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古いデータでUPしていましたので、修正しました
時間の感覚があいまいで、寝たり起きたりの状態をしばらく繰り返し、ようやく物事を考えるようになったのは、正月だと餅を振舞われた頃からだった。
薬師の男は弥太郎、乾飯の男は段蔵というそうだ。
……まさか加藤さんじゃないよね?
名乗られてまじまじと顔を見ていると、不思議そうに見返された。
いくら日本史に疎いとはいえ、男の子たるもの、戦国時代に名をはせた何人かの忍びについては知っている。
伊賀、甲賀、風魔などは誰でも聞いたことがあるだろう。
服部半蔵とか、百地丹波とか、風魔小太郎とかね。
加藤段蔵も有名なひとりで、色々と逸話の多い人物だ。
実在したのかとか、伝わっている話が創作でないのかとか、そんなことはわからない。
ただ、本当に目の前にいるのが加藤段蔵なら、今の年代のおおよそのあたりがつくかと期待したのだ。
よくよく考えたら、この時代は親子で名乗りが一緒だったり、代々の当主の名前が同じだったりするから、年代といってもガバガバもいいところなんだけれど……聞いた瞬間は有名どころの戦国武将の名前が脳裏をよぎり、ちょっと興奮した。
けれども残念、段蔵さんの苗字は常森というらしい。
いつもにこやかな弥太郎さんのほうは、縁がある多賀村の名前を名乗ることが多いそうだ。
さりげなく聞き出した今の帝や将軍家の事については、まったくピンとこなかった。高校の社会は世界史を選択したので、そもそも大した知識がないのだ。
近隣の有力な武将も知らない名前が多く、苗字に聞き覚えがあっても下の名前と合致しない。
この時代コロコロ名が変わるし、後世に伝わっているのは諱で生前は別名で呼ばれていたりするから、実は有名どころも居るのかもしれないが、世界史選択の理系人間がそこまで細かく覚えているはずもない。
唯一役立ちそうな情報が、ここが今川氏の勢力範囲内で、父がその配下の武将だということ。今父が布陣しているのは信濃との国境付近らしい。
今川氏といえば、織田信長に夜襲を掛けられて首を取られた、なんとかという当主の事しか知らない。
今の尾張のトップは斯波氏らしいから、かろうじて知識の中にある戦国時代よりもかなり前なのではないかと思う。
まあ、今の年代がわかったとしても、できることは何もない。
勝千代は脆弱な子供であり、その日生き延びることすら怪しい状態だったから。
不審に思われない為にも、根掘り葉掘り聞く内容は多岐にわたり、その多くが弥太郎の薬草知識についてだった。
最初は、無邪気な子供の「あれなに」攻撃で惑わすつもりだったのだが、もともと興味がある分野でもあり、火傷の跡を薄くするという湿布薬だとか、抗炎症剤だとか、聞けば聞くほど奥が深くて面白かった。
今日も今日とて、煎じ薬をゴリゴリするのを手伝わせてもらい、ご褒美だと干し柿をもらった。
忍びであろうと、武家の子であろうと、にこにこ笑顔を浮かべると相手も笑顔を返してくれる。
特に勝千代は頑是ないと言われる年頃の幼子だし、大人知識で多少あざとく、嫌われないよう立ち回ってもいたので、直接世話をしてくれる弥太郎だけではなく、そのほかの忍びたちもなにかと気にかけてくれるようになった。
数日顔を見なかった男が、汚れた旅装のまま近寄ってきて、懐から干菓子を取り出した時には申し訳ない気持ちになった。
なぜなら、その男の腕が片方無くなっていたからだ。
干菓子よりも、その腕をきちんと持ち帰って欲しかった。そう言うとやさしく笑って、無事なほうの手で頭を撫でてくれた。
わかっていたことだが、生きていくには厳しい時代だ。
個としてなら善良な人もいるだろう。しかし、いったんその範疇から出てしまうと、恐ろしいほど世間の荒波は険しい。
いつもにこやかに笑ってくれる忍びたちだが、雇い主から命じられたらきっと、ためらいなく勝千代の首を刎ねる。
そういう厳しさが自身にないことを、早々に自覚できてよかった。
