待っているから
そろそろ大学にも慣れてきたかなと言う五月下旬、私は放課後になると図書館に通うようになった。うん、間違っても勉強とかじゃありません。
「・・・あ、いた。」
ふふっと笑いながら私は嬉々として窓辺の閲覧用の机に近付いていった。
泉楠大学の図書館はあまり大きくないらしいけど、高校時代の図書館から比べたら広さは三倍以上もある。当然蔵書量も多くて、本棚が探し人を遮ることは多々ある。
私自身はあんまり難しい本は読まないけど、試験勉強とかレポートに使う本を探すのを手伝ったことは何度かあった。もちろん、花ちゃんのお手伝いです。
「わっ!」
「・・・相変わらず暇なんだな、及川。」
一番奥まった所にある閲覧スペースに座った慧介くんは、後ろからそっと近づいて声をかけた私にちっとも驚いた様子もなく本のページを捲っている。ううん、つまらないな。
「どうして驚かないの?」
「俺は及川より人間離れしてはいないが、一応本能ってもんがある。こんな人気のない場所で人間が近付いてきたらまず気付く。」
「慧介くんって鋭いんだね。」
私が褒めると、慧介くんが「反応するところがそこなのか」と溜息を吐いた。え、私なにか間違っていたかな?
「どこか間違っていた?」
「日常会話に正解も不正解もない気がするけど、確かに常人とは違うな、及川は。」
「そうだね、すぐ寝ちゃうもんね。」
「・・・。」
あ、黙っちゃった。読書の邪魔かな? 委員長とかは私が脅かした時点でヘッドロックとかデコピンを仕掛けてくる。邪魔な時は邪魔だって目だけで黙らせられるから分かるんだけど、慧介くんは今までそんなことしたことない。
無理させてるのかなって夕ちゃんと花ちゃんに相談したら、二人は委員長が普通じゃないから気にするなといってくれたけど・・・実際はどうなんだろう。
「・・・それで?」
私が急に黙ったからなのか、気付くと本を閉じた慧介くんがこちらを見ていた。
慧介くんはとても背が高くて、いつも私は見上げているからほとんど目の前に慧介くんの顔があるのはとても不思議な気分になる。こうして近くで見ると、慧介くんって美人さんなんだなって思った。
花ちゃんも前に言っていたけどとても色白で、すごくほっそりしている。委員長もほっそりしているけど、慧介くんの方は何だか儚い感じがする。それは初めて会った時から幾度も目にする寂しそうな笑い方のせいなのかな。
そんなことを考えていたから、返事をするのが遅くなった。
「・・・え?」
「今日は何しに来たんだ?」
「え、あの、慧介くんいるかなって。」
別に深い理由はない。この前助けてくれた時にもっと一緒に遊びたいって言ったら、放課後は暇だし、たいてい図書館にいるって言われたから何となく足が向いちゃうんだよね。花ちゃんと夕ちゃんにはいつも会えるけど、慧介くんは会いに行かないとなかなか会えないし。医学部の委員長はそもそも何処にいるかなんて教えてくれないし、アクティブな性格だから動向を掴むのが難しいって花ちゃんが言ってた。
「・・・あいつらは知ってるのか?」
少し躊躇ってから慧介くんが言葉を濁しながら聞いてくるけど・・・質問の意図が分かりません。
「あいつらって・・・誰のこと?」
「あんたの親衛隊だよ。」
「そんなものいないよ?」
親衛隊ってなに? 幕末に誠って旗を掲げた水色の羽織の人達なら、夕ちゃんが大ファンだったけどと言うと、それは新撰組だろって呆れられた。あ、うん、そうです。
「そうじゃなくて・・・千々和と早嵜のこと。」
「夕ちゃんは道場に行ってるよ。花ちゃんは早めに帰ったの。お家の用があって忙しいからね。あ、委員長は元気?」
花ちゃんと夕ちゃんの話をしていたら、最近会えない委員長のことが気になった。なんだかんだ、高校時代はとてもお世話になった委員長がいないのは物足りない気がする。もちろん、デコピンとかはやめて欲しいけど。
「安藤なら今日は見掛けたな。」
「・・・、あ、うん、元気ならいいや。」
危ない危ない、一瞬安藤って誰って聞きそうになっちゃった。
「今、安藤って誰だっけって思っただろう。」
心臓が跳ねた。な、ナンデワカッタノデスカ?
