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勝千代が滞在しているのは段蔵の屋敷で、この村の庄屋である。
質素だが造りがしっかりしていて、村で最も大きな建物だが、大勢の客をもてなすようにはできていない。
勝千代が暮らす母屋の一室が本来の客間らしく、用意ができるまで二人の武士たちを寒空の中待たせることになってしまった。
芋ほりで上がった体温は、屋敷に戻るころにはすっかり冷え切っていた。
盥の水に湯を混ぜ、湯気が出ている中に足をつける。
弥太郎が手足の泥を丁寧に落とし、手ぬぐいで拭いた。
「ご心配なさらずとも、我らがそばについております」
見かねるほど震えていたからだろう。水気をぬぐいながら、ぎゅっと手を握ってくれる。
寒い。
血の気を失った指先は、湯で温めても氷のようだ。
おそらく顔色も相当に悪く、震えがなかなか収まらない。
こんな時代だ、死は常に身近にある。
しかし、己の不用意なひとこと、考えなしの言動で、大勢に災禍が及ぶかもしれないと考えると、恐ろしくて仕方がなかった。
おそらくこの時代の人間の中で、彼ほど個々の命の重さを認識している者はいない。
平和な日本の価値観は、勝千代の中の人になっても消えることはなかった。
さらに考えを進めると、もっと恐ろしいところに行きつく。
ここが現代日本につながっている過去なら、たったひとつの行動が、取り返しのつかない結果をもたらしかねないと気づいたのだ。
人の命は、脈々と受け継がれていく。
命が紙のように軽い今の時代で、勝千代のせいで失った命の行く末は、どうなってしまうのだろう。
例えば誰かの子供の子供の子供、続いていく命が存在する未来と、その大元がさっくりと断たれた未来。
中の人やその妻、いずれ生まれたかもしれない子供の命をも、なかったことになりはしないか?
考えても仕方がない事だとわかっていても、一度思考のループに陥ってしまうと、そこから動けなくなる。
「岡部二郎と申す」
下座で胡坐をかいて座り、頭を低くするのは先ほどの三白眼だ。
勝千代は上座に一人で座り、心細さを押し堪えた。
「御台さまの書簡を預かってまいりました」
偉い殿さまの正室がそう呼ばれるのだと知ってはいるが、勝千代にはそもそもの根本的な知識が欠けている。
岡部がわかっていて当然のように言う「御台さま」の事を、欠片も知らないのだ。
一般的な三、四歳児であれば当たり前のことかもしれないが、大人の自覚がある中の人にとって、その欠落は不安でしかなかった。
弥太郎が書簡を受け取り、膝でにじり寄るようにして運んでくる。
第三者を介するほどでもない距離なのだが……ものすごく偉い人になった気がして、尻が落ち着かない。
運ばれてきた書簡は、さらに段蔵の手に渡った。
包まれていた紙を開き、折られているのを丁寧に伸ばし、それでようやく勝千代の手元にやってくる。
段蔵の姿勢の良さがここでも遺憾なく発揮され、部屋は狭いのに、やけに格式ばって見えた。
勝千代は、広げられた書簡に目を落とした。
真っ先に感じたのは、草書体の美しさだ。特にかな文字が流麗で、ひと目で教養ある女性の手だとわかる。
実は、中の人の特技は書道なのだ。
子供のころから習っていて、草書も篆書も読むことができるし書ける。これは親に感謝するしかない。
勝千代はまだ幼いので、文字を読めずともまったく問題はないのだろうが……。
その書簡は、幼子に向けたものとは到底思えない、丁寧な時候の挨拶から始まっていた。
読み進めていくうちに眉間にしわが寄り、さほど長くはない文面に目を通してから、最後の「福島勝千代どのへ」と書かれた行で視線を止める。
それが勝千代のフルネームなのだろう、ということはわかるのだが、福島、ふくしま? 先ほど岡部は「くしま」と言っていなかったか? とクエスチョンマークが頭を過る。
