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リネットとエーリヒが初めて会ったのは、三つの時だった。とはいっても、初めましての記憶なんてものが残っているはずもない。
ただ、物心ついたその頃から、エーリヒはリネットの友人としてそばにいた。
駆けっこをしてままごとをして、並んで一冊の本を読んで。互いの家に泊まりあいっこをしたこともある。冷静に考えると、親はよく許したものだと思うけれど。同じベッドで眠ったりもしていたのだ。その当時は。
幼いリネットは、父や母がどうしてエーリヒを「様」付けで呼ぶのかも深く考えず、「エーリヒでいいよ」という彼の言葉を間に受けて、エーリヒをエーリヒと呼び続けた。彼の従者が眉をひそめるのも気にしてはいなかった。
エーリヒは貴族家の子供だったけれど、その母親はリネットと同じ、平民の出だった。
それでだろう。母親同士の仲がよく、だからリネットの家にエーリヒはしょっちゅう遊びに来ていたのだ。そうして母親たちが話に花を咲かせている間に、子供たちは遊びに遊んでいた。
「僕、リネットといる時が一番楽しい」
いつだったかエーリヒはそんなことを言っていた。
そのくしゃくしゃの笑顔は可愛くて眩しかった。
今思えば、エーリヒは鬱憤を溜めていたのかもしれない。
リネットは詳しく知らないけれど、貴族には貴族の大変さがあるらしく、勉強はもちろん、細かなマナーのレッスンや社交なんかがたくさんあるのだと、たまに、大人みたいなため息をついていたから。
「だったらずっとうちにいればいいのよ」
元気のないエーリヒが心配で、リネットはつい、そんなことを言ってしまったこともある。「それはいい考えだね」と。彼は嬉しそうに笑っていた。抱きしめたいくらいに可愛かった。
エーリヒは帝都にある大きなお屋敷に住んでいたため、毎日遊ぶことはかなわなかった。けれどそれでも、月に数度は訪ねてくるその男の子がリネットは大好きだったし、次に会える日が待ち遠しくて仕方なかった。エーリヒが帰ってしまうのが寂しくて、手を離さなかったこともある。身の程を知らずな、わがままな子供だったのだ。
なのに、それが今は──。
少し話すだけでも言葉を選んでしまうし、緊張するようになってしまったのは、リネットがエーリヒへの恋心を自覚してしまったからだった。
だってリネットは、こんなに素敵な男の子を他に知らない。
難しいと嘆くくせに、家を継ぐための勉強はおそろかにしないし、他の貴族の人たちみたいに偉そうにすることもない。
リネットにも街の子供達にもやさしくて親切で。彼の治める領地の人々はさぞ幸せに暮らせるのだろうと思った。
そんな子がそばにいてくれて、一緒にいるのが楽しいと微笑まれて、好きにならない方がどうかしているというものだった。
でも今は。
こんなことなら、いつまでも気づかずにいられたらよかったのにと思っていた。
彼への恋は、苦しいことばかりだったからだ。
(はぁ。ほらね。もう。今日も素敵すぎる……)
リネットは半ば八つ当たりに近い感情を持て余しつつ、向かいに座ったエーリヒを見つめた。
「いいお店だね」
「ええ」
薬草摘みを終え、新しく出来たカフェに入ったリネットとエーリヒは、二人がけのテーブル席についていた。
こじんまりとしたそのカフェは、木製の調度品と観葉植物に囲まれた何とも癒される内装をしていた。まるでデートスポットのようだった。
リネットはメニューを開いて迷っているふりをしながら、そっとエーリヒを盗み見た。父親譲りの凛として整った顔、穏やかな瞳、紅い唇。その全てが、リネットにはひどく魅力的に見えていた。
(……かっこいい)
恋は盲目というけれど。
それにしたってリネットは重症だった。
自覚はある。
ここ数年、リネットはエーリヒといるだけで、高鳴る心臓やにやけそうになる表情筋と戦わねばならなかった。昔のようにおいそれと好きを連呼するわけにはいかないからだ。
なのに油断すると想いを口にしてしまいそうで、リネットは必死に唇を噛み締めた。そんなリネットの気持ちも露知らず、エーリヒは呑気に首を傾げてくる。
「どれにする? 僕、このリンゴのやつにしようかなぁ」
その笑顔にすら、リネットは心臓を締め付けられた。
(……あぁもう、言っちゃおうかな)
どの道結婚なんて出来ないのだし。
エーリヒの両親は、大変な身分差恋愛の末一緒になったそうだけれど、それがどれだけ例外な事態か、リネットは知っているつもりだった。彼を溺愛して止まない従者から、会うたびに「勘違いするなよ小娘」と強く強く釘を刺されていたからだ。
(そう。そうだわ、言ってしまおう。このままじゃ諦めることも出来ないし────)
リネットは閃くように思った。
(そうだ、玉砕しよう)
そうしてこの恋心を粉々に打ち砕いてしまえば、エーリヒへの想いはすっぱり諦められるはずだと思った。
でも、エーリヒを困らせてしまうのは嫌だから、「伝えたかっただけ」だと主張しよう。そして元の正しい友人関係に戻るのだ。
──会いにきてくれるたびに期待したりしない、正しい友人関係に。
よし。
善は急げと、リネットは顔を上げた。
「あのねエーリヒ、話があるんだけど」