「そ、そんなことないよ!」
「・・・そう言うことにしておく。」
うわぁん、空気を呼んでくれた優しさが胸に痛いよぉ!
「えっと、その・・・そう言えば、今日は何を読んでいるの?」
医学部だから調べ物が多い印象があるのは偏見かもしれないけど、慧介くんは他の人よりも本を読んでいた。それは授業で使う物が大半だって言ってたけど、地元のイベント情報誌を捲っていることが多い。意外と言ってはなんだけど、慧介くんはインドア派のような気がしていたから、やっぱり凄く気にしてしまう。
「ああ、ちょっと花を見に行きたいんだ。」
「お花見はちょっともう無理だね・・・。」
いくら田舎とはいえ、桜の季節は過ぎてしまっている。
遠くから引っ越してきたらしい慧介くんはお花見を見逃しちゃったのかな。そういえば、私も入学式以来桜を見ずに過ごした気がする。でも、私の場合は仕方ない。
私は体質上、人の多い所に行くと疲れが溜まるのか、眠りの間隔が短くなりやすい。だから、人が集まりやすい場所とか季節、時間帯は外出を避けている。それは一人の時はもちろん、大勢と出かける時もそう。夕ちゃんや花ちゃんは気にするなって言うけど、でも、昔みたいに好意に甘え続けることはできない。
だって、いくら私が小さいって言っても成人に近い身長、体重で、人間一人を抱えることがとても大変なことくらい私にだってわかる。今も一日に数回は倒れる。最近は座っている授業が多いし、睡眠のサイクルも安定しているから危険はないけど、友達にかけている迷惑は自覚している。
だから、今でも外に出るのはちょっと怖かった。
だって、もし眠っちゃってこの前みたいに階段から落ちたり、道路で倒れたりしたら、もしかしたらそのまま二度と目が覚めないかもしれないことだって、私にはありうるから。こんな私を、見限らない人がいないとは言い切れなくて・・・自信がなくて。
ああ、でも・・・こんなこと、他の誰にも言えはしない。
私の根底にある苦痛が叫び出しそうになった時、慧介くんの声が耳に届いた。
「桜が見たいんじゃないんだ。」
「・・・え?」
慧介くんの言葉に首を傾げると、慧介くんが補足してくれる。
「蓮の花が見たいんだ。」
「・・・蓮の花?」
「ああ、ちょっと前から興味があって・・・でも自然には咲いてないから、どこか栽培しているところがないか探している。なるべく近場がいいんだけど、及川はいい場所を知らないか?」
大学生の男の子がお花に興味があるのはとても珍しいことなのかもしれないけど、慧介くんなら何の違和感もないのはやっぱりあんまり男の子っぽくないからかな。
それはともかく、ここは地元密着型の花屋さんの孫として、ぜひとも協力しなくては!
