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嘘をつくことが必ずしも悪い事だとは思わない。
しかし後々を考えるとかなりリスクがあるし、そもそものメリットもあまりない。
勝千代はあっさり前者を切り捨て、後者を選んだ。
ついでに、無邪気な子供のふりも続行したほうがいいだろう。
下げられていた頭があげられて、まじまじと顔を見つめられて。
勝千代の兄が想像していた通りの立ち位置にいたのなら、真正面から顔を見ることができる程度には身分のある男なのだと、改めて気を引き締める。
「……お久しぶりでございます」
第一声でそう言われ、勝千代はあいまいな表情で首を傾けた。
「初めてお会いしますが」
意図して高めの声で言った。
四歳児なのでもともとトーンは高かったが、男児とわかる声色だった。それをほんの少し細めに、柔らかさを意識して喋る。
「父のお知り合いでしょうか」
身体が幼児なので、ほとんどまだ性差はなく、女児の恰好をしようがそう見られようが抵抗はない。
じっと視線をそらさずにいると、さすがに躊躇するような気配があって、男は勝千代の側に控える大人たちに視線を向けた。
父を名乗る段蔵も、弥太郎も、あからさまに勝千代より下座に座っている。
それで今の設定をごり押しするには無理があるが、明言しなければ男が求める答えにはならない。
勝千代はにこりと「可憐に」微笑んで、それらすべてに無頓着な風を装って首を傾けた。
「先ほどは取り乱したところをお見せしてしまいました」
男児にしては長めの髪が、さらりと頬に掛かる。
「物騒な世の中になったものですね」
ああ、これではまだちょっと口調が硬いかな。
「わるい人は皆捕まればいいのに」
意図的に頬に手を当てて、勝千代がイメージする「可愛らしい女童」を装って唇を尖らせてみる。
「……」
誰も顔の表情を動かさず、微動だにしなかった。
……ちょっと間違えたかも。
頑張った女童風な言動への反応があまりにも薄かったので、誤魔化すように愛想笑いをしておく。
「わたしを殺そうとした方のことは、何かわかりましたか?」
気を取り直して、何事もなかった態でそう尋ねると、男ははっと我に返った風に目を瞬いた。
「あ、あの男は三年ほど前から馬廻りとしてよく務めておりまして……まさか若君を」
男はそこで言葉を途切れさせた。声にせずとも、「若君?」と口の中で疑問を呟き、首を傾げている。
「三年も前から? では何か事情があったのかもしれません。やさしそうな方に見えました」
真面目で取りたてて目立つところのない人間に擬態するのは、おそらくは潜入者として当たり前のスキルだ。
問題があるとするなら、長い時間と労力をかけて潜入させたその駒を、誰の目にもわかるほど派手に動かした、という事。
それが勝千代を殺したい黒幕なのか、風魔の上役なのかはわからないが、相手の本気度が透けて見える。
「興津さま」
段蔵が大阪訛りの商人を装った口調で声を発した。
「木戸はいつ頃開くでしょうか」
興津というらしいその男は、少し考えるように段蔵を見て、「そうですな」とつぶやいて勝千代に視線を戻す。
「……失礼ですが、御供回りの数が少なすぎるようにお見受けします」
まあ、敵の目を逸らすために分散したからね。
勝千代があいまいな表情でいると、興津は何か強い決意をしたように頷いた。
「我らも駿府へ戻る途中でございました。よろしければご一緒致しましょう」
「それは」
勝千代は言い淀んだ。よく知らない相手の中に、また刺客が混じっている可能性もあるからだ。
興津は重々承知と言いたげに神妙な顔をして、丁寧に頭を下げる。
「我らの同輩がしでかしたことの始末をつけさせて下さい」
ここで断るのは角が立つ。
勝千代は「そうですねぇ」と、さも申し訳なさげな表情を作った。
イエスともノーとも答えないのは、結局のところノーの意志が強いのだが、相手にそれをくみ取る気がなければ意味はない。
押し切られそうになって、ちらりと見た先は段蔵だ。相変わらずの無表情、その面からは何もうかがえなかったが、断る口実をひとつ思いついた。
「事情があって遅れていますが、うちの者たちはすぐに追いついてきます」
そんな予定はないが、もう一日ここに滞在することになれば、本当に合流できてしまえそうだ。
「お務めがおありになるのでしょう? ご迷惑をおかけするわけには参りません」
「ですが……」
「そうだ!」
勝千代はポンと両手を合わせた。
「ひとつご相談したいことがあるのですが」
「おお、なんなりと」
こういう場合、ずっと固辞していては相手が気を悪くしてしまう。
違う方向で親しみを見せておくと、後々面倒がなくて良い。
「実は……」
勝千代は言い淀み、さも困った風に眉を下げた。
「ゆうべの事なのですが」
ガラの悪い子供に絡まれ、怖い思いをした話をする。
もちろん弥太郎の所業をばらしたりはしない。その晩に襲撃を受けたと聞けば、勝千代の正体を兄ではないかと考えている興津が、大仰すぎる処置をしかねない。
しかし絡まれたという話だけでも、興津の丸みの帯びた顔がたちまち険しくしかめられた。
「扇屋ですか」
「ご存じですか?」
「駿河から相模で手広く商いをしている大店の、三笠屋からのれん分けした次男ですよ」
ずいぶん詳しいな。
「強引な商いで、あまりいい噂を聞かない男です」
興津は「なるほど、あの男が」と低い声で呟き、何度か首を上下させた。
「お任せください。こちらで対処しておきます」
きっぱりした口調で「対処」と言われて、少し早まったかな……と感じたのは気のせいだろうか。




