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人気者の少女

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 耳元で大きな鐘の鳴る音がして私は飛び上がった。

「うわぁっ!」

 何が起こったの!? って思いながらサイドテーブルの上を見れば、中学の誕生日に夕ちゃんと花ちゃんが共同で贈ってくれた目覚まし時計が鳴っていた。

「・・・おはようございます。」

 誰にともなく・・・強いて言えば目覚まし時計に挨拶する。この目覚まし時計は体質のせいなのか、眠りが深い私でも起きられるようにと非常に強力な音がする。初めて使った日は音があまりにも大きくて、びっくりした私の声にお隣さんもびっくりしたって笑われた。ごめんなさい・・・私の寝起きが悪いせいで・・・。

 大音量の目覚まし時計を止めて、半袖半ズボンのパジャマを脱いで、着替える。今日の予定を考えて、前日に用意していた半袖ブラウスとショートパンツ、膝までのソックスを手早く身に付けて、私は部屋の中を少し片付ける。

 私の家はおばあちゃんと私の二人暮らし。一階はフラワーアレンジメント教室用の部屋とリビング、キッチン、お風呂と洗面所とトイレ、一番奥まった場所に唯一の和室であるおばあちゃんの部屋がある。二階は私の部屋ともう一つのトイレと開かずの間がある。おばあちゃんは何も言わないけど、そこはたぶん・・・お父さんとお母さんの部屋だと思う。もうほとんど物置みたいだけど。

 私の部屋には小学生の時から使ってるベッドと机、箪笥、小さな本棚と夕ちゃん曰く「溢れそうなほどたくさん」のぬいぐるみがある。大きいのから小さいのまで、形がすぐ分かるものから一見なんだか分からないものまで。それから、ベランダにミニ花壇みたいのが合って、ちょっとした野菜や果物を育てている。おばあちゃんはあまり広くない庭に本格的な畑を作っている。なすとか、ピーマンとか、トマトとか、トウモロコシとか・・・いろんな野菜。いや、助かるからいいんだけどね。

 あらかたベッドメイキングをし終わってから、私は階段を下りてキッチンに直行した。長年使っている冷蔵庫の前に貼られた、材料表を覗きこんで、何を作ろうか首をひねる。頭で大体の献立を立ててから、食材を取り出して調理開始である。

 おばあちゃんは乳児だった私を女手一つで育ててくれた。小さい頃は私の病状は今よりもっと悪くて、おばあちゃんは苦労していたみたいだけど、それでも私とお花屋さんを守ってきた。だから私は、おばあちゃんがお店を経営しやすいように小さい頃から出来る限りの家事はこなしてきた。今では、家事のほとんどを任されている。

 そんなこんなで手早くご飯を作ってから、リビングに並べて教室の方に顔を出す。

「おばあちゃん、ご飯できたよ。」

「あらそう、今行くわ。」

 おばあちゃんはとてもご老人が持てるとは思えないほど大きなバケツを軽々と持ち上げて教室の準備をしていた。我ながら、逞しいおばあちゃんを持ったと思う。

 朝ご飯を食べている時に話はあまりしない。朝は準備が忙しいから、早々に食べて自分の役割を全うしなさいっていうのがおばあちゃんの言葉です。それを聞いた夕ちゃんが「武士か!」って前に言ってた。

 食器を片付けて、歯を磨いて、普段なら鞄を持って大学に行くところだけど今日は鞄の代わりに腰に巻きつける形のエプロンをつける。

 夏休みが来た。

 その前にあったテストはなんとか、なんとか、危機を脱した。だから今年の夏は本当に課題以外はない。大学生の夏休みって・・・

「・・・長いんだよね。」

 私は植物に埋もれた商店街にあるおばあちゃんのお店の中で、唯一と言えるレジの置いてあるテーブルに伸びていた。足の長い椅子に座っているから私自身の足は床に着くことなく、宙ぶらりん状態。その分下から風が抜けて涼しい気がする。

