13-3
翌朝、しっかり熱がぶり返した。
昨晩頑張りすぎたのが良くなかったらしい。
気が張っていたせいだろう、かなり気温が低かったらしいが、それほどには感じていなかった。
身体を起こしてはいるが、真っ赤な頬の勝千代に、疑わし気な目を向けているのは朝比奈殿だ。幼子の怪異と聞いて、真っ先に勝千代を疑ったのだと思う。
何も知らないよ。可哀そうな病気の子だよ。
内心そんなことを考えながら、床の中からすみません、と申し訳なさそうな表情を作ってみせる。
「今日はどうされましたか?」
かすれた声でそう問うと、「具合は如何か?」と取ってつけたような質問をされた。
見てわかるだろう? 病弱なのでまた寝込んでいるのだ。
直答を避け、困ったように微笑むと、朝比奈殿はあっさり疑いを引っ込めた。……とりあえずは、なのだろうが。
「……志乃殿のことを聞きに参りました」
「妹御のナツ殿とは再会しました。気持ちが落ち着くのを待って話を聞こうと思います。ですが私の体調がこんな状態ですので……」
疑われるぐらいであれば、まったく構わない。
あの夜間飛行は非常に楽しかったが、しばらく機会はないだろう。
身体に負担がかかるし、何より……弥太郎の苦い薬湯はこりごりだ。
ここに戻って来た時点で、すでに発熱していた勝千代に、弥太郎はやたらと濃い色の薬湯を勧めてきた。あまりの目力に仕方なく口に含んでみたが、ものすごく渋くて苦かった。
「十日ほど後に、本願寺のほうから御使者がいらっしゃいます。志乃殿に話を聞きたいと仰るやもしれません」
使者というのは男だろう。僧侶とはいえ男性を前にして、志乃殿が平静でいられるだろうか。
感心しない、と表情を曇らせると、朝比奈殿も「やはり無理か」と嘆息する。
十日あればある程度は回復するだろうが、それはあくまでも肉体面だ。
精神的に持ち直すには、どれぐらい時間がかかるかわからない。
「ひどく衰弱していると伝えるしかありません。いらっしゃる御坊が分かってくださる方であればいいのですが」
朝比奈殿が強く止めてくれたら、ここまで押しかけてくることはないはずだ。
今川家は、丁重に扱わなければと誰もが思うほどの大身だからだ。
しかし中には、そういう権威者に張り合ってマウントを取ろうとする輩もいるだろう。
「どういう方かご存じでしょうか」
勝千代の問いに、朝比奈は首を左右に振る。
脳裏に、やせ細った腕で妹を抱きしめ、泣き崩れる少女の姿がよぎった。
心が回復するまで待ってほしいと願っても、強引に聴取しようとしてくる可能性はある。
十日後までに、心構えをしてもらったほうがいいかもしれない。
「若様」
朝比奈殿が城へ戻り、しばらくして、ナツが部屋にやってきた。
志乃に気づかれないよう、呼びよせておいたのだ。
彼女は丁寧な所作で一礼してから顔を上げ、勝千代の赤らんだ顔を見て、ものすごく心配そうな表情になった。
「お加減は如何ですか?」
顔を見るたび皆に同じことを聞かれるので、そろそろ返答に飽きてきた。
勝千代は苦笑しただけで即答を避け、ナツの想像に任せることにした。
どうせ、大丈夫だといっても誰も信じてくれないのだ。
「先ほど朝比奈殿から、十日後に本願寺のほうから使者の方がいらっしゃると伺いました」
さっとナツの顔がこわばる。
「できるだけ志乃殿へは近づけないようにしますが、私の力が及ぶかどうかわかりません」
「……はい」
僧侶という特殊な身分の者がどういう態度をとるかなど、如章の例でしか予測がつかない。
ここは公家の屋敷だし、神職である東雲もいる。
力づくで押しかけてくるようなことはないと信じたい。
「志乃殿はともかくとして、あなたの方は心構えはできそうですか?」
ナツはきゅっと下唇を噛んだが、すぐに表情を改めて両手を前についた。
「わたくしの方はいつでも。ですが姉は……今しばらくお時間を頂きたいと思います」
「無理強いはしたくありません」
「あの僧形の悪党に一矢報いたいのです」
勝千代は、視線を床に据えたままのナツをまじまじと見つめた。
周囲の皆に怯え、幼い勝千代の存在ですら怖がり、身体の大きな万事の影に隠れるようにしていた少女が……たった一日違うだけで、随分と気が強いことを言う。
「わたくしの方は、何もかもお話しできます」
「わかりました」
壊れかけた姉を見て、武家の子女としての矜持を取り戻したのかもしれない。
「ひとつだけお願いがあります」
「はい」
ナツが顔を上げるまで待って、勝千代は言葉を続けた。
「城で話を聞きたいと言われても、断ってください」
先程の朝比奈殿との会談で、気になっていることがある。
父と勝千代の暗殺計画のこともあの紙には書き記していたのに、それについて一言も触れなかったのだ。
まだ不確かな情報だから伝えなかったのか、そもそも伝える気がなかったのか。
如章がベラベラと漏らした事についても説明はなかったから、全体的に情報の精査をしてからと考えている可能性はあるが、勝千代の命を狙う計画については、事前に警告するためにも伝えてくると思っていた。
味方であるなら、そうするべきなのだ。
ナツは何の疑問も抱かず、従順に頷いた。
彼女の幼くあどけない顔を見返しながら、生真面目そうな、実直そうな、この地域の城主の顔を思い浮かべる。
まさかあの男が、幼い勝千代やナツに何かを仕掛けてくるとは思いたくない。
しかし同時に、必要であれば縁の薄い二人の童など切り捨てるだろう、とも考えていた。
あの男が敵でないことを、心底願った。