「若い人はあんまり知らないけど、この町には結構有名な植物園があるの。」
若い人ってなんだよと慧介くんが苦笑する。おばあちゃんの受け売りだから仕方ないし、そもそも大学生が頻繁に通っている姿なんか見たことないんだもん。
「そこの温室を最近リニューアルして水生植物園にしたの。まだインターネットでもあんまり知られてないから、混んでないかもだよ。」
「なんでそんな情報を及川が知ってるんだ?」
「うちのおばあちゃん、花屋さんで、植物園とか園芸イベントとか植林イベントとか市の人が話を通しに来ることが多いの。おばあちゃん、植木とかお花の流通に詳しいから。」
花ちゃんの話では、この町のイベント事に植物を使う時はたいていおばあちゃんに話を通した方が何かと便利がいいんだって。何がいいのって聞いたら、おばあちゃんはやり手だから交渉先もかなり譲歩してくれて、金銭的にも品種的にも得することが多いんだって言ってた。おばあちゃんすごいって感動して、私もいつかおばあちゃんみたいにやり手の花屋さんになるって言ったら、それだけはないし、出来ればならないでくれって夕ちゃんに涙ながらに止められたっけ。どうしてなのかな。
「・・・流通。」
慧介くんも私の言葉に何か引っかかりを感じたのか、そんな言葉を呟いたけど結局何も言わずに話しの先を促す。どうして皆、奥歯に何か挟まったみたいな物言いをするんだろう。不思議。
「うん、それでそこの招待券貰ったって言ってたから、あげるよ。パンフレットも付いてて、それに地図も載ってたから行き易いと思うんだ。明日でいい?」
「構わないが・・・いいのか?」
「うん、いいよ。おばあちゃんは忙しいし、私は一人じゃ外に行かないから。」
忘れないようにメモしようと、背負っていた鞄から手帳を出して明日の持ち物リストに加える。こうしないとすぐに忘れちゃうんだよね、困ったものです。そう思いながら手帳と付属のペンをしまっていると慧介くんが何故かとても言いづらそうに口を開いた。
「及川は・・・植物園に興味はないか?」
「え?」
予想外の言葉だった。夕ちゃんや花ちゃんですら、あまりこういう話はしない。お花見もしなかった。私の体調って言うのもあるけど、おばあちゃんも注文が多くなって大変だから、私もそのお手伝いとか家事でいつも以上に疲れるから危ない。夕ちゃんも合宿に行っちゃうし、花ちゃんは町おこしの季節だってこちらも相当忙しい。さらに、花粉症がひどくて寝付くこともあるから、花粉が大量に飛んでいそうな植物園なんて冗談でも誘えない。そして、他の子はそもそも植物園に行かない。
でも、私は・・・あの場所は・・・
「及川が詳しいなら、説明してくれると助かるんだが。」
「・・・好きだけど、ちょっと行けないの。」
行きたいけど、行けない。本当はあそこで会える人がいる。だけど今年はいつものように気軽にあの場所に行く気になれなかった。睡眠周期がおかしくて、一人であそこに行く勇気が出ない。行くだけなら慧介くんの誘いは願ったりかなったりなんだけど、でも、一人で行かないと、あの人に会えない。だから、今植物園に行っても意味がない。
「ごめん・・・ね。」
折角誘ってくれたのに申し訳なくて俯くと、頭の上にひんやりとした重みが遠慮がちに乗っかった。少し視線を上げると、苦笑に近い寂しそうな笑みを浮かべた慧介くんが頭を軽く叩くように撫でた。
「・・・そんなに申し訳なさそうな顔をしなくていい。あんたにはあんたの事情があるだろう。特にそんな厄介な体質なら、あの親衛隊が過保護気味にあんたを構うのも俺は少なからず理解している。」
優しい、笑顔だった。いつものようにとても寂しそうなのに、何故かとても胸があったかくなるような、安心するような笑顔。私・・・慧介くんがこんなふうに笑ってくれるのを見たの、二回目。
今が楽しいかって、幸せかって聞いてくれた時と同じ。どうして、そんな顔するのかな。
