2000年7月
「今度こそ本気で英語を勉強する」と阿山聡が心に誓って一週間が経った。聡の中で何かが変わる予感があった。運動部で鍛え上げた体力と精神力を武器に、聡は一度決めたことを貫こうとした。あの時の強い意志が、聡の背を押す。聡はこう考えたのだ。
「勉強をやりすぎたって、死ぬわけじゃない」
その信念のもと、平日は毎日仕事の後に4時間、週末は10時間、平均して毎週40時間を勉強に費やすことを決めた。何事にも妥協を許さないその姿勢はスポーツに取り組む真摯さと同様だった。
だが、勉強を始めてからわずか一週間のことだった。聡の手はまるで古びた機械のようにぎこちなく動き、腱鞘炎の痛みが指を縛りつけ、ペンを握る手が震えるのを感じた。次第に、指が痛くて割り箸を割ることすらできなくなってしまった。食事を取るときも箸をうまく握れず、うどんを箸で掴むことさえできなかった。腰の痛みもまた日々聡を苛んだ。車を運転してもハンドルを握る手が震え、腰の鈍い痛みが背中を突き刺す。夜もその痛みに悩まされ眠ることができない。痛みの中で苦しみながら聡の中でひとつの気づきが生まれた。
「勉強をやりすぎると、ひょっとすると人は死ぬんじゃないか?」
しかしその後も阿山聡は週40時間の猛勉強を続けた。止めることなく、ひたすらに「目指せTOEIC730」と書かれた一冊の参考書に向かって手を伸ばし続けた。その一冊が聡にとっての唯一の頼りだった。派遣社員としての収入は決して多くはなく、貧しい一人暮らしの中で、何冊もの参考書を買うことは叶わなかった。聡はその一冊を繰り返し読み込み、少しずつ、英語に対する感覚を身体に染み込ませていった。
最初、聡の目に映るのはただの文字の羅列に過ぎなかった。その一行一行が音楽のように流れていくだけで、意味をしっかりとは掴めなかった。しかし何度も何度もその本を繰り返し読み返すうちに、聡は次第にその内容が頭に深く染み込んでいくのを感じた。最初はただの文字だったものが、二回目、三回目と読み進むうちに次第に聡の中で理解が深まっていった。聡の脳裏にその知識が刻まれていく感覚は、まるで水が岩を削るようだった。最初はただの情報に過ぎなかった本の内容が、徐々に生きたものとなり聡の意識に存在し始めた。
その過程で、阿山聡は次第に本に対しても厳しくなっていった。目次の順番に疑問を抱き、解説文の細かい誤りに気づき、著者が何を伝えたかったのかを深く考えるようになった。もはや本は単なる参考書ではなく、聡が戦うべき相手のように感じられるようになっていた。それは聡にとって知識と向き合うという行為を超え、思考そのものを鍛える過程となった。
勉強を続ける中で、阿山聡の英語に対する脳の持久力も同様に確実に養われていった。学生時代の運動部での経験がここでも生きていた。運動で体力が物を言うように、英語の勉強にも脳の持久力が必要だと聡は気づき始めた。スポーツでは一度の努力では成果が出ないように、英語もまた繰り返し続けることで初めて力をつけていくものだ。聡の中でそのことが次第に明確になった。
だが、時間が経つにつれて、聡の変化はそれだけにとどまらなかった。何度も繰り返し読み込んだその本の内容はもはや聡の意識に深く根付いていた。目次、コラム、巻末の奥付、著者のプロフィールに至るまですべてが聡の脳裏に焼き付いていた。暗記という行為を超えてその本はもはや聡の一部となり聡を支える存在となった。やがて聡はふと気づいた。
「この著者、大したことないな」