17-6
「お怪我はございませんか? ここは見晴らしがよすぎて危のうございます。建屋の中に」
足元に膝をつく興津を見下ろし、勝千代は鷹揚に微笑む。
「大事ない。私を守ってくれると信じている」
「おお、ありがたきお言葉」
宿場町ではもっと距離を取った話し方をしていた。
勝千代が意図的にそうしているとわかっているだろうに、興津は嬉しそうに顔じゅうをほころばせて笑う。
「若君には指一本触れさせはしませぬ。さあ、こちらへどうぞ」
寸劇どころか、時代劇の撮影でもしている気分になってきて、興津につられたように大仰に頷いて見せた。
ふと足元に細長い投擲武器が落ちているのに気づき、ぽかんと口を開けどうしてよいかわからない風の鬼瓦顔を振り仰ぐ。
「そのほうも怪我はしておらぬか?」
「……は? は、はあ」
「茨木どの」
「無垢なお子様ビーム」の凝視を受けて、たじたじと後ずさった鬼瓦顔に、立ち上がった興津がさも深刻そうな表情で声を掛けた。
「怪しげなものが侵入しておるようだ、心して役目をこなせ。我らも奥の警備を強化する」
丸顔で、人がよさそうな男に見えて、けっこう上背も肩幅もある。
いかにも荒事向きな鬼瓦顔と正対しても、まったく見劣りしないのはおかしな感じがする。
幼い子供に接し慣れていないのだろう鬼瓦が、興津と勝千代を交互に見て挙動不審に口ごもっている。
その、見るからに「口に出して言えないことがあります」的な雰囲気に、気づきはしたが指摘はしなかった。
興津がその肩に手を置いて、耳元で何かささやく。
鬼瓦の顔からさっと血の気が引き、ぎょろりとした目で勝千代を見て、慌てた風に首を左右に振った。
ちらりと聞こえたけどね。
けっこうえげつない脅迫するよね、この男。
勝千代は、何も気づいていませんという態でにっこりと笑顔を返す。
周囲の者たちも、聞か猿言わ猿の表情で黙っている。
「では興津、案内してくれ」
「はっ」
馬廻り衆たちが、勝千代と二木とを取り囲む。
それはさながら連行されていくように見えなくもなかったが、興津や周囲の男たちの挙動を見ていれば違うのだとすぐにわかる。
去り際、見知った顔が視界の隅をかすめたが、お互いに気づかないふりをした。
まだしてもらう仕事があるからね。
投げた武器はちゃんと回収して証拠隠滅しておくように。
「福島さまの収監場所を確認してまいりました」
歩きながら、こそっと興津が言う。
あからさまに反応した二木の脇腹を、肘でつついて黙らせる。
「直接会ったわけではありませんが、壁越しに会話はできました。無理をせず、国を出るようにとの伝言を承って参りましたが……」
身の安全を第一に、という意味だろう。肝心の勝千代が今川館に来ているなど、思ってもいないに違いない。
「ご無事か?」
若干怯えたような二木の気持ちはよくわかる。
地下牢に捕らわれ、詮議をされていると聞いた。
詮議とはなんだ? 父ほどの身分の者を、そもそも地下牢に入れるなどあり得ない。
乱暴な扱いを受けているのではないか。たとえば、身体を痛めつけられるような……
「お声はしっかりなさっておられました。ですが、場所が場所です。担当しているのが看守ではなく、尋問や拷問に長けている者だというのが気になります」
拷問。
勝千代は、竦みそうになる足をひたすら前へ前へと動かした。
瞼に浮かぶのは、岡部の城で、槍を振りまわし大音声を上げた父の姿だ。
周囲を圧倒するほどの武威を持つ父を、地下牢に捕らえ、拷問にかけているというのか?
がちがちと奥歯が鳴る音がした。
ちらりと振り仰ぐと、尋常ではない二木の表情とぶち当たる。
奥歯をかみしめ、ぶるぶると震え、首筋や額には血管が浮き……
恐怖ではない。
そこにあるのは、噴火寸前の怒りだ。
「二木」
逆にそれを見て、頭が冷えた。
「堪えろ」
どうすれば父を取り戻せるのかと、その事ばかりを考えていたが、方向性を変えよう。
「いずれ機会はつくってやる」
穏便に、というこちらの願いが無下にされたのはわかった。
では、徹底的に叩かせてもらおう。
勝千代自身に戦力はない。
だが、興津やあの茨木とかいう鬼瓦顔の男を見ていてわかるように、完全な敵と言える者の数は、恐らくそれほど多くはない。
敵対派閥だと思われる朝比奈殿ですら、今回の件では一歩引いた立ち位置にいる。
つまり、当初想像していたほど敵の力は強くないのだ。
前にも言ったが、これがあと一か月後であれば、父は獄死した、やはり下克上を狙っていた、などと勝手なことを言い立てて、すべてをうやむやにできたかもしれない。
だが、父も勝千代もまだ生きている。
右の頬を殴られたからといって、諾々と左の頬を差し出す気はない。
相手の顔面を往復ビンタして歯を全部折ってやっても、誰にも文句は言わせない。
「興津」
「はい」
しばらく歩き、主殿の入り口が見えてきたところで、勝千代は静かに言った。
「そのほうらはここまででよい」
本殿の入り口付近には、かなりの人数の武士たちが待っていた。
茨木らとは違い、きっちりとした直垂に烏帽子をかぶり、いつでも刀を抜けるような姿勢で身構えている。
「この先はどう転ぶかわからぬ。巻き込まれぬように」
「いいえ」
勝千代は顔をあげ、興津の強い決意がこもった眼差しと目を見かわした。
「……兄君をお守りできませんでした」
この男が、勝千代を通して、今は亡き兄を見ているのだろう、ということは察していた。
それにしても……守れなかった? やはり兄は病死ではないのか?
「今度は間違いませぬ」
「そうか」
今は、それ以上の言葉は必要なかった。




