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エーリヒの屋敷へ向かう馬車のなかで。
リネットは懇々と【若様がどれくらい貴女を好きなのか】を聞かされていた。
「縁談は受けない遠方へ行けば貴女の土産探しばかりしまいには社交界の誰よりリネットが可愛いとか言い出すんですよ、どう思います?」
「……えと」
分かったのでもう止めて頂きたいです。
とは言えず、リネットは羞恥に耐え続けていた。
エーリヒは会えばリネットを褒めちぎってくれるけれど、屋敷でも同じ、いやそれ以上だとは思いもしなかった。
「ですからね? 私は何度も何度も忠告差し上げたんですよ。リネットさんとお付き合いする不利益と、リネットさんにも相応の負担がかかることを」
「……はい」
「噂にもなりますでしょうし身分が違うということは醜聞にも繋がりますよと」
「……はい」
「なのに貴女ときたら私の苦労を知りもしないで……っ!」
歯の軋む音すら聞こえてきそうだった。
リネットは縮こまりながらひたすらに耐える。
「だから、いいですね。根気よく別れ話を続けてくださいね。すぐには納得されないでしょうから」
「はい、わかりました」
そうこうしているうちに見えてきた帝都の街並みは、以前とさほど変わった様子はなく。その高級住宅街にそびえ立つエーリヒの屋敷も記憶のそれと相違はなかった。
相変わらず大きくて広くて、別世界だ。
「さあ、着きましたよ」
客間に通されたリネットは顔見知りのベテランメイドと挨拶を交わし。けれど出された紅茶に口をつける気分にもなれず、そわそわと長椅子に腰掛けていた。
すると。
「リネット! どうしたの」
「……あの、ちょっと話があって」
「うん、なに」
客間に入ってきたエーリヒに隣へ座られて、リネットはさらに落ち着きをなくした。告白した影響か、今までよりも距離が近い気がした。
「あの、えっとね」
「うん」
「あの、ね……」
「うん」
……昨日もこんなやりとりをした気がする。
思いつつ、リネットは部屋の片隅に立っているガドフリーをちらと見やった。目線で、「早く言え」と命じられる。
「どうしたの? ガドフリーに席を外してもらう?」
「うっううん、いいの。ガドフリーさんにもいてもらった方が」
「…………そう?」
一瞬、エーリヒの表情がかげったのは気のせいだったろうか。
リネットは気を取り直してエーリヒに向き直った。
こういうことは、早く言ってしまうに限る。
「あの、昨日のことだけどね」
「うん」
「あの告白ね、実は冗談だったの」
「……………」
エーリヒは、さすがに笑顔にはならなかった。
いつもの整いすぎるほど整った顔を真表情にしたまま、リネットを見つめてくる。その沈黙がひどく怖くてリネットは我慢できずに口を開いた。
「エーリヒ、あの」
しかしすぐに遮られてしまう。
「冗談ってなに」
「う、うん、あのね」
「どういうこと?」
「あの……えっとね、うちの街で最近、そういう遊びが流行ってて」
「へえ」
「だから。その、お付き合いは」
「そう言えってガドフリーに言われたの?」
「……!」
「答えて、リネット」
エーリヒは、激昂も落胆も見せなかった。代わりに、真実を探るように冷静にリネットを見つめて、次の言葉を待っていた。なにか言わなければと、リネットはぐるぐると思考を巡らせる。
「あの、私は」
「うん」
「……わた、しは……エーリヒを、友達としか、思ってなくて」
「うん」
「…………だから」
エーリヒの目をそれ以上見ていられなくてリネットは顔をうつむけた。卑怯な自分が情けなく、振り回したエーリヒには申し訳なくて仕方がなかった。
「本当に、ごめんなさい」
そこで助け船を出すようにガドフリーが口を挟んできた。
「という事情のようです、エーリヒ様。どうかご理解を」
「……わかった」
「え」
いとも簡単に、あっさりと、エーリヒは頷いた。信じられなくてリネットは顔をあげる。
「エーリヒ?」
「リネットの告白は冗談だったんだね。それはわかった」
「じゃあ」
「でも、僕の気持ちは冗談じゃない」
「…………」
「それに、ちょうど良かった」
浅く微笑んだエーリヒは、傷ついているように見えた。
「僕から告白したかったから」
「え?」
「好きだよリネット」
そうして、膝上に置いていた手をとられる。