平和な時代の記憶が強すぎるのだ、武家の嫡男としては失格だろう。
家名を捨てて商人にでもなるほうが、よっぽど幸せな人生を送れるに違いない。
「坊」
軒下に座って干し柿をかじっていると、畑仕事をしていた子供たちが寄ってくる。
まるで一番年下であるかのように、坊と呼ばれているが、五人ほどいる子供の中には歩き始めたばかりの乳飲み子も混じっている。
いまだに長時間立っていることすら厳しい勝千代と違って、農作業の手伝いもその他の仕事も、手慣れた様子でこなす働き者たちだった。
うらやましそうに見つめられたが、小さな干し柿なので全員に分け与えるほどの量はない。
ちょっと考えて、残りをいくつかに裂いて、小さな子たちに手渡した。
「悪いな!」
達者な口ぶりでそう言って、ものすごくうれしそうに笑うのは、おそらく子供らの最年長である与平だ。自分の口にははいらなかったのに、邪気なくそう礼が言えるのは、兄としての自覚があるからだろう。
最年長といっても、おそらく異母兄よりは年下だと思う。
褒めてやりたい気持ちになって、ずいぶんと上のほうにある与平の頭をナデナデする。
「なんだよ」と口をとがらせながらも、勝千代の手をよけようとしないその屈託のなさが、子供らしくてほほえましい。
「畑仕事は終わりか?」
「うん」
「そうか。ご苦労さま、よく頑張った」
褒めると子供たちは皆とてもうれしそうに笑う。
こちらを見る目には一片の曇りもなく、無邪気で愛らしい。
しかし、彼らはおそらく忍びの子だ。十年もすれば皆、段蔵たちのように厳しい戦国の世へ踏み出していく。
果たして何人が生き残れるのだろう。
想像しただけで、ぎゅうと胸が締め付けられる。
「どうした? どこか痛むのか?」
長く臥せっていたことを知る与平が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
勝千代は胸を押さえていた手を離し、いいや、と首を左右に振った。
「そうだ、これヨネさんに」
与平が懐から取り出したのは巾着だ。口を開けて、中から出てきたのは茶色い細長いもの。初見では何かわからない。
「鹿肉の干したやつ。丁度食べごろだから、母ちゃんが持って行けって」
渡された干し肉はまるで木の皮のようで、カラカラに乾燥していて硬かった。
戦国時代、肉類はほとんど食べられなかったと習った気がするが、勝千代がこの村に来てから何度か膳に上がった。
村人の体格が比較的良いのは、獣の肉を長期保存する方法を知っていて、動物性たんぱく質を定期的に摂取しているからなのだろう。
「いつもすまない」
「いいってことよ。早く良くなったらいいな」
この村に来て数か月。
勝千代の身体が回復していくにしたがって、ヨネが次第に寝込むようになった。
果たして塩っ辛い干し肉が病人に良いかどうかはわからないが、獣の肉は精がつくと考えられているのだ。
しかし、ここ数日、お粥でさえ喉を通らない。
歯がなくても噛み切れるぐらい煮込んだとしても、飲み込めなければどうしようもない。
子供たちは、気落ちする勝千代を口々に励ましてくれる。
もはやろくに物を飲み込むこともできないのだと泣き事を言うと、同じように涙目になって悲しげな表情になる。
いい年をした大人である中の人は、そうやって幼い子供たちに気持ちを吐露するしかない非力さが悔しかった。
「そうかぁ、食えねぇのかぁ……米をとろっとろに煮込んでもダメか?」
「重湯なら少しは」
「芋がらとった里芋がちぃっとは残ってるかもしんねぇ。行ってみるか?」
芋がらとは、端的に言えば里芋の茎を乾燥させたもののことだ。非常食として優れていて、日持ちもする。
この時代、稲作に向かない土地でよく育てられていた。
「次の春用の種イモだろう? 掘り起こしてしまうわけにはいかないよ」
「いんや、畑の横の斜面にまだ取ってねぇ孫芋が出来てることがあるんだ。焼いたらうめぇんだよ」
重湯ですら少量しか口にできないので、里芋などなお無理だろう。
そう思いはしたが、子供たちの気遣いが嬉しくて。
勝千代は、差し出された手を握り返し、立ち上がった。