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冬嵐記  作者: 槐
第四章

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85/308

16-1

 木戸が開いたのは翌日の早朝。

 もう一日様子をみようという町の名役を宥め、開けさせたのは興津だ。

 中間管理職臭が濃厚な男だが、力の押し引き具合がうまく、町人相手に下手に出るが舐められない。なかなかやる。


「いやぁ、天候に恵まれましたな!」

 旅装を整えた興津が、丸顔をにこにこと笑み崩し、あどけない女童の足元に片膝をついた。

「お勝殿のためにお日様が雲を払ってくだされたのでしょう」

「……そうですね」

 勝千代は、今にも着物に触れそうな位置にある男の顔に、引きつった笑みを返す。

 だから、商人の娘を装っているんだって!

 周りが信じがたいものを見る目でこちらを見ている。

 幼気な女童にかしずく中年男……現代だと警察に即通報されそうだ。

 ほら、興津の配下の奴らもそうだ。こわばった顔をしているぞ。奥方にチクられても知らないからな!


「そろそろ参りましょうか」

 注目を浴びるとわかっていて興津と同行することにしたのには理由がある。

 勝千代は葦毛の馬の優しい黒い目を見上げて、「はい」と小声で頷く。

「大丈夫ですよ、白妙は気質の良い牝馬ですから」

 そう、興津らは馬廻り役目の武士なのだ。実際に馬を引き連れ、駿府に戻る途中だった。

 馬廻りは馬丁ではない。主人の身の回りを守るのが主な仕事だ。

 そんな興津がここで何をしていたかというと、馬廻りの若い者たちの馬術訓練だそうだ。

 彼らは替え馬を含め沢山の馬たちを引き連れていた。

 馬があれば、移動は大幅に早くなる。興津いわく、ゆっくり進んでも日が高いうちに駿府に到着できるそうなのだ。


 一番気になるのが、この男たちの中に刺客がいるかもしれない、ということだが、逆にこれだけの人数がいれば、そのすべてが忍びという事はないだろう、というのが段蔵たちの意見だった。

 それに、一度馬に乗ってしまえば、逃げ切ることも容易になる。

 駿府までの距離も考慮に入れての、同行の判断だ。


 堺の日向屋の番頭ら一行と、今川の馬廻り衆。

 異質なこの取り合わせに、周囲からの視線が集まっている。

 いくら目立つのは覚悟の上だとはいっても、わざわざ好んで好奇の目を浴びたいわけではない。

「興津様!」

 一刻も早くこの場から離れたいと、馬に乗るのを待っていた時、人ごみの後方から悲鳴に近い必死の声が掛けられた。

 聞き覚えのある声だ。

 にこにこと人の好い笑顔で勝千代を見ていた興津が、名前を呼ばれてそちらを振り返る。


「興津様! どうか!!」

 扇屋……だよな?

 一昨日の夜は、洒落っ気のある身なりの商人だった男が、今は何故か見る影もなくボロボロになっている。

 着ているものも薄い一重の着流しで、古びて継ぎが当たっていた。

 よく見ればその両手は後ろ手に戒められていて、役人らしき男が慌てた風にぐいぐい引きとめようとしている。

「興津様!!」

「何故ここにいる。調べは?」

 興津は必死の形相の扇屋ではなく、その背後の縄を持つ役人に目を向けた。

「あ、いえ。べつの牢のほうへ移すところでございます」

「……何?」

 役人の視線が面白いほど四方八方に揺れていることから、恐らくは賄賂でも受け取ったのだろう。

「ひっ」

 同じことを考えたらしい興津の顔が、みるみる間に険しくなっていく。

 怯えた役人が強く縄を引いたので、扇屋はその場で尻もちをついて倒れた。


 扇屋が捕らえられた理由は、関をまたいで密輸をしたというもので……実際にそういう罪もあったのかもしれないが、昨日の勝千代の相談を受けての別件逮捕だろう。

 しかも、同行を断るための言い訳に使ったのに、結局は断り切れなかった。

 意味なくやり玉にあげられただけの扇屋が、ほんの少しだけ気の毒な気もする。

 いや、法を犯して商売をしていたのなら、きちんと裁かれるべきだと思うが。


 そして今度こそ町を出ようとしたのだ。

 出立直前にごたごたしてしまったが、準備は万端、すぐにも出立できる状況だった。

 このまま駿府まで一直線、数時間後には父に会えると信じて疑わなかった。

 しかし……


「どう思う?」

 勝千代は馬上でこっそり聞いてみた。

 一緒に乗っている弥太郎が、「どうでしょう」と、なんとも曖昧な返答を寄越す。

 勝千代自身は木戸をくぐったばかり。馬廻り衆の最後尾はまだ町中にいる。

 そして丘を下って少し行った先……勝千代たちが今見ているのは、東西に分かれて対峙する、どこの者ともわからぬ二種類の軍勢だった。

 かなり距離があるが、具足をつけ、刀を握ったものものしい一団が、やけに静かに向かいあっている。


 ここは駿河の国。今川氏のおひざ元。小国が入り乱れている地域でもなければ、国境付近でもない。

 このような場所で軍勢が対峙することなど、そもそもあり得ない事態だった。

 演習か? 訓練か何かなのか? それとも……

 嫌な予感を払拭したくて、コメ粒ほどに小さな人々の集団に目をこらす。

「お勝殿、すぐに町へお戻りを」

 興津が馬を寄せてきて、小声で言った。

「必要であれば時間を稼ぎます」

 静かな口調だった。

 勝千代は、その目をじっと見返した。

「どういう状況でしょう」

 興津は少しためらってから、軍勢の方に視線を戻した。

「あちらが朝比奈。もう片方が福島です」

 勝千代は、自身の心臓がどくりと大きく脈打つのを感じた。

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