side遊星
教員室に戻ると、一気に疲れが襲ってきた。
「初授業、お疲れ様です」
にこっと爽やかな笑顔でお茶を手渡してくれたのは、
「えっと……」
「玉枝です、玉枝穂実。担当は現代文です。よろしくお願いしますね」
玉枝先生──若くてかわいくて、生徒から人気がありそうだ。
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げる。
玉枝先生はまたにこっと微笑み、「途中まで一緒に帰りませんか」と言った。
……そんなわけで、玉枝先生と一緒に学校を出たのだが、
「玉ちゃーん!もう帰るの?」
部活動の生徒たちが、外周を走りながら呼びかける。
「うん!部活頑張ってね~」
「ずるーい!!」
玉枝先生は生徒に手を振った。生徒たちも手を振り返し、遊星には会釈で通りすぎる。
「やっぱり、生徒に人気ですね」
「そんなことないよ~」
照れたように笑う。
「でも、弟や妹ができたみたいで、楽しい」
そうかもしれない。彼らは16歳から18歳で、自分とは5、6歳年下。確かに兄弟みたいで楽しそうだ。
「雨宮くん、23歳だっけ?」
「はい」
「そっか、同い年じゃん。それなら、学校出たらタメでいいよね?」
おもしろそうに笑う。笑うとくちゃっとした顔になって……その。幼い顔つきになる。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
「うんうんっ。それとさ、雨宮くんってA大学出身でしょ?あたしもなんだよねー」
「そうなんだ!?俺は文系も少し選択していたから、どこかで会っていたかも」
「ほんと?すごーい!」
国語教師、そして、名前。意識すると、なんだか笑い方や仕草まで似ているように思ってしまう。
「……奥さんいるんだっけ?」
「ああ……妻は半年前に亡くなった。今は娘と2人暮らしだよ」
「そ、そうなの……ごめんなさい」
「気にしないで。校長や教頭と鈴木先生にしか言ってなかったから」
「そう……。わたし、小さい子とか大好きだし、なにかあったら相談のるからなんでも言ってね!」
誰かに話したときのこの反応には、正直慣れた。こちらもやっと乗り越え新しい生活に充実感を感じ始めた頃だし、無駄に御愁傷様扱いされるのは嫌だった。だからその点、玉枝先生はさっぱりしていて気が楽になる。
「ありがとう。……じゃあ、俺は娘を迎えに行くから」
「うん、また明日」
でも少し微妙な空気のまま、2人は別れた。
「久しぶりに同世代と話したな……」
同じ教員同士とはいえ、やはり気の許せる人というのは大切なのかもしれない。それに特に彼女は──
「パパぁ!」
考えに浸っているうちに、いつのまにか保育園に到着した。職場である高校の近くの保育園を選んで、正解だったようだ。
4歳の娘、陽葵がまだ小さくて短い足を精一杯動かして駆け寄ってきた。
「陽葵、いい子にしてたか?」
「うん!」
乳歯を見せて笑う彼女最高の満面の笑みで、こくんとうなずいた。遊星も疲れが癒された気がして、彼女の頭を優しく撫でる。
保育園にはまだたくさんの子供たちがいた。早い時間だから当たり前かもしれない。保育士の先生の簡単な報告と世間話をしてから、保育園を後にした。
帰り道は、いつも通りの1日の出来事を陽葵目線で語られる。遊星はこの時間が一番好きだった。
妻が亡くなって、それまで塾講師で稼いでいた遊星だったが慌てて教師の仕事を探した。給料が安定していて時間の融通がきき、近くに保育園のある高校──探すのに時間はかかったが、先生も生徒も明るいいい職場も見つかった。妻との思い出の詰まった一軒家も、売り払うのに躊躇したが自分と小さな陽葵とでは広すぎたし、今ではマンションに引っ越してよかったと思っている。
「陽葵、今日はちょっと奮発して外食しちゃおうか。なに食べたい?」
「ハンバーグ!オムライス!」
嬉しそうに答える。
奮発といってもせいぜいファミリーレストランだけれど、料理のできない遊星からしてみたら久しぶりのあたたかいご飯だ。最近はほとんどコンビニ弁当だったから、心がウキウキしてきた。
「いっぱい食べよう!」
「やったー!」
子犬みたいに跳び跳ねる陽葵の手を握って、遊星も笑顔になった。
新しい職場、新しい生活。遊星には希望しか見えなかった。