「店番をしてくれる人ができて私は助かるわ。」

「うう、おばあちゃんの人使いが荒いよぉ。」

 とても六十歳を過ぎているとは思えない元気さで、おばあちゃんがバケツ一杯の花や植物を軽々抱えて、意外と広感じる店内を右に左に動いている。

 私はといえば、体力負けして伸びてるのに、どうしてそんなに元気なの。

「これで食べているんだから文句言うものじゃないわ。ほら、そこのバケツの水を変える。」

「はぁい。」

「返事はしっかり!」

「はい!」

 長期の休みはおばあちゃんのお花屋さんのお手伝いにつぎ込まれるんだよね。毎年だけど。

 私の家はおばあちゃんと私の二人だけで、主な収入源はおばあちゃんのお店だから、私だって手伝いは一応真剣ですよ。ちょっと体力がないだけだもん。

 そんなことを思いながらお花のお水を変える。今お店を占めるのはお盆用の菊の花や百合の花なんだけど、夏休みのフラワーアレンジメント教室は意外と親子連れに人気だから、必然的にお店に置かれる花の種類は異様に多い。

 いまは夏の花が色鮮やかに店内を飾っている。

「・・・うーん、水撒きでもしようかな。」

 アーケードがあるけど輻射熱で体感温度が異様に高く感じる。水撒きしても、商店街の人たちが怒ることなんてないことを、私はとうの昔に知っている。

 私は店の蛇口にホースを取り付けて、意気揚々と水を撒き始めた。

 フライパンを濡れたふきんで冷ました時みたいな音がして、暑いなぁって思った。

 そんなことをしているうちに、商店街の朝市が始まったから、私が慌てて水を止めていると顔見知りが通った。

「あら、翼ちゃんじゃない。」

「あー、吉田先生だ。」

 中学時代、三年間担任だった先生に遭遇した。まあ、小さい町だからね。そして買い物できる場所が商店街くらいしかないから、会う人会う人皆知り合い。

「元気そうね。」

「先生も相変わらず元気そうだね!」

「今年で五十よ。もう年ね。」

「それ、私が中学生の時も言ってたよ。」

 やっとまともな生活が出来るようになってきた中学時代、私は教室と保健室の往復を繰り返していて、吉田先生には迷惑をかけた。その時も、今みたいなちょっと困った笑顔を浮かべながら「年なのよ~。」って言ってた。でも、実際に夕ちゃんが年寄り扱いしてたら、夕ちゃんがほっぺたを引っ張られてたなぁ。

「もう大学生になっちゃったのよね。」

「なっちゃった・・・なんかなっちゃいけないみたいだよ。」

「翼ちゃんと千々石さんは進学できるか本当に心配したわ。」

 しみじみと遠い目をしている吉田先生に私は仕方ないとは言え、あんまりな成績だった中学時代の自分を恨んだ。

「夕ちゃんも花ちゃんも今は同じ大学だよ。」

「泉楠に三人一緒に? あんなに仲が悪かったのに、最後はびっくりするくらい仲良しだったものね。」

「・・・あはは。」

 色々あった私たちを目撃していた先生に言わせれば、そりゃそうだよね。あの時の夕ちゃんと花ちゃんが今の二人になるなんて、私でも予想してなかったもん。

「そういえば先生、今日はどうしたの?」

「ああ、そうだったわ。お友達の誕生日に花束が欲しいのだけど。」

「あ、じゃあおばあちゃん呼んでくるよ。」

 私は見慣れているとはいえ、まだおばあちゃんから見習い認定されているから、花束なんかは作っちゃいけないことになってる。作っても、お金は取らないっておばあちゃんは言ってた。

 おばあちゃんと吉田先生が話していると、朝市でだいたいの買い物を済ませた顔馴染みのお客さんが次々に店に顔を出し始める。

「おはよう、翼ちゃん。」

「あ、おはようございます! 今日も暑いですね・・・熱中症に気を付けてくださいね。」

「若い子に言われちゃあ、しょうがないね。」

「や、たぶん私の方が先に倒れると思うんですけど。」

「それもそうだね。」

 おばあちゃんのお店を長年贔屓してくれてるご老人たちにとって私は孫みたいなものなんでしょうねって花ちゃんが言ってた。その言葉通り、返ってくる言葉は意外と容赦がない。でも、あながち間違ってない。きっと誰よりも先に倒れる自信がある。

 指定されたお盆用の花を包んだり、注文を受けたり、世間話をしたりしている間にお昼になった。朝市が終わった商店街は比較的のんびり過ぎていくし、今日はフラワーアレンジメント教室があるからお店は半日で閉める。

