18-3
隙間風ひとつ吹き込まない奥まった室内に、何とも言えない冷えた空気が満ちる。
勝千代はその沈黙を見まわし、誰も何も喋ろうとしないのを確認して、すっと片膝を上げ立ち上がった。
「御呼びではなさそうですので、これにて失礼いたします」
「……お待ち」
「先ほども申し上げましたが、父の事で話ができる方と会わねばなりません。では御前を失礼しま……」
「待ちやれ!」
カシャン! と音がして、すだれが大きく揺れた。
勢いよく転がり出た脇息が、二回ほど跳ねて止まる。
勝千代は、変わらぬ冷えた目でそれを見下ろし、小さく唇をほころばせた。
「どうされました。ご不快にさせるようなことを何か言うてしまいましたか? であれば大変申し訳ない事を。なにぶん猪武者の子ゆえに、常識を知りませぬ」
「……口を慎め」
「申し訳ない、という言葉だけでは済ませぬと仰る? この首を寄越せと?」
勝千代はやはり腰骨に当たって痛い扇子を引き抜き、すっと首元に当てた。
「お望みなら差し上げてもよろしいですよ。ですが……周囲の目をもっと気にされたほうがいい」
確かに大層な品々を贈られはしたし、情に訴える内容の書簡をもらいもしたが、こういう態度の側付きを咎めもせず、遠ざけもせず、勝千代を呼びつけた場に居させたというだけで、その本音が透けて見える。
おそらくは、兄に対しても同様の事をしていたのではないか。
表面上は優しく気遣っていたのかもしれない。母親のいない兄は、その見せかけのやさしさに信頼を寄せ懐いていたのかもしれない。
だがしかし、勝千代の目から見ると、その悪意はあまりにもあからさまだ。
たとえば兄の暗殺を命じたのがこの方ではなかったとしても、その態度こそが黒幕の背中を押した可能性はある。
「兄の次は弟が邪魔になったのかと、勘ぐる者もいるでしょう」
「……わたくしが彦丸殿に手を下したとでも?」
低めの女性の声が、さらにもっと低く、地を這うようにドスの利いたものになる。
「とんでもない!」
あまりにも簡単に挑発にひっかかってくれたので、思わず笑ってしまった。
勝千代のその嘲笑に、すだれの向こうでピシリと何かが割れるような音がする。
「ですが実際はどうであれ、そう疑う者もいるということです。たとえば……」
駄目だ、ちょっと楽しくなってきた。
「御屋形様とか」
バキリと、扇子か何かがへし折られた。
勝千代の周囲にいる男たちは、すだれの向こう側にいる方の護衛のはずなのに、そろって真っ青な顔をして怯えている。
このままこの方をぐうの音も出ないほど言い負かしたらどうなるだろう。
護衛の武士たちに無礼打ちにしろとでも命じるだろうか。
誘惑に勝てず、追撃でもうひと言言ってやろうとしたとき、ばたばたと廊下を走る複数の足音が聞こえてきた。
一人や二人ではないその数に、すだれの奥で女性たちが不安そうな声を上げ、勝千代に刀を向けていた武士たちも何事かと顔を見合わせている。
「勝千代様」
すっと興津が側に寄ってきた。
濃い色の直垂は武骨で、薄青色の直垂の男たちとは見るからに毛色が違っている。
馬廻り衆は奥でも帯刀を許されており、この男が持つ刀は美しい装いの武士たちとは違い、実戦で使い込まれたものだ。
そんな彼が側により、柄に軽く手を掛けただけで、周囲の男たちはたちまち警戒した。
しかし興津が見ているのは、すだれとは逆方向。
勝千代もそれに倣って外を向き、足音が迫ってくるのに首を傾けた。
「申し上げます!」
バタン! とひときわ大きな音を立てて、廊下にうずくまったのは、声変わりしたばかりの小柄な少年だった。
「民部少輔さまはじめ、御一門衆の方々が、御屋形様にご面会をと仰っておられます!」
「御台さま、このような刻限に失礼いたします」
続いて姿を見せたのは、すらりと長身の男だ。
濃紺の直垂と重ね色の取り合わせが、奇しくも勝千代とお揃いだった。
思わずまじまじとその姿を見つめていると、相手の方も勝千代に気づいて顔色を変えた。
幼い童が、十数名の武士に刀を突きつけられている様相は、さぞかし異様に見えたのだろう。
「……これは」
勝千代は絶句するその男を見上げて、その視線が険しくすだれの方に向いたのに気づいた。
「桃源院さまがお呼びでございます」
うん、聞いた気がする名前だ。
たしか……御屋形様のお母さんだ。え、じゃあつまり勝千代にとっての祖母?
いやいや、そういう考え方は危険だ。勝千代はあくまでも父福島正成の嫡男であり、御屋形様の子であるという認識を持つべきではない。
「福島勝千代殿で間違い御座いませんか」
地を這うような声色で、問いかけられるというよりも断定されるような口調でそう言われ、改めて気を引き締める。
「はい」
やはりここは、可愛らしい幼子路線でいくべきだろう。
少し不安げな顔を作って見せて、小首を傾げる。
……うわ、ますます苦い顔をされてしまった。
「あなたもご一緒にいらしてください」
「江坂!」
すだれの向こう側から、低い女性の叱責調の声が上がった。
しかし紺色の直垂姿の男は、険しい表情を一瞬たりとも崩さない。
「この件につきましては、御屋形様にご判断いただかねば」
「……っ、その必要は!」
「勝千代殿」
すだれの向こうで激しく物が倒れる音がしたので、そちらの方を向いていて、男が傍らに膝をついたことにすぐには気づかなかった。
「……兄が言うておった意味がようやく理解できました」
距離が近くなった男の目が、潤んでいるような気がして……首を傾げると、そっと肩に手を置かれた。
「よくぞ来てくだされた」
勝千代はパチパチと瞬きをして、どちらかというと強面の、だが女性受けしそうな整ったその容貌をじいっと見る。
そしてしばらく観察して、どうしてこの男前に既視感があるのか、ようやく悟った。
「……叔父上ですか?」
そうだ、ほかならぬ父に似ているのだ。
「はい。すぐ下の弟の、江坂志郎衛門と申します」
分家を立てたという、父の一番上の弟だった。