見惚れるほど綺麗な笑顔に呆然としていると、慧介くんが手を引く。あまりあったかくない掌が妙に印象に残っていた。
鞄を片手に椅子を引いて立ち上がった姿を仰ぎ見れば、いつものようにあまり感情の見えない表情で、でも何か考えているような仕草をしながら慧介くんが言った。
「招待券はありがたくいただくよ。明日・・・及川の授業は?」
「あ、私、明日はいつでも大丈夫だよ。」
確か、三時限目まであった気がするけど、その後は授業はなかったはず。
「そうか、俺は明日フルで授業が入っているから、終わったらメールする。どこにいるか、知らせてほしい。」
「うん、分かった。じゃあ、また明日ね。」
慧介くんが雑誌を返却して図書館を出るのに付いていきながら手を振ると、なんだか微妙な顔をされた。理解に苦しむって時の委員長の顔に似ていたけど、慧介くんのはちょっと動きがぎこちない。
図書館の外は見事な茜色で、地面も空も同じ色。でも、振り返った慧介くんの顔は濃い影に覆われていて、私は夕日を背にした慧介くんが眩しくてよく見えなかった。
「・・・どうしたの?」
「倒れるかもしれないと分かっていて及川を一人で帰せないだろう。送っていく。」
予想外の言葉にびっくりした。いつも花ちゃんか夕ちゃん、委員長とかが送ってくれるんだけど、まさか慧介くんまでそんなことを言い出すなんて思わなかったから。
「ええっ、いいよ、大丈夫だよ!」
「あんたに万が一何かあったら俺の命が危ないだろう。家を知られたくないなら、この前助けた公園まで行くだけだ。」
「むしろ私と一緒にいた方が心臓に悪いからいいよ!」
「・・・何でそうなる。」
慧介くんが俯いてしまった。だって、委員長に『お前は心臓に悪い』って言われるんだもん。命が危ないなんて言われたら、余計に怖いよ。
「それに慣れているから。商店街の人達はみんな私の体質のこと知っているし。」
そういうと、何故か慧介くんの眉間の皺が増えた。
「そこまで結構あるだろう。それに安心できる人間の所まで届ければ俺自身が安心できる。」
その台詞、中学時代の夕ちゃんがよく言ってた言葉だ。懐かしさに頷きそうになったけど、慌てて首を横に振る。
「でも・・・」
「あんたに何かあったら、悔やんでも悔やみきれない。後悔はしたくないんだ。」
さっきまでよく見えなかった慧介くんの白い肌が少し蒼褪めたのが分かった。その後、じっと見つめる私に気付いたのかちょっと赤くなったけど、私はどうして慧介くんが私に優しくしてくれるのか分かった。すごい、私ってなんて幸せ者なんだろう!
「・・・慧介くんって」
私が口を開くと、慧介くんが微かに息を呑んだように見えた。
「友達思いなんだねっ!」
「・・・。」
言った瞬間、慧介くんがおかしそうに笑った。お腹を抱えて笑うことないでしょう!
「何で笑うの?」
「いや、あまりに見当違いで。あんたは本当に・・・」
そこで言葉を切った慧介くんが次の言葉を口にすることはなくて、さっきまであんなに楽しそうだったのに、いつもの寂しそうな笑顔を浮かべながら私をあの公園まで送ってくれた。ありごとう、また明日ねって手を振った時も、半年前みたいにちょっと笑って小さく手を振り返してくれた。
なんでか知らないけど、喉に何か詰まったみたいに泣きたくなった。
「デートの誘いを受けた!?」
「危険よ、危ないわ翼君!」
「あれ!? いつそんな話になったの?」
次の日のお昼休み、お外が気持ちいいから三人で花ちゃん持参のシートの上に座ってご飯を食べていた。その時に昨日の帰りはどうしたのって花ちゃんが心配そうに聞いてきたから、慧介くんと一緒に帰ったんだよって言ったらなんだか花ちゃんの顔が険しくなった。夕ちゃんが気にした感じもなくその経緯を聞いてきたから植物園の話をしたら何故かそんなことになってしまった。うん、どうしてだろう。