だがそれよりももっと重要なのは、一行前だ。
年号は永生。続く差出人の署名は……
そこにあるのが、今の勝千代にとって最も必要な情報なのは確かだが、そもそも日本の年号について詳しくないし、署名の部分も崩し字の花押で判別しがたい。
手掛かりにならない手掛かりをいくら眺めても、答えが出てくるはずはなく、やがて諦めて別口から情報を読み解こうと書簡の冒頭に戻った。
更に三度ほど読み返してから、じっとこちらを見守っている三白眼、岡部二郎とやらに視線を向ける。
「これはまことのことか」
「……はっ」
相手も、まさか幼い勝千代が書簡を読み進め、直接問いただしてくるとは思わなかったのだろう。
返答までに少し間が開き、藪にらみの三白眼にちらりと興味の色が過る。
「……兄か」
書簡には、勝千代の双子の兄が病死したとあった。
己が双子だということも知らなかったし、そもそも同腹の兄弟がいることすら聞いたことがない。
中の人になってそれほど経っているわけではないが、勝千代も知らなかったと思う。
真っ先に感じたのは、勝千代と同い年の幼子が死んだことへのやるせなさ、この時代の命の儚さだ。双子、という特別な間柄の兄弟を亡くしたことへの実感はまだなかった。
書簡には、兄の養母、つまりは「御台さま」のもとに来てくれないか、という内容が切々と刻まれていて、文字の美しさと相まって、子を亡くした母への同情心が募る。
しかし、わざとのように崩された署名の部分を見ていると、なんとも表現しがたい、ざらりとした不穏な気配を感じてしまう。
書簡を読んだだけでは解決しないそれらの疑問を、直接岡部に問いただしていいものか。
「……見てわかるかと思うが、私はそれほど丈夫な質ではない」
しばらく悩んだ末に、出した結論は無難なもの。
必殺、先延ばしの術だ。
「体調がすぐれぬゆえに、今はまだ逢わぬが良いかと思う」
養い子を亡くした事への同情心はあるものの、即座に頷くことはできなかった。
「勝千代殿!」
「私は兄ではないよ」
なにより、ポンコツなセンサーが告げる明確なアラートに、逆らうのはまずい気がする。
にじり寄ろうとする岡部を、軽く手のひらを向けて押しとどめた。
「双子なら似ているのかもしれぬが、御台さまの養い子ではない。悲しみを紛らわすことはできぬ」
いずれ対面することはあるかもしれないが、今ではない。
向こうもだが、勝千代の方も、心身ともに落ち着いてからのほうがいい。
「返書をしたためる故、しばし待て」
段蔵が用意してくれたのは、御台さまの書簡に比べると手触りがゴワゴワしていて、黄色味がかった紙だった。
筆も質が悪く、書いていて何度も引っかかる感覚がある。
突っ込んでばかりで申し訳ないが、墨も薄すぎるように思う。
もちろんそんなことを口にはしないが、慣れ親しんだ現代の書道具に比べて品質が落ちるのは明らかで、滲む紙にまともに文字をしたためるのにも苦労した。
分厚さも均等ではない紙だが、今の時代では貴重品だろう。
なので、失敗しないよう慎重に書き綴り、失礼にならない程度の手紙を仕上げるのにかなり時間がかかった。
なんとか書き上げ、少し距離を開けて眺める。
第一印象は、なんだこれ、へたくそ。
やはり紙質の悪さは大問題で、特に最初の方の文字のにじみが気になった。
紙を浪費するわけにいかないし、客を待たせてもいるし、書き直すのは我慢する。
筆をおき、乾くまで待とうと顔を上げて……
そこで初めて、大人たちがあ然として自分を見ていることに気づいた。
どうしてそんな目で見られるのかわからず、こてりと首をかしげる。
あ、まずいかもしれん。
すぐに理由に思い当たった。
まだ三つ四つの幼子が、達者に文字を書けるはずがないのだ。
しかも手習いしたてのつたなさではなく、仮名漢字交じりの長文である。
誤魔化したくとも、すでに時は遅し。
考えなしの行動が墓穴を掘るものだと学んだ、最初の出来事だった。