「世界中で誰よりも。これは冗談なんかじゃない」
そのまま流れるような動作で指先に口づけられて。リネットは、目をまるくした。
「……っ! エ、エーリヒ!」
「返事を聞かせて」
「だから……私は友達としか……思ってなくて」
「本当に?」
唇を押し当てられたまま近距離で見つめられて、リネットは身を引いた。けれどエーリヒの腕がそれを許してくれない。
「ほ、本当だもの!」
「ガドフリーを問い詰めてもいいけど、君の口から真実を聞きたい」
「だから……っ、本当のこと言ってるじゃない」
「付き合うのが怖いの?」
「……」
「わかるよ、僕も怖くてずっと言えなかったから」
家柄が違いすぎて、友達にすら見られなくて。
不安定でいびつな関係だったから。
「リネット、聞いて」
握った手はそのままにもう一方の手を伸ばして、エーリヒはリネットの頬をやさしく撫でた。
「僕、社交は得意なんだ。だから怖がらなくて大丈夫」
「……」
「リネットは蛇や虫から僕を守ってくれるでしょ。だから僕は、いろんなしがらみから君を守ってあげる、約束する」
「……」
きっと、エーリヒには何もかもを見透かされていた。
ガドフリーとの企みも、リネットの抱えている不安も。
「だから、どうかな」
この気持ちを、受け取ってはくれないかな。
透き通るような綺麗な瞳の中には、泣き出しそうな顔のリネットがいた。
「リネットさん、流されないでください」
「ガドフリーは黙ってて。それか今すぐ出て行って」
「……っ」
「エ、エーリヒ、ガドフリーさんは私たちのことを思って忠告してくれたのよ」
「リネットはガドフリーの肩をもつの?」
「違う。そうじゃなくて」
ガドフリーにはリネットたち以上に現実が見えているのだと思った。感情だけで動くのは危険だと教えてくれているのだ。……たぶん。
と、小さくため息をついたエーリヒが、リネットの手を強く引いた。
「リネット」
「……はい」
「僕はずっと友達のままはいやだ。告白も撤回は出来ない」
「……う」
「ずっと君が好きだったんだ。……だから、結婚してください」
「────」
瞬間、リネットはエーリヒの頬が赤らんでいること、握られた手が小刻みに震えていることに気付いて、理解した。
──未来が怖いのは、彼も一緒なのだと。
そうだ。思えばエーリヒは、蛇一匹、虫一匹におののくような少し怖がりな男の子だった。リネットはそんな彼を可愛いと、守ってあげなくちゃと思っていたし、そんなところは貴族だとか関係ないのだと知って、嬉しくなったのだった。
彼と私は、おんなじなのだと。
「……エーリヒ」
失恋覚悟の告白だったけれど、そもそもが抑えきれなかった大きな想いだ──そんなに簡単に捨てられるはずもない。
だからリネットはそっと彼の手を握り返した。
もう一度、勇気を振り絞る。
「こんな私でよければ、喜んで」
「! リネット……!」
「リネットさん……っ!?」
ぱっと花咲くように顔をほころばせたエーリヒと、話が違うと声を荒げたガドフリー。
「ホントに? 今度はホントだね、やっぱり冗談とか言わないよね?」
「言わないわ。私、エーリヒが好き」
言って、その頬に唇を寄せる。
「大好き」
「!」
ぎゅっと抱きついてきたエーリヒは、いつかみたいに涙をこぼしていた。
「ごめんね、エーリヒ」
「ほんとだよ。心臓に悪すぎる」
髪に頬を寄せながら、エーリヒはまだ震えている手でリネットを抱きしめた。
「ねえ。このまま僕の家で暮らさない?」
「それはちょっと」
「……! エーリヒ様! 私は認めませんよ!」
「ガドフリーは本当に少し黙ってて。ていうか出て行ってよ」
エーリヒがいつになく怒ったようにガドフリーをにらみ上げる。
「君がいたらキスもできない」
「……っしなくてよろしい!」
屋敷中に響き渡るような怒号にリネットは肩をすくませて、それから小さく笑った。
未来は怖い。
ガドフリーなんて、これから迎える障壁のひとつに過ぎないだろう。
でも、大好きなエーリヒといっしょなら。どんな未来も輝いているに違いないと、そう思えた。
「エーリヒ」
「ん?」
エーリヒの頬を伝う涙を拭ってやりながら、リネットは微笑んだ。
「これからもずっと、ずっとよろしくね」
愛してるを込めて口づければ、硬直した彼がまた泣きながら抱きしめ返してくれる。リネットの恋は、そうして叶ったのだった。
読んでくださってありがとうございました。