「デートじゃないよ。事情もあって一緒に遊びに行けないし、招待券を渡すだけだよ。もう、確かに私とお出かけすると危ないけど、そこまで警戒しなくてもいいのに。」
そう言うと花ちゃんがあからさまに安心したように表情と雰囲気を緩めた。やっぱり外に出るのはみんなに心配かけるのかな。
と、ちょっと落ち込んでいると夕ちゃんがすごい爆弾発言をした。
「しっかし、意外と手が速かったんだな、渡辺って。もっとスマートな奴かと思ってたよ。」
「油断も隙もあったものではないわね。まさしく、羊の皮を被った狼ね。」
「何の話!? 慧介くんは委員長みたいに叩いたり、ヘッドロックかましたりしないよ!」
どんな慧介くんを想像してるのって声を上げると、花ちゃんがきょとんとした表情になった。夕ちゃんは微かに憐れんだような目をしている。
「・・・なに?」
「いや、今日も翼クオリティーだなって思って。逆に安心したよ。」
「なにそれっ!」
いい子いい子って頭を撫でてくれるけど、どうしてだか全然嬉しくないよ。
「でも最近翼君はことある毎に渡辺君のところに行っているわね。彼と待ち合わせでもしているの?」
そう・・・かな? 登下校は夕ちゃん、花ちゃんとでご飯を食べるのも二人が多いけど、他のお友達とも食べるし、むしろ図書館に私が押し掛けなかったら慧介くんとはほとんど会わない気もするけど。
「してないよ。ただ、この前慧介くんが放課後は大体図書館にいるから用があるなら来ればって言ったから。」
「そんなに会いに行くほど、用があるの?」
「ないけど・・・単に慧介くんになかなか会えないから、会いたいなって。」
「どうして?」
なんだかいつもの花ちゃんと違う気がする。どうしてって・・・お友達に会いたいって思うのは普通じゃないかなって言おうとした。でも、言えなかった。花ちゃんがいつになく真剣な表情をしていたから、なんだか感覚で答えちゃいけない気がする。でも、なんとなくとしか言えないんだけど、どうしたらいいんだろう。
「花音、翼を虐めるな。」
硬直してお箸が止まった私の目の前に、黄色い物が突き付けられた。びっくりして間近にあるそれを寄り目になりながら見つめると、卵焼き。唇に当たるそれに条件反射で口を開けると、突っ込まれた。うん、今日の卵焼きはチーズ入りのしょっぱい卵焼きだけど、我ながらいい感じです。
大人しく口を動かしていると、夕ちゃんが溜息をつきながら水筒のお茶を口に運んでいる。ちらっと見られた気がするけど、たぶん花ちゃんの追求から助けてくれたんじゃないかな。夕ちゃんは私のお姉ちゃんみたいだなっていつも思う。
「夕陽だって気になるでしょう、翼君が男に興味を示しているのよ。」
目標が夕ちゃんに変わっても、花ちゃんはこの話題をやめる気はないみたい。でも、あの、男に興味を示しているっていう表現は、なんだろう、あんまりいい意味じゃないような気がする。
「あのな、翼だってこんな小さいけど十八歳だぞ、彼氏の一人や二人いてもおかしくないだろう。」
「ひどいよ夕ちゃん、私、そんなに小さくないよ!」
平均よりちょっと、うん、ほんの少しだけ小さいだけだもん!
「・・・ほら、大丈夫だろ。何も変わってない。」
「そうね、杞憂のようね。」
なんで納得されたの、どうして夕ちゃんは目を逸らすの!?
花ちゃんも何故かすぐに話題を切り上げてしまって、私は悲鳴を挙げる羽目になった。
「だけど、確かに翼が積極的に関わっていく奴なのは気になるよな。」
夕ちゃんの思わぬ言葉に私は目を見開いた。
「どうして?」
「翼は警戒心が薄いわりに人見知りが強いからな。プラス周りを和ませる・・・翼の近くにいると安心するから、周りの人間が寄ってくる事の方が多い。」
え、そうかな。犬みたいに懐くってよく言われるけどっていうと、だいぶ慣れるとあんたの方が寄ってくるだけで、最初は他人に近付いていないぞって言われた。知らなかった。というか、人を和ませるって・・・えっと、そんなに顕著なのかな?
