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脱字報告ありがとうございました。
ガドフリー氏は、激昂していた。
両肩をわなわなと震わせ、ものすごい形相でリネットを見下ろしてくる。
「認めません……私は絶対に認めませんよ」
地を這うような。
その声すら怖くて、リネットは反射的にエーリヒと繋いだままだった手に力を込めた。とたん、エーリヒは嬉しそうに微笑み、ガドフリーは一層表情をこわばらせた。
「この……っ女狐…………!!」
(……女狐って悪口、本当に言う人初めて見た。)
リネットはどうしようこんなつもりじゃなかったのにと、眼前に立ちはだかるガドフリーを見上げた。
エーリヒが子供の頃から付き添っている従者、ガドフリーは、後ろで束ねた銀色の長い髪と、同じ色の瞳が綺麗な、容姿の美しい男性だった。しかも帝都一の大学を出ているのだとかで、ひどく頭もいいらしい。周囲からも優秀な人だと褒めそやされていた。
けれどリネットにとってのガドフリーは、一流の変人に過ぎなかった。
彼は正直いってどうかしている。
エーリヒを溺愛し過ぎているのだ。
ろくに休暇も取らず四六時中そばについて、甲斐甲斐しく世話を焼く。
のみならず、少しでも怪我をすれば医師を呼び、風邪を召したとなれば神へ祈祷する始末だった。
まぁリネットだってエーリヒに夢中だから、その気持ちはわからなくもない。(祈祷は行き過ぎだと思うけれど)なにせエーリヒは子供の頃からとてもとても可愛かったし、お行儀もよくて、やさしくて素敵で、そばにいて好きにならない方が無理というものだったからだ。
けれど。それにしたってガドフリーは常軌を逸し過ぎていた。
恋愛にまで口を出すなんて。
それこそ彼がリネットに言い聞かせる、身分を超えた行為なのではないだろうか。
「エーリヒ様」
生真面目な顔を作ったガドフリーは、エーリヒの前に片膝をついた。そうして重々しげに口を開く。
「遠目からではございますが、終始拝見しておりました。その上で僭越ながら進言させていただきます。──どうかリネットさんとの交際はお考え直しくださ」
「嫌だ」
きっぱりと言い切ったエーリヒは、変わらずの笑顔だった。そのまま流れるような動作でリネットを向いて、にこりと瞳を細める。
「だってやっと両思いになったんだよ? 別れるなんて考えられない。ねえ? リネット」
同意を求めるように見つめられて、リネットはほわりと顔を赤くした。やっぱり心臓が持たないと、握られていない方の手で胸元を押さえる。
「リネット、どうしたの? 胸が苦しい?」
心配そうに眉をひそめられて、リネットはいよいよ呼吸困難になりかけた。身を引きつつ、何とか笑顔を浮かべる。
「だ、だいじょうぶ。ちょっとドキドキし過ぎてるだけ」
「あぁそれなら僕もおんなじだよ。さっきからずっと心臓が破裂しそうなんだ。何だか、照れるよね」
ふふっと。大天使みたいに微笑まれて、リネットは卒倒しそうになった。
(かわいいぃ……っ)
その想いはガドフリーも同様だったようだが、彼はそれより嫉妬が優ったらしい。ぎり、と音の鳴るほど歯を擦り合わせて、リネットを睨みつけていた。
しかし続いたエーリヒからのお咎めに、表情を改めさせられる。
「それはそうとね、ガドフリー。リネットを小娘なんて呼んじゃダメだよ。女狐なんてもってのほか。失礼だろう?」
言い聞かせるように放たれた刃に、ガドフリーは、低く頭を垂れるほかないようだった。
それから。
日が暮れる前にとリネットを自宅へ送り届けたエーリヒは、名残惜しそうに手を離した。
去り際「またね」とキスをされ、ぽうっとなりそうになるのをガドフリーの視線のおかげで冷静になる。
──玉砕、し損ねた。
自室で一人になり、リネットはやっと当初の目的を果たせなかったことを思い出した。
エーリヒの魅力に流されてしまったけれど、交際なんてできるはずがないと思い込んでいたから、この不測の事態に思考が追いつかない。
(嬉しい。でもどうしよう)
母親同士の交流が希薄になっても、エーリヒは馬車でニ時間はかかる帝都から遊びにきてくれていた。だから、嫌われてはいないと思っていたけれど。まさかエーリヒもリネットを異性として好きでいてくれてるとは、考えたこともなかった。
(そうよ、お母さんとお父さんにはなんて言おう)
エーリヒと付き合うことになった。なんて、それこそ小心者の父は倒れてしまうかも知れない。
いいや、それよりも。
リネットは一人、物語の探偵がそうするように、丸めた片手を顎に当てた。
エーリヒは「何とでもなる」なんて言っていたけれど、交際は本当にうまくいくのだろうか? 最大の障壁とも言える従者ガドフリーは最後まで苦言を呈していたのに。
そんな不安が的中した──わけではないのだろうけれど。
翌朝、リネットはガドフリーに畑の裏手へと呼び出されていた。
「で、どう落とし前つけてくれるつもりですか」
目の据わった、不機嫌極まりないガドフリーに。




