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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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12-2

「聞き分けろ」

 父が言う。

「今回ばかりはならぬ」

 勝千代は、しわしわになった父の袖をさらに強く握った

「お邪魔にはなりません。必ずお役に立てます」

「……お勝」

 太い眉をハの字に曲げて、ものすごく困った顔だ。

 勝千代の年にそぐわない物言いや提案を、嫌な顔ひとつせず聞いてくれる父だが、この件だけは受け入れてくれないようだ。

 早々にわかってしまったが、諦めきれない。

 今別れたら、二度と会えない気がするのだ。

 その本能的な危機感を、父は親と離れることへの不安と捉えたようだ。


 いや、違いはしない。

 短い時間だが戦国の世に触れ、命の軽さを実感した。

 そうだとも、不安なのだ。

 このまま父に会えなくなってしまうのではと、心細いのだ。


 勝千代は俯き、奥歯をかみしめた。

 どうやって説得しようかと考えを巡らせていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。

 大きな手だ。

 勝千代には持ち上げることがやっとの長槍を、軽々扱う武士の手だ。

「これはな、危ういと思うが故の決断だ。嫡男のそなたとワシが同じところにいるのは良くない」

 それは、本格的な危険が迫っているということではないか。


 うるっと涙が滲みそうになり、唇を引き結んで堪えた。

 父のいう事もわかる。わかってしまう。

 冷静な大人としては、それがリスクヘッジであり、必要な事なのかもしれないと思ってはいるが、小さな子供である勝千代の心が単純に嫌だと言う。


 これ以上はわがままだ。

 指からそっと力を抜いたが、父の袖から手を離しはしなかった。

「……わかりました」

 小さな声で呟く。

「ですが約束してください。必ず死なないと」

 武士には無理な約束だろう。

 正しく命を使うことを望む父が、勝千代のそんな言葉で気持ちを変えるとは思えない。

「腕を失ってもいい、足を失ってもいい。両方の目が見えなくなってもいい……」

 たとえ寝たきりになろうとも、家族の命が大切だという考えは、ずっと先の平和な世ではぐくまれた感覚なのだろう。

「父上が生き延びてくれさえすれば、それでいいです」

 図体の大きな父の面倒を一生見ることになるのだとしても、生きていてほしいと願う。

 勝千代にとって父は、厳しいこの時代における唯一の家族なのだ。

 父は答えなかった。

 目尻にしわを寄せて勝千代を見下ろし、もう一度そっと頭を撫でた。


 そして慌ただしく支度は整えられ、父は夜が明ける前に駿府へと旅立っていった。

 供の半数は残していくと言っていたが、それは断った。

 これから先危険になるのは、しばらくはまた寝込みそうな勝千代ではなく、駿府へ向かう父のほうだ。

 公家の屋敷という、ある意味武家にとっての安全地帯に匿われることが決まり、それほどの護衛が必要なくなった、というのも理由の一つだ。


 遠ざかっていく父の背中を、見えなくなるまで見送る。

 泣かないぞ。

 そう言い聞かせていないと、涙腺の緩いお子様の身体は簡単に決壊してしまいそうだ。

「寝ておらんのやろう? 横になって休んだ方が良い」

 勝千代の隣で、同じように見送りにきていた東雲が言う。

「ここの家主はけっこうやりおるから、危険はない思うてお眠り」

 まだ一度も顔を見たことがない家主は、「おおとのさん」と呼ばれている。

 呼び方だけでも結構引っかかるものがあるが、あまり聞いてほしくなさそうなので、意をくんで黙っている。


 というのも、この時代、公家と武家とは別の道を行っているイメージがあり、ますます権勢を増していく武家と違い、力を落としていくのが公家だ。その上さらに、こんな片田舎に隠居しているわけだから、事情があるのだろうと察しはつく。

 これからしばらく世話になるのだから、気は使わないと。

「ご挨拶だけはさせてください」

 そういうと、うーんと首を捻り、

「年寄りやから、今頃はまだぐっすり寝てはるやろうし、あとでええよ」

 相変わらずの見事な扇子使いで口元を覆い、なんとなくだが、はぐらかされたのが分かる。

 勝千代は「そうですか」と一つ頷き、まだ夜明け前の暗い空を見上げた。

 太陽が出てくるにはまだしばらくかかる。

 父が去っていった方向に視線を戻し、もう見えなくなったその背中に目を凝らして、追いかけて行きたい衝動をぐっと飲みこんだ。


「そういえば、あの若い娘さんのことやが」

 連れ立って屋敷に戻りながら、こっそり涙を拭っていると、ふと思い出した様子で東雲は言った。

「なんでか駿府のお方の病気の事、知っとってやった」

 はっと気持ちが引き締まる。


 父ですら知らなかったことを?

 なぜ彼女がそれを知り得たのか、考えたらぞっと恐ろしいことを想像してしまった。

「まさか……」

「いや、うちのが調べたところ、死病とかではないらしいし、すぐにどうこうということではなさそうや」

 「御屋形様」がすでにもう死んでいるのではないか、だとすれば父を引き留めないと。

 一躍飛びに至ったその考えが、即座に否定される。

「でもなぁ、近しい者にも秘しとった事を、あんな若い子が知っとるのはちょっとおかしい」

「御台さまのお近くで女官をなさっていたようですし、そういうことを知る機会もあったのかもしれません」

「……内々に居る子ならそれもあるのやろうけど、こういうことになってくるとなぁ」

 駿府から離れ、如章の手に捕らわれていた。

 岡部殿が脅迫されていた事実と、無関係だとは思えない。


「わかりました」

 父がいなくなり、落ち込んでいた気持ちが浮上する。

 急激に頭がすっきりとして、思考が明瞭に働き始める。

「話を聞いてみます。大人よりは聞き出しやすいはずです」

「そうしてくれるか? どうにも大人の男が怖いみたいや……無理もない」

 ここにいても出来ることがある。そう思えるだけで、前向きな気持ちになってきた。

 そうとも、純粋な武力の面では足手まといどころか邪魔にしかならない。

 出生上の複雑な事情がありそうなところに乗り込んでいっても、ややこしい事になるだけだろう。


「……その前に」

 パチン、と扇子が閉ざされ、その先端が勝千代のこめかみに向いた。

「まだ熱あるんやろう? とりあえずは身体を休めることや」

 顔をしかめると、軽く額を叩かれた。

「子供はな、よう寝なよう育たんゆうんや。そなた数えで六つやて聞いたけど、うちの甥っ子より小さいやないか」

「その甥御さんはおいくつですか?」

「四つ」

 いやいや、四歳児より小さいわけがないだろう。

 笑い飛ばそうとしたのだが、真摯な目で見降ろされ、不安になってきた。

 ……冗談だよね?

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