悲鳴と落水音。○○川上流にて。
実家は川の傍にあった。夏になれば友釣りをしに来る釣り人向けのおとり鮎の販売所や鮎を捕る簗場が設けられるような、広くて流れの早い川だ。
その流れの生む音はせせらぎなんていうかわいいものではなくて、どうどう、ざあざあといううねる低いノイズのような音だ。
それが年中、それこそ絶えることなく聞こえてくる。それほどに川に近い家であった。
音の耐えない空間にいると、逆に異質な音はいやに耳につくものだ。
それが聞こえてくるのは、決まって夏の夜だった。
夏に窓を開け、宿題をこなす振りをして小説や漫画を読み耽っていると、突然女の悲鳴のような声とともにどぼんと重く大きな物が水に落ちる音がするのだ。そして、それきり異音はしなくなる。
片側が州になっているならば、もう片側は断崖絶壁だ。地元のやんちゃな子どもは、その岩肌によじ登っては川に飛び込んでいた。
だから、絶壁から人が飛び込んだらどんな音がするかを知っていた。ちょうど、悲鳴のような声の後に響く落水音と同じだ。
その音が聞こえてくるような時間まで夜更かしするようになった当初は、事件か事故かとひやひやして、「聞いてしまったこと」に異様な恐怖を抱いて慌てて布団に潜り込んだ。
だが、翌日特には何もなかった。消防団員の父が水難救助に駆り出されることもなければ、水難事故の時に飛ぶヘリの音もしない。そもそも、 大人は誰もその音について言及すること自体がなかった。
翌年も、その翌年も、その悲鳴と落水音は聞こえてきたが、やはりなんの事件事故の報はなかった。
では、私だけが聞こえたただの幻聴だったのだろうかというと、そうでもない。
同じように歳を重ね夜更かしするようになった弟も同じようにあの悲鳴と落水音を聞いていた。
弟は、あれを鳥の声だろうという。だが、仮にあれが鳥の声だとしたら、なんの鳥だろうか。何故、夏の夜にだけ、しかも一度だけ悲鳴のような声を上げているのだろうか。
この数年で、キャンプやバーベキューに来ていた客はすっかり減って、ぽつりぽつりと友釣りをしに来る釣り人だけが残った。水難事故への啓発が進み、無茶な川遊びをする人はほぼいなくなった。
今や夜の川は、ほぼ無人だ。
それでも、今年も悲鳴と落水音は響く。




