2000年1月
阿山聡が派遣社員として働き始めてから、二ヶ月が過ぎた。仕事には少しずつ慣れてきたものの、職場での孤立感は日々深まるばかりだった。外資系企業という環境で最も立ちはだかる壁、それは他でもない「英語」という言葉の壁だった。毎日、目の前に広がる膨大な資料は、すべて英語で書かれ、本社のアメリカ人が含まれているEmailでのコミュニケーションも全て英語だった。聡はその英語の苦しみを、絡まって解けない糸のような複雑な問題のように感じていて、単なる言語の問題として片付けることはできなかった。
思い返せば、高校時代の聡にとって英語はまったく手をつけたことがない科目だった。教科書を開いた記憶さえ薄く、辞書は一応持っていたものの、それも埃をかぶったままでほとんど使うことはなかった。成績は常に赤点だった聡にとって英語という存在はまったく理解の及ばない何かだった。そしてその英語という存在は鎖のように聡に絡みつき、逃れようとすればするほど、ますますその力を強めていく。
聡は派遣先が決まってから実家を離れ、まったく知らない土地に引っ越した。見知らぬ町で、土地勘もなく、友人もいない。そんな孤独な日々が、聡の心をますます重くしていた。実家を離れる際に持ち出した高校時代の英語の教科書と辞書は、今、机の上でひっそりと埃をかぶっている。時折、聡の目に留まることがあるが、それでも無意識のうちに避けてしまっていた。外の世界に一歩踏み出した聡はその外に広がる世界の大きさを目の当たりにして、自分がいかに狭い場所に閉じ込められていたのかを痛感していた。そして、その孤立感は、仕事においてますます深刻化していった。仕事中に聡が分からないことを質問すれば、冷ややかな言葉が返ってくる。「こんな簡単な英語もできないのか」「お前はこの程度も分からないのか」そんな言葉が、聡の心に毎日突き刺さっていた。自分がこの場所にいることの意味を見出すことはとても困難だった。
派遣社員であること、未経験であること、能力が足りないこと、それらすべてが聡にとっては重く、かつ無力感を強化する要素となった。自分が採用された理由が正直理解できないが、この会社にいる理由は、結局、誰かにとっての「お手軽な労働力」にすぎないのだろうと思っていた。その無力感の中で、聡はふと気づく。英語ができないことは、ただの知識の不足やスキルの欠如にとどまらず、もっと深いところで自分自身の存在そのものを問い直す問題なのだと。英語ができないことで、自分が「できない」と感じ、その無力さが他者との溝をより一層深め、心の中に隔たりを作り上げていく。でもいったい、人は何をもって「できる」と言えるのだろうか。その問いが、聡の心にずっと鳴り響いていた。
「できない」ということの中に埋め込まれた無力感は、聡を次第に絶望へと引き込んでいく。聡は思う。果たして、この場所で、自分はこれ以上過ごすことができるのだろうか。人はどこで諦めるのだろうか、どこで限界を感じるのだろうか。そんな問いが、聡を押しつぶすように迫る。しかし、聡の中にはそれでも諦めたくないという想いが燻っていた。何も変わらず同じ日々が続いていくことに対する恐怖。それが、逆に彼を動かす原動力となった。もしこのままでは、何も変わらない。聡は、心の底からそう感じていた。聡は、何かを変えなければならないという強い衝動に駆られた。
そして、聡はひとつの決意を固める。それは、英語が少しでもできるようになろうという決意だった。それはどんなに小さな一歩であろうとも、何かが変わると聡は信じていた。聡の心に芽生えたその決意は、新たな自分を発見するための闘いだった。
聡は、古びた英語の教科書を開く。その薄い紙には聡の挫折が閉じ込められているような気がした。辞書を手に取り、言葉を一つずつ調べる。だがそこから先、どうやって学べば良いのか全く見当がつかない。どうすれば理解できるのか、どのように進めばよいのか、分からない。勉強をしたことのない聡は、ひたすら手探りで進んでいくしかなかった。ひとつひとつ単語を調べ、意味をノートに書き写し、例文を記す。その作業は、時には果てしない無意味に感じられることもあった。進んでは後退するような、そんな繰り返しに思えることもあった。しかし、それでも続けるしかなかった。鉛筆を握りしめ、ノートに文字を並べることで、何かが変わってほしいと祈るしかなかった。
聡の「英語ができるようになれば、仕事が少し楽になるかもしれない」という期待が、やがて聡にとって生きる力となりつつあった。英語を学ぶことは、単なる言語を習得する作業にとどまらず、聡の人生そのものを変える力を持っているような気がしてきた。無力感と孤独に支配された心に、少しずつ光が差し込むような、そんな感覚があった。
「できるようになれば、何かが変わる」、その希望が、聡の心の中で静かに響き渡っている。それは単なる期待の言葉ではない。それは聡にとって生きるための哲学のようなものだった。この職場は生存競争というステージであり、英語を学ぶことは生き延びるための手段であり、この英語学習は、自らの限界を越え、他者との繋がりを再構築するためのきっかけ、聡はそう思っていた。自分に何かが起きる瞬間が訪れることを、聡は信じてやまなかった。
仕事が終わり、疲れ果てて帰宅した聡は、毎晩机に向かっていた。知らない土地で、友達もなく、お金もなく、遊ぶ時間もない。この環境は聡にとってむしろ幸運だった。勉強の時間だけは容易く捻出できた。