side遊星
「んじゃあ、よろしくな、先生」
突然の豹変に、呆気にとられる遊星。
「ん?だって、園芸同好会の顧問になったんだろ?」
そんな遊星を、菜奈芽は当然といった表情で見ている。
「そうだけど……」
「てことは、雨宮先生もこっち側の人間になったわけだ。だから、いいんだよ」
「こっち側──?」
「え、違うの?」
「何を言っているのかわからないんだが……」
それ本気?と、信じられないといった顔をする。メガネをとった玉枝菜奈芽は、実に表情豊かだ。
「先生ってニブイの?この前言った、“2組のシステム”についてだよ。副担任なのに、クラスの、学校の状態も把握してないんだ?」
「すまん……」
情けない。しかし気になる。“2組のシステム”のワードを出したときの教員室のシラケようを思うと、何か大きなことなのだろうか?
「いいよいいよ。じゃあ説明するね……」
彼女はそう言うと、淡々と説明しはじめた。
2年2組、雨宮遊星が副担任となったクラスには、クラスの中心的存在の姫野麗華がいる。綺麗な顔にすらっとしたスタイル、堂々とした口調──見るからにクラスを牛耳る女の子だった。それは、遊星もわかっていた。彼女の取り巻きは彼女の発言に必ず賛同するし、クラスメートたちも彼女に逆らうようなことはしない。そのようなクラスを牛耳る存在というのは遊星が学生だったときもいたし、支配的な感じでもなかったから、たいして気に止めていなかった。
しかし彼女の存在は、学校全体に大きな影響を与えていたのだ。
姫野麗華の父親はこの高校のトップ、理事長なのだ。そのことにかこつけて、彼女は思うがままにこの高校でのさばっている。そしてできあがったのが、“2組のシステム”。学校内のトップシークレットだという。
「うむ、論より証拠ってやつだな。ほれ」
菜奈芽は、スクールバックからなにかを取り出した。それは教科書で……いや、教科書だったもの、といったほうが正しいか。
「なんだこれ……」
破られちぎられ、燃やされ。ひどい悪口が油性ペンでところ狭しと書き込まれている。
「まぁ、これは囮ってやつだけどな。秘密だぜ?」
菜奈芽はにひひ、と笑う。遊星は真相に気付き、絶句した。つまり……
「いじめ……?」
「うーん、いじめとは違うなぁ」
いや、どう見てもいじめだろう。許されることじゃない。
「いじめってのは、強い者が弱い者を傷つけることだろ。“2組のシステム”はそれとは違う。張本人の僕が断言するよ」
「え?」
「だから、僕は手加減してやってるって、そういうことだ」
「手加減……」
「ああ。姫野は、父親の地位を盾に今まで誰かを蹴落として快楽を求めてた。高校生になったときもそうだ。最初は違うやつがターゲットだった。けど、僕は考えたんだ。姫野に快楽の捌け口があれば、この学校は平和になる。しかし、誰かがターゲットになればそいつは平和じゃない」
だから……、菜奈芽はにやっとして、
「手加減してやれる僕が、姫野の捌け口になっている。僕はまだ本気出してないだけだ、本気出したらすごいんだからな」
あ、これじゃ自宅警備員のセリフだ。にひひ。楽しそうに笑う。
「これで全部だけど、わかった?」
なぜこんなにあっけらかんとしていられるのだろう。それとも空元気なのか。
「あ、こっち側の人間としての心得をひとつ。まず、絶対に僕をかばったり姫野を注意したりしない、知らんぷりをする。これ絶対ね」
それから、玉枝先生の前では僕の名前や妹といったワードを出さない。
なぜ、なぜ。質問したいことはたくさんあったが、邪魔が入った。遊星のケータイが音をたてた。
保育園からだ。
「娘さんの保育園だろ?いいよ、出ちゃいなよ」
学校でのケータイは禁止。教師も生徒も。なのに。
「すまん」
電話はいつもより迎えが遅くなっているので、心配したという内容だった。
「電話、秘密にしておいてくれるか」
「もちろん。もう帰るんでしょ?その代わり……」
「ん?」
「僕が園芸愛好会の部員であること、絶対に口にしないでくれ。」
わかった。遊星は帰り支度をしながら答えた。
「最後になったが、なぜそんなに平然としていられるんだ?」
「僕が雲隠れの術を心得ているからだよ」
メガネをかける菜奈芽。その真剣な眼差しの彼女を置いて、遊星は部室を出た。
菜奈芽は彼がいなくなると、部室の電気を消した。