12-3
翌朝……といってもいいものか。かなり日が高くなってから目が覚めた。
目をあけて、不意に訪れた寒々しさは、物理的に感じているものだけではない。
父がいない。
そのことを思い出すだけで、勝千代の子供の部分が不安だと言う。
たとえば父が怪我をしたとしても、知らせが来るのは何日も経ってからなのだ。
すぐに誰とでも連絡が取れる時代を知っているだけに、そのことがひどくもどかしく、恐ろしい。
「起きられましたか? ご気分はいかがでしょうか」
柔和な顔をした弥太郎が、α波が出ていそうな口調で声を掛けてくる。
「……喉が痛い」
「ああ、ずいぶんお声が嗄れておられますね」
薬湯を作るからと、席を立った弥太郎に代わり、部屋に入ってきたのは土井だ。
この男の他にも数名、勝千代の護衛として残った。
本当なら子守りをするより父についていきたかっただろうに、彼の表情に不満はない。
「今日は雪が降りそうですよ」
基本的に、この時代の男どもは声が大きい。
中でも土井の声は良く通るので、寝起きにはちょっときつい。
もちろんそんなことは口にはしないが、当の本人もそう思ったらしい。「すいません」と少し口を押え、若干声の調子を落とした。
「寒くなりそうですから、あとで火鉢をお持ちします」
「……すでにもう四つあるけど」
「足りないようなら、宿に戻って借りてきます」
「そこまでしなくてもいいよ」
部屋には勝千代の寝ていた場所を取り囲むようにして、大きさにばらつきのある火鉢が四つも置かれている。
そのどれもに五徳が差し込まれ、上には鉄製の鍋やら薬缶やらが湯気を立てている。
それでも室温が上がらないのは、この時代の家屋の気密性の問題だ。
もっとも、空気の通りが良すぎるお陰で、一酸化炭素中毒にならずに済んでいるのだろうが。
土井と話をしているうちに、少しだけ気分が良くなってきた。
助けてもらって上半身を起こし、ほうっと息を吐く。
いつまでも父の事で気をもんでいても仕方がない。
こちらはこちらで、できることをするべきだ。
まずはあの夢路と呼ばれていた女性……実際は岡部殿の行方不明になったご息女の志乃殿だ。
真正面から会いに行っても警戒されるだろうし……
あれこれと考えているうちに、ふと思い出した。
そうだ、ナツだ。
岡部家では死んだものと思われていたようだし、実際に志乃殿の書簡でもそのように書かれていた。
どうせ殺すのなら売りはらって金にしようと、下種な事を考えた輩がいたのだろう。
おそらくは志乃も、同じ理由で捕らわれていたのだと思う。
如章か? ……いや、もっと駿府にかかわりが深い誰かのような気がする。
「万事はどうしている?」
霊体状態で会って以来顔を見てないので、聞いてみる。
「ナツという女童をつれているはずだが」
「僧兵どもが宿改めを始めた時、その子供を連れて身を隠すよう二木殿に命じられていました。申し訳ありません、それ以上のことは」
まさか二木、都合よく厄介払いしたつもりでいるんじゃないだろうな。
「……そうか」
確か段蔵が、サンカ衆に匿われているとか言っていた。
勝千代がここにいると伝えれば、何も言わずともナツを連れて来てくれるだろう。
弥太郎が戻ってきて、勝千代が身体を起こしているのを見て咎めるような顔をした。
「白粥をお持ちしましたよ」
言われずとも、匂いでわかる。
ぐう……と腹が鳴った。
そういえば、東雲に小さいと言われた。
実際、年齢にしてみればずいぶん小柄だと自分でも思う。
今の歳まで、ひどい栄養状態で育ってきたからだろうが、父の遺伝子をわずかなりと引いているのなら希望はある。
思いつくのは万能栄養食の玉子だが……今の時代、卵食の文化はないだろう。下手をすれば仏教的にアウトかもしれない。
やはり、ジビエか。鹿肉とか猪肉ならまだ手に入りやすい。
与平の母親が干し肉を作っていたから、段蔵の一族にはそれを食べる文化があるという事だ。万事の所もそうだろう。あとでこっそり聞いてみるとしよう。
白粥を食べ終え、一滴残らず薬湯を飲み干すよう言われる。
最近、弥太郎の薬湯が苦いのだ。
思わず嫌な顔をしてしまったら、成分を強めたと言われた。
これまでは、普通の薬を飲ませるだけでも、身体に負担がかかりそうだったのだとか。
最初のころに比べると、少しは良くなってきたという意味だろうか。
素直に苦い薬湯を飲み干した結果、また臥所に押し込まれた。
今は眠るのが仕事だそうだ。
一枚、二枚と掛ける小袖が増やされていくうちに、その重みで身体が拘束されている気がしてくる。
もはや諦観の念をもってそれを受け入れ、強制的に眠ろうと試みた。
そんな時。
不意に、土井が腰を浮かせた。
弥太郎はまったく我関せずと、更に小袖を重ねていく。
土井は片膝を立て、太刀の柄に手を掛けている。
どうしたのかと、聞くべきか迷った。
いや、実際に問題が起こったのなら、ここまで弥太郎が平然としているわけがない。
「失礼いたす」
襖の外から声がした。
聞き覚えのある声。つい昨日聞いたばかりの声だ。
弥太郎が起きるのをやめさせようと肩を押さえたが、寝ている場合ではない。
「朝比奈又太郎でございます」
いや、一城の主がなんで取次ぎもなくいきなり来るんだよ!
「お邪魔してもよろしいでしょうか」
……駄目だと言ってもいいですか?
そういう訳にもいかないのはわかっていた。




