17-5
馬で直接乗り付けるのは、本来であれば非礼にあたる。
しかし、二木が操る黒馬を止める者はいなかった。
誰何され、止まれと言われれば下馬するつもりでいたが、ゆっくりと並足でぱかぱか進んでいっても行く手を遮る者がいない。
勝千代の姿を視認すると、皆一様にぎょっとして、まるで幽霊でも見たかのような顔をするのだ。
オレンジがかった夕焼けが、薄紫色を帯び、いわゆるトワイライトブルーの刻限。黒い馬に乗り、篝火に浮かび上がる姿は、もしかすると人ならざる者に見えたのかもしれない。
狙ったわけではないが、邪魔をされるどころか声ひとつ掛けられることなく、正面の大きな門の前に到着できてしまった。
勝千代は馬上から、じっくりとその重そうな門扉を見上げた。
構造的には、掛川城の堀際にあったものに酷似しているが、それより一回り小さい。
小さいからと言って貧相なわけではなく、木製の板に物々しい金属が打ち付けてあり、頑強そうな造りをしている。
天守閣がないせいか、城というよりも、公家屋敷のようだった。
そこだけ浮き上がっているかのように存在感があるのは、細かな区画整理をされた町並みとは対照的に、館の敷地がやたらと広いからだろう。
ぎぎぎぎぎ
目前で、木製の大きな扉が、ゆっくりと外開きに動きはじめた。
勝千代の腹部を支えている二木の腕に、力がこもる。
固く閉ざされていた門が徐々に開いていく様は、まるで冥府へ誘われているかのような雰囲気があった。
沈んでいく太陽の明るさを惜しみながら、門が開くのをじっと待っていると、その隙間の向こうに長槍を構える武士たちが見える。
篝火を照り返すその穂先の輝きを目にして、感じたことをどう表現すればいいのだろう。
恐怖ではない。
怒りでもない。
強いて言うなら……過剰に怯えて見える大人たちへの呆れだろうか。
勝千代は門が全開になってから、ぽんぽんと二木の腕をタップした。
物凄くこわばっていた腕から、若干だが力が抜ける。
二人が下馬する頃には、相手も隊列を組み終えていて、槍を構えた鎧武者たちに幾重にも取り囲まれていた。
勝千代は改めて、その場の異様な雰囲気に首を傾けた。
先頭に並ぶ者たちの顔色の悪さを見るに、やはり死んだ兄の亡霊か何かだと思われているのだろう。
一瞬いたずら心が沸き上がったが、我慢する。
遊んでいる場合ではないのだ。
父を取り戻しに来たのだ。
「すまぬが、取次ぎを頼みたい」
周囲の腰の引けた、おっかなびっくりな雰囲気など気付いていない態で、先頭の武士に話しかけてみる。
声を掛けられた方はぎくりとして、挙動不審に視線を動かした。
「福島上総介の嫡男、勝千代が参ったと」
「……はっ?」
思わずなのだろう、こぼれた疑問の声は裏返っていた。
勝千代はにこにこと頑是ない童を前面に押し出し、槍を突き付けられていることなど目にも入らぬ風に笑って見せる。
「ところで、ずいぶん物々しいが何かあったのか?」
改めてまじまじと見つめられ、初めてこちらが童と護衛の二人きり、しかも武器に手を掛けるなどの敵対行動をとっていないことに気づいたのだろう、前の方から拍子抜けしたような雰囲気が漂い、後方にまで伝播していく。
「あ、あの……福島さまのご嫡男ですか?」
連中の組頭らしき男が、ずいぶんと戸惑った様子で声を掛けてきた。
「そうだが。父に所用があって参った」
あどけない子供が、若干のつたない口調でそう言って、不思議そうに首を傾ける。
それに警戒心を抱き続けることができる者は多くない。
次々と槍が下がり、当惑したような、ざわざわとした様子が伝わってくる。
「何をしておる!」
かなり奥の方から、叱責調の声が飛んできた。
気を緩めかけていた兵たちが、条件反射のようにびくりと身体を揺らせ、槍を握りなおす。
「侵入者を許すな!!」
かなりの濁声で、思わず身を竦めてしまうような怒声だった。そのおかげで周囲が静まり返り、対する勝千代の戸惑った声がはっきり遠くまで伝わった。
「侵入者? 私が?」
「福島殿は、若君を騙る偽物を擁そうとしたということで、詮議を」
部下たちを掻き分け、前に出てきたのは、ごつい鬼瓦のような面相の男だった。
いかにも歴戦の武士といった感じで、顔などに無数の傷がある。
今にも切り付けそうな勢いで駆け寄ってきたが、近くまで来て、勝千代の顔を見た瞬間に言葉に詰まって動きを止めた。
「偽物というか、双子なのだから似ていて当たり前だけど」
こてり、ともう一度首を傾ける。
「それで、父はどちらに?」
「若君!」
追撃で「必殺あどけないお子様攻撃」を仕掛けようとしていた勝千代の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「おのれら! 何をしておる!! 若君に槍を向けるとは何事ぞ!」
興津だった。
別れた時のような武装もしておらず、濃い色の直垂姿だが足元には脚絆をつけている。
その、内向きなのか外向きなのかわからない服装は、どうやら彼ら馬廻り衆の地位を示しているようで、見覚えのある興津の部下たちも似たような装束だった。
「い、いや不審な輩が押しかけてきたら捕えよと命令されて」
鬼瓦の顔が、困惑に歪む。
ちらちらとこちらを見ているが、この男も詳しい事情を聞かされてはいないようだ。
敵味方どっちつかずな者が多いな、というのが勝千代の印象だった。
敵の狙いが父と勝千代の排除だということは確かだが、その事でまともに対峙してくる者がいないのだ。中途半端な情報しかもらえていないから、兄に激似な勝千代をみて戸惑いが生まれ、行動に迷いが出る。
それが敵方の手落ちなのか、そもそもそういう段取りなのかはわからないが、付け入る隙には違いない。
「ならば仕事を続けるが良い」
勝千代は、あっさりとそう言って笑った。
己は子供。頑是なく可愛らしく元気なお子様だ。
「ご苦労だな」
背後で二木が緊張したのが分かる。
しかし構わず、勝千代は鬼瓦に歩み寄り、その逞しい腕に手を置いた。
偶然とは、意図せず起こる事だ。
「たまたま」飛んできた投擲武器が、二木にも興津にもカバーできない位置から放たれたもので、それに気づき反応できたのは鬼瓦だけだった。
鬼瓦にしても、勝千代を守ろうとしたのではなく、本能的な自衛行動だったのだろう。
しかし、大柄な男が振り向きざま腕を振ると、丁度射線上にいた勝千代はすっぽりとその体の影に隠れてしまう。
カラン、と柄の短い刃物が石畳の上に落ちた。
槍兵たちの目が勝千代ではなく外側に向き、警戒をあらわにする。
それは傍目には、怪しいとされる童を守る行動に見えていた。
御屋形様やご一族を守る馬廻り衆が、素早く動いて勝千代の周囲を固めたことも、流れをいいほうに向けた。
事情を知らない大多数の武士たちが、勝千代を「不審な童」ではなく「よくわからないが若君らしい」と認識したのだ。




