2-3
同じぐらいの背丈の女童に手を引かれ、あぜ道を歩いた。
雪の積もった道は足元が悪く、草履の底がずるずると滑る。
それほどの距離ではなかったが、傾斜があるのでなお息が上がった。
「だいじょうぶ?」
まだ歩き始めたばかりの、みるからにテコテコとおぼつかない足取りの童が、勝千代より速い速度で先を行く。
まだ目的地まで半分もいかないうちに、一度休憩しようと言われ、情けなさのあまり泣きたくなった。
自分より背の低い童に、背負おうかと尋ねられ、首を振る。
どうひいき目に見ても、自身の身体が年齢にしてはずいぶんと小柄で、脆弱だということはわかっていた。
忍びの子と比較してもしかたがないが、これは早々に解決しなければならない問題だ。
このまま武家として生きていくにせよ、身を引くにせよ、こんな短距離で息が上がっているようでは戦国の世で生き残れない。
休憩の後、更にしばらく斜面を登ると、一面雪野原の畑に出た。
あぜ道だけがぬかるんで黒く、足跡のないまっさらな雪が畑を覆っている。
落葉した木の陰に雪の積もっていない岩があり、そこに座っているようにと言われて、勝千代はゼイゼイと荒い息を吐きながら頷いた。
できるなら率先して動きたいが、いかんせん、体力がついていかない。
息が整うまでは休ませてもらおうと座り込んでいると、小さな子たちが素手で山に続く斜面の雪を除け始めた。
さてどうやって土を掘るのだろう。
興味深く見守っていると、年長の子らが枯れ木を何種類か取って来る。
雪で湿っているはずだが、与平が手際よく熾した種火に近づけると、半分ほど茶色になっていた笹からパッと炎が上がり、次いで枯れたブッシュのような枯れ枝に燃え移った。
火傷をするのではないかとハラハラしたが、あっという間に焚火の完成だ。
そしてそれで何をするのかというと……ただ勝千代が寒くないようにとの心遣いだった。
「今年はまだ雪が浅いから、土が柔い。掘るのにそんなに時間かからんと思う」
「でもじっとしとったら寒いから」
四十路男の涙腺にクリティカルヒットしても、仕方がないと思う。
とはいえ、雪を退かした斜面を掘るにはそれなりの時間と根気が必要だった。
耕地ではないので石粒や木の根がたくさんあるし、そもそもシャベルなどない時代だ。固い土を掘る為に木の枝、とがった石、中には素手で土を掻き分けている子もいる。
「あった!」
途中から勝千代も参戦して無心に掘っていると、そう深くない位置に小芋がいくつかあった。周囲には白い柔らかな根が張っていたので、かなり見つけやすかった。
パッと表情を明るくして顔を上げる。
年甲斐もないと笑わないでほしい。こういうことは、年齢に関係なく楽しいものだ。
小芋を両手に持って、肩を並べて掘っていた子供たちに見せようとして……
目の前に、与平の背中があった。
与平より少し背の高い女童が、ぐいと勝千代の腕を掴んで立たせる。
何が起こっているのか、わからなかった。
寸前までの楽しい空気が霧散し、びゅうと吹きすさぶ風が急に冷たくなったような気がした。
与平が後ろ手に、斜面の方に身を寄せろと指示を出し、勝千代より幼い子たちが団子のように身体を押し付けてくる。
押されるようにして斜面に背中をつけると、頭上からパラリと雪が落ちてきた。
ハッと視線を上げると、そこに居たのは屈強な武士たち。
木の枝を握り、小さな崖の上から見下ろしてくるその目付きは鋭い。
そこまで来てようやく、与平が対峙する武装した集団の存在に気づいた。
十人以上はいる。
一気に顔から血の気が引いた。
盗賊の類か? いや、それにしては身ぎれいだ。
桂殿たちの追っ手だろうか。
勝千代に寄り添っているのはそろいもそろって幼い童ばかり、彼らを巻き込むわけにはいかなかった。
「……与平」
決意を込めて、友の名を呼ぶ。
「もういい、下がって」
頼りがいのある兄貴分は、勝千代の怯えを察したのだろう、動かない。
その肩に手を置こうとして、いまだ小芋を持ったままだという事に気づいた。
両手で握った戦利品と、土の入り込んだ爪先を見ているうちに、じわじわと沸き起こってくるのは憤りだ。
