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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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68/308

12-5

 翌日には完全に熱が下がった。

 弥太郎の薬湯のおかげなのか、少しづつ身体が丈夫になってきているのか。

 どちらにせよ、気分は爽快。さっさと着替えを済ませ、床上げを急かせる。

 弥太郎が脱いだ小袖をたたんでいる間に、土井が寝床を片してくれた。

 またすぐに使うからと部屋の隅に置くのではなく、きちんと別のところに持って行かせた。

 火鉢の数もふたつまで減らし、ものが減ったせいで、部屋はずいぶんすっきりして見える。


「万事は来ているか?」

「はい。ぶうぶう文句を言っています」

「飯でも食わせてやれば黙るだろう」

 弥太郎が着せてくれたのは、裏地に紫色の布を張った、表が茶色い直垂だった。

 一朗太殿のお下がりで、少し柄が目立つものだ。

 実はこれは勝千代が指定した。ナツはどうかわからないが、志乃はおそらくこの着物を見たことがある。もしかするとそれに気づき、気を許してくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。

「料理が質素すぎると文句を言っていましたよ」

 不服そうな土井に、笑みを向ける。

 あの体格からいっても、獣肉を常食にしているのではないか。

 だとすれば、魚ですら時折しか膳に上がらない食事は、さぞ物足りないだろう。

「では呼んできてくれ」

 呼んだのは万事だが、本命はナツだ。

 彼女はまだ、姉が助け出されたことは知らないはずだ。

 今の精神状態を見て、志乃に会わせるべきか決めるつもりだった。


「……万事です」

 廊下に控えていた南が、そう知らせてくる。

 どすどすと荒めの足音の後、逆光になって余計に大きく見える男の姿が現れた。

 万事はぐるりと部屋内を見回し、勝千代を見てほっとしたように息を吐いた。

「殿さまが駿府に行ったと聞いたぞ」

 それは言葉通りの問いかけではなく、勝千代への気遣いだとすぐにわかった。

 意外と心根のいい男だ。

「事情があってね」

 大股に部屋に入ってきて、どすんと下座に座った万事の背後には、その大きな身体に隠れるようにして、ちんまりと小柄な女童がいた。

 淡い黄色の着物に可愛らしい帯。ザンバラだった髪もきちんと整えられている。

「……岡部二郎殿のご息女、奈津殿ですね」

 女童はビクリと身を固くした。

「ご心配には及びません。私は御父上にお世話になった者です」

 実際は殺されそうになったんだけどね。

 じっと観察していると、ナツはぎゅうと万事の着物の袖をつかんだまま、ぶるぶると震え始めた。

「ナツ殿」

 宥めるように声を柔くし、にっこりと微笑みかける。

 見ろ、弟より年下の、可愛らしい童子だぞ。

「福島勝千代と申します」

「……っ、はい」

 怖いことなど何もないのだと、そう思いたくとも、身体がついていかない……といったところか。

 しばらく見守っていると、ナツはおずおずと顔を上げた。

 その目がゆっくりと床をさ迷い、時間をかけて勝千代のほうまでたどり着いてくれたので、視線を合わせて安心させるように微笑みかける。

 しかし、落ち着かせようというこちらの思惑は外れ、勝千代の顔を見た瞬間、彼女はぎょっとしたように息を止めた。

 まるで、幽霊でも見たかのような表情だった。


 ああやはり、彼女は兄を知っているのだ。

 きっと己に似ていたのだろうと、少しやりきれないものを感じながら目を伏せる。

「実は姉君も保護しています」

 勝千代のその言葉を聞いて、ナツは今にも気絶しそうな表情で、ごくりと喉を鳴らした。

「……誠でしょうか」

「怖い目に遭って、お心が乱れておいでです」

「あ、会わせてください! どうか、どうか」

「ナツ殿」

 こちらににじり寄る仕草も、懇願する姿勢も、しっかりとした教育を受け、誰かに仕えていたとわかる所作だった。

 勝千代はそんな彼女に、子供としてではなく、ひとりの人間として接することにした。

 もとより、家族である彼女に、長く伏せておくべき事ではない。

「志乃殿は今、とても苦しんでおいでです。ナツ殿の御無事を知れば安心なさるでしょうが、つらいお気持ちを我慢なさるかもしれません」

 ナツは即座に、その意味を理解したようだった。

幼いと言っても、勝千代より一、二歳は年上だ。すでにもう出仕していたというから、しつけも行き届いた子だったのだろう。

 大粒の涙をこぼしながら、声を上げない。

 その胸が苦しくなるような泣き方を見て、耐えきれなくなったのは万事だ。

 大きな手で、そっと彼女の背中を摩る。


「お会いになりますか?」

 その涙が途切れるまで待って、勝千代は静かに問いかけた。

 ナツは頬を濡らす雫をさっと拭い、大きく深呼吸する。

「はい。会いたいです」

 きっぱりと言うその表情には、決意があった。

「ではその前に涙を拭かねばなりません。志乃殿には、元気に笑っている顔を見せてあげてください」

「はい、若君」

 勝千代は苦笑した。

 ナツが何を判断基準に「若君」と言ったかなど、明白だ。

 しかしそれは、表沙汰にはしてほしくない事だ。

「わたしはあなたの若君ではありませんよ」

 出自はどうであれ、身分的には同格に近いと思う。

 勝千代の言葉に従順に頷いたが、この先もずっと、ナツがそう呼ぶのをやめることはなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今川の当主の死去が近いならそろそろ花倉の乱が近いな。 原点通りなら親父殿亡くなってしまうけどどうなるかな〜 岡部といえば今川で朝比奈に次ぐ程の重臣やけども、俺の知ってる岡部も元信の方やし活躍…
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