「そうね、翼君が積極的に関わっていた人なんて、夕陽以外は見たことがないわ。」
素知らぬ顔でサンドイッチを口に運んでいる花ちゃんの言葉は小さな棘があるように思った。夕ちゃんが顔を顰めたから、私の考えもあながち間違っていないと思う。
「・・・裏に何か含んでるな。」
「本当のことでしょう。」
委員長が言ってた。夕ちゃんと花ちゃんは仲がいいけど、私を挟むとライバルだって。夕ちゃんに劣等感を抱いているところがあるから、刺々しいんだって。そのことは・・・少し前に感じたことがある。
「あの頃は翼も普通の状態じゃなかっただろう。のけ者同士、気が合っただけだ。」
「気が合っているようには見えなかったわ。翼君が夕陽に懐いていたように見えたもの。あんなに邪険にされていたのにっていつも思っていたわ。」
「うんうん、あの頃はみんな仲悪かったね。」
私は数歩歩けば倒れるし、泣き虫だった。夕ちゃんは荒れてて暴力的で、花ちゃんは尊大で支配欲が強かった。
うん、何で今こんなふうにご飯を一緒に食べているのか全然分かんない。
「でも、あの頃は確かに大変だったけど・・・なんだかんだで今日まで仲良しだったから、きっと運命だったんだね。」
あの人は言ってた。運命はいつも身近にあるものだって。何でもない出会いこそが、全てを変えることになるんだって。私には分からなかったけど、あの人はいつもそう言ってた。そうである人達をたくさん見てきただろう、私の運命の女神様。
「・・・、そうだな。」
「・・・ええ、あの頃はいつも喧嘩していたわね。でも、いつも翼君がいたから変わってこられたわね。」
「ああ、そうだな。」
「私も、二人がいてくれたから今があるよ。」
怖がりな私を外に連れ出してくれた、普通の子みたいに相手をしてくれた。守ってくれた。だから、私は今ここにいるって断言できる。
「ずっと一緒にいようね。」
「あんたは目が離せないからね。」
「ええ、もちろん。夕陽、あなたもよ。」
「え、あたしは翼ほどうっかりしてないぞ。」
「うっかりってどういうこと!?」
険悪な雰囲気に気付かないからだって言われたけど、いつ険悪だったのって聞くとはぐらかされた。
「教えて!」
「やなこった。」
「わぁ、ゆうちゃんの意地悪! 待てぇ!」
夕ちゃんが走り出して、私が追いかける。花ちゃんがそれを楽しそうに眺めている。いつもの光景、過去から続く道のり。これからも、ずっと変わらずに続いていくんだと思っていた。
散々走りまわったけど、私ってどうして忘れてしまうのかな。
花ちゃんは頭脳のお化けで、夕ちゃんが運動のお化けだってこと。当然私は昼休み中夕ちゃんを追いかけたけど捕まるわけもなく、最後には食べた直後だったからすごく気持ち悪くなってシートにひっくり返って、なんとか三限の授業に出て今に至る。
三限の授業を寝なかったのは気持ち悪すぎたからで、時間が経ってちょっと落ち着いた今は眠気がすごい。いつものやつのせいなのか、それとも普段あんまり運動しないせいなのか、立っていられないくらい眠かった。
なんとか図書館に辿りついて、私はいつも慧介くんが座っている付近の椅子になだれ込んだ。鞄を膝に載せたまま、木製の机に突っ伏す。
つ、疲れた・・・。慧介くんが来るまであと三時間はある。ちょっと寝ても来る頃には起きているだろう。余計な心配をかけたくないし・・・。
そう思っている間にも、私の意識は急速に私から遠のいていった。
でも、体勢が体勢だけに深く眠れなかったのか、色んな夢を見た。現実と全然関係ないのもあったけど、何故か昔の夢を見た。
『貴女は間違っているわ。』
『うざいんだけど。』
『なんでそこまで・・・思う必要がある?』
『貴女の苦しみも悲しみも、喜びも楽しみも、全て知っていました。』
『甘えるな。これはお前の仕事だ。』
『はじめまして、私の──・・・』
『もう関係ないだろうっ!』
『どうしてこうなってしまったのか・・・分からないわ。だって私は、皆が同じように思っているからそれをやることでまとまると思ったんですもの。』
『お前・・・出来ないなら言えよ。やり方くらい俺が教えてやる。それくらいの甲斐性はある。』
『ああ、よろしく・・・及川。』
『ここで待っていますから。見守っていますから。貴女の行く末を・・・優しくて臆病な貴女の歩もうとしている道を・・・少しでもなだらかに出来たらいいのですけど・・・。』
