前編
前作と同じ語り手ですが読んでなくてもたぶん大丈夫です。
婚約解消してほしいと言われたのです、と友人が言った。
「コンニャクサイキョウ?」
「え? なにが最強なのですか?」
「いえなんでもありません」
この世界にコンニャクがなくて助かった。どれだけコンニャク好きなのかと思われていたところだ。私は咳払いをする。
「婚約解消……ですね? 一体どなたからどなたにです?」
「留学にいらしている隣国の王子から、わたくしにです。アルベール殿下との婚約を解消して自分と結婚してほしいと」
「……」
友人の名前はソフィア・ミィシューレ、公爵令嬢かつ聖女である。婚約者のアルベール第三王子とは最近うまくいっていないという噂が流れた。
婚約者とうまくいっていない聖女に、隣国の王子が求婚……。そんなことってほんとにあるんだ。
「シャルリーさま?」
黙り込んだ私をソフィアが覗き込んだ。彼女の細い肩にすらりと流れる白銀の髪にはちいさな宝石が散りばめられた髪飾りがついており、ミルキーウェイのごとく神秘的にきらめいている。貝紫色の瞳も宇宙の果ての星空のように美しい。
そんな彼女と隣り合って座っている私はシャルリー・ルナールという。転生した元日本人だ。今世はくすんだ金髪碧眼で、ソフィアと並ぶといい感じに目立たない。ソフィアとは学園に入学してからの友人であり、放課後に図書館の一角を貸し切って小一時間ほど本を読んだり小声で話したりするのが日課となっていた。公爵令嬢かつ聖女として忙しいソフィアの数少ない憩いの時間であり、この時ばかりは護衛や従者も距離をとることになっている。
「あっ、いえ……、そう、ほら、ソフィアさまは最近さまざまな方に秋波を送られていますから。ついに行動に出る者が現れたのだなと」
「そうなのですよね……」
ソフィアが柳眉を下げる。婚約者とうまくいっていないという噂が流れてからというもの、ソフィアへ期待のこもった眼差しを送る男子生徒や男教師(キショ)、そしてすこし女子生徒も増えた。もちろんソフィアの不幸を喜ばない良識的な生徒も多いが、それ以上に婚約者とうまくいっていない今がチャンスだと捉える者が多いようだった。
そしてそんな噂が流れたのは私のせいである。ソフィアの姉であるリゼットによるざまぁを回避するために、リゼットとアルベールをさっさとくっつけてしまおうとしたのだが、うまくいかなかった上にソフィアにこんな負担を残して終わった。私のような足りない頭が小細工を弄しようとした結果であるので、これにはさすがの私も責任を感じている……すこしだけ。ここで責任を大いに感じられたら良いのにな、とは思う、良識の生み方がわからない私である。
「それにしても迂闊ですね。隣国の王子が我が国の宝たる聖女を略奪婚しようとするなんて、さいあく国際問題に発展してもおかしくないと思いますが」
自分のことを盛大に棚へあげて私は隣国の王子の陰口を叩いた。脳裡にその姿が浮かぶ。涼やかな水色の髪の美形で、燃えるような赤髪のアルベールとは対照的な見た目だった。ソフィアを挟んで絵を描いたら映えそうであるが……。
「しかもわたくしは本物の聖女ではないですしね。聖女を取り込みたかったのだとしたらお可哀想なことです」
ソフィアはくすっと笑ってそう小声で囁く。実に小悪魔的な友人である。聖女を騙るなんてどんな断罪につながるかわからないことをするその胆力には感嘆の念が湧く。
ソフィアが言うには本物の聖女は姉のリゼットらしい。ソフィアとリゼットは異母姉妹であり、リゼットはメイドから生まれた庶子で、父からは距離を置かれソフィアの母からは疎まれている。聖女とは魔物からこの国を守る結界を保ってくれている存在だ。結界を張ることができるのは教会で光魔法を学べば誰でも可能だそうだが、ソフィアは学ぶまでもなくその力を発揮した天才だということで、教会のシンボルとして祭り上げられた。しかしそれはソフィアが本物の聖女であるかのように公爵家総出で偽ることになった結果だという。真実を知る者は限られており、あの手この手で秘密を守っているらしい。私には今のところ秘密を迫られる様子がないが、まぁ私がそんなことを言いふらしたところで不敬罪で処刑されるだけである。
「あの……リゼットさまは今後ご結婚の予定などはあるのでしょうか?」私はふと不安になって尋ねた。「いまはソフィアさまの付き添いという形でリゼットさまが一緒に教会に行っているから聖女の力を使うフリができているのですよね? リゼットさまが結婚なされたらそれも難しくなるのではと」
「そのことでしたら大丈夫ですわ。聖女の力は年とともに弱まっていくもののようなのです。わたくしも光魔法を習得はしておりますから、結婚するころにはわたくしだけでも『力が弱まってきた聖女』の役割はやれますの」
「ああ、そうなのですね」
「お父さまはそれを見越してお姉さまにも婚約相手を見繕い始めていますね」
ではリゼットによるざまぁ展開のタイムリミットはそこまでだろうか。
「今さらなのですがリゼットさまはアルベール殿下のことをどうお思いなのでしょうか?」
「お姉さまは自己主張なさらない方でして……でもアルベール殿下に惹かれない女性なんているかしら? あら、シャルリーさまがおりましたわね」
ころころと笑われる。私がアルベールに興味をもっていないのは、自分の婚約者に夢中だからである……とからかいつつ、アルベールのことをソフィアは惚気ているように聞こえる。それともリゼットの気持ちを断言したくなくて惚けているのか。
ソフィアからアルベールへの気持ちもあるのだか無いのだが、本人から話を聞いても判然としない。
――そもそも「ざまぁ」とは何か。それは主人公が幸せになるためのスパイスである。だからこの世界が原作つきであり、リゼットがその主人公であるのなら、アルベールとくっつけてしまうことでその物語を歪められ、ざまぁ展開は回避できるのではないかと思っていた。
しかしアルベールは今のところリゼットとは何もないと主張している。また、私の婚約者によると、リゼットによるざまぁ展開により教会の権威が失墜しても国が滅ぶようなことにはならないという。(回避するのに越したことはないだろうが)
「アルベール殿下との仲が良好になったとアピールすれば変な虫は寄ってこなくなるかもしれませんが……」
「変な虫? ふふふ、シャルリーさまったら」
「あ、失礼でしたね」
「変な虫は聞かなかったことにしますわ。ふふ。でも、アルベール殿下との仲をアピール、ですか……」
ソフィアは物憂げに視線を下げた。長いまつげが影をおとす。私が隣国の王子であるなら、そんなふうにソフィアを困らせる男なんて捨ててくれ自分が幸せにしますと跪いて求愛するであろう。迂闊な行動には共感できる。
そう考えて、ふと閃くものがあった。
「アルベール殿下はおくびょ……いえ、お忙しい方のようですから難しいかもしれないですね。もうひとつ手段を思いついたので、ちょっと色々確認してからまた相談しますわ、ソフィアさま」
「まぁ、シャルリーさま……。またわたくしのために何かしてくださいますの?」
「この間はお力になれませんでしたから、今度こそがんばりますわ」
がんばるのは私ではないかもしれないが。
同じ語り手の3作目となるのでシリーズ化設定にしました。
婚約をコンニャクと聞き間違えるくだりは「ざまぁする側に〜」を書いた時ラップにハマっていたので思いついたものです。ルリは別にコンニャク好きではありませんが婚約よりはコンニャクに親しみを感じています。