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冬嵐記  作者: 槐
第四章

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96/308

18-1

 主殿に入るなり、勝千代は二木と引き離された。奥殿に上がれるような身分ではないから、ということだった。

 この男には他にしてもらわなければならない仕事がある。むしろ離しにかかるのが想定よりも遅すぎるぐらいだ。

 興津が、勝千代が幼少だという理由で抗議してくれたが、あらかじめ打ち合わせていた二木は黙って一礼して引き下がった。

 別れ際、二木は相変わらずの無表情だったが、覗き込んだ目がずいぶんと不安そうに見えた。

 大丈夫。興津がついていてくれるから、即座に殺されるという事はないよ。

 そういう意味を込めて、にっこり笑って手を振っておく。

 ……よけいに顔をしかめられてしまった。



 冬の冷えた空を見上げて、月の位置を確かめる。ずいぶん時間が押していた。

 体感では、日没からおおよそ二時間。思いのほか経過しているのは、この小さな歩幅のせいだ。

 普段から抱きかかえられて運ばれることが多いので、四歳児の歩く速度や体力を過信していた。

 だが、頃合いだ。

 周囲を見知らぬ直垂の武士たちに囲まれ、外回廊を歩いているうちに、遠くから喧騒のようなものが聞こえてくる。


 周囲の者たちの中にも騒ぎに気づいた者はいたが、勝千代は足を止めなかった。

「お、お待ちを」

 控えめに引き留められたが、すたすたと歩き続ける。

 もうかなり疲れて来ていて、少し休みたいところではあるが、ほかならぬ勝千代が遅刻しては本末転倒、何もかもが台無しになりかねない。

 奥へ進めば進むほど、人が増えてくる。

 武士たちだけではなく、女中や文官たちもいる。

 その誰もが、勝千代の顔を見て「ひっ」と息を飲み、慌てたように距離を置く。

 お化けじゃないよ。

 幽霊じゃないよ。

 ……いや、やはり「怨霊でござる」と芝居がかった登場をしたほうがよかったか。


 渡り廊下を二つほどまたぎ、主殿の奥深く、おそらく突き当りであろう部屋が見えてくる。

 豪華な金箔の張られた襖が並び、所々の開け放たれた部分にはすだれが降ろされ、その最奥、回廊の突き当りのT字になったところに、ひときわ豪奢な誂えの建具が並ぶ箇所があった。

 どうみても、あそこが目的地だ。

 勝千代は、ことさらににこやかに微笑んだ。

 あの場所に元凶がいるのか。

 勝千代を父もろとも亡き者にしようとした黒幕が。

 ああ、駄目だ。冷静でいなければいけないのに、父が地下牢に捕らわれている事を思い出すと、思考が極端な方向に振り切れそうになる。



 手前で一応立ち止まり、名乗りをあげる。

 当然のように返事がないので、気にせずすだれに手をかけようとすると、それより先に、コントのような白塗りの女性がぬっと顔を出した。

「無作法な童じゃ」

 知らない人だよね。そちらこそその言い方は無作法だと思います。

 勝千代は、そんな内心など微塵も表情には浮かべず、にっこりと笑顔を浮かべた。


 普通の子供なら泣いて怖がるレベルに異様な老女だった。

 他人様の年齢、特に女性の年についてとやかく言うのは失礼かと思うが、真っ白に塗りたくられているので逆に皺が目立って、必要以上に年かさに見える。

 お歯黒もしているので既婚者だ。

 こういう女性と結婚しているって……まったくもって余計なお世話な事を考えながら、天真爛漫な笑みを浮かべる。


「失礼。こちらに通されたのだけれど、返事がなかったもので」

「返事がのうても待つものじゃ!」

 京訛りが強い。

「猪武者の子は獣臭そうてかなわぬ」

 少なくとも、名乗りもしない老女よりはマシだと思う。

 お香だか何だかと髪につけた油と化粧の匂いと、更に老女から漂ってくる、何日も風呂に入ってない者特有のすえた臭い。

 はっきりいって、かなり強烈だ。

 勝千代はさっと扇子を鼻先に当て、わざとらしく唇に弧を描いた。

「……もう一度名乗ったほうがよろしいでしょうか?」

 

 老女はカッと小さな目を見開き、手に持っていた扇子を振り上げようとした。

 いや待て。暴力に至る要素がどこにあった?

 そもそも四歳児になにしようとしてくれてるの。

 ここは叩かれてあげたほうが有利になるかな、なんてお子様らしくない事を考えていたのだが,勝千代が動くより先に、何故かここまで四方を囲んでいた直垂の武士が老女の腕を止めた。

 本人も動いてから驚いた様子で、「申し訳ありません」と言いながら膝をつき、頭を低くして謝意を示している。


 老女がぶるぶると怒りに震え、更に扇子を揺り上げようとした時。

「もうよい」

 すだれの向こうから、女性のものにしては低い声がした。

「とおしておやり」

「無礼な小童などと会う必要は……」

「では失礼して」

 勝千代は、キイキイと怒っている老女の脇をするりと通り抜けた。

 主であろう方が「通せ」と言っているのに、行く手を遮るほうがおかしい。

 更には、たった四歳の幼い童を、背後から打擲しようとするなどあんまりだろう。

 だから扇子はひょいと避けたし、それによって老女がたたらを踏んでこけそうになっても、手は貸さない。

 それは勝千代だけの思いではなかったようで、小柄な老女が尻もちをついても誰も助けようとはしなかった。


「大丈夫ですか?」

 勝千代は、スマイルゼロ円の満面の笑顔で、老女を見下ろす。

「……こ、小童!」

「お怪我は?」

 あの転び方だとものすごく痛いはず。

 焦った様子で腰を浮かせた、女官なのかな? 高級そうな打掛を着た女性に目配せをしてみる。

 その女性は、勝千代の顔をみて、やはりこれまでの者たちと同じように驚愕の表情になった。

 ああうん、びっくりしたのはわかった。

 でもあなたの上司だろうおばあちゃんが、尻を押さえて喚いているんだけど。何とかしてくれないかな。


 半年前に死んだという兄もまた、この聞くに堪えない罵倒を受けたのだろうか。

 勝千代と違って、恐らくは本当にただの四歳児だったはずだ。

 扇子で叩かれたりもしたのだろうか。

 もっとずっと幼少期なら、避けることもできなかっただろう。


 込み上げてきたのは、黒い憎悪だ。

 母親がいない兄は、このような謂れのない扱いにずっとさらされていたのだろう。

 それは、虐待を受けて育った自身の過去を思い起こさせた。

 そうだ、それで勝千代は瀕死の状態にまで追い込まれ、兄は……死んでしまったのだ。


「……ひっ」

 主の前にもかかわらず、京訛りの強い罵詈雑言を垂れ流していた老女が、不意に勝千代の顔を見て息を飲んだ。

 きっとその皺首を締めあげて、ガンガン頭突きをかましてやる妄想をしたからだな。


 いつの間にか、勝千代の顔から笑みが抜け落ち、完全な無の表情で老女を見下ろしていた。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
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― 新着の感想 ―
[良い点] スン… 「ひっ!」 うん、おしっこちびりそう。 [一言] さあ、此処から怒涛展開か!?
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