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冬嵐記  作者: 槐
第四章

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16-4

 町中に人の気配はほとんどなく、恐らく全員宿で息をひそめているのだろうが、方々からの視線は感じていた。

 話している内容は聞き取れないだろうが、集中力がそがれるので、宿場通りからそれほど離れていない小さな稲荷神社へと向かう。

 本殿は狭く、鳥居がひとつあるだけの小さな神社だが、手入れのされた竹林の景観は美しかった。


「父がどうしているかご存じでしょうか」

 飛び石の上を歩きながら、最も知りたかったことを尋ねる。

「謀反だなど……ありえません」

 朝比奈殿は鳥居をくぐったところで立ち止まり、厳しい表情で勝千代を見ていた。

 振り返り、そんな朝比奈殿の顔を見返して……勝千代はぐっと奥歯をかみしめた。

「……まさかもう」

 最悪の事態が頭を過る。

 頭を撫でてくれた大きな手。

 ひょいと抱き上げてくれた逞しい腕。

 どこの誰にも後れを取ることなどないであろうあの父が、まさかもうすでにこの世にいないのか?

 急激な恐怖に見舞われて、血の気が下がる。

「いや、少なくとも昨晩の段階ではそのような話は聞いておりません」

 だが、それもあり得ると思っているのだろう。

 朝比奈殿の表情から、事態が想像していた以上に逼迫していることを察する。


 勝千代は、崩れ落ちそうになる両足を踏ん張り、震えそうになる息を大きく吸って吐いた。

「どうしてこのようなことになっているのか、事情はご存じですか?」

 冷静にならなければ。

 父を救うために何をすればいい?

 焦る気持ちを飲み込んで、抑えた口調でそう尋ねると、朝比奈殿はためらいがちに周囲を見回し、声を潜めた。

「亡くなった若君に瓜二つの子供を拾ってきて、御屋形様の後継に据える気だと」

「……は?」

 つい、ものすごく低い声になった。

「どこのどなたがそのような世迷い事を? ……いや、結構です。ここで聞いても仕方がありません」

 重要なのは、誰がそれを言い出したかではなくて、そういう疑いをかけられて父が捕らわれている、という事だ。

 そしてその話は、掛川の城でも聞いた。他ならぬ朝比奈殿の奥方からだ。

 つまりとっさに思い付いた言いがかりなどではなく、計画的に進められた謀事だということだ。


「朝比奈様が駿府へいらっしゃったとき、すでにあの軍勢は招集されていたのだと聞きました。あらかじめこうなることをご存じだったのですか?」

「いいえ。演習は毎年行っている事です」

 それでは、朝比奈殿の軍勢は意図して集められたものではなく、むしろそういう時期が狙われたのかもしれない。

「福島が引けば、矛を収めていただけますか?」

「もちろんです。ですが、簡単に引くとは思えませぬ」

 父を見ていればわかる。基本的に福島家は尚武の家だ。知恵ものがいないわけではないだろうが、実権を握っているのがあの父なのだ。おそらくは何者かの掌の上で、不利になるよう誘導されている。

「一両日中になんとかします」

 残された時間はあまりない。

 今この時にも、父への処分が下される可能性はゼロではない。

 一両日などではなく、今すぐでも片を付けておくべきだ。


「勝千代殿」

 頭の中で算段を始めた勝千代は、朝比奈殿に名を呼ばれて顔を上げた。

「……噂は事実ではないと、あなたに一度でもお会いする機会があった者ならすぐにわかるでしょう」

 思いのほか小さな声、近い距離だ。

 ほかの誰の耳にも届かないようにしたとわかるその言葉は、実直者らしい朝比奈殿の忠言だと即座に悟った。

「ですが、血統など証明しようがない。噂を正すのは難しいと思います」

「……ご心配ありがとうございます」

 勝千代はじっとその顔を見上げて、一瞬だけ、張り詰めていたものを緩めて微笑んだ。

「血のつながりなど、証明するつもりはありません。その必要もありません」

 もとより、武家など向いていないと思っていたのだ。

 いっそ何もかも、名前も家も捨ててしまおうかと考えたこともある。

「陰謀の上で踊りたいなら、そうしたい者だけで踊ればいい。父を無事に取り戻し、以後こちらに余計な手を出さないでもらえれば、私はそれで充分です」

 武士であることに誇りを持ち、この地を守ることに命を懸けている父を、むざむざと恥辱のままに死なせる気はない。


 朝比奈殿との話し合いはごく短時間だった。

 だが、知りたかった情報はつかめたと思う。

 朝比奈殿は御台さまの派閥だが、積極的にこの件にかかわってはこないだろう。

 むしろ、できるだけ早く手を引きたいはずだ。

 生真面目そうな気質のことももちろんあるが、それよりも、いつの間にか対福島の矢面に立たされそうになっていた事実を、赦しはしないと思うのだ。


 稲荷神社の前で、左右に別れた。

 朝比奈殿はこのまま本陣に戻るらしい。

 そのサラサラ髪が揺れる背中を見送って、自らも考え事をしながら踵を返すと、少し離れた位置に、見覚えのある一団が土下座をしていることに気づいた。

 近づかずとも、その先頭にいるのが二木だとわかった。

 額を土につけてのその姿勢に、無意識のうちに眉間にしわが寄る。

「申し訳ございませぬ‼」

 遠ざかってしまった朝比奈殿ですら振り返りそうな大声が、鼓膜を貫いた。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
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― 新着の感想 ―
[一言] 踏んだり蹴ったりですなぁ。 まだ転生勝千代の物語は始まっていない……けど、現代人メンタルで生き残るのは難しそうだわ。
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