たくさんの声の中、なんだか胸が詰まった。悲しくて、嬉しくて、叫びそうになった。ああ、でも、こんな時にはいつもあの場所であの人が優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。
誰かに頼らないと生きていけないくせに、誰かに頼って突き放されるのが怖い私はいつも遠慮する。遠慮して状況が悪化して、余計迷惑がかかるのにどうしても全身を預けられない。夕ちゃんや花ちゃんですら、そう。
口で言うほど、私はずっとって言葉を信じていない。だって、ずっとっていつまでなの。終わりがないなんて、この世には存在しない。寝て醒めて、何度大きく変わっていく世界に置いてきぼりにされた孤独感と寂しさ、恐怖を感じただろう。
でも、口にしないといられなかった。確かめたい。私だけがそうであってほしいと願っているなんて、思いたくない。思いたくないのに・・・
あの人は私に近い。そう思った、初めて会った時から、私なんかよりもずっと深い何かを抱えているあの人なら、私を真の意味で理解してくれると思った。剥き身の私を、大切にしてくれる。でも、大切だって思えば思うほど・・・頼りにできなくて。
ああ、そういえば、あの人の目は・・・慧介くんの瞳にも似ていた。
その時冷たい手が私の頭を撫でた。何度も往復するその感触が気持ち良くて、あの人が撫でるのにとても似ていて私はそっとその人を呼んだ。
「───・・・。」
「・・・あいつもあんたを心配してるよ。」
意識は半分覚醒しているのに、目が開かない。
それよりも、撫でられるのが気持ち良くてまた眠くなってくる。待って、私・・・起きないと。起きないと・・・心配させちゃう。
『待っていますよ。ですから、怖がらないでください。貴女の近くには貴女を真に想っている方がたくさんいますから、私も安心して見守っていられます。』
『私は何があっても、貴女が何をしたとしても、貴女の味方でありたいのです。私は・・・どうしたらいいですか?』
『もっと・・・』
「甘えていいんだ、───。」
声を、最後まで聞くことはできなかった。
「・・・?」
ゆらゆらしてる。どうしてだろうって思って上体を起こす。と、何故か身体の下から声が挙がった。
「うわ、起きたのか。急に起き上がるな!」
「・・・けい・・・すけくん?」
私はなんと慧介くんにおんぶしてもらって、真っ暗になった道を商店街に向かっていたのです。いつの間にこんな展開に!?
「え、な、何でこんなことになっているの!?」
「落ち付け、とりあえず起きたなら下ろすぞ。」
慧介くんは若干息を乱しながら私を地面に下ろして、首や肩の関節を回しながら手にしていた私の鞄を返してくれた。
「俺は五限が終わってから図書館に行ったんだが、あんたが爆睡していた。前に聞いていた感じだと、すぐ起きるだろうと思っていたんだが、結局大学が閉まるまで起きなかったんだ。とにかく家に帰さないといけないと思って、閉まっている可能性が高いけど知り合いが多いって言っていた商店街に向かっていた。途中で起きてくれたなら、よかったな。」
顔から血の気が引いた。慌てて時間を確認すると、夜の十時を完全に回っていた。
「あ、わ、私、ごめんなさい!」
大学から家まで二十分くらいかかる。その道をもう半分以上来ていた。自分の荷物と私の荷物、そして私という荷物を背負って歩く道は、細身の慧介くんにはきつかっただろう。それ以前に四時間以上待たせたことになる。
「いいよ、俺が待たせていたんだから。」
「よくないよ!」
私の強い調子に慧介くんが目を見開いた。辺りが暗くて人通りが少ないとはいえ天下の往来で声を張り上げることはないと自分でも一瞬詰まる。
「よくないよ・・・私、ただでさえ迷惑かけたくないのに、慧介くんに大変な思いさせちゃってる。」
「・・・。」
「そんなの、嫌だよ。」
慧介くんの顔が見られなかった。どうしても、見ることができなかった。
「・・・及川。」
「遠慮しなくていいんだよ。放っておいてくれていいし、こんなことまでしてもらわなくても・・・」
「迷惑だったか?」
全然考えていなかった言葉に、いつの間にか俯いていた顔を勢い良く上げた。
「そうじゃない! そんなこと思ってない、これっぽっちも!」