 本当は私がお店の切り盛りが出来るから午後もやってもいいんだけど、花束を作る許可が出てないから閉めざるを得ない。修業したり、フラワーアレンジメントの資格なんかを取れたらって言われたから、悔しさは今は勉強のバネにする。

 お昼は朝作っておいた鶏肉のソテーと夏野菜のマリネをお店の奥の単身者用冷蔵庫と小さい電子レンジで軽く調理して、お店の奥のこれまた小さいスペースでおばあちゃんと交代で食べる。

「翼、私は教室の準備をするから、あなたは二時間くらい寝てから注文に行ってきてちょうだい。」

「・・・はい。」

 そろそろかなって思っていると、おばあちゃんは私を早々に自宅の自室に押し込んでくれた。たぶん、そろそろ例の体質のせいで倒れる。

 フラワーアレンジメント教室は午後三時からだから、私が目を覚ましたくらいで始まっているかなって思う。お昼寝専用の大きな犬のぬいぐるみに頭を預けると、すぐに意識を失った。


「うわぁっ!」

 本日二度目、盛大な目覚まし時計の鐘の音に驚いて悲鳴を上げながら起きる。うん、心臓には悪いけど、起きられたってことは睡眠は十分だったみたい。

 私は手早く髪の毛や衣服の乱れを直して、可愛いデザインの入ったヘルメットとメモ帳の入ったデイバッグを背負って階下に降りた。

「ああ、お姉ちゃんだ!」

 そこにはフラワーアレンジメント教室に参加予定の親子連れが、えっと・・・

「今日もいっぱい・・・。」

 予約は五組だったはずなのに、ざっと見ただけでも二十組近くいる。教室は店員十組近いから、入りきらなかった人は庭に面した外のテーブルも使っていた。

「こんにちは、皆来てくれたんだね。」

「おねえちゃんはやらないの?」

 足元に幼稚園の子どもたち、その輪の向こうから小中の子どもたちが集まってくる。

「うん、これから自転車で花屋さんのバイトがあるの。」

「翼ちゃん、またいないの? 大学生って暇なんじゃないの?」

 小中の子どもたちが拗ねるのを申し訳なく思う。でも、こればっかりは仕方がない。なんてったって私の生活がかかっているから。

「うん、バイトだからね。またね。」

 私は懐いてくれている子どもたちの視線を背中に受けながら玄関に向かった。子どもたちって言っても、私より背が高い子ばっかりなんだけど。

 ヘルメットをかぶって自転車に乗る。注文を受けるのにお得意様を訪ねるのは前までおばあちゃんの役目だったけど、私の方がうまく事が運ぶと知ってからおばあちゃんにはお客さんの対応を任されている。その理由を思うと微妙な気分になる。ちょっとずるしているみたいだから。でも、それがおばあちゃんの役に立つならと気持ちを静める。

 花ちゃんや夕ちゃんには危ないからって止められることが多いけど、私はよほど体調が悪くなければ自転車で移動することが多い。もちろん、危険対策としてヘルメット着用、車の通りが少ないけど人には発見されやすい道を選ぶけど。

 おばあちゃんが長年積み重ねてきた人脈のおかげか、この街に花屋さんが少ないからか、お得意様が多い。おばあちゃんから預かったリストを元に、回っていく。

 コンサートが開かれる予定のホール、結婚式場、式典が予定された美術館、改装されたプラネタリウム、それから半年も先だけど卒園式が開かれる保育園。

 特に保育園はすごかった。

「おねぇちゃーん!」

 私が保育園の先生と話をしていると、プールから上がったらしい子どもたちに囲まれた。何度か来てるし、ちょっとした理由があって私は子どもに好かれやすい。可愛いからいいんだけど。

「こんにちは、皆。夏休みじゃないの?」

「プールなの!」

「あ、プールで遊びに来たんだ。」

 暑いもんね・・・なんて暢気に他人事にできたのはここまでだった。子どもたちの小さくて、ふにふに気持ちのいい手が私の手と言わず、足と言わず、服と言わず掴む。

 あー、えーと、そのー。

「お姉ちゃん、遊んで!」

 ですよね!? こうなるよね、いや、注文に保育園が入ってる時点で覚悟はしてたんだけど、夏休みだし大丈夫かなって期待もあったんだけど、やっぱりそんなうまく事は運ばないよね。だって、私だもん!

