15-4
段蔵が死ぬかもしれない。
目の前で。
そう思った瞬間の激情を、どう表現すればいいだろう。
血まみれの人足がぐっと腕に力を込め、二人の子供ごと地面に転がったので、敵に囲まれた段蔵の姿が目に焼き付いたまま視界が暗転する。
強く背中をぶつけて気が遠くなった。
だが、目を閉じることを自身に許したのは一瞬だけだった。
もはや容貌が判別できないぐらいに遠くで、段蔵が敵に囲まれ戦っている姿が見える。
駄目だ、という激情。
嫌だ、という強い拒絶。
呼吸を止めているせいで、次第に視界が狭まってきて、ガンガンと頭が痛む。
無意識のうちに伸ばしていた手が、虚空を切った。
小さな手だ。なんの役にも立たない、非力な手だ。
段蔵の周囲で飛び散る鮮血が、この距離からでもはっきりわかる。
びゅんびゅんと弦をはじく音がした。
勝千代は、まっすぐに屋根の上の射手を見上げた。
三人の射手が、段蔵にむけて弓を引き絞っている。
「……段蔵!」
勝千代の声など、この距離から聞こえるはずはない。
だが確かに、彼の顔がこちらに向き、同時に矢が放たれたのがわかった。
町人たちが逃げまどい、悲鳴と、怒声と、子供の泣き声まで聞こえる。
いや、泣き叫んでいるのは勝千代自身だ。
勝千代を守るために段蔵が死ぬ。
その未来を垣間見て、思考能力が飛んだ。
意図などなく、屋根の上の射手を指さしていた。
彼らが背後から襲われ、反撃する間もなく高いところから落下する。
それを最後まで見届けることなく、勝千代が次に指さしたのは、格子状の木戸だ。
夜間は閉ざされている木戸の上にも、射手がいる。
彼らの射線はこちらを向いていたが、矢が届く距離ではない。
目標を迷っているうちに、またその背後に人。
ひっくと、嗚咽が喉を揺らした。
横隔膜が激しく痙攣し、続けざまにしゃっくりのような悲鳴がこぼれる。
「木戸を閉めて」
こんな距離から、勝千代の声が聞こえるわけがない。
いや、嗚咽のせいで言葉にもなっていない。
それなのに、指さした先で木戸のつっかえ棒が外され、重みのある格子状の扉が閉ざされていく。
その時は、深い思考を放棄していた。
おそらくは、矢を避けるために町から飛び出したところを、本隊が襲う手はずになっていたのだろう。
それを論理的に看破したとかそういうのではなく、ただ、町の外へ飛び出すのは危険だと言う意識だけがあった。
まず射手を排除する。
敵の増援を防ぐ。
そして最後は……
「……あそこ」
的確に、敵の大将の居場所を把握し、小さな指で指し示していた。
ひときわ背の高い、番所の屋根の上だ。
弥太郎の背中が、その場所に不意に現れた。
一瞬遅れで段蔵が、指揮官を挟むような位置から切りかかる。
勝千代は、すべてが終わるまで一度も瞬きをせず、涙で緩む瞼を懸命に見開いていた。
生臭い血と贓物の臭いが充満している。
何人が死に、そのうちの何人が無関係な人々なのだろう。
自分のせいだという強い罪悪感と、生き延びたのだという安堵とで、まともにものを考えることができる状態ではなかった。
膝ががくがく震えている。
ぼろぼろとこぼれる涙が止まらない。
怪我もなさそうな段蔵と弥太郎の姿に、何か声を掛けねばと思うが言葉が出てこなかった。
「おお、そこの商人!」
思いのほか明るい声が掛けられた。
反応したのは段蔵だけだ。
「堺から商いに来ていると言うのはそのほうか?」
その男は武士だった。彼もまた戦っていたのか、着物の袖に血がついている。
「今日は町を出ず、宿に戻るが良い。怪我人がいるなら言ってくれ」
早朝から町を出ようとした多くが、指示に従い引き返し始めている。
いくら先を急いでいるとはいえ、こちら側にも被害が出ている。この状態で出発するのは不自然だ。
段蔵が丁寧な仕草で頭を下げ、礼を言うと、武士はまじまじとその顔を見下ろし、ついで勝千代たちの方を向いた。
「娘か? 災難だったな。ご領内でこのようなことは滅多とないのだが」
「荷が多少被害にあいましたが、命には代えられませぬ。駆けつけてくださり助かりました」
実際にこの町の自警団は仕事をまっとうできず、駆けつけてきたのはたまたま付近にいた今川家中の武家たちだった。身なりから言って中程度の家柄で、直参ではなさそうだったが、戦い慣れた男たちだった。
もっとも、彼らが駆け付けた時に残っていたのは忍びではなく、雇われの武士崩れだったと思う。
忍びたちの引き際は、さすがと感じるほどに素早かった。
「怪我はないかい、お嬢ちゃん」
男が楓の顔を覗き込む。
勝千代は、恥ずかしがっていると見えるように俯き、涙を拭う。
「ああ、ほっぺに血がついているよ。ほら、使うと良い」
手ぬぐいを差し出してくるところなど、子供好きのやさしい男なのだろう。
しかし楓は、手負いの獣のようにその手を拒絶し、勝千代の頭を胸に抱き込んだ。理由はわかる。勝千代の顔を男に見せないためだ。
男は困ったように苦笑して、無理には手ぬぐいを渡そうとはせず、かがめていた腰を伸ばした。
「怖かったなぁ。駆けつけるのが遅くなってごめんな」
大きな手が、楓と、勝千代の頭に乗せられた。
不意に、楓から強引に引き離され、足が宙に浮いた。
刃物を突き付けられたのだと気づいたのは、髪を鷲掴みにされてからだった。




