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冬嵐記  作者: 槐
第四章

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99/308

18-4

 手をつないで歩く。

 初対面の叔父上は、さすがは父の弟だとでもいうべきか、周囲の二度見三度見などまったく無頓着に、勝千代の右手を握り締めていた。

 いや、普通だ。四歳児の歩幅に合わせて歩くのは普通の事だ。手をつなぐのだってそうだ。

 それなのに、こんなにも居たたまれないのは何故だ。

 歩幅か? 長身の志郎衛門叔父が勝千代の歩幅に合わせているせいか?

 いや……幼子に辛抱強く付き合っている態度とはそぐわない、ものすごい渋面のせいだろう。

 ちょっと声を掛け辛いどころか、声掛けした瞬間に切り殺されるのではないかとためらうほどの、冗談が通じないレベルに険しい表情だった。

 眉間の皺に、細筆なら落とさず挟めそうだ。

 ちょっと手を放してほしいとか、言ったら駄目だろうか。

「……」

 言えないわけじゃないぞ。戦略的に言わないだけだ。

 

 かなりの長距離を歩いた。

 しかもそれが、一直線の廊下だという無駄な規模感だ。

 雑巾レースが盛り上がりそうだなどと、現実逃避気味にそんな事を考えてみる。

 ワックスもないのに照りのある床材が、白々とした月明かりを照り返して、独特の雰囲気を醸し出している。

 いつしか周囲が、キラキラ豪華な内装ではなくなっていて、再び正殿側に戻っていることに気づいた。

 どこに連れていかれようとしているのか、不安ではあるが、心配はしていなかった。

 子供の歩く速さに合わせ、辛抱強く隣を歩いている志郎衛門叔父を見ていると、少なくとも勝千代に暴力をふるっていた兵庫介叔父よりは信頼してもよさそうに見えるのだ。

 それに……

 美しい月を見るふりをして、周囲を取り囲む薄灰色の直垂の集団を見回す。

 彼らの立ち位置はよくわからないが、水色の直垂の者たちのように帯刀はしていない。

 文官だという志郎衛門叔父の後に付き従っているようだから、そちら方面の者たちなのだろう。

 その内のひとり。まったく見覚えのない顔だが、一度だけ指をクロスするハンドサインをしていた。おそらく段蔵の仲間だと思う。


「……二木か」

 叔父がそう呟くのを聞き、視線を先の方に向けると、外回廊の手すりから少し離れた土の上で、片膝をついている二木の姿が見えた。

 廊下に上がらない。というか上がることが許されていない身分。明確に線引きされたその位置に、無意識のうちに顔をしかめてしまう。

 そんな顔を彼に見せたくなかったので、距離が近づく前に表情を改める。

 彼は仕事をこなしただろうか。

 二木の目の前を立ち止まらず通り過ぎる。

 視線だけが合い、彼が小さく頷いて見せたので、ほっと肩から力が抜ける。


 やがて廊下にいる人の数が増え始めた。

 おそらくこの辺りが、本来政務などを執り行う場所なのだろう。

 いろいろな色の、ひと目でお仕着せとわかる直垂姿もあれば、もっと上等な生地や柄のものを着ている者もいる。

 夜なのと、灰色の直垂集団に囲まれているのとで、小柄な勝千代の存在は初見ではわかりにくいようだった。

 もちろん距離が近づき、すれ違う頃には気づいて、三度見どころか露骨に驚愕の表情で凝視してくる。

 ぎゅっと手を握られて初めて、無意識のうちに息を詰めていたことに気づいた。

 緊張しているんだよ、これでも。

 お返しにぎゅっと握り返すと、まっすぐ前を見ていた叔父の視線が勝千代の方を向いた。

「少し騒がしい事になりますが、ご心配には及びません」

 「任せてください」と言われても、その地面をゴリゴリ削るような低音が、そもそも不穏で怖い。

 勝千代の隣をゆっくりと歩き、強すぎず弱すぎない力で小さな手を握ってくれるのはいいのだが、どう宥めていいかわからないほど腹を立てていて、しかもその怒りがまったく収まる気配がない。


 大丈夫か?

