われてたなんて知ったのはこれまたずっと後なんだけど。
『次は、──駅、──駅。お降りの方は・・・』
県境の町の駅の名を聞いて、私は期待に胸を膨らませながらいそいそと身支度を整えた。