「そうか、俺も同じだ。」
どういう意味なのか、一瞬分からなかった。
「及川、俺は普通の体質じゃないことでどれだけのハンデを背負うかを知っている。社会生活だけじゃない、普通の生活とか精神面でも他の人間が持たないハンデを負うことを知っている。」
それは、どういうことなの。どうして、そんなことを知っているの。どうして、分かるよなんて言ってくれるの。
「及川は俺に対して遠慮しなくていい。俺は・・・今まで自分だけで手一杯だったのに、及川が俺を頼ってくれるから、自分も誰かの役に立てるって知ることができた。」
私、何もしてない。慧介くんにそこまで言ってもらえる価値なんて、なにもない。
「及川が話しかけてくれるから、忘れていた他人との接点が大切だって気付けた。」
どうしてそんなに優しい目をするの、全部投げ出してしまいそうになるような優しさで。
「でも重かったでしょう?」
色々な意味で。
「否定はしない。」
「・・・うぅ。」
否定されなかった。別に否定して欲しくて言ったわけじゃないんだけど。
「だが、俺も無理してまで及川を優先しているわけじゃない。あんたが言ったんじゃないか、俺はあんたの友達だろう?」
「・・・うん。」
「千々和とか早嵜と同じだ。もっとも、あの二人ほど過保護にした覚えはない。」
十分過保護だと思うけど。普通四時間も待ってないよ。
「それに俺は、あいつらとも違う。」
「・・・え?」
静かな呟きは取り合ってもらえなかった。
「まぁ・・・それはいいとして。お前がどうしても俺に対して遠慮してしまうというなら、今度観光案内でもしてくれればいい。俺はこの町に詳しくないが、行きたいところが山ほどある。及川が手伝ってくれれば助かる。手始めは・・・植物園だな。」
「でも・・・」
「倒れるって? 倒れる前に適度に休憩入れるし、御覧の通り、俺もそんなに体力がある方じゃない。それにあんたが寝ている間は本も読めていい。」
なんてことはないって、慧介くんは言う。夕ちゃんと花ちゃんみたいに、でもどうして慧介くんの言葉は私の心を揺さぶるんだろう。
「・・・私でも、慧介くんの役に立てる?」
「俺は別に役に立って欲しくて及川と友達になっているわけではない。俺自身は誰かの役に立てるのは喜ばしいことだが、それだけの感情で友達になるのは便利にされているのと同じだ。それは友達だと思っていない。」
「・・・うん。」
「及川が俺と友達になったのは、俺を便利に思ったからか?」
「違う!」
私は・・・あの冬の日の慧介くんが、気になって。すごく寂しそうな、見たことのない笑顔が気になって、慧介くんが見せる色んな表情に・・・安心するから。
「普通に友達なら、友達を心配する。あんたが俺や千々和達に遠慮するのだって、元を辿れば負担になることを心配しているからだろう。」
「どうして夕ちゃん達に遠慮してるって知ってるの?」
「俺がそうだったから、なんとなく。」
慧介くんって、過去に何か色々含んでいるのかもしれないと思った。
「ついでに言えば、俺もあんたも人間で、行動原理に純粋さを求めてはいけない。慈善だけで行動できるほど、人間は出来た生き物じゃない。」
「・・・難しい。」
「追々分かってくるもんだ。」
慧介くんは大人だなって思った。
少なくとも考え方が大人だなって思ったから、頷くしかできなかった。
「ねぇ、慧介くん。」
「うん?」
「一人暮らしだったよね。」
「ああ、そうだけど。」
なら今日の埋め合わせをしなくては!
「お礼!」
「・・・は?」
「うちでご飯食べていきなよ。大したものは作れないけど、御馳走するよ!」
「え、いや、それはさすがに・・・」
慧介くんが遠慮するけど、私としてはぜひとも御馳走させてほしい。大したものは・・・本当に作れないんだけどね。この前みたいに調味料しかないってことはないから大丈夫だと思うけど。
「あ、なんならお風呂も入っていく? うち、おばあちゃんと私しかいないけどお布団もあるから泊っても全然大丈夫だよ?」
「何が大丈夫なのか全然分からないぞ。むしろ危険だろう。」
「なにが?」
危険・・・私のお家はそんなに危ないことないのに。どうして危ないのって慧介くんに聞いたら、あんたにそんな繊細さを求めた俺が馬鹿だったって言われた。
失礼しちゃうよね。
【待っているから:終】