 ものすごい物騒な表情で、大広間の入り口に座ったぞ。

 直垂集団も一斉に膝をついたので、勝千代も倣って叔父の背後に座った。

「申し上げます」

 そして低音の、今にも人を殺します、とでも言いたげな第一声。

 たいして大きな声ではなかった。

 しかし、ざわついていた室内が、あっという間に静まり返った。

「江坂。遅いんやないか? 御台殿はいつ……」

 ものすごく苛立った声の主は、女性だった。

 頭を下げているので声だけしか判断材料がないが、御台様に「殿」をつけているところといい、こういう場で発言権があることと言い、桃源院様で間違いないだろう。

「……誰やその子」

「御台さまの元で、十数名に刀を突きつけられておりました」

 桃源院様の声も、無条件に肝がひゅっと縮むような厳しいものだったが、返す叔父の声も、無礼討ちになりはしないかと冷や冷やするようなド低音だった。

「例の子供と同じ名前の子供です」

「……なんやて」

 ものすごい人数に見られている。視線が刺さるとはこういうことを言うのだ。

 勝千代は意識して息を吸って長く吐いた。


「また騙りか」

 その声が耳に届いた瞬間、全身に悪寒が走った。

「今度は志郎衛門兄上が偽物を用意したのですか」

 聞いた事がある声。忘れられない声だ。

 時に悪夢の中で勝千代をあざ笑い、巨大な怪物か鬼のような姿をして登場する事もある。

 幼少期から散々勝千代をなぶり、虐待の限りを尽くしてくれた、叔父の兵庫介だ。

 息が詰まり、耳の後ろの動脈にガンガンと血が流れる音が聞こえる。

 いいだろう受けて立とう、と奮起する理性とは真逆に、身体からすうっと血の気が引く。

 こんなところで気絶するわけにはいかない。

 弱味を見せるわけにはいかない。

 理性がかろうじて勝ち、ガリと頬の内側を噛んで凌ぐ。


「御台さまのところに居たと言うたはずだが、相変わらずの鳥頭だな」

「なっ」

 勝千代が理性と本能との闘いに挑んでいる最中、志郎衛門叔父が容赦なく吐き捨てた。

「そのほうはこの場で発言する立場にはない。大人しく控えていなさい」

「ワシは時丸殿の祖父だぞ!」

「やかましい。お黙り」

 叔父同士の言い合いを速攻で止めたのは、鞭のように鋭い女性の声だ。

 苛立った風に、パシリと扇子を閉ざす音がする。

「その童は御台殿のところで何をしておったのだ?」

 それは勝千代への問いかけか? 直答していいものかわからないので、錆びた味の唾を飲み込み頭を下げたままの姿勢を保つ。

「わかりませぬ。桃源院様が御呼びだとお伝えしに参ったところ、この子が刀を突きつけられて立っておりました。……勝千代殿。御顔を上げて、事情をお話しください」

「志郎衛門兄上、このような場に世迷い事を持ち込むのはいかがなものかと……」

「桃源院様が黙れと仰られたのに、まだ口を開くか」

「ええい、やかましいわ!」

 再びはじまった兄弟の諍いに、桃源院様が口を挟むが、兵庫介叔父はなおも言い募ろうとした。

 いわく、兄たちの暴挙が恥ずかしく、時丸殿の為にも一門をこれ以上の恥辱にさらす訳にはいかない云々……。

「黙れ」

 物憂げな男性の声がした。

 兵庫介叔父の独壇場にざわつきかけていたその場が、一気に静まり返った。

 一瞬にして、無風? 凪? 何とも表現しがたい沈黙がその場に訪れる。

「面を上げよ、童」

 やっとそう言ってもらえたので、勝千代は静かに顔を上げた。

 ずっと頭を下げているのは、体勢的に結構辛いものがあるが、おかげで冷静さを取り戻す十分な時間稼ぎにもなった。


 目線を上げないうちから、そこかしこで息を飲む音が聞こえる。

 ゆっくり顔を上げ、思いのほか大勢が集められた室内をしっかり観察しながら、視線を真正面に向けた。

「……ほう」

 勝千代の位置から最も遠い最上座では、白い寝衣に鮮やかな赤い着物を肩に掛けた男性が、幾分砕けた姿勢で脇息に身を預けている。

 その隣に座っていた、どう見ても四十代の美しい女性が……って、もしかしなくてもあの方が桃源院様? 御屋形様とそれほど年が違うようには見えないんだけど。


「名は何と申す」

「福島上総介が嫡男、勝千代と申します」

 よかった、心配していたほど声が裏返らなかった。

 広い部屋だが、声を張り上げなくともしっかり届いたようだ。

 向こうがまじまじと勝千代を観察しているように、勝千代も上座の二人をじっと見つめた。

 なるほど。

 すれ違う者がことごとく惚け、ぽかんと口を開けていく理由が分かった。

 ただ単に、双子の兄と瓜二つだからではない。

 兄に似ているというよりも、御屋形様の面差しを如実に受け継いでいたのだ。

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― 新着の感想 ―
なるほど、やっとスッキリしたw 色々な未来が変わりそうで面白い。
[一言] 毎朝毎朝更新が楽しみで起きて何をするより一番最初に拝読しています。 読了した途端続きが気になって翌日が待ち遠しくなってしまいます。 毎日更新をありがとうございます!
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