12-4
「お休みのところ申し訳ない」
「……いえ」
ここはアレだ。病弱アピールだ。
勝千代は、丁寧な所作で頭を下げる朝比奈殿に、『儚げな』微笑みを向けた。
ゴホゴホと咳払いでもしてみるべきか?
置いていかれた不安を前面に出し、涙ぐむのもいいかもしれない。
「わざわざ来ていただいたのに申し訳ございません。父は朝早くに駿府のほうへ発ってしまいました」
「そのことは、ご本人から書簡を頂いています」
え、だったらどうして朝比奈殿はここへ?
お子様な勝千代に、城主直々に何の用があると言うのだろう。
てっきり父の挙動を探るために来たのかと思っていたが、先に話を通していたらしい。
子供一人置いていって何かあったら困ると、この地でもっとも有力な朝比奈殿を頼ったのだろう。
だが父よ、もう少し考えて欲しかった。
御台さまとご縁があるこの方は、味方だとは言い切れないのだ。
「岡部殿のご息女に、身の回りの品々を届けに参ったのですが……」
いや、そういうのは下の者の仕事でしょう。
何度も言うが、どうして城主直々に来るのだ。
「お会いになれませんでしたか? ……無理もない」
勝千代は、肩に掛けられた小袖を手繰り寄せながら、小さく嘆息した。
朝比奈殿も複雑そうな顔をして、同意するように頷く。
「だが、この地を預かる者として、話を聞かぬわけには参らぬ」
朝比奈殿がここへ来た理由は分かった。
東雲同様、彼女から事情を聞き出してほしいのだろう。
「もう少し待っていただけませんか? もう一人のご息女、妹御がここに来てくれるはずです」
不思議そうに首を傾けられ、互いに話が通じ合っていない感覚で数秒向きあう。
そうか、人買いの話はしたが、そこからナツを買い上げた話はしていなかった。
軽く説明すると、朝比奈もまた嘆息した。
岡部姉妹が見舞われていた辛酸を思うと、心が痛むのだろう。
「随分と難儀なことだ」
サラサラの髪を揺らしながら、首を振る。
「岡部殿の居城の件も聞いています。あの一族にいったい何が……」
こうやって向き合っていると、実直で有能で悪い男ではないのだろうと肌で感じる。
だからこそ、敵であった場合が恐ろしいのだ。
父の、そういうことには無頓着にすべてをオープンにしていくスタイルとは、かなり相性が悪い。
「わかりませんが……放っておくわけには参りません」
勝千代は神妙な顔をしてそう言って、わかりづらいが、こちらの様子を探りに来たのだろう城主殿へ向けて弱々しく笑って見せる。
「わたしにできる事でしたら、何なりとお任せください」
「それでは、その妹御がいらした際には、ぜひとも事情を聴いてみて下さい」
「特に何を聞けばよいのか、一覧にしていただければ助かります」
「わかり申した」
ここは公家の屋敷だ。
隠居した翁だし、立場的にはないようなものかもしれないが、それでも股者である武家には手が出しにくい。
朝比奈殿が直接出向いてきたのも、そのあたりの理由も大きいのかもしれない。
だから、出入りの口実をあげよう。
勝千代に頼まれた書簡だと言えば、城主本人でなくとも屋敷の門は開くだろう。
「如章のほうはどうなりましたか」
茶のひとつも出していないことに気づいたが、気にせず話を進める。
勝千代の側に残ったのは数人のみなので、護衛の面からみても誰もその場を離れることができない。
唯一動けるのは弥太郎だが、彼にはまったくその気はなさそうだった。
如章の取り調べについては、完全に朝比奈殿に丸投げだ。
たとえ直接害されそうになったのだとしても、父や勝千代が裁くことはできない。この土地での司法の権限は、朝比奈殿にあるからだ。
「何とも要領を得ぬ事を言っていますよ。娘はとある筋から買ったものだ。人買いへの伝手も、先代からの引継ぎだ……とか」
「疫病の事については? 東雲さまから話はお聞きなりましたか?」
「ああ、方々で人をだまして金を出させているとか。……そのあたりは、本願寺の上の方との話し合いになりそうですな」
残念だな、如章。あの場では生きながらえたが、因果応報、犯した罪は自らに返ってきそうだ。
勝千代は少し思案した。
この館を離れたら、身に危険が迫ると考えておいた方がいい。
なにもそれは朝比奈殿が云々というわけではなく、ここまで勝千代の居場所が明白になり、かつ父という最大の庇護者がいなくなれば、彼の命を狙っている者はチャンスだと思うはずだからだ。
手を出してくるだろうか。
可能性はあると思う。
命を懸けるのか、と問われると答えは否だが、敵が尻尾を出してくれれば、それを掴むのはやぶさかではない。
果たして如章はその尻尾なのか? 口封じされる可能性を心配してやった方がいいのだろうか。
大前提として、朝比奈殿を信頼して任せきることはできない。
では誰を頼るかというと……
「失礼」
またも取次ぎなく襖を開けたのは、ひょうひょうとした口調の公家の青年。
「なんや、お客さんが来とうて家主にききまして。邪魔やったかな?」
東雲は木襖を開けた先、縁側の端の方に立ってこちらを見ていた。
ちなみに、襖を開けたのは、灰色の狩衣の男である。
朝比奈ははっと居住まいを正し、低く頭を下げた。
「ご挨拶もせずもうしわけありません」
「堅苦しいのはえぇよ。お勝殿の顔見に来ただけやから」
当然ここの領主である朝比奈は、隠居している公家の名前も、もしかしたら東雲の正体も知っているのだろう。
「具合はどないやの?」
勝千代はじっと東雲の顔を見上げた。
力がないとはいえ公家は公家、武家には手出ししにくい身分筆頭だ。それにこの男には、腕利きの影供が何名もついている。
……いいことを思いついた。
勝千代のその心の内を読み取ったのか、東雲がひどく面白そうな顔をした。