「お姉ちゃんもプール行くの!」

「皆入ったんじゃないの!?」

「行くの!」

 と、子ども十数人に囲まれた私が助けを求めて、対応してくれていた幼稚園の先生に顔を向けると、全員可愛いものを見るような優しい笑顔を向けてきた。

 助ける気、ないでしょう!?

 そんなことをやっている間に、あれよあれよと言う間に子どもたちの気迫に負けて、連行されてしまった。でも、プール入ったばかりだからって言って、水遊びだけは何とか免れた。濡れたらちょっと帰りにくい。

 子どもたちのお母さんが夕方に迎えに来るまでよろしくねって、いい笑顔なのにすごく悪い顔の先生たちに頼まれてしまった。まあ、可愛いからいいんだけど。

 保育園も幼稚園も経験したことのない私には分からないけど、子どものエネルギーに巻き込まれる形で午後を過ごすことになった。注文は全部聞いてたし、おばあちゃんにはメールで報告と保育園で捕まってるって言っておいたから、支障はないと思う。

 お部屋の中で本を読むと子どもたちが周りに集まってきて、お外で鬼ごっこの時は久しぶりの追いかけっこにちょっと本気を出してしまった。これでも大学生なんだけど、私も周りも自覚してないかもしれないって後で気が付いた。

 お日様が真っ赤になって、昼間の熱気が風に押し流されてだいぶ涼しくなった頃、お母さんたちが続々とお迎えに来る。小さな町だし、商店街唯一の花屋さんの孫だし、私の体質もあるからか、お母さんたちは皆私のことを知っていた。むしろ、今日、おばあちゃんのフラワーアレンジメント教室に行ってきたって人もいた。

「翼ちゃんがいたのね。じゃあ、今日は皆仲良く遊べたのね。」

「え?」

「いえね、翼ちゃんがいると子どもたちが大人しくて、すごく聞き分けがいいって先生とも他のお友達のお母さんとも話していたのよ。」

「そうそう、毎日来てくれたらとっても助かるわ。」

「うちの子も癇癪がすごいのに、翼ちゃんと一緒だと大人しいでしょう? 翼ちゃん、子どもたちに好かれやすいわよね。」

「そんなことは・・・」

 私は内心のドキドキを何とか隠しながら、視線を泳がせる。見透かされているようで怖い。

「もう、照れちゃって! アレンジメント教室も今日はちょっと騒がしかったわ。皆、翼ちゃんがいると思ったから子どもたちを連れていったでしょうから、余計に騒がしかったのかもね。」

 私がいる時といない時でそんなに違うのかな。おばあちゃんは一言も言ってないけど。

 私は眠っている子どもたちを抱えるお母さんたちを見送って、先生以外誰もいなくなった保育園からお暇しようと、校舎に荷物を取りに行こうと門から踵を返す。

 その時、柵越しにこちらを見ている人物に気が付いた。最初は不審者かと思った。最近は幼稚園も警備がきつくなっているし、田舎だと思って油断していたけど、やっぱり危ないなって思っていたら、よく見れば何故か胸騒ぎがした。相手は私に気付いていないのか、子どもたちが遊んでいた校庭や校舎を焦点の合わない瞳で見つめている。そっと近付くと、そこには寂しそうな瞳。どこか遠くを見るようなその眼差しは・・・

「慧介くん?」

「・・・ああ、及川か。」

 慧介くんは特に驚いた様子がないけど、私は二週間ぶりくらいの慧介くんにとてもびっくりした。

「こんな所でどうしたの?」

「どうしたって・・・ただ散歩してただけなんだが。」

 緑色の鉄格子越しに覗きこんだ慧介くんはちょっと苦い表情で首をかしげている。

「道に迷った?」

「ああ、少し遠出しようとしたら帰りが分からない。携帯も電池が切れてしまったから、道を聞こうとしたら及川に似た声が聞こえたから。」

 それで覗いてみたってことなのかな。でも、それにしては校舎を見ていたように思うけど。

「待ってて。今行くから!」

 私が急いで校舎に戻ると、保育園の先生たちがお掃除をしていた。私を見つけるとにこにこ・・・にやにやしながら近付いてくる。嫌な予感がする!

「翼ちゃーん?」

「は、い?」

 よく分からない悪寒に顔が引きつっていると、爆弾が投下された。

「外で待ってるの、翼ちゃんの彼氏?」

「ち、違います!」

 どこからそんな考えがって思うけど、先生たちは意外そうに目を見開いた。

「え、違うの?」

「違いますよ!」

 なんですか、その意外そうな顔!

「あんなに熱心に見詰めてたから、てっきり彼氏くんをお迎えに呼んだのかと思ったわ。」

「大学の友達です! 道に迷ったらしくて・・・丁度私がいるのを見かけたから、一緒に帰ってほしいって。」

「そうなの?」

 心底不思議そうな顔をされた。私も不思議なんですが・・・。そういうと、違う先生が少し呆れたように言った。

「ほら、私が聞いた時もそうだって言ったじゃない。」

「えっ?」

 私は先生たちの話に乗れなくてちょっと首を傾げると先生が肩を竦めながら説明してくれた。

「あの子、けっこう前からあそこにいたからちょっと気になって、何かご用ですかって聞いたのよ。そしたら、翼ちゃんの友達で、道に迷ったから一緒に帰れないかと思って待ってたっていうの。学生証まで見せてくれたから、間違いないわ。」

 確認したんだ。不審者扱いされてる。えっと、ごめんね、慧介くん。

「まだ当分待つと思うから、呼びましょうかって言ったら楽しそうだから結構ですって。じゃあ、道を教えますよって言ったら、日が暮れて一人で帰すのは危ないから待ってますって。それから中で一緒にとか言ったんだけど、苦笑いされちゃったからそのままにしておいたの。」

「そう・・・なんですか・・・。」

 なんだか、もやもやした。なんでそうなのか分からないけど、とても、嫌な感じがした。なんでだろう、慧介くんはわざわざ面倒なことをしてくれたのに・・・。

『甘えていいんだ、──・・・。』

 二か月ほど前、慧介くんに諭された時のことを思い出す。夢うつつで聞いた声に頬がかっと赤くなった。何で今思い出すんだろう!

 まだにやにやしてる先生たちの攻撃から急いで逃げて、自転車を伴って門のところに行くと、門柱に慧介くんが寄り掛かって待っていた。

 夏だけど辺りは薄暗くなってて、保育園の敷地から伸びる木々の影がなんだかお化けみたいで少し怖い。慧介くんがいてくれて安心しながら、近付くと、慧介くんはどこを見ていたのかよく分からないまま俯いていた視線を上げた。

「ごめんね、遅くなって。ずっと待っててくれたんだって聞いたよ?」

「・・・ああ、別に俺がそうしたかっただけだから。」

 慧介くんが少し目を見開いたから小首を傾げていると、それに気付いた慧介くんが口を開いた。

「自転車なんて乗れたのか?」

「あ、これ? うん、バイトでね。」

「バイト?」

 慧介くんがさらに目を見開く。私はこっちだよと道を示し、慧介くんの手元を観察する。うん、荷物はないから籠に入れなくていいね。ちなみに私の籠にはメモ帳と貴重品、ヘルメット、子どもたちがくれた絵で膨らんだデイバッグが入っている。ころころになったバッグはちょっと背負いにくい。

 自転車を押しながら私はどう話したらいいのか考えながら話した。

「私、おばあちゃんと二人暮らしで、おばあちゃんは花屋さんをしているの。商店街に花屋さんがあるの知ってる? そこがおばあちゃんのお店でね、私はそこでバイトしているの。」

「ああ・・・。」

 慧介くんは納得できたという顔をした。そりゃそうだよね、私の体質では普通にバイトはできないし。

「長い休みになると家の仕事に一日狩り出されるの。それで今日はフラワーアレンジメント教室があっておばあちゃんが手が離せないから、私が注文を受けに町内を回ってたの。」

「・・・それは前から?」

「うーん、高校二年の後半くらいからだから、比較的最近だよ。注文とか配達に同行したことはあるけど。」

 一人で仕事を任された日のこと、今でも覚えている。

 いってらっしゃいって見送られて、初めて自転車で注文を受けに行った日はとても緊張した。会う人会う人皆、顔見知りだったけど、仕事で会うとやっぱり今までと違った。うまく交渉ができるかなんてほとんど賭けみたいなもので、私にはおばあちゃんのような交渉術なんてない。だけど、今できることがおばあちゃんの負担を減らすことになると思ったから一生懸命取り組んだ。これでもおばあちゃんの孫だから、見てきたことをフル活用して。

 うまくいった後はとても嬉しかった。結局、帰り道で倒れて商店街で少し介抱されてから家に帰った。珍しく家の外で待っててくれていたおばあちゃんに報告すると、でこぴんをされてからぎゅって抱きしめられた。すごく苦しくて、苦しいよって言うと、おばあちゃんはご飯にしましょうって言って、家に入って行った。ちょっと声が掠れていた。

 家の中には夕ちゃんと花ちゃんがいて、首を傾げているとクラッカーが鳴らされて、誕生日でもないのに誕生日みたいにお祝いしてくれた。ケーキには『初バイト、おつかれさま』って書いてあって、私は嬉しくて三人に抱きついてしまったのは、記憶に新しい。

「千々和と早崎はこのこと・・・」

「知ってるよ。初めて注文を受けに行った時、花ちゃんと夕ちゃん、私をお祝いしてくれたの。」

 本当は付いて行きたかったらしいんだけど、おばあちゃんに諭されて、お互いに牽制し合いながら帰りを待ってくれていたらしい。それにしても、何を牽制していたんだろう。

「だが・・・危なくないのか?」

「危ないよ。でも、そこで止まっていても私には術がないから。」

 車の運転は、たぶんできないと思う。自分だけじゃなくて、他の人も危ない目に合わせるから。だから、自転車でできることをしている。やらないと、いつまで経っても私はおばあちゃんなしでは生きられなくなってしまうから。

「少しずつでも変わっていかないと・・・私はおばあちゃんの重荷になっちゃう。頼ってばかりじゃなくて、おばあちゃんを支えたいの。」

 子どもを、私みたいに面倒な体質の子どもを育てるのはどんなに大変だったかを思うと、私はおばあちゃんをとても大切だと思う。大切だと思う。同時にとても尊敬している。だから、少しでも力になりたかった。

「・・・慧介くん?」

 でもなぜか、慧介くんが微妙な顔をしている。私、そんなに変なこと言ってる? あ、もしかして、グランドマザー・コンプレックスみたいな感じに思われてるのかな? そんな言葉あるか分からないけど・・・そんなに引く感じなのかな!?

「あの・・・?」

「ああ、いや、及川は孝行者だと思って。」

「・・・?」

 とてもそう思っているようには見えない表情だった。いつもの寂しそうな感じじゃなくて、とても気まずそうな感じの・・・。

 沈黙が落ちる。薄暗かったのが本格的に暗くなり始めた頃、街灯が多くなり始めた。もう少ししたら、商店街に着くはず。そんな時になって、慧介くんから思わぬ攻撃を食らった。

「・・・及川は、子どもと仲がいいんだな。」

「そ、そうかな?」

 いきなり話しだしたことにもびっくりしたけど、話の内容にもどきっとした。どうして今それを持ち出すのかな!?

「あんなに子どもに好かれる奴を見たのは初めてだ。」

「あはは、皆すごい元気だよね。」

「及川が埋もれているのを見て、ちょっと焦ったぞ。」

「埋もれるなんて大げさだよ。」

「・・・及川は千々和と早崎に人気だと思っていたが、他の奴らにも人気なんだな。」

 なんで沈黙が挟まったんだろうって思っていると、慧介くんがしばらく考え込むようにしてから口を開いた。

「子どもは好きか?」

「え? うん、好きだよ。可愛いし、元気だし・・・慧介くん?」

 慧介くんが今度ははっきりと苦虫を噛み潰したような表情になった。足は止まっていないけど、歩調が少しゆっくりになる。

「どうしたの?」

「・・・いや。俺はあんまりそういうのと縁がなかったから、接し方が分からなくて。」

「ああ、ちょっと緊張しちゃうよね。私も最初はそうだったよ。」

 すぐ慧介くんが元の表情に戻った。何故かそれ以上慧介くん自身に聞ける雰囲気でもなかったから、子どもたちとしたこととか珍事件について話した。

 慧介くんは質問を交えながら話を聞いてくれたけど、でもいつもの寂しい笑いが消えることはなかった。

 少しすると私の家が近くなってくる。私は駅まで慧介くんを送るつもりだったけど、うちに近い街灯の下で急に慧介くんが立ち止まった。

「及川、ここでいい。ここからなら、分かる。」

「え、でも・・・」

「あんた、家がすぐそこだろう。もう遅い。案内してくれて、ありがとう。」

 そう言うと、慧介くんは私が何かを言う前に手を振ってしまった。

「じゃあ、及川。また大学で。」

「・・・うん、またね。」

 私は去っていく後ろ姿に小首を傾げながら角を曲がって、煌々と電気の灯る我が家の門を押し開けた。その錆びた音を聞きながら、あることに思い至る。

「・・・あれ? 慧介くん、どうして私の家が近いって知ってるのかな?」

 前回、おんぶしてくれたお礼にご飯を食べて行きなよと言った時は必死に断られた。あんまりにも必死だったから諦めたけど・・・

 自転車を狭い車庫の中に押し込んで、玄関に急ぐ。そろそろお昼寝してから四時間以上経つからちょっと心配。

「ただいま。」

 玄関の鍵を閉めながら言うと、リビングからおばあちゃんが出てきた。それからいい匂いがする・・・カレー?

「おかえり、遅かったわね。」

「ごめんなさい、保育園で捕まっちゃって。それから、友達が迷っていたから、案内してきた。」

「そう。」

 とりあえずご飯だけはお腹に入れて、一時間寝てからお風呂に入ろう。前に寝ないでお風呂に入って、寝ちゃったことがあるんだよね。湯船の中で寝ちゃって死にかけたこともあるから、階段と同じくらい注意が必要なんだよね。

 テーブルにはおばあちゃんと私の食器が並んでいて、予想通りカレーだった。手伝うって言ったんだけど、あんた今危ないから駄目って言われて、椅子で大人しく待つ。

 ちなみに前、椅子から転げ落ちて頭を強打したり、切ったりしたことがあったから、背もたれと肘置きがない椅子には極力座らないようにしている。

 目の前にサラダとカレーライスが置かれて、おばあちゃんが席に着いたのを確認してから「いただきます」をする。

 注文受け取りのこととか、子どもたちのこととか、慧介くんのこととか。その時、今日散々いろんな人に言われた言葉を思い出して、口にした。

「ねぇ、おばあちゃん。」

「なにかしら?」

「私がいると、子どもたちって大人しいの?」

「子どもなんだから大人しいはずないでしょう。」

 おばあちゃんがにべもなく言うので、そうだよね、気のせいだよねって笑ったけど、咀嚼したものを飲み込んだおばあちゃんが、少し考えるように間を空ける。

「でも、そうね。お母さんたちの話では穏やかになったり、癇癪を起さないで素直になったりするって言っているわ。今日なんか、貴女がいないって知って、子どもたちもがっかりしていたけれど、親御さんたちもがっかりしていたわ。」

 私はカレーの濃い味が分からないくらい、口の中が冷たくなる気がした。でも、おばあちゃんはそれに気付かないのか、話を続ける。

「それに貴女が手伝いをしてくれるようになってから、心なし花の元気も日持ちもいいわね。」

 す、鋭い。植物のことは私もあんまりはっきり分からないし、あの人よりは分からないかもしれないけど、おばあちゃんのことだからきっと本当にそうなんだろうと思う。

 私は完全にご飯を食べる手を止めて、おばあちゃんの話に耳を傾ける。

「そう言えば貴女は昔から動物に懐かれるし、手懐けるのも早かったわね。貴女と一緒の時に商店街の会合で気まずい雰囲気になったこともないし。」

 動物は知っていた。ペットは言わずもがな、大学近くの山には野生動物が多いからその子たちに懐かれるのも知ってたし、動物園とかふれあい広場とかでもよく知ってる。でも、会合でそんなことになっているなんて知らないよ! 確かに、喧嘩に遭遇したことはないけど。

 背中を冷や汗が伝った時、おばあちゃんが全ての締め括りにこう言った。

「貴女には不思議と人を和ませる力があるのかしらね。」

 その言葉を聞いて数瞬後、とうとう限界が来たのか私は突然意識意を失って、三十分後に気が付いて顔を上げるとカレー皿に頭ごと突っ込んだらしく、顔中がカレー臭かった。

 明日は久々に夕ちゃんと花ちゃんとお出かけなのにと思いながら念入りに頭を洗いながら、私は今日一日の皆の言葉を思い出して悪寒が走った。

 私は、皆が私のことを見透かしているようで、とても怖いと思った。


【人気者の少女:終】


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