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こちらの手勢が五十人といっても、周りを取り囲むのは軽くそれを圧倒できる数だ。
だがすでにもう士気は低く、二木の思惑通りに事は動いている。
「何をしている! その不埒ものを捕えよ!!」
膠着状態の睨みあいに介入してきたのは、数人の上級武士クラスの男たちだ。それぞれにかなり立派な鎧兜を身にまとっており、ガチャガチャと物々しい音を立てながら近寄ってくる。
「そのものは若君の名を騙る偽物ぞ!」
勝千代を支える二木の腕に力がこもった。
「その子供のせいで、殿は御屋形様に詮議を受けておるのだ!」
「若君に一度としてお目通りしたことがないくせに、知った風な口を利くな!」
相手の糾弾が終わるより先に、二木の怒声が響き渡った。
「おのれら、殿の御前にその首並べて詫びろっ」
敵味方双方がぎょっとした風に息を飲んだ。
おそらくだが、相手の方が二木よりはるかに身分が上なのだろう。
「二木! 誰に向かってそのような口を」
「どなたであろうとも、若君への非礼は許さぬ!」
この男についてはいろいろと言いたいことはある。
お世辞でも性格は良いとは言えないし、腹が立つ言動も多い。
だがしかし、父へ向ける忠義だけは、紛れもない真実だとわかる。
勝千代が抱くそんな印象は、周囲の者たちにとっても同様なのだろう。
いったん変わりかけた流れが、再び方向を見失って惑う。
「膝をついて詫びろ!」
誰もが行動を決めかねて黙り込んでいるうちに、二木の追撃が始まった。
「さもなくば、この二木定正がその首を打ち落としてくれるわ!」
片手で勝千代を支えたまま、鐙に掛けた足に力を込め、刀を抜き放つ。
「むざむざと敵の策にはまり、おのれらは福島家をつぶすつもりか! それともすっからかんの頭でそれを狙ったのかっ!?」
「ま、待て二木」
さあ、引っかかったぞ。
あまりにも非礼な罵倒を受けて、思考がまとまらない連中が、戸惑うように顔を見合わせている。
「待たぬ! 今すぐその首を刎ねてやる!!」
「無礼者がっ」
またもどこからかよく通る声が聞こえた。志沢とかいう男の声だ。
「方々、騙りの子もろともその慮外ものを成敗してください!」
「志沢ぁぁぁっ!! こそこそとモグラのように隠れておらず出て参れっ」
「品性の欠片もなく、下賤の血を恥もしない破落戸め!」
「やはり出て来れぬのだろう! 臆病者っ!」
「聞くに堪えぬわ! 早う始末せよ!!」
「始末? 始末と言うたな?!」
ひひひん、と勝千代の乗った黒馬が嘶いた。
二木がグイと鐙を蹴ったのだ。
いやちょっと待って。
片腕で勝千代を支え、もう片方の腕で刀を抜いている。
え? 手綱は? え? なんで馬を跳ねさせるの!
「……っ」
勝千代は、ぎゅっと二木の腕にしがみついた。
さもなくば、急な落下感に情けない悲鳴を上げてしまいそうだった。
「そこかぁぁぁぁっ!」
「うわあああっ! 誰かっ! 誰かその男を止めよ!!」
二木が巧みに操る馬の先に、派手な赤い鎧を身にまとった小柄な男がいた。
慌てた風に彼を守ろうとするのは、三人ほどの若い武士だ。少年と言ってもいい年ごろの、まだ幼さを残している顔に張り付いているのは恐怖だ。
それでも、志沢を守ろうと踏ん張る様子はなかなか肝が据わっていると言ってもいい。
ただ、その守っている相手が悪かった。
刀を構えている少年の背中を突き飛ばし、逃げ出そうとしたのだ。
なるほど、臆病者か。
落下中の馬、というなかなかレアな視点から、勝千代は妙に冷静にそんな事を考えていた。
スローモーションのように、黒馬が志沢の前に着地する。
その衝撃に、肝がひゅっと縮むような恐怖心が今さらながらに沸いたが、目前の男があまりにも情けない声を上げていたので、かろうじて悲鳴を上げるのは堪えた。
二木が刀を振り上げ、そのまま赤い兜の主を切り捨てようとした。
切っ先がその飾りの金物をかすめ、跳ね上げる。
「二木! やめよ!」
刀が届かなかったのは、背の高い黒い鎧武者が邪魔をしたからだ。
「……ちっ」
二木は舌打ちし、二刀目を繰り出そうとした。
「二木!」
初刀は馬に体当たりをするような形で軌道をずらされ、二刀目はその屈強な身体で遮られた。
だがしかし、馬上の二木を止めるまでには至らない。
二木は更に刀を振り上げ、袈裟切りに振り下ろそうとした。
それを年季が入った武骨な鞘で受け止めたのは、いかにもツワモノという雰囲気の筋骨たくましい男だった。
「お、おじい様!」
その赤い兜の下にあるのは、こんがりと日焼けしてしわの多い顔だ。髪は白い。なめし皮のような皮膚には無数の傷跡。
「おじい様、おじい様! お助け下さい! 二木が、二木が狼藉を!」
「福島家に仇をなすなら、死んで殿に詫びよ!」
二木の鋭い声に、周囲の者たちは動きを止めた。
そう、志沢の祖父という赤い鎧の老武士も、屈強な黒い鎧の武士も。
「おじい様!」
半泣きの声が甲高く耳障りな声を上げる。
……まあ、こんなものだろう。
作戦の次の段階に行くべきだと、肘でその脇腹をつついてやる。
しかし二木は止まらなかった。
いや、わざとだろう。
振り下ろした刀は志沢の兜を飛ばした。
「ひい」と掠れた悲鳴が上がった。
真っ赤な筋が、その頬を斜めに切り裂く。
二木はとどめを刺せない事に苛立ち、転がって逃げようとする志沢を馬で踏みつぶそうとした。
勝千代はため息をついた。
この時のために用意していたわけではないが、東雲からもらった扇子を抜き、パシリ、と勢いよく二木の顔面に叩きつける。
あ、目測が誤って額じゃなくて鼻に当たった。
お前と違ってわざとじゃないぞ。
鼻の穴に突っ込む形になったのはわざとじゃない。
……本当だからな。