大の大人がそろいもそろって、幼い子供たちを取り囲んで何をしているのだ。
「何者か」
思いのほか強い声が出た。
ざっと大人の視線が勝千代に集中するのを感じる。
腹の下に力を入れて恐怖を抑え込み、中央のリーダーらしき男にまっすぐ顔を向ける。
「野盗の類でないなら、子供を怯えさせるな」
「……福島勝千代殿か?」
野太い声で問いかけられて、顔をしかめる。
いや知らんし。
そう言ってやりたいのを我慢して、深く息を吸う。
初めて聞く苗字だが、名が勝千代なのは確かだ。
肯定する要素はないが、否定する要素もなく、おそらくそれが彼の正式な名前なのだろう。
「もう一度問う。何者か」
若干イラっとしながら問い直すと、相手は少しの間を開けてから、周囲に目配せをした。
「……我らは」
「これはこれは、約束の日にはまだ時間があると思うておりましたが」
野太い声を遮ったのは、同じように低いがこちらはひどく平坦な声だった。
「大人数で幼い童らを追い込むとは、穏やかでありませんな」
十数人いる武士を、さらにぐるりと取り囲むのは、段蔵と村に住む大人たちだ。
「時間がかかっても良いから、若君の具合が良くなってから……少なくとも春までは様子を見ようとのことでしたが」
村人たちは皆、農作業をしていたままの服装だが、手に持っているのは農具ではなく、ミスマッチに物騒な長物だ。
段蔵も商人のような特徴のない装いだったが、その左手には黒い鞘の刀があった。
「素破ごときが!」
「我らは命じられて若君を預からせて頂いております。問題があるなら殿に直接おっしゃられては」
段蔵は滑らかな足取りで武士たちの間に分け入り、黒塗りの鞘で彼らを牽制した。
同時に、野良着の村人たちが素早く動き、子供たちを守る位置に体をねじ込む。
勝千代をさっと抱き上げたのは、薬師の弥太郎だった。
いきり立つリーダー格の男から目を離さず、さすがな身軽さで安全圏まで退く。
「おい! きさまらのような下人が触れていいような方ではない!」
勝千代は、薬草の匂いのする弥太郎の着物をぎゅっとつかんだ。
軍手などはないので、雪が染み込んだ土は泥になり、爪先に入り込んでいる。そのままの手で後ろ見頃を掴んだので、弥太郎の背中は泥で汚れてしまった。
それに気づいて手の力を緩めると、握り締めていた小芋がポロリと雪の上に落ちる。
緊迫した状況なのに、転がっていく小芋の行方が気になって目で追った。
視線を動かすと同時に、低い位置にある子供たちの表情が、まだ険しいままだという事に気づく。
大人がきてくれたと安心する様子はない。
与平は懐に手を入れて、一番背の高い女童は帯の結び目に触れて、勝千代より小さな幼子ですら、腰を低くして身構えている。
……芋を惜しんでいる場合ではなかった。
「……まず名乗り、端的に用件を申せ」
コアラのように弥太郎にしがみついたまま、武士たちを見据えた。
里芋をヨネに食べてほしい、そんなささやかな願いを踏みにじられて、じっとりと視線が座る。
「我らは」
「その前に、わたしに刀を向けるな」
リーダー格の三白眼が、強い視線で勝千代を見ている。
ちょっと、いやかなり怖いので、申し訳ないが汚れついでに弥太郎にしがみつく手に力をこめた。
段蔵たちは刀を抜いていないが、武士たちの何人かは抜刀し、あるいは鯉口を切って構えている。そんな物々しい状況から、子供たちを引き離すことが先決だった。
渋々と武士たちが刀を収めるのを確認して、そっと頬を弥太郎の肩に押し当てる。
相手にそこまでの敵対心がないことがわかり、ほっとしたのだ。
「段蔵」
「……はっ」
「二人だけ案内致せ。話は家の方で聞く」
「かしこまりました」
「勝千代殿!」
勝千代は、なおも何か言おうとしている武士から目を背けた。
手が震えているのに、弥太郎は気づいているだろう。
恐ろしかった。
自身の危険よりも、小さな子供たちを巻き込んでしまう事のほうが怖かった。
いや、子供たちだけではない。勝千代の脳裏をよぎるのは、片腕を失った男の事だ。
そっと背中に手を添えられて、長く息を吐く。
動揺している自覚はある。
せめてあの三白眼を真正面から見返せるように、気持ちを落ち着ける時間